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53、雨と試合と猛獣と

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ザンザン降りの、土砂降りのグラウンド。

朝から降り続けてた雨が、数時間後、更に勢いを増して降り注いでいた。
大粒の雨粒に顔面を打たれ、視界最悪、ゴール前どころか、数メートル先だってよく見えない。
足下はグズグズにぬかるみ、水を吸ったスパイクもユニフォームも何もかもがオレから自由を奪う。

もう、走れねえ・・。

そう思ったら、本当に足が重くて、重くて、動かなくなった。

限界だ・・。
冷たい雨で、体が冷えて、筋疲労が著しい。
前に痛めてた足首が、だんだん強く痛み出した。
これ以上走ったら、やばいかも知れない。
こんな事なら、ちゃんと治しときゃ良かった。
無理して練習なんか出ないで、ちゃんと治しておけば、こんな雨の日に古傷が痛むような事もなかった。
そんな傷が、どれだけこの体にあるか。
ズキズキする。
関節が熱くなってくる。
重い、熱い。
もう、走れない。
オレの体は、限界だって・・悲鳴を上げてる。


スコアは3-1。
勝つためにはあと3点取らなければ、巻き返せない。
残り時間15分。

体は、もう走れないと訴えている。
どこもかしこもガタガタだ。
どんだけ毎日練習してきたと思ってんだ。
あの練習に耐えるだけでも、ずっと、しんどかった。
それにこの雨・・・。

フと気配に気付き、顔を上げると、目の前に飛んで来たボールが派手に水しぶきを上げた。
と、同時に前線が動き出す。
オレの真横を、ワタヌキとモリヤが両サイドに猛ダッシュで走り出して行った。

・・ふざけんじゃねえ・・っ!

体が勝手に前に走り出す。
さっきまでの足首の痛みも、筋肉のつっぱりも関係ない。
パブロフの犬ばりに、目の前のボールに体が反応して、足が駆け出した。

水浸し、泥まみれで、足ごと刈るスライディングを避け、腕を、ユニを引っ張られても全速力で振り切った。

走れよ・・走れッ・・!
走れッ!!
今、走れなきゃ、死んだ方がマシだろッ!?
誰が・・限界だよ!?
誰が、決めた!?
バカじゃねえのか!?誰が決めたんだよっ
オレが走れねえって・・誰が・・っ
テメエは医者でもトレーナーでもねえ!

自分で勝手に決めんじゃねえ・・!!
勝手な判断だ!
ちょっと無理したからって、簡単にイカれるような造りじゃねえんだよっ
オレはそんな老いぼれじゃねえ・・っ

視界最悪のゴール前。
引っ捕まえられたって、蹴られたって、誰が止まってやるかよっ
オレが、オレが絶対ここまで運んでやるって約束してんだ。
絶対、オレが・・!

ロングは無理だ。
水溜まりのせいで球威が出ない。
オレはペナルティエリアの直前まで上がって、最後のパスを右に蹴り出す。
腕掴まれて体勢はボロボロ、ずぶ濡れで、多分いつもの三分の二の動きも出来てねえ。
それでも、ディフェンダー3人引き連れて、ここでパス出せたんだ。
表彰もんだろ!?

「決めろよ・・!」

泥の水溜りん中に、相手の選手と一緒にダイブしながら、オレはワタヌキの背中を見つめた。
一緒に倒れてたディフェンダーが立ち上がったせいで、顔面に泥の水しぶき。
最悪。
それでも、笑ってしまう。
突っ立ったままのキーパーの前でUターンして、オレの前に走って来るワタヌキが、親指を立てる。
オレは水溜りの中で、びっしょびっしょの体を、肘をついて起こした。
「次も頼りにしてるぜ」
そうワタヌキが言って、手を伸ばす。
ワタヌキの手を掴んで立ち上がり、灰色の空に向かってオレは「わかってるよバカヤロー!」と叫んだ。

誰もオレの心配なんかしてくれねえ。

「あと2点」
「ハイハイ。焦んじゃねえよ。あと12分あんだろ」
オレの台詞にワタヌキが静かに笑って、追い越してった。

心配する必要なんかないって、思ってるからだ。
オレが多少の事で潰れるような男じゃねえって思ってるからだ。

ただじゃ転ばねえよ。
どんな汚ねえファールだって、プラスにする。

オレは負けんのが大嫌いだから。
単純な計算。
だったら勝つしかねえじゃん。
片っ端からオレが相手してやるっつーんだよ・・っ





そうして、土砂降りの雨の中、異様なオーラを放つ秋田に、「見た目やる気なさそうなのに、気合いの入り方が半端ない」「目つきやばい」「ヤクザかチンピラみたい」と、『アウトレイジ秋田』の異名がつく。

相手側のベンチで、そんな風に噂される秋田の様相を聞いて、人の目ってあながち間違ってないもんだな、と、ワタヌキとナギはお互いの髪をタオルで拭きながら感心したのだった。


