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STEP 6 「毎日やってもらいたくなりそうだわ」
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「明菜、髪濡れてる」
「はい、ちゃんと、する」
「あはは。もう、動けねえの?」
「うご、く」
どうにか身体を起こして、ドライヤーを持っている八城を見上げた。持ってきてくれたらしい。
ぼんやりと見ているうちに、手際よく準備を終えた八城に「ソファの下座れる?」と聞かれて転げるようにラグマットの上に座り込んだ。
「熱かったら言って」
「や、しろさん?」
空気が刺さり込むような激しい音が耳元に響く。同時に頭に風があたった。優しい手つきで髪に触れられたら、ようやくドライヤーで髪を乾かされているのだと気づく。
まさか、毎年営業成績ナンバーワンの営業部エースに、髪を乾かしてもらう日が来るとは思わない。慌てて振り返ろうとしたら、片手で制された。
「じっとしてろ、な?」
「す、みません……」
「ん」
八城は耳元で囁いて、私が固まったのを見計らってはまた動作を再開させてくる。やわらかい手つきで、丁寧に髪を乾かされる。大きな手がしてくれているとは思えないほどに優しい指先の感触で、少しずつ、身体の熱が落ち着いてきた。
よくよく考えると、お風呂を出てからの私はかなり八城に迷惑をかけてしまっている。思いだしかけた羞恥心を頭の端に追いやっているうちに、ドライヤーの電源が切れて、音が途切れた。
「どうっすか」
「ありがとうございます……」
気持ちを入れ替えて静かに後ろを振り返れば、上半身裸で、グレーのアンダーパンツだけを履いた人と目が合った。一瞬で顔を逸らして、胸を押さえる。
「や、しろさん」
「うん?」
「その、お洋服……」
「ん?」
「ごめんなさい、着る暇が、なかったですよね。あの……、お洋服を、着てくださ、い」
すこし前に落ち着いたと思っていた心拍数はまたうるさいくらいに急上昇している。どくどくとうるさい左胸を撫でるように指先で押さえて、後ろから聞こえる笑い声に耳を澄ませた。
「はは、おようふくね」
「う、ん? お洋服、です」
「明菜はほんと、育ちがいいよな」
どこで育ちが良いと判定されたのかが分からない。
さっきまで、お風呂で倒れかけたところを介抱されていた女性のことを育ちが良いと呼ぶ八城のことを不思議に思ってしまった。
「ん、ちょっと待って」
「はい」
ソファの上で衣ずれの音が聞こえる。聞いてはいけない音を耳にしているような気がして、努めて音を聞かないようにとぎゅっと瞼を瞑った。
「ひゃ、」
「着替え終わったんで、こっち向いてくれますか」
後ろから伸びた手が、やわく私の頬を抓った。八城の声に従って振り返れば、たしかにスエットに身を包んだ姿が見えた。
「これで、よろしいですか? 明菜さん」
「すてきです、似合っています」
「はは、そう? 適当に買ったけど」
「八城さんは、何でもお似合いだと思います」
「明菜ちゃんの中の俺、なんかすげえ勘違いされてそ」
「ええ?」
「顔色、戻ったな」
「あ、……ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「いや? 役得だったわ。……いろいろと」
いろいろに含まれるあれこれのことは、考えないことにする。
八城の黒い髪が水気を吸って潤んでいる。
さすがに乾きはじめているだろうけれど、八城が置いたドライヤーを手に取って、ソファの上に座った。八城は、隣に座り込んできた私を見つめて首をかしげている。
「八城さん、髪、濡れてます」
「ん、すぐ乾くよ」
「だめです。下に座ってください」
「ん?」
「私がします」
さっきしてくれたことをなぞるようにドライヤーを構えれば、目をまるく見開いた八城が、楽しそうに笑んで「じゃあ、お言葉に甘えて」と私の髪を撫でてくれた。
八城を上から見おろす機会は、そう多くないだろう。硬い黒髪に触れて、自分のものとの違いに驚いている。八城がしてくれたように、昔母にしてもらったときのように、丁寧に髪を撫でて、優しく触れる。
こんなにもたくさん、私から八城に触れることができるのは、もうこれが最後かもしれない。
八城は、好きな人に大切に抱いてもらうべきだと言っていたけれど、私は八城に大切に抱いてもらえたとしても、これで終わりなのだと思うと、勝手に苦しくなってしまいそうだ。それくらいには、たくさんの思い出をくれた。
