先視姫は密かに憂う

薊野ざわり

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その2

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 このしょうという国は、大陸を分割する七国のうち、もっとも若くもっとも勢いに富んだ国だ。
 はじまりはわずか三十年ほど前。先代の国王・楊楽ようらくが、義賊から身を起こし、この山河に囲まれた土地に根を下ろしたところに遡る。
 以来、地方に根を張っていた豪族を滅ぼし、あるいは併呑して版図を拡大してきた。
 不凍港に恵まれ、交易が盛んであり、また険峻な山脈に守られ、他国からの攻め手は緩い。

 唯一不安があるとすれば、土着の豪族らの扱いである。

 硝の成長と供に土地とその財を奪われてきた彼らは、もちろん楊家によい思いを抱いていない。中には、歯向かって一族郎党を鏖殺された家もある。
 それは国王が楊楽から嗣子の楊崔ようさいへ代替わりしても代わらない。
 昨年は隣国・えつとの戦直前に、三大豪族の二家が叛旗を翻し、あわやというところまでいった。
 このときは、残りの一家・昂家の当主、昂典こうてんが仲立ちをしてことなきを得た。
 昂家は先代・楊楽の時分、継嗣である昂典とわずかな親族を残し打ち滅ぼされた一家だ。
 その昂典が、敵である楊家に肩入れする。
 そのことを、口さがない者たちは『油断を誘い、寝首をかくつもりだ』と言う。
 だが、当の昂典は常に、ただ目を伏せ議場の片隅で沈黙を続けているのだった。



楊喜ようきが……。そうか」
「嫌ではない、そういう問題ではないと一応の理解をしてくださったようです」

 苦く言う尹延いんえんの前で、まだ若い君主は顔をしかめた。

「尹延、この件、お前はどう見る」
「悪くない話でしょう」

 当たり障りのない言葉を聴かされて、楊崔の顔が更に曇る。
 できれば「これで行くべきだ」と、背を押して欲しかったようだ。
 深く嘆息して、楊崔は組んだ手を見つめる。

 先日の密議で上がった進言が総ての原因だった。
 そう思い出して、何故あの家臣はこんなことを思いつくのだと腹立たしく思う反面、確かに今この手をうっておけば安泰とまではいかなくても、小康であるとはいえるだろうと納得している自分がいる。
 楊家ゆかりの家臣だけを集めた会議が行われたのは、先月の終わりだった。
 過日、外征で手柄を立てた昂典を含む数名の豪族らの報奨を決めるという議題だった。

 土地か、宝物か、官位か。未だ合一しきっているとは言い切れない硝の内情を鑑みると、手柄を立てた者を労わなければ不満が沸くし、あまり力を付けさせると、以前のように内訌を試みるやもと、微妙な駆け引きがある。

 最も処遇に困ったのは、三大名家の生き残り、昂典だった。
 今は心を入れ替え楊家に仕えているとはいえ、彼に大きな力を持たせるのは危険だった。
 だが同時に、土着豪族筆頭の彼が軽んじられるとまた反発が生まれる。
 だからこそ、困った。官位、つまり発言力はともかくとして財力を上げるのもまずい。
 土地もしかり。となると――。

 答えを出しあぐねていた楊崔に、家臣の一人が恐縮しきって進言したのは、未婚の長女・楊喜を嫁がせるという案だった。

 姫一人を降嫁させて、昂典に不満が出るはずもない。その上、楊喜の身柄が楊家と昂家、昂家を頭とした豪族らの紐帯となるだろうというのだ。

 思い返せば単純かつ合理的な案だった。古くからの、常套手段である。
 だが楊崔は怒った。末の妹・香を隣国に嫁がせたのとはわけが違うと。
 その楊崔に待ったをかけたのが尹延だった。
 場を解散し、楊崔が落ち着いたころ、再び話そうということになったのだった。
 そして、今に至る。

「殿、迷っておられますな」
「……ああ」
「私の言葉をお聞きになる勇気はありますか」

 今から言うことは、耳に痛いぞと先に念を押した尹延の目をじっと見つめ、やがて楊崔は力なく頷いた。
 尹延は、戦で死んだ楊崔の弟・楊飛と三つ年上の親友だった。今年で二十二になる。
 今は楊崔の頼りになる家臣だ。

「楊喜様の力は弱まっています」
「予知の……」

 楊崔が呻いた。

「亡き父上が大きな宝――不凍港を得られること、そして崩御なさるのを予知されたのは確かだ。あのころの冴えはすばらしい。しかし、その後、楊飛が没したころ。楊喜は時期すらわからぬと言ったな」

 異母兄が死んだとき、何故読めなかったと泣くことをこらえて歯を食いしばっていた楊喜の姿を思い出し、楊崔の眉根が寄った。

「その後、小さな予知はぽつぽつと当たったものの、不鮮明な予言も多く、場所や時期が不明だった。直近では、例の粤との会戦の前、二家の内訌のことも予知できなかった。幼い頃は、そういった不祥事が起こる前は必ず予知があったというのに」

 楊喜の母もまた、不思議な力を持った女だった。失せものを言い当てる力があった。
 だが、先代王に見初められてからはその力は消えた。
 母親の力を強く受け継いだと思われた楊喜は、巫女と同じ扱いを受け、世俗を離れた暮らしをしてきた。もちろん、夫を迎えることなどない。そんなことをして、貴重な力を失っては困るという周りの思惑があってのことだ。
 しかし、力が薄らいでいるというのなら、いつまでもしまっておかず、利用したほうがよい。
 世知辛いが、そうして家を支えるのが、女の役目である。

「あれは、許すだろうか」
「許すも何も、仕方がないと仰って……。それくらいならば予見もなさっていたでしょう」

 楊崔はまだじっと中空をみつめていた。彼の心が複雑であることは確かだった。
 これまで守り神のようにしてきた妹を、敵とまではいかずとも心が通っているとはいえない相手に引き渡すのだ。肉親としても割り切れないだろうし、なにより政の目から見ても一様に賛同はできかねた。神聖な標を失うのは、硝の国民の精神的支柱がなくなるにも同じ。
 しばらく口を閉ざしていた楊崔が重い腰をあげ、向かった先は祖先の廟であった。
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