結局スコアは3-3で引き分け。
残り15分からの2点は、逆転は出来なかったものの、ゴンゾーさん(監督)から高く評価を受けた。
が、気力も体力も完全燃焼したオレは、雨の中も関係無く、ベンチの横で仰向けに倒れた。
すると、すぐに控えのメンバー達が傘を広げて差してくれる。
「アキタ先輩、大丈夫ですか?」
「ドリンクいります?」
「くれ・・」
目を瞑ったらそのまま眠りに落ちてしまいそうな意識の中で、なんとか体を起こして、ドリンクを飲む。
と、目の端に、なにかが引っ掛かった。
ゴクリとスポーツドリンクを飲み込み、一度口を離してから、何か気になった方へともう一度視線をやる。
すると、そこに、ワタヌキとモリヤの姿。
は!?
と、声が出そうになったのをギリギリ堪えた。
モリヤがベンチに座るワタヌキの後ろに立ち、ワタヌキのシャツを引き上げている。
バンザイさせられてユニもインナーも脱いだワタヌキの肩にモリヤがタオルを掛けると、今度はワタヌキの頭を違うタオルで包み、手慣れた調子で水分を拭き取り乾かし始めた。
呆然と見つめていると、オレと同じ様に二人の姿に見入ってる奴がいる。

おいおい・・お前ら・・!!
どうして・・そうなった!?
いつものお前らじゃねえぞ、それ・・!?
いいのか・・!?ありなのか!?

動揺するオレの背後で、「モリヤってすごいな」と、声がした。
「あいつって恐いもの知らず・・過ぎっ」
「確かに、時々一緒に居るとこ見るけど・・先輩にあそこまで出来ねえよな」
視線の先では、ある意味違った意味で恐れられているモリヤが、ワタヌキの髪をグシャグシャと手櫛で掻き回し「こんなもんか」と呟いている。
すると、ワタヌキが首を後ろに逸らして、「喉渇いた」と、下からモリヤの顔を見上げた。
モリヤは「スポドリ?水?」と聞き返し、もう一度ワタヌキの髪の乾き具合を手で確かめる。
それから「水」と、答えたワタヌキに、モリヤは水のペットボトルを取って来ると、戻り際にキャップを捻り、蓋を開けて渡すのかと思ったら、自分が先に口をつけてしまう。
軽くゴクリと一口飲んでから、それを当たり前の様にワタヌキに差し出し、ワタヌキも当たり前の様にそれを受け取り、それを飲む。

おい・・っ
お前ら、完全にそれ、自分ちの感覚だろ・・!!

オレと同じ様に二人の動向に注視していた連中から「アイツの神経信じられない」と声が上がる。
「先輩に渡す水、先に飲むとか・・しかも綿貫先輩だぜ?」
「完全に今、下克上だった」
「いや、餌付けに近いぞ、あれ」
「オカンかよ」
「オレ思うんだけど・・綿貫先輩って・・見た目ああだけど、甘えたがりなんじゃねえのかな・・ホントは」
その推測に、全員が口を閉ざした。
多分、それ以上、ワタヌキのそんな姿を想像したくなかったんだろう。
わかる。オレも想像したくねえ。
っていうか、今の時点でも蹴り倒してやりたい気持ちなのに、これ以上の事を普段してるかと思うと胸焼けを起こしそうだった。
すると、この波紋がどういう訳か妙な連鎖を起こした。
「秋田先輩、タオル要ります?」
「え」
「あ、テメ抜け駆け・・!」
と、自分の背後でチマチマと小競り合いが始まる。
まさかの展開に、背筋に寒いものが走る。

おいおい・・なんだこれ・・?

よく見ると、ワタヌキだけじゃない。
そこかしこで、スタメンに後輩達が、甲斐甲斐しく世話を焼いている。

おい・・!
伝染してんじゃねえか・・!

オレは真っ青になって立ち上がり、後輩からの手伝いの申し出を断り、自分の着替えをさっさと済ますと、デレのワタヌキの頭を叩いてやる。
「イッ・・て・・!」
「寄越せ」
モリヤが丁度持ってた練習着を引ったくり、ワタヌキの頭にズボッと被せた。
「うっ」
目の前でオレの笑顔を見たワタヌキが、拒絶反応からか、オレの胸を押し返した。
「キショクワル・・ッ」
「まあまあ、オレもたまにはお前の面倒見てやるって。後輩にばっかやらしちゃ悪いだろ」
な?と、廻りに視線を送ると、こっちを見守ってた一同の視線が、一斉に逸らされた。

なんつーあからさまな反応だ。
モリヤは良くて、オレはダメってか。
いや、寧ろ、そうであってくんねえと困るけど。

「ほら立てって。オレがパンツ履かしてやるよ」
「お前な、それ、ケンカ売られてるようにしか聞こえねえから」
ワタヌキは、絶対脱がされて堪るかと、短パンのウェストを握りしめる。
「しょうがねえな。じゃあオレの脱がさせてや」
そこまで言って、いきなり後頭部にバシッと衝撃が走った。
「イッテ・・!」
思わず振り返ったそこに、信じられない光景が。
ビニール傘を差し、斜に構えた金髪の綺麗な顔の男がオレを見上げていた。

ケ、イタ・・!?

