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STEP 6 「意味、わかってんの?」
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寝ようと言っているのに、八城はすこしも動く気配がなくて、ただじっと存在を確かめるように隙間なくくっついている。
八城に指摘された通り、すこし身体が疲れている気がする。一週間、金曜日の残業をなくすために、必死に仕事を進めていた。
八城からのはじめてのキスも、お風呂も、緊張しっぱなしで、一日に動かすことのできる拍動の数が決まっていたとしたら、今日はもうオーバーフロー状態のはずだ。
「明菜」
「はい」
「寝そう?」
「まだ、大丈夫、です」
「あはは、身体、力抜けてんね」
背中を優しく撫でられて、なおさら力が抜けてしまった。八城の腕の中が、こんなにも落ち着くところだったとは知らない。ずっとここで微睡んでいたいと思わせてしまうような魅力がある。
八城の身体が暖かいからだろうか。生命の神秘に触れたような気分になった。
「八城さんも、眠いですか?」
「いや? まだ起きてられる」
「ええ、すごい」
「あはは、でも明日も早いから、寝ようかな」
「……はやい、んですか」
「ん、土曜の朝、大学のサークル仲間で野球してんだよね」
「あ、そう、でしたね」
八城は、いまだに大学のサークルメンバーと親交を持っていて、土曜日の朝はだいたい草野球をしていると言っていた。
体格から見るに明らかではあるけれど、八城は小中高そして大学と、野球を続けていたスポーツマンだ。社会人になってからはチームには所属せずに、気心の知れた仲間と遊び程度に楽しんでいるらしい。
そうか、明日はすぐに帰ってしまうのか。なんて、わがままなことを考えている自分に驚いている、
すこし意識がはっきりしてきて、緩んだ拘束の中で八城の表情を見上げる。
「一回帰って、適当に飯買って行くから……、五時半くらいで間に合うか?」
「わ、早い、ですね」
「マジで疲れてるときとか寝坊しかける」
「ふふ、お疲れ様です」
「先輩のお子さんとかもいるし、まあ何とかすっぽかさずに頑張ってます」
笑い話のように囁かれて、八城の狙い通りに笑ってしまった。おそらく、八城は寝坊なんてすることはないだろうと思う。律義で、真面目な人だ。
「明日も早いのに、引き留めてごめんなさい」
「ああ、全然いいよ。こっちのが俺は大事だし」
「だ、いじ」
「ん、明菜ちゃんに誘惑してもらえるほうが、俺は素直に楽しいんで」
「あんまり上手に誘惑できなくて、ごめんなさい」
八城のハードスケジュールの合間に私を入れてくれているのだと分かると、なおさら申し訳がなく感じてくる。
もうすこし誘惑できればいいけれど、今は策略を練る頭もない。ただ一つ、自分にできそうなことだけが頭に浮かんでつぶやいてみる。
「八城さん」
「うん?」
「嫌でなければ……、私がお弁当、作りましょうか?」
「……マジで?」
「はい、嫌でなければ、ですけれど」
「めちゃくちゃ食いたいっす」
間髪をいれずに八城が言葉を返してくる。その声に、ゆるゆると頬が緩んだ。
「あ、ふふ。じゃあ、明日、頑張ります」
「明菜の弁当食えんの?」
「は、い」
「うわ、俄然やる気出てきた」
「それは、よかったです」
断られるかもしれないと思っていたから、こんなにも喜んでくれるとは思わなかった。
もう一度強く腕に抱き込まれて、八城の胸に額が擦れる。まるで、こころから嬉しいことを表現してくれているような熱だった。
「明菜も行く?」
「うん?」
「野球。ちびっ子もいるし、退屈はしないと思うけど」
「……いいんですか? 私、野球はしたことがないです」
「あはは、そんな感じする」
どうやら私の運動神経のなさは予測されているらしい。
「ルールも、ふわっとしかわからなくて……」
「うん、いいよ。一緒に身体動かすか」
「ええ、八城さんはお上手ですよね?」
「明菜ちゃんよりは、うまいと思いたいね」
「それは絶対そうです」
「ボール投げたことある?」
からかうような声に尋ねられて、思わず八城の胸を小突いた。緩んだ攻撃で、八城は小さく笑ってくれている。
「ボールは投げたこと、あります」
「はは、良かった。ボールなんて危ないから投げたことない~! って言われたら、さすがに連れていけなかった」
「もう」
「ごめんごめん、俺が教えるから、一緒に遊ぼうか」