完全に乾いたことを確認して、電源を切る。
ソファの上にドライヤーを置いて前を向き直せば、すでに振り返っていたらしい八城が優しく、とろけそうに笑っているのが見えた。
「やしろさ、」
最後まで呼び終わる前に軽く膝立ちになった八城の顔が寄せられて、リップノイズを可愛らしく鳴らしながら、お互いの唇が触れ合った。
「髪、ありがとう」
「……はい、熱くなかったですか」
「ん、気持ちよかった」
「それは、よかっ……」
八城の節くれ立った指先が伸びてくる。存在を確かめるようにあいまいに唇に触れられて、わずかに身体を引きかけたら、きゅっと腰に腕が回ってきた。
「あきな」
囁いて、もう一度ゆっくりと唇を触れ合わせてくる。
私の唇の形を覚え込むためにしているみたいに丁寧に軽く押し付けて、至近距離で下から覗き込んでくる。八城のつよいまなざしが、上目遣いに私を見上げてくる日が来るとは思ってもいない。
「これ、誘惑されていますか」
耐えられずに聞けば、八城の手が乾ききった私の髪をくるくると弄んで、小さく笑った。
「いまの?」
「はい、……いまの、き、す」
すこし前にこのソファで教えられたどろどろのものとは違う、私の機嫌を伺うようなキスだ。
いつもに増して楽しそうに笑っている八城と目があって、もう一度口づけられた。
ここまで、一度もキスをしてこなかったのが嘘のようだ。答えを待ってじっと見つめていれば、八城が徐に立ち上がって、私の身体の左右に手をつきながら、ソファに乗り上げてくる。
反射的に後退りして、ソファに深く座り込んだ。私の身体に跨ってソファに乗っている八城がたっぷりと甘く笑って、耳に声を囁き入れてくる。
あまい誘惑の匂いがしていた。まるで、さっきお互いのキスで溶かしたチョコレートみたいな。
「誘惑されてくれてんの?」
私のハートがどんな状況にあるのか、知っていそうなからかいの音だった。誘惑なんてできてもいないのに、八城に身体のすべてを捧げてしまいたくて、仕方がない気分になる。
「されています。……もう、ものすごい勢いで」
本気でつぶやいたら、八城の目があまく笑った気がした。
「八城さん」
「ん?」
「キスは、何も言わないで、してもいいんですか?」
さっきから、いつの間に口付けられてばかりで、何もできずにいる。どきどきさせられっぱなしで、どうしようもない。
恋人同士の触れ合いには、許可は必要がないのだろうか。聞ける相手もいないから、八城に頼りきっている。
「そ。したくなったら、いつでも」
「いつでも?」
「ん、いつでも仕掛けていいよ」
「あ、で、も……、八城さんは大きいから、届かない、かも」
「はは。不利だな」
「キスしたいって言ったら、屈んでくれます、か」
真剣に問うて首を傾げれば、八城はとろけそうな笑みを浮かべて口を開いた。
「明菜のお願いなら」
「……してもいいですか?」
「結局聞いてるし」
「あ、」
指摘されて、驚いている。
私の目を覗き込んだ八城が、楽しそうな表情を浮かべながら唇を寄せてくれた。しばらく柔らかい感触を確かめ合っているうちに、身体から全ての力が抜けていく。
「明菜ちゃん、もう疲れてるだろ」
「うん?」
「目ぇ、溶けそ」
下瞼が、八城の指先に優しくなぞられる。くすぐったくて瞼を下ろしたら、近くで優しい匂いが香って、目元にあわい熱が落ちた。
「寝る?」
「まぶた、」
「ん? なに?」
「瞼にも、キス、してくれるんですか」
「はは、可愛さ余ってつい」
「私もしたいです」
「俺に?」
「うん」
瞼の上に口づけられると、こんなにも気持ちが良いのか、と感心している。八城にも同じ気持ちになってほしくてつぶやいたら、すこしだけ間を置いた八城が静かに破顔した。
「ほんと明菜、たまんねえわ」
「目、閉じてください」
「誘惑してんの?」
「嬉しかったから、八城さんにもお裾分けしたいんです」
「まいった」
まいったと言いつつ、すこしも悔しくなさそうな八城が、私のこめかみから指先を差し込んで髪を撫でてくれる。
八城の優しい瞳が、ゆっくりと瞼に閉じ込められていくさまを、じっと見つめていた。
「どうぞ」
「ん」
私のほうに顔を差し出してくれる。その頬にそっと触れて近づいたら、八城の口元が小さく緩んだのが見えた。
何も言わずに、瞼の上に静かに唇を乗せてそっと離れる。
「どう、でしょう?」
「うん、かなり」
「かなり?」
「すげえ誘惑されてます」
「ふふ、誘惑、したつもりはなかったです。おやすみの挨拶です」
「これが?」
「はい」
