DR.清白の診察室 Ⅴ~義兄弟

翡翠

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逃避

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 次の日。兄さんたちは慌てふためいた様子で、ダンボール箱に荷物を詰め始めた。病院に持って行けるものなんて着替えくらいなのに、僕にも詰めるようにと箱を持って来た。

 最初戸惑ったけれど思い当たった事に従う事にした。兄さんたちは僕の思い出を、引っ越し先に持って行きたいのだと。僕ともう一緒にはいられないけど、僕がいた証みたいなものを欲しがってくれてるんだと。だから僕は懸命に考えていろんなものを箱に詰めた。

 すると幸彦兄さんがもう一つ持って来て僕の衣類が詰め込まれた。そんなにたくさんいらないとは思うけど病院に送る荷物なんだ。

 いろんなものがなくなった部屋で僕は一人で泣いた。

 もう一度、生まれる時からやり直したかった。せめて…神林家に生まれたかった。兄さんたちの本当の弟になりたかった。兄弟の愛情で良いから…ずっと一緒にいたかった。僕は僕のままでいたかった。

 でも病院へ行ったらきっと僕は僕でいられなくなる。兄さんたちの顔を忘れてしまうだろうか。僕は僕の全てを忘れてしまうのかもしれない。そうしたら僕は生きていると言えるのだろうか?わからない。

 でもこれだけは言える。兄さんたちにこれ以上、迷惑をかけなく済む。僕が全てを忘れてしまっても、兄さんたちの記憶の片隅に僕の居場所があるなら……嬉しい。

 僕の目の前を時間が通り過ぎて行く。

 けれども3日目の朝、兄さんたちに僕は連れ出された。

 最後に僕を遊園地へ連れて行く。お義母さんに電話でそんな話をしていた。外に出るとまず兄さんたちは僕を連れて携帯ショップに行った。僕たちの携帯をそこで解約した。

 僕にはもう携帯は必要なくなる。でも兄さんたちは?全ての生活を一新する為に?僕は何も訊く事が出来なかった。ただ最後になるであろうこの外出を兄さんたちと楽しみたかった。

 電車に乗ってから気付いた。遊園地とは反対方向に向かってる!?

「幸彦兄さん…何処へ行くの?」

「逃げるんだよ」

 那津彦兄さんが言った。

「逃げる?」

「そうだ。お前の事件が起こってから、ネット上で専門のお医者さんにずっと相談してた。今回の事を相談したら、母さんが持って来たパンフレットの病院の事、ちゃんと調べてくれた。あれが病院だって言うなら、刑務所の方がきっとマシだ。俺たちはそんな所へお前を行かせたりしない」

「そのお医者さんはさ、葉月。お前みたいなケースを扱った事があるんだって」

 次々と紡がれる兄さんたちの言葉に僕は戸惑った。

「でも…大丈夫なの?」

 僕を助ける為に兄さんたちやそのお医者さんに、とんでもない迷惑がかかってしまうのではないのだろうか。

「大丈夫、そのお医者さんに言われて母さんの会話、全部録音してある」

「葉月が入院してた辺りから母さんの言動がおかしかった。だから俺たちは警戒してたんだ」

 それは…兄さんたちが疑われたから。

「そのお医者さんは警察の上層部の人とも知り合いで、ちゃんと俺たちを守ってくれる」

「本当に…?」

 兄さんたちが騙されているとは思いたくない。だけど出来すぎてない?