「はい。すごい……たのしみです」
「ん、それは良かったわ」
ぽん、と背中を叩かれて、小さく頷く。ようやく身体から八城の腕が離れて、「そろそろ寝るか」と囁かれる。
もう一度頷いて、一緒に立ち上がった。
半分眠りに落ちかけていた頭は、八城と一緒に歯磨きをすることで目が覚めた。可憐が泊りにきたときのためにストックしていた桃色のブラシで歯を磨いている八城がおかしい。
「何笑ってんの?」
「ふふ、ピンクも似合いますね」
「はは、似合ってるか?」
「もちろんです」
鏡を見下ろした八城が、首をかしげて笑っていた。その顔を鏡越しに眺めて、またおかしな気分になる。恋人同士だったら、こうして八城の歯ブラシを置いておくこともできるのかもしれない。
明日の朝にはゴミ箱に入ってしまうだろう桃色を眺めながら、ミントの香りではっきりと頭が覚醒してしまった。
「俺の部屋にも、明菜ちゃん分の歯ブラシ、買っときます」
「う、ん?」
「黒とかにしとく?」
「あはは、似合いますか?」
「ん、」
からかわれているのだろうと分かって、笑ってしまった。
口をすすいで、横で待ってくれていた人に首をかしげる。八城は私の目を見下ろして、優しく頬を撫でてくれた。
頬を撫でられることにも、すこしだけ慣れてきたような気がする。
「意味、わかってんの?」
「意味?」
「今度はうちに泊まりに来いって意味」
「……な、るほど」
「楽しみにしてます」
「は、い」
まだ、この先があるのだと安堵するべきなのか、今日ここで抱いてもらえないことを寂しく思うべきなのか、考えあぐねてしまう。
満足そうに笑う八城にまた頭を撫でられて、気を取り直すように、話を変えた。
「今日は、私がソファで横になるので……、八城さん、ベッドに、どうぞ」
「ん?」
「ソファじゃ、足が出てしまうと思うので」
さすがに八城がソファで眠るのは難しいだろう。寝室へ案内しようとしたら、八城が呆然と私を見つめてから、小さく笑った。苦笑のような笑い方に見えたのは気のせいではなかっただろう。
「八城さん?」
「ううん。お気遣いありがとう」
「いえ。私がお願いしたので……、寝室は、こっちです」
「ん」
私の声に八城が頷くのを確認して、寝室へと歩く。ほどなくしてたどり着いた寝室のドアノブに手を添えて軽く力を込めれば、すんなりと扉が開いた。
「電気はこのリモコンで、消せます。携帯はベッドボードにコンセントがあるので、そこで充電を……」
「明菜」
「はい? っきゃ」
あれこれと説明を加えていたはずが、足が地面から浮いてしまっている。ぎょっとしてしがみ付けば、すぐ近くで誰かが笑った。
「や、しろさ」
「はい、到着」
「ええ?」
優しくベッドの上に下ろされて、目を白黒しているうちに八城が横に入ってくる。
どう考えても二人では狭すぎる。
口を開こうとすると、有無を言わせず布団の中に引き込まれた。ベッドから降りるには、八城の身体を跨ぐ必要がある。
「い、っしょに、寝るんですか?」
「そ」
「八城さん、落ちちゃう、かも」
シーツの上に肘を立てて私を見下ろしている八城と向き合って懸念事項を口にすれば、八城が小さく笑って私の髪へと手を伸ばしてくる。私の髪を弄ぶのが好きだと思う。八城の可愛らしい手癖を覚えている自分がくすぐったかった。
「んー」
考えているような声を出しながら、八城は熱心に私の髪の毛で遊んでいる。
八城との間には、子どもが一人入れるくらいのスペースが開いているから、八城はすこしでも寝返りを打てば、ベッドの下に転げ落ちてしまうだろう。
大柄な八城が無理な体勢で眠るところを想像して、上半身を起こした。
「やっぱり、私がソファで……」
起き上がろうとシーツについた手に、やんわりと熱が乗ってくる。視線を落とせば、自分のものとは比べ物にならないほど大きな手のひらが、私の手を隠すように添えられていた。
「寄っていい?」
「うん?」
意図を問い返す前に、手の甲を覆っていた八城の手が、私の手首を掴んだ。抵抗する間もなく身体が平衡感覚を失って、八城の身体に引き込まれる。
「捕まえた」
「ええ?」
大事な宝物を抱え込んでいるみたいな手つきで八城の身体に抱きしめられて、ベッドの真ん中でぴったりとくっついた。混乱しているうちに、八城が上機嫌な笑い声をあげてしまう。
「これで落ちないし、明菜はもう、ソファに逃げられないな」
「にげ、」