暫し、声も出せずに理解不能の光景に目を見開いていると、この3月に卒業したばかりのケイタが口元を歪めた。
ゆっくりと口元を引き上げーーー、オレに「死ぬ?」「死んどく?」と天使のように微笑む。

体育会系は縦社会。
先輩の存在も命令も絶対服従が基本。

ケイタの怒り具合に青褪めたオレは、まだ雨の降るグラウンドに急いで跪き、「スイマセンッシタ!!」と頭を下げた。
それから、ケイタが「変な遊びしてんじゃねえよ。シメるぞ」と、ワタヌキに静かに怒声を放つ。
場の空気が凍り付き、戦々恐々の中、ケイタがオレの襟首を掴んで持ち上げた。
顔を上げ、ケイタの少し長くなった髪が視界に入りーーー、あ、と思った瞬間には、衆人観衆の前で口付けされてーーー、という公開処刑を受けていた。
誰も彼も微動だに出来ず、恐ろしい沈黙の中、傘を差してオレの前にしゃがみ込むケイタがにっこりと微笑む。
「アキター・・・めちゃくちゃ愛してるよ?」
悪魔の微笑みに、オレは正座したまま、小さく「オレもです」と、降参した。
ケイタの前では、オレは全てを諦めざるを得ない。
敵わない。
ケイタが愛しくて、敵わない。


この騒動により、オレとワタヌキは、部員の誰からも気軽に声を掛ける事が許されない、まさにアンタッチャブルな存在へと、奉られてしまった。
ケイタの思惑通り、あのキスには恐ろしい程のシールド効果が働いた。
いや、あの人自身が既にアンタッチャブルな存在だから余計か。
それでも、オレにとったら、わざわざ試合の応援に来てくれる、そんなケイタが可愛くて仕方がなかった。


「久々見たけど、マジコエーわ」
「だろ。あの人、キレ方半端ねえからな。ベッドん中なら勝てんだけどな・・」
「ヤメろ。絶対想像したくねえ・・」
週明けの放課後、ワタヌキと二人、いつものように着替えを済ませ、部室から出ると一足先に来ていた可愛い後輩が、一人、リフティングしている。
すっかり浮きまくったオレ達の存在に、困り果てている人物の一人だ。
朝練の時から、わざわざ着替える時間もずらして、ワタヌキから目を逸らしまくってる。

気にし過ぎってのも・・まずいんだよな・・。

そう思案していると、ワタヌキが、端っこでリフティングしてるモリヤへと近づいて行く。
何をする気かと思ったら、モリヤのボールをワタヌキが空中で奪い、今度は自分がリフティングを開始める。
「ああっ返せよっ今、1200回超えたのに・・!!」
「ブッお前な・・暇過ぎだろ。ホラ、取ってみろって」
足下で軽く弾ませながら、ワタヌキが後ろに逃げる。
「ちょ・・っ」
思わず、捕まえたい余り、モリヤがワタヌキの袖を掴んだ。
その腕をワタヌキが強く引く。
振り回されるようにモリヤの体が前につんのめり、待ってましたとばかりにワタヌキがモリヤの身体をキャッチする。
その腕の中に捕まって、慌てて逃出そうと藻掻くモリヤの姿・・。

あーあ・・。
見ちゃいられない。


「おーーーい!線引いたかー?ビブスは?ねえのかよ・・おい、マーカー取って来いって!」
オレは二人に背を向けて、ワタヌキの代わりに部員に指示を出し、練習を始めさせた。

と、足下にコロコロとボールが転がって来る。
その向こうに視線をやると、どこでどうなったのか、土の付いたジャージの片方の肩がずり落ち、中に着ているシャツもだらしなく襟が寄った状態のモリヤが、ヨロヨロとこっちに歩いて来た。
肩がずり落ちてる方の手で、ずり下がった短パンの前を押えているモリヤの姿に、オレは噴き出してしまう。
「お前・・っ無事かよ・・っ」
本当に猛獣に襲われたかのようなモリヤの姿に、笑いを堪えきれず噴き出してしまうと、モリヤは赤い顔で「・・オレにもビブス下さい」と恥ずかしそうに手を出し、オレの質問には答えずに、ビブスを被ると、グラウンドへ走り出して行く。



教訓。
猛獣の餌は、適度に与えろ。
出し惜しみはするな。

でなきゃ、一気に、骨までしゃぶられる。


が、そう忠告する暇もなく。
気がつけば、二人の姿はグラウンドの何処にもない。
「遅かったか・・」
オレは心底、モリヤに同情した。
なぜなら、猛獣と付き合っている人間にしか、猛獣を相手にする気持ち(苦労)はわからないからだ。

がんばれよ・・モリヤ・・(涙)
今日も、暮れかけた上稜高校のグラウンド上、薄闇に瞬く一番星が、美しい光りを放ち輝いていた。
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