「いろいろと方法はあるそうだから心配しなくて良い」

 幸彦兄さんが僕の頭を撫でた。

 兄さんたちと僕は3つ目の駅で降りた。一台の高級車が待っていた。僕たちは促されるままにそれに乗った。到着したのは高層マンションだった。 

「お連れしました」 

 運転手の言葉にオートロックの硝子ドアが開いた。それは今で見た事がないくらい厚い硝子ドアだった。2基あるエレベーターの片側が開いた。 

「お乗りください。最上階で止まりますからそこで降りてください」 

「わかりました、案内をありがとうございます」 

 幸彦兄さんが頭を下げた。 

 エレベーターは高速で上昇して行く。開いたエレベーターのドアの外には一つしか扉がなかった。最上階のワンフロアを占有しているらしい。

 幸彦兄さんが呼び鈴を押すとすぐに扉が開いた。開けたのは僕たちと変わらない年齢の綺麗な男の子だった。 

「どうぞ」 

 招き入れられて僕たちはおずおずと中へ入った。僕たちが住んでいるマンションの部屋より広いリビングで3人の男の人が待っていた。その一人が笑顔で立ち上がった。 

「ようこそ、お待ちしていましたよ」 

「あの…」 

 那津彦兄さんが躊躇ためらいの声を上げた。 

「ああ、すみません。私がDr.清白すずしろ(大根の別名)こと、護院 清方ごいんきよかたです」 

 僕が今まで出会ったお医者さんとは全然違う人だった。凄く綺麗で優しい感じだった。 

 僕たちはすすめられるままに高級品だとわかるソファに座った。 

「紹介しますね、彼は成瀬 雫なるせしずく。警察庁のキャリア警察官です。 

 雫、手帳を」 

「ああ」 

 本物を見るのは二度目。僕の横で兄さんたちが頷いた。 

「こっちは久我 周くがあまね。総合医をしてる…私の弟みたいなものです。あなた方を出迎えたのは、私の義弟の朔耶さくや。医大生です」 

 あちらの自己紹介が終わったので幸彦兄さんが、自己紹介して那津彦兄さんにバトンタッチした。 

「となると、君が葉月君?」 

 周というお医者さんが僕を見て言った。僕が頷くと彼は立ち上がって手招きした。 

「君の身体の診せてもらえるかな?怪我の状態を把握したいし、治療が本当に完了しているか確認をしたい。不十分なら暑さで悪化しているかもしれない」 

 確かにそうだと思った。言われてみれば退院してから一度も病院へ行っていない。 

「清方さん、向こうの部屋を借りる」 

「どうぞ」 

 僕は周先生について部屋へ入った。大きなベッドがあった。 

「衣類を全部脱いでもらえるかな?僕が信用出来ないならお兄さんのどちらかを呼ぼうか?」 

「大丈夫……です」 

 この人におかしな感じは受けなかった。だから僕は着ているものを全部脱いだ。 

「ここに寝て」 

「はい」 

 僕は言われた通りにベッドに横になった。 

 まず肋骨骨折の手術痕を彼の指先がなぞる。それから骨を軽く押さえられた。 

「痛む?」 

「少し」 

「だろうな。幾ら繋いでも骨折が1ヶ月余りで完治する筈がない。明日病院の方へ来なさい。レントゲンを撮って状態を診てから治療をしよう」 

「はい、わかりました」 

 時々、シクシクと痛かった理由がわかった。まだ治ってなかったんだ。 

「俯せになれる?胸が痛かったら肘を着いて良いから」 

「はい」 

 背中?僕は何も知らなかったけど背中にも傷があるらしい。 

「こっちは大丈夫みたいだな。腰を上げて…恥ずかしいだろうけど、そこの縫合と傷の状態を確認するね?大切な部分だから」 