逃げようと思ったわけではなかったけれど、こうして抱き込まれてしまったら、逃げるべきだったのだと本能的に悟ってしまった。あまりにも無防備すぎた。それでいいはずなのに、八城に抱かれようとしているはずなのに、今更焦って、落ち着かない気分になっている私はおかしい。
八城に指摘された通り、すこし身体が疲れている気がする。一週間、金曜日の残業をなくすために、必死に仕事を進めていた。
八城からのはじめてのキスも、お風呂も、緊張しっぱなしで、一日に動かすことのできる拍動の数が決まっていたとしたら、今日はもうオーバーフロー状態のはずだ。
「明菜」
「はい」
「寝そう?」
「まだ、大丈夫、です」
「あはは、身体、力抜けてんね」
背中を優しく撫でられて、なおさら力が抜けてしまった。八城の腕の中が、こんなにも落ち着くところだったとは知らない。ずっとここで微睡んでいたいと思わせてしまうような魅力がある。
八城の身体が暖かいからだろうか。生命の神秘に触れたような気分になった。
「八城さんも、眠いですか?」
「いや? まだ起きてられる」
「ええ、すごい」
「あはは、でも明日も早いから、寝ようかな」
「……はやい、んですか」
「ん、土曜の朝、大学のサークル仲間で野球してんだよね」
「あ、そう、でしたね」
八城は、いまだに大学のサークルメンバーと親交を持っていて、土曜日の朝はだいたい草野球をしていると言っていた。
体格から見るに明らかではあるけれど、八城は小中高そして大学と、野球を続けていたスポーツマンだ。社会人になってからはチームには所属せずに、気心の知れた仲間と遊び程度に楽しんでいるらしい。
そうか、明日はすぐに帰ってしまうのか。なんて、わがままなことを考えている自分に驚いている、
すこし意識がはっきりしてきて、緩んだ拘束の中で八城の表情を見上げる。
「一回帰って、適当に飯買って行くから……、五時半くらいで間に合うか?」
「わ、早い、ですね」
「マジで疲れてるときとか寝坊しかける」
「ふふ、お疲れ様です」
「先輩のお子さんとかもいるし、まあ何とかすっぽかさずに頑張ってます」
笑い話のように囁かれて、八城の狙い通りに笑ってしまった。おそらく、八城は寝坊なんてすることはないだろうと思う。律義で、真面目な人だ。
「明日も早いのに、引き留めてごめんなさい」
「ああ、全然いいよ。こっちのが俺は大事だし」
「だ、いじ」
「ん、明菜ちゃんに誘惑してもらえるほうが、俺は素直に楽しいんで」
「あんまり上手に誘惑できなくて、ごめんなさい」
八城のハードスケジュールの合間に私を入れてくれているのだと分かると、なおさら申し訳がなく感じてくる。
もうすこし誘惑できればいいけれど、今は策略を練る頭もない。ただ一つ、自分にできそうなことだけが頭に浮かんでつぶやいてみる。
「八城さん」
「うん?」
「嫌でなければ……、私がお弁当、作りましょうか?」
「……マジで?」
「はい、嫌でなければ、ですけれど」
「めちゃくちゃ食いたいっす」
間髪をいれずに八城が言葉を返してくる。その声に、ゆるゆると頬が緩んだ。
「あ、ふふ。じゃあ、明日、頑張ります」
「明菜の弁当食えんの?」
「は、い」
「うわ、俄然やる気出てきた」
「それは、よかったです」
断られるかもしれないと思っていたから、こんなにも喜んでくれるとは思わなかった。
もう一度強く腕に抱き込まれて、八城の胸に額が擦れる。まるで、こころから嬉しいことを表現してくれているような熱だった。
「明菜も行く?」
「うん?」
「野球。ちびっ子もいるし、退屈はしないと思うけど」
「……いいんですか? 私、野球はしたことがないです」
「あはは、そんな感じする」
どうやら私の運動神経のなさは予測されているらしい。
「ルールも、ふわっとしかわからなくて……」
「うん、いいよ。一緒に身体動かすか」
「ええ、八城さんはお上手ですよね?」
「明菜ちゃんよりは、うまいと思いたいね」
「それは絶対そうです」
「ボール投げたことある?」
からかうような声に尋ねられて、思わず八城の胸を小突いた。緩んだ攻撃で、八城は小さく笑ってくれている。
「ボールは投げたこと、あります」
「はは、良かった。ボールなんて危ないから投げたことない~! って言われたら、さすがに連れていけなかった」
「もう」
「ごめんごめん、俺が教えるから、一緒に遊ぼうか」
「はい。すごい……たのしみです」
「ん、それは良かったわ」
ぽん、と背中を叩かれて、小さく頷く。ようやく身体から八城の腕が離れて、「そろそろ寝るか」と囁かれる。
もう一度頷いて、一緒に立ち上がった。
