白薔薇を唇に2

ジャム

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恋人

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2時間に渡るトレーニングを終え、更衣室の奥にあるカギつきの個室のシャワー室で汗を流す。

VIP御用達の個室があるのも、このクラブの売りだ。

矢島のように・・とは、言わないが、人目に肌を晒したくない人間にとっては、本当に有り難い。

体に自信がある人間は、さっさとロッカーの前で着替えてしまうが、同性からも意識されやすい蘭や、矢島はそうは簡単にはいかない。



上昇した体熱を下げるため、体温より少し低めのお湯を頭から被る。

早く熱を冷まさなきゃと思うのに、自分の真後ろに、カーテン一枚隔てた向こう側に矢島が待っていると思うと、変に体の中がざわついてしまう。



先月、自分が拉致されてからこっち、矢島はオレの傍から絶対に離れない。

特に、こういう場所、更衣室などで服を脱いでいる状態で、すぐに逃出せないような場所では、矢島はあからさまに極道のオーラを放って、オレの傍に誰も近づけさせない。

つまり、矢島は自分も汗だくなのに、シャワーを浴びず、オレが出てくるのをすぐ後ろで待っている。

今までは、こうやって無理をしてでも傍に居てくれる事が嬉しくて仕方がなかった。

けど、今はこうして待たれる事がつらい。

自分が何かをする度、矢島に多大な負担を掛けている気がして、悲しくなる。

自分が、大好きな人の重荷になる。

自分のせいで、矢島が苦労する姿を見るのは、いやだ。

誰だって、大好きな人を待たせたくなんかない。


「矢島、もう出る」

シャワーのコックを元に戻して湯を止め、顔にまとわりつく水気を払う。

全身を隠してくれる長いシャワーカーテンを少しだけ開けると、思った通り、後ろの壁に寄り掛かって腕組みをする矢島がそこに居た。

自分を待っていた矢島は、もちろんさっきと変わらずトレーニングウェア姿のままだ。

自分だけが無防備に裸になっている事に羞恥を覚え、矢島にタオルを要求すると、既に用意していたらしいバスローブを目の前に広げられた。

「あ、ありがとう」

と、手を差し出しても、それを矢島は渡してはくれない。

「矢島・・」

「どうぞ」

そう言って、矢島は一歩も動かず、オレに向けてバスローブを広げて見せる。

その矢島の顔が、意地悪い笑みを刻む。

つまり。

裸で、自分の元まで歩いて来いという事だ。

たった数歩。
大股で行けば2歩で行けるかも知れない。

されど、2歩。

矢島に向かって、裸で歩いて行かなければならない訳だ。

「矢島・・!それ・・!」

「坊ちゃん、オレもシャワーを浴びますから、早くそこから出て下さい」

そう言って、バスローブをホラホラと矢島が揺らす。

それを言われたら、待たせていた罪悪感に背中を押された。

意を決して、羞恥心に苛まれながらカーテンの中から大股で矢島の前へ出て行く。

1、2、3・・!!