「毎日やってもらいたくなりそうだわ」
「ええ?」
「寝るか」
優しく抱き寄せられて、八城の胸の中にすっぽりと身体が収まってしまった。
「はい、ちゃんと、する」
「あはは。もう、動けねえの?」
「うご、く」
どうにか身体を起こして、ドライヤーを持っている八城を見上げた。持ってきてくれたらしい。
ぼんやりと見ているうちに、手際よく準備を終えた八城に「ソファの下座れる?」と聞かれて転げるようにラグマットの上に座り込んだ。
「熱かったら言って」
「や、しろさん?」
空気が刺さり込むような激しい音が耳元に響く。同時に頭に風があたった。優しい手つきで髪に触れられたら、ようやくドライヤーで髪を乾かされているのだと気づく。
まさか、毎年営業成績ナンバーワンの営業部エースに、髪を乾かしてもらう日が来るとは思わない。慌てて振り返ろうとしたら、片手で制された。
「じっとしてろ、な?」
「す、みません……」
「ん」
八城は耳元で囁いて、私が固まったのを見計らってはまた動作を再開させてくる。やわらかい手つきで、丁寧に髪を乾かされる。大きな手がしてくれているとは思えないほどに優しい指先の感触で、少しずつ、身体の熱が落ち着いてきた。
よくよく考えると、お風呂を出てからの私はかなり八城に迷惑をかけてしまっている。思いだしかけた羞恥心を頭の端に追いやっているうちに、ドライヤーの電源が切れて、音が途切れた。
「どうっすか」
「ありがとうございます……」
気持ちを入れ替えて静かに後ろを振り返れば、上半身裸で、グレーのアンダーパンツだけを履いた人と目が合った。一瞬で顔を逸らして、胸を押さえる。
「や、しろさん」
「うん?」
「その、お洋服……」
「ん?」
「ごめんなさい、着る暇が、なかったですよね。あの……、お洋服を、着てくださ、い」
すこし前に落ち着いたと思っていた心拍数はまたうるさいくらいに急上昇している。どくどくとうるさい左胸を撫でるように指先で押さえて、後ろから聞こえる笑い声に耳を澄ませた。
「はは、おようふくね」
「う、ん? お洋服、です」
「明菜はほんと、育ちがいいよな」
どこで育ちが良いと判定されたのかが分からない。
さっきまで、お風呂で倒れかけたところを介抱されていた女性のことを育ちが良いと呼ぶ八城のことを不思議に思ってしまった。
「ん、ちょっと待って」
「はい」
ソファの上で衣ずれの音が聞こえる。聞いてはいけない音を耳にしているような気がして、努めて音を聞かないようにとぎゅっと瞼を瞑った。
「ひゃ、」
「着替え終わったんで、こっち向いてくれますか」
後ろから伸びた手が、やわく私の頬を抓った。八城の声に従って振り返れば、たしかにスエットに身を包んだ姿が見えた。
「これで、よろしいですか? 明菜さん」
「すてきです、似合っています」
「はは、そう? 適当に買ったけど」
「八城さんは、何でもお似合いだと思います」
「明菜ちゃんの中の俺、なんかすげえ勘違いされてそ」
「ええ?」
「顔色、戻ったな」
「あ、……ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「いや? 役得だったわ。……いろいろと」
いろいろに含まれるあれこれのことは、考えないことにする。
八城の黒い髪が水気を吸って潤んでいる。
さすがに乾きはじめているだろうけれど、八城が置いたドライヤーを手に取って、ソファの上に座った。八城は、隣に座り込んできた私を見つめて首をかしげている。
「八城さん、髪、濡れてます」
「ん、すぐ乾くよ」
「だめです。下に座ってください」
「ん?」
「私がします」
さっきしてくれたことをなぞるようにドライヤーを構えれば、目をまるく見開いた八城が、楽しそうに笑んで「じゃあ、お言葉に甘えて」と私の髪を撫でてくれた。
八城を上から見おろす機会は、そう多くないだろう。硬い黒髪に触れて、自分のものとの違いに驚いている。八城がしてくれたように、昔母にしてもらったときのように、丁寧に髪を撫でて、優しく触れる。
こんなにもたくさん、私から八城に触れることができるのは、もうこれが最後かもしれない。
八城は、好きな人に大切に抱いてもらうべきだと言っていたけれど、私は八城に大切に抱いてもらえたとしても、これで終わりなのだと思うと、勝手に苦しくなってしまいそうだ。それくらいには、たくさんの思い出をくれた。
完全に乾いたことを確認して、電源を切る。
ソファの上にドライヤーを置いて前を向き直せば、すでに振り返っていたらしい八城が優しく、とろけそうに笑っているのが見えた。