 彼はそう言って片手にゴム製の薄い手袋をした。最初は外からなぞられて中を診る為に指が入れられた。気持ち悪かったけど僕は懸命に我慢した。 

「ごめんね、嫌な事して。終わったからね、服を着て良いよ」 

 こんなに優しいお医者さんは会った事がない。服を着るとまたベッドに座るように言われた。 

「左手を診せて………明日、うちの外科の医師に相談してみよう。もう少し何とかなるかもしれない」 

 二人でリビングに戻ると幸彦兄さんが何かの書類を書いているところだった。 

「それ、何?」 

「虐待に対する避難の届けって言ったらわかるか?」 

 成瀬さんって人がそう言った。 

「これを出すと君たちをご両親は連れ戻せなくなる。ついでに俺たちも誘拐犯にされなくなる」 

「これでよろしいでしょうか?」 

「うん、OKだ。上には話が通してあるが早々に管轄部署かんかつぶしょへ出して来る」 

「そのまま出勤ですか?」 

「貴之がいないからな」 

「では気をつけて」 

「行って来る」 

 立ち上がる時、スーツの上着の下にチラリと何かが見えた気がした。 

 彼が出て行くのを清方先生が見送った。 

 ………あれ?ひょっとして………僕は思わず兄さんたちを見た。次いで…周先生を見た。兄さんたちは頷き、周先生は吹き出した。 

「葉月、清方先生に相談していた理由の一つはそういう事だ」 

「俺たちは少し問題があるからな」 

「3…人だから…?」 

「理解してくれる人はもっと少ないと思うから」 

「…うん」 

 二人とも好きってやっぱり異常なんだと思う。 

「ごめんなさい…」 

「あなたを責めているわけではありませんよ?」 

 柔らかい笑顔で清方先生が言った。 

「愛の形は様々です。こうでなければならないというのは、本来はないと私は考えています」 

「形がない?」 

 そこで先生は成瀬さんと10年以上も離れ離れだったと話してくれた。 

「愛は消えなかったのですよ」 

 たくさんの悲しい事や辛い事を越えて今、愛する人と暮らす幸せをこの人は大切にしてるんだと。 

「それに……」 

 言いかけて先生は朔耶って人をチラリと見た。すると彼は不機嫌に横を向いた。すぐ側にいた周先生は困った顔をする。 

「3人というのも1年程ですが…経験しています」 

 その言葉で僕はわかってしまった。3人目が周先生だったんだ。それで…朔耶さんは今は周先生と? 

「葉月、ネットでいろんな人々と対話した。清方先生以外にも、お前の治療について相談してたお医者さんは何人かいた」 

 幸彦兄さんが顔を伏せた。 

「葉月の気持ちを聞いた後、理解してくださったのは…清方先生だけだったんだ」 

 理解してくれないのは当たり前だと思う。 

「今日はもう疲れたでしょう?あなた方の部屋へ案内しますから、ゆっくりとしなさい」 

「何から何までありがとうございます」 

「ありがとうございます」 

 まだ泣きじゃくっている僕を抱き締めるようにして、兄さんたちは立ち上がった。 

「じゃ、案内します」 

 朔耶さんが手招きした。僕たちは彼について2階下のフロアへ降りた。ドアが二つあった。その片方を朔耶さんがカードキィで開いた。 

「説明するから入って」 

 促されるままに入った。そこはやはりかなり広かった。 

「ここは数ヶ月前まで声楽家の先輩の部屋でした。でも本拠地をアメリカに移されたので、空き部屋になっていたのです。ここの本来の持ち主にはあなた方の事を話して、許可をいただいています。皆さんはここで生活して学校へ通学してください」 