半分眠りに落ちかけていた頭は、八城と一緒に歯磨きをすることで目が覚めた。可憐が泊りにきたときのためにストックしていた桃色のブラシで歯を磨いている八城がおかしい。
「何笑ってんの?」
「ふふ、ピンクも似合いますね」
「はは、似合ってるか?」
「もちろんです」
鏡を見下ろした八城が、首をかしげて笑っていた。その顔を鏡越しに眺めて、またおかしな気分になる。恋人同士だったら、こうして八城の歯ブラシを置いておくこともできるのかもしれない。
明日の朝にはゴミ箱に入ってしまうだろう桃色を眺めながら、ミントの香りではっきりと頭が覚醒してしまった。
「俺の部屋にも、明菜ちゃん分の歯ブラシ、買っときます」
「う、ん?」
「黒とかにしとく?」
「あはは、似合いますか?」
「ん、」
からかわれているのだろうと分かって、笑ってしまった。
口をすすいで、横で待ってくれていた人に首をかしげる。八城は私の目を見下ろして、優しく頬を撫でてくれた。
頬を撫でられることにも、すこしだけ慣れてきたような気がする。
「意味、わかってんの?」
「意味?」
「今度はうちに泊まりに来いって意味」
「……な、るほど」
「楽しみにしてます」
「は、い」
まだ、この先があるのだと安堵するべきなのか、今日ここで抱いてもらえないことを寂しく思うべきなのか、考えあぐねてしまう。
満足そうに笑う八城にまた頭を撫でられて、気を取り直すように、話を変えた。
「今日は、私がソファで横になるので……、八城さん、ベッドに、どうぞ」
「ん?」
「ソファじゃ、足が出てしまうと思うので」
さすがに八城がソファで眠るのは難しいだろう。寝室へ案内しようとしたら、八城が呆然と私を見つめてから、小さく笑った。苦笑のような笑い方に見えたのは気のせいではなかっただろう。
「八城さん?」
「ううん。お気遣いありがとう」
「いえ。私がお願いしたので……、寝室は、こっちです」
「ん」
私の声に八城が頷くのを確認して、寝室へと歩く。ほどなくしてたどり着いた寝室のドアノブに手を添えて軽く力を込めれば、すんなりと扉が開いた。
「電気はこのリモコンで、消せます。携帯はベッドボードにコンセントがあるので、そこで充電を……」
「明菜」
「はい? っきゃ」
あれこれと説明を加えていたはずが、足が地面から浮いてしまっている。ぎょっとしてしがみ付けば、すぐ近くで誰かが笑った。
「や、しろさ」
「はい、到着」
「ええ?」
優しくベッドの上に下ろされて、目を白黒しているうちに八城が横に入ってくる。
どう考えても二人では狭すぎる。
口を開こうとすると、有無を言わせず布団の中に引き込まれた。ベッドから降りるには、八城の身体を跨ぐ必要がある。
「い、っしょに、寝るんですか?」
「そ」
「八城さん、落ちちゃう、かも」
シーツの上に肘を立てて私を見下ろしている八城と向き合って懸念事項を口にすれば、八城が小さく笑って私の髪へと手を伸ばしてくる。私の髪を弄ぶのが好きだと思う。八城の可愛らしい手癖を覚えている自分がくすぐったかった。
「んー」
考えているような声を出しながら、八城は熱心に私の髪の毛で遊んでいる。
八城との間には、子どもが一人入れるくらいのスペースが開いているから、八城はすこしでも寝返りを打てば、ベッドの下に転げ落ちてしまうだろう。
大柄な八城が無理な体勢で眠るところを想像して、上半身を起こした。
「やっぱり、私がソファで……」
起き上がろうとシーツについた手に、やんわりと熱が乗ってくる。視線を落とせば、自分のものとは比べ物にならないほど大きな手のひらが、私の手を隠すように添えられていた。
「寄っていい?」
「うん?」
意図を問い返す前に、手の甲を覆っていた八城の手が、私の手首を掴んだ。抵抗する間もなく身体が平衡感覚を失って、八城の身体に引き込まれる。
「捕まえた」
「ええ?」
大事な宝物を抱え込んでいるみたいな手つきで八城の身体に抱きしめられて、ベッドの真ん中でぴったりとくっついた。混乱しているうちに、八城が上機嫌な笑い声をあげてしまう。
「これで落ちないし、明菜はもう、ソファに逃げられないな」
「にげ、」
逃げようと思ったわけではなかったけれど、こうして抱き込まれてしまったら、逃げるべきだったのだと本能的に悟ってしまった。あまりにも無防備すぎた。それでいいはずなのに、八城に抱かれようとしているはずなのに、今更焦って、落ち着かない気分になっている私はおかしい。
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