「やしろさ、」
最後まで呼び終わる前に軽く膝立ちになった八城の顔が寄せられて、リップノイズを可愛らしく鳴らしながら、お互いの唇が触れ合った。
「髪、ありがとう」
「……はい、熱くなかったですか」
「ん、気持ちよかった」
「それは、よかっ……」
八城の節くれ立った指先が伸びてくる。存在を確かめるようにあいまいに唇に触れられて、わずかに身体を引きかけたら、きゅっと腰に腕が回ってきた。
「あきな」
囁いて、もう一度ゆっくりと唇を触れ合わせてくる。
私の唇の形を覚え込むためにしているみたいに丁寧に軽く押し付けて、至近距離で下から覗き込んでくる。八城のつよいまなざしが、上目遣いに私を見上げてくる日が来るとは思ってもいない。
「これ、誘惑されていますか」
耐えられずに聞けば、八城の手が乾ききった私の髪をくるくると弄んで、小さく笑った。
「いまの?」
「はい、……いまの、き、す」
すこし前にこのソファで教えられたどろどろのものとは違う、私の機嫌を伺うようなキスだ。
いつもに増して楽しそうに笑っている八城と目があって、もう一度口づけられた。
ここまで、一度もキスをしてこなかったのが嘘のようだ。答えを待ってじっと見つめていれば、八城が徐に立ち上がって、私の身体の左右に手をつきながら、ソファに乗り上げてくる。
反射的に後退りして、ソファに深く座り込んだ。私の身体に跨ってソファに乗っている八城がたっぷりと甘く笑って、耳に声を囁き入れてくる。
あまい誘惑の匂いがしていた。まるで、さっきお互いのキスで溶かしたチョコレートみたいな。
「誘惑されてくれてんの?」
私のハートがどんな状況にあるのか、知っていそうなからかいの音だった。誘惑なんてできてもいないのに、八城に身体のすべてを捧げてしまいたくて、仕方がない気分になる。
「されています。……もう、ものすごい勢いで」
本気でつぶやいたら、八城の目があまく笑った気がした。
「八城さん」
「ん?」
「キスは、何も言わないで、してもいいんですか?」
さっきから、いつの間に口付けられてばかりで、何もできずにいる。どきどきさせられっぱなしで、どうしようもない。
恋人同士の触れ合いには、許可は必要がないのだろうか。聞ける相手もいないから、八城に頼りきっている。
「そ。したくなったら、いつでも」
「いつでも?」
「ん、いつでも仕掛けていいよ」
「あ、で、も……、八城さんは大きいから、届かない、かも」
「はは。不利だな」
「キスしたいって言ったら、屈んでくれます、か」
真剣に問うて首を傾げれば、八城はとろけそうな笑みを浮かべて口を開いた。
「明菜のお願いなら」
「……してもいいですか?」
「結局聞いてるし」
「あ、」
指摘されて、驚いている。
私の目を覗き込んだ八城が、楽しそうな表情を浮かべながら唇を寄せてくれた。しばらく柔らかい感触を確かめ合っているうちに、身体から全ての力が抜けていく。
「明菜ちゃん、もう疲れてるだろ」
「うん?」
「目ぇ、溶けそ」
下瞼が、八城の指先に優しくなぞられる。くすぐったくて瞼を下ろしたら、近くで優しい匂いが香って、目元にあわい熱が落ちた。
「寝る?」
「まぶた、」
「ん? なに?」
「瞼にも、キス、してくれるんですか」
「はは、可愛さ余ってつい」
「私もしたいです」
「俺に?」
「うん」
瞼の上に口づけられると、こんなにも気持ちが良いのか、と感心している。八城にも同じ気持ちになってほしくてつぶやいたら、すこしだけ間を置いた八城が静かに破顔した。
「ほんと明菜、たまんねえわ」
「目、閉じてください」
「誘惑してんの?」
「嬉しかったから、八城さんにもお裾分けしたいんです」
「まいった」
まいったと言いつつ、すこしも悔しくなさそうな八城が、私のこめかみから指先を差し込んで髪を撫でてくれる。
八城の優しい瞳が、ゆっくりと瞼に閉じ込められていくさまを、じっと見つめていた。
「どうぞ」
「ん」
私のほうに顔を差し出してくれる。その頬にそっと触れて近づいたら、八城の口元が小さく緩んだのが見えた。
何も言わずに、瞼の上に静かに唇を乗せてそっと離れる。
「どう、でしょう?」
「うん、かなり」
「かなり?」
「すげえ誘惑されてます」
「ふふ、誘惑、したつもりはなかったです。おやすみの挨拶です」
「これが?」
「はい」
「毎日やってもらいたくなりそうだわ」
「ええ?」
「寝るか」
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