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しおりを挟む離の縁側に腰かけた男は致し方なく私が彼の隣に座したのを見ると太陽のような明るい笑みを見せて「今日は天気がいいな」と言った。
この場所の天候が穏やかであるのはいつものことだが、これが主の心情に強く影響を受けるという話を聞いて以来、彼にこの言葉をかけられるたびに私は複雑な感情を抱いている。
「君、食わないのかい?」
至極楽しそうに言った男は、私が返事を口にする前にその上品そうな口大きく開いて和菓子を飲み込み、もぐもぐと咀嚼した。
「うん、これはうまいなあ」
毎日花を抱えて現れたり、着物を与えてきたり、勝手にお菓子を用意してきたり、彼の行動はいつも突飛で予想ができない。今まで誰一人として私にそのようなことをしようとした人間はいなかったから、どうにも心が落ち着かず、そわそわとみっともなく狼狽えそうになる。
毎日「機嫌はどうだ」と聞いてきたり、私を笑わせようとしたり。鈍感がゆえに気付かずにいた悪意に振り回されるのが恐ろしくてもう何も信じないと決めたくせに、ここまで柔らかな目で見つめられるとどうにも肩の力が抜ける。
屈託なく笑いながら甘味を頬張る男に、とうとうため息がこぼれた。
「そんなにおいしいんですか」
「ああ、これは絶品だ! 君も食べてみるといい。頬が落ちるかもしれんから気を付けてくれよ」
「おおげさな……」
「騙されたと思って食ってみるといい」
もう二度と騙されたくないから私は今、こうして針鼠のように全身を逆立てて必死に息を殺しているのだ。それなのに彼はあまりにも無防備で、身構えているこちらがあほらしくなってきてしまう。
美しい黒髪の美青年の唇の端に白い粉砂糖が付着している。図体だけは立派な成年だというのに、彼の心はまるで子どもだ。無邪気で、まったく裏表がない。
――だから、無条件に信頼してしまいたくなる。
「……そんなにおいしいとおっしゃるのなら、こちらもお召し上がりください」
私は紫苑の姿を見ているだけで、腹が満たされてしまって仕方がない。言いながら美しい花が描かれた皿をついと彼の方へ寄せる。
善意に触れるたび、騙されまいと肩ひじを張る己が愚かしく感じる。
胸にしまい込んだ櫛が熱を持っているように感じて胸元を右手で握りしめると、彼は首をかしげてから、わざとらしく眉を寄せて咳払いした。
「君はまったくわかっちゃいない」
「はい?」
「こういうもんは、何も味がいいだけがうまいと感じる理由じゃない」
彼はどこかの師範のように腕を組んで、瞼を閉じながら自身の言葉に深く頷いている。
一方私はまさか断られるとは思いもせず、呆然と彼の顔を見つめていた。言われている意味が分からない。思わず瞼を瞬かせていると、彼は片目を開いて私の姿を見遣り、やがて得意げな顔をして口を開き直した。
「いいかい?」
彼は楽しそうに笑いながら私の耳へと声を吹き込んでくる。紫苑はこうして急に接近してくるから落ち着かない。
「あの、近い」
「こういうのは、好いた相手と隣り合って食らうからいっとううまいんだ。ほれ、君も食ってみるといい」
「ちょ、っと」
紫苑は抵抗する私など赤子のように躱して目の前に置かれた茶菓子を手に取り、私の口元へと差し出してくる。彼の目はどこまでも澄んでいて、眦は柔らかな曲線を描いていた。
「うまいものはわけあって食った方がいい。そうすりゃ俺はうまくものを食って、そのうえで君が笑うところも見られるわけだ。どうだ? いいだろう」
随分と身勝手な理由に振り回される。ばかばかしい言葉だ。そう言って突っぱねてしまえばいいのに、彼の言葉はどうしてか私の胸に内側に入り込んで、柔らかいところに住み着いてしまいそうだ。
慌てて彼の手に和菓子を入れられないよう口を引き結んだ。そうすると彼は私の抵抗を予測していたかのように声をあげて笑い、さらにずいと顔を寄せてきた。
「それとも君、もしやもう一度接吻して食わせてほしいのか?」
おかしそうに笑いながら囁かれた言葉に、今度こそ焦って彼の手から和菓子を奪い取り、息つく間もなく口に含んだ。
紫色の美しい花の模様が描かれた砂糖菓子は、ほろほろと私の口の中で溶け、あっという間に消えてしまった。まるで新雪を口に含んだ時のような触感だ。
「……おいしい」
それがどうしてか、とても美味しいもののように感じたのだ。
「そうだろうとも」
紫苑はおじさまとは全く似ていないのに、どこか目のやさしさが似ている気がする。姿形も声も何もかもが違うのに、ふとした瞬間におじさまが思い出される。故に、警戒心が薄れてしまうのだ。
ただそれだけだ。
言い聞かせるように何度も思い返しながら、目の前で花が咲きそうなほどうれしそうに微笑む紫苑をしばらく見つめ、目をそらした。
「んん? なにゆえ目をそらすんだ」
「特に理由はないです」
「君なあ」
もう二度と、誰のことも信じたりしないと誓ったのだ。私の目的は、おじさまと同じ世界で眠りにつくこと。それ以外のことは何も望まない。
「お代わりを用意させようか」
「いりません」
「そうか? 君はもっと食った方がいいだろう」
そう思うのに、どうして彼は彼を遮断しようとする私を咎めることなく側にいつづけてくれるのだろう。胸の内に灯る温かな優しさが何なのか、この熱に名前を付けることができず俯いてしまった。その視界の先に、彼の大きな手のひらが映る。
「……その手の傷、どうされたんですか」
紫苑の大きな手のひらには赤黒い傷が残っている。鬼というのは基本的に回復能力が高く、並大抵のものには傷がつけられないと狐仙に聞いたことがある。そのような彼の手のひらに傷を作ることができるとしたらどのような者なのだろうか。あまりにも痛々しく、見ているだけで胸が苦しくなる。
「そんなに俺の手が気になるか?」
その手に無意識に手を伸ばそうとしていたことに気付き、弾かれるように引いた。
「はは、触ってくれるんじゃないのか」
「気になっただけです」
「そりゃ残念だ。……まあ大した傷じゃない。だがそうさなあ」
平穏な昼下がり、鬼と呼ばれる麗しい男がわざと私を怖がらせるようにおどろおどろしく言った。
「新月の夜は何があろうと本殿には足を踏み入れちゃあいけない。君、わかったかい?」
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