飛び出すように3歩で、矢島の元に辿り着くと、

「はい、おかえりなさい」

と、矢島の胸に体を受け止められた。

時間にして1秒ちょい。

なのに、とんでもなく恥ずかしい。

バスローブで体を包んでくれた矢島の腕が、そのまま自分を抱き締める。

「なんで、そんなイジワルなんだよ・・?」

「蘭が、そういう顔するからだ」

言いながら矢島はオレにバスローブを羽織らせると、フードを頭に被せて、その上から頭をゴシゴシと撫でた。

そこへ、唇を押し当てた後、「ちゃんと拭けよ」と、頭をポンポンと軽く叩いて、矢島の体が離れていく。

視線で見送ると、歩きながらウェアを脱いで、シャワーブースの手前にある籠に脱いだ物を次々放り込んだ。

汗に濡れた矢島の背中は濃い藍色に染まっている。

左右相対、背中に大きく双頭の龍が描かれ、その回りを濃く淡く波紋が包んでいる。

右側の龍の顔は眠っているのか、静かな表情をしているが、もう一匹は左側でしなやかに空へ飛び立とうとしているように見える。

上下反対に首を曲げた龍の絵は、矢島の筋肉の動きに合わせてうねり、その豪奢で華々しい美に、つい目が奪われた。


素直に、カッコイイと思ってしまう気持ちを自分は間違いだとは思わない。

自分の美の感覚は、至って普通だ。

ただ、世間一般の人間にはないものが、身近にあっただけ。

きっと、生まれた時から身近に刺青を見ていたら、この美しい絵が、ならず者を意味するものとは、誰だって思わないだろう。

純粋に矢島の刺青を綺麗だと思って、子どもの頃に自分も彫りたいと言った事があった。



無論、矢島は即答で却下。


「これは、自分が何にも屈しない強い信念と肉体を持っている証です。服と違って体に直接彫れば、もう二度と替えられない。その度胸と痛みに耐えられる根性がなければ、入れる事は許されません」



それでも真似してみたくて、マジックペンで腕に『矢島』と書いたら、矢島に真っ青になられたっけ。
石けんで洗っても全然落ちなくて、お母さんまで慌ててた記憶がある。
今にして思えば、書いたのが矢島の名前でなければ、あそこまで二人が焦る事はなかっただろう。
あれを父親に見られたら・・きっと、大変な事になった筈だ。


結局、どう処置したのかは忘れてしまったが、我ながら恥ずかしい思い出だ。



濃紺のジーンズとツートンカラーのTシャツに着替えて、スマホを弄っていると、矢島が腰にタオルを巻いてシャワーブースから出てくる。

あらかた、体の水気を拭いてきたようで、ロッカーの中からYシャツとスーツを取り出すと、すぐに、それに袖を通した。

惜しげもなく自分の前に裸を晒す矢島に照れて、それをチラリと見る事も出来ず、視線をそっぽへ逸らせてしまう。

そんな自分の態度に気づいた矢島が、

「いつも見てるだろ」

と、口角を上げる。

「見てない!」

思わず反発して声を上げたら、矢島が噴き出した。

「何のために浴室を鏡張りにしたと思ってるんですか?」

蘭が矢島の部屋に同棲する際、矢島に浴室の壁を全面鏡張りに変えられてしまい、蘭は一人で入るのも落ち着かない状態だ。

その浴室で、蘭は矢島に無理やりに何度か抱かれている。

それを思い出したら、余計に顔が火照って困った。

制御不能の感情に左右され、真っ赤な顔を俯けていたら、矢島が溜め息を吐いた。

「本当にまだ16なんだな・・」

そう呟いた後、矢島が「行きましょう」と、カギを外したドアを開けた。






矢島のマンションに着いたのは午後4時過ぎ。

高層マンションのハイクラス用、ガラス張りのエレベーターに乗り、一気に上階まで上がる。

上階に住む人間専用のエレベーターは、20階~25階までのボタンと開閉ボタン、あとは非常ボタンしか押せるボタンが無いのだ。

高速エレベーターは、たった20秒ほどで最上階まで上がる。

たった二人きりで乗るエレベーターの室内は、まるで、地上から脱出するための避難用ポッドみたいで、離れていく地上の景色に、蘭はなんだか心細くなる。

と同時に、いつも思うのは、もしエレベーターが故障でもしたら、25階まで階段で昇らなければいけないだろう事だ。

それを心配して矢島に言ってみたら、矢島の答えは至極簡単なものだった。

「そうしたら、エレベーターが直るまで住処を変えます。ここより物件は劣りますが、元々住んでいたオレの持ち家が他にも2軒ありますし、組で持ってる不動産なら、いくらでもありますから」