「あの…ここの持ち主の方って…」 

「御園生財閥の次期総帥、御園生 武みそのうたけるさま。21階から上はみんな武さまの所有です。私たち関係者の寮か社宅だと思ってください」 

「はあ…」 

 家具も高級そうなものばかりだ。 

「もう一つの部屋には慈園院 保じおんいんたもつさま…明日病院で会うと思うけど、外科のドクターが住んでいらっしゃいます。私と周は真下だから覚えておいてください。 

 荷物はある程度、片付けてあります。冷蔵庫に当分の食料も入れておきました」 

 朔耶さんは部屋を見回して言葉を繋いだ。 

「不足があったら言ってください。テーブルの上に新しい携帯を用意しました。名義は私たちですから、あなた方の事はわからないでしょう。 

 私、清方兄さん、雫さん、周の番号とメアドは登録してあります。あなた方のメアドは後で私に送信してください。 

 それと…あなた方だけで単独でも3人でも外出をしないでください。あなた方は一応、兄と雫さんの庇護下にあります」 

「わかりました」 

「では明日、13時に迎えに来ます。病院へ行っていただきますので」 

「それには俺たちもついて行って良いのでしょうか」 

「構わないと思います。ダメならば連絡しますから。 

 では私はこれで」 

「わざわざありがとうございました」 

 朔耶さんがいなくなって、僕たちは取り敢えずソファに座り込んだ。 

「金持ちってわからないなあ…」 

「感覚が違う気がする」 

 兄さんたちが呟いたのがおかしくて僕は吹き出した。 

「何だお前は?泣いてたと思ったらいきなり…」

「だって涙引っ込んじゃったもん」

 僕がそう言うと兄さんたちが今度は吹き出した。

「はいはい、葉月はまだお子様だな」

 那津彦兄さんがそう言って僕の頭をクシャクシャと撫でた。

「さあ、ここの探検をしよう」

 幸彦兄さんの提案で僕たちは次々とドアを開けて行った。

「うわ、ジャグジー付いてるぜ、バスタブ」

「シャワーブースが別に付いてるんだ」

 バスルームだけでも元の僕の部屋ほどの広さがあった。部屋は全部で4室。一番広い部屋には見た事もない程、大きなベッドがあった。

「俗に言う、キングサイズベッドか、これ?」

 大きなベッドが大好きな幸彦兄さんが、手でマットレスの感触を確認しながら言った。

「て言うより、ベッド、これしかないぞ、兄さん」

「三人で寝ろって事だろ?」

「え~」 

 恥ずかしさの余り僕は悲鳴を上げた。ずっと兄さんたちと一緒に寝る?

「おいおい、気が早い奴だな」

「気が…早いって、何だよ!」

「真っ赤になってるって事は、何か期待したって事だろ?」 

 こういう時、那津彦兄さんは意地悪だ。 

「良いんじゃないか? 毎日抱き合わなくても三人で寄り添って眠れば」 

 幸彦兄さんは落ち着いた様子でそう呟いた。 

「そうだな」 

 幸彦兄さんの言葉に那津彦兄さんが答えた。 

「葉月…今は他人の庇護を借りなければならないけど…俺たちは絶対にお前を幸せにする」 

 幸彦兄さんが僕を抱き締めて言った。 

「だからお願いだ。俺と兄さんを置いてどこへも行かないでくれ」 

 那津彦兄さんが背後から僕を抱き締めた。 

「お前に非はない。先生が言ってただろう?葉月はもう何も我慢しなくて良い」 

「お前はいつも良い子だった。ごめんな、気が付いてやれなくて」 

 せっかく止まった涙がまた溢れて来た。僕がずっと我慢して来たのは、兄さんたちと一緒にいたかったからだ。 

「僕…僕…兄さんたちがいたら…何もいらない…」 

 そう、僕が欲しかったのは兄さんたち。こうして一緒にいられるなら僕は何もいらない。 

「無欲だな、葉月は。俺なんか…腹ぺこだ」 

「ええ!?」 

 時々、那津彦兄さんは無茶苦茶な事を言う。 

「冷蔵庫に食料が入ってるって言ってたな。何かつくろう」 

 幸彦兄さんの言葉で3人でキッチンに移動した。 

「凄い…調理器具、みんな揃ってる」 

 那津彦兄さんが呆然とする。 

「冷蔵庫の中身も凄いぞ?」 

 幸彦兄さんが答えた。 

 僕も棚を開けてあんぐりと口を開けた。調味料やスパイスが並んでいる。

 これは無分別に購入したものじゃない。ちゃんと料理をする人が用意したものだ。なんとなくそんな気がする。

「ここまで揃えられると嬉しいな」

 幸彦兄さんが苦笑する。僕たちの中で一番、料理が上手くて好きなのが幸彦兄さんだ。幸彦兄さんは僕たちを座らせて、鼻歌混じりに昼食をつくってくれた。




 次の日、僕は兄さんたちと朔耶さんに連れられて車で病院に向かった。通常の入口ではなく職員通用口から中へ入った。そのままエレベーターで最上階へ。

 僕はそこで二人のお医者さんに、レントゲンを撮られたりいろいろ聞かれたりした。それから兄さんたちもいろいろ質問された。

 そして…たくさんの事実がわかった。僕はまだ退院してはいけない状態で退院した事。兄さんたちも知らない事だった。幸彦兄さんはお義母さんに、僕が退院するから迎えに行くようにって言われたからと。

 昨日僕を診察した周先生が不審に思って、成瀬さんを通じて調べてくれたそうなんだ。僕の心の治療の為に自然に包まれた山の病院に転院させる。お義母さんがそう連絡して僕の退院許可が出たらしい。薬とかはお義母さんがいらないって…言ったとか。僕の手は機能回復の為の手術を受けていない事もわかった。