「2軒も?」

矢島の説明に、瞬間、蘭の頭の中には『愛人』の二文字が浮かぶ。

いや、しかし、そんな。

完全に短絡的思考だし、こんなの奥様の見る昼ドラの発想だ。

そんな自分の反応に矢島が、首を傾げる。

「お前、変な事考えてないか?一軒は元々住んでたマンションで、もう一軒はただの差し押さえ物件だ。名義はオレの物だが、今は舎弟を住まわせてる」

そう言って、矢島が蘭の腕を掴んだ。


「まさか、こんな事で疑われると思わなかったな・・」

そう苦笑して、矢島が蘭の体をガラスに押し付ける。

「そんな顔をしたって、オレを喜ばせるだけだぞ、蘭」

矢島の顔が近づき、蘭の顎先を矢島の指が捉えた。

噛み付くような荒々しい口付けに、蘭はビクリと背中を奮わせ、矢島のスーツの襟にしがみつく。

矢島の舌が自分の中で暴れ、舌同士を絡ませたくても言う事を聞いてくれない。

無理やりに口蓋を嘗め回され、目に涙が溢れてくる。

奥まで探られた舌が一旦引き、矢島が触れるだけの優しいキスを蘭の唇に落とす。

「愛してるって言って・・」

吐息混じりに強請ると、矢島に腰を強く抱かれた。

「甘えん坊の恋人だな」

そう矢島に笑われて、蘭はハッと顔を上げた。



『恋人』

その言葉の甘さに、驚いた。



自分は確かに矢島が好きだし、矢島も自分の事を好きだと思う。

だけど、自分達の関係は、ヤクザの息子とそのお目付役でーーー



矢島の事が、好きで、好きで、大好きだけど・・



自分が矢島の恋人だなんて思った事なんかなかった。

一緒にいるのは、自分が常に誘拐される危険性があるからで・・好きだから、いつでも四六時中、こんなに一緒にいる時間が長い訳ではない。


矢島に取ったら、これも仕事の内。


だから、迷惑になったらいけないと思っていた。

矢島の負担になりたくない。

自分のわがままで矢島に苦労させたくない。

そう思っていた。



「オレ・・恋人?」

「蘭・・お前、オレがお前に、愛してるって何回言ってるか数えた事あるか?」

ウソだとでも思ってるのか?

そう不穏な目つきで睨まれて、蘭はたじろいだ。







どうも難しい。

16歳の少年には、恋人の定義がわからないらしい。

どれだけ情熱的に求め、全身全霊、抱き潰す勢いで愛を訴えても、それが、恋人同士のそれか、そうでないものかの違いがわからない、という訳だ。

そもそも、ファーストキスから、全部オレな訳だから、それも仕方がないと言えばそうかも知れない。

その上、持ち家発覚で、浮気を疑われるなんて、これは日々、日常の、自分の愛が全く届いていない証拠だ。


そんな蘭に、自分の中に燻っていた炎がチリッと灼ける。


試されているのだろうか。

最近は、蘭の体を気遣って、気絶するまで攻める事はやめた。

長時間のセックスも控えた。

出来るだけインターバルを挟み、蘭からシたくならない限り、連続では抱いていない。


それがいけなかったのか。

そう思ったら、何の為に今まで自分は我慢してきたのかと腹立たしくなった。



エレベーターの速度が緩まり、女性のアナウンスが、最上階を知らせる。

「蘭、ジムで我慢させられた分、返して貰うぞ」

凶悪な笑みを浮かべ、矢島がエレベーターの中から蘭を引っ張り出す。


蘭は、スポーツクラブの通路で、矢島に無理やり犯されそうになった事を思い出し、顔を強ばらせた。

それでも、勇気を持って、蘭は必要最低限の条件を矢島に譲歩する。

「い、痛くシないで・・」

その一言がイケナイ事に、蘭は気づかない。


矢島の中の炎がチリチリと火花を上げて燃え始める。

蘭に向けて凶暴化する性欲に、矢島自身が溜め息を吐いた。
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