 お義母さんたちは僕を本当に捨てるつもりだったんだ………僕は…そんなに神林のお義母さんにも本当の両親にも嫌われてたんだ。僕は…いらない子供だったんだ。

 悲しくなって目を伏せた僕を、兄さんたちが僕をしっかりと抱き締めた。

 慈園院先生は自分の日程を調べてくれて言った。

「来週末に手術しましょう」

「それでどのくらい機能回復するのですか」

 幸彦兄さんが僕が訊きたい事を口にしてくれた。

「60~80%とお答えするのが正しいと思います。現代の医学では100%は不可能に近いのです。最終的な回復は術後のリハビリにもよります。

 葉月君、君の頑張り次第ですよ?」

「物が掴めるようになる?」

「今のようにほとんど動かないというのはなくなります。掴めるかどうかはリハビリが左右します」

「葉月君、保先生は名医だから後は君の努力しだいだよ?」

「はい…頑張ります」

 頑張ったら僕は今みたいに何も出来ない状態から解放される?次の週の金曜日、僕は左手首の手術を受けた。数時間をかけて慈園院先生は、僕の手の神経を繋げる、とても難しい手術をしてくれた。

 僕はそのまま10日程入院して、マンションに帰る事になった。リハビリは傷の回復を待ってとの事。退院の日は成瀬さんと清方先生が迎えに来た。何でも退院のお祝いの準備が出来ているとか。僕たちは成瀬さんが運転する車に乗ってマンションへと向かった。

 駐車場に車を置いてエントランス・ホールに入るロックを清方先生が解除している時だった。いきなり僕は右腕を掴まれて強い力で引っ張られた。次の瞬間、頬を強い衝撃が襲った。

 目の前にお義母さんが立っていた。

「この泥棒ネコの淫売!どこまで私を煩わせれば気が済むの!?」

「お義母さん…」

「私はあなたの母親になった事なんてないわよ!?さ、幸彦、那津彦、帰りましょう!」

 お義母さんが口にする言葉があんまりで、僕も兄さんたちも茫然としていた。そんな状態を破ったのは成瀬さんだった。

「困りますね、奥さん。この子たちには虐待からの避難届けが出されています。どこからここをお知りになられたかは知りませんが、あなたに彼らを連れて帰る権利はありません」

 虐待による被害からの保護には幾つかの方法があるらしい。それの一番重いものを適用したと成瀬さんは言ってた。

「日を改めてお出でください。弁護士を交えてお話したいと思います」

 僕を庇うようにして清方先生が立って言った。

「弁護士!?あなたは誰!?」

「護院 清方と申します。精神科医をいたしております。現在、虐待からの避難要請を受けて、ご子息を保護しているのは私です」

「虐待ってなんなの!?」

「たった今、葉月君が包帯を巻いた怪我人であるにもかかわらず、あなたに暴力を振るわれるのを目撃いたしましたが?」

「親が悪い事をした息子を叩いて何が悪いって言うの!?」

「葉月君を息子だと認められるのですね?それにしては酷い暴言ですね?」

 清方先生はお義母さんの矛盾を突く。

「どうぞ本日はお引き取りください」

「何の権限があって…」

「権限が必要ですか?」

 そう言って成瀬さんは警察手帳を示した。お義母さんは真っ青になって絶句する。

「これ以上騒がれるなら強制的に敷地内から退去いただきますよ?」

 僕たちは二人に庇われるようにして、エントランス・ホールへ入った。閉ざされた硝子のセキュリティードアの向こうでお義母さんが僕を睨み付けていた。

 怖かった。思い返せば小さな嫌がらせはされて来たけど、あんな鬼のような顔は見た事がない。

 悲しくて悲しくて俯いた僕をまた、兄さんたちがしっかりと抱き締めてくれる。本当は…こんな事をしたいわけじゃない。でも他にどんな方法がある?僕はまだ16歳にもなってない。ネットで調べたらアメリカでは、16歳になったら虐待の事実で裁判所に訴えて、親子の縁を切る法律があると言う。

「葉月君、少なくとも君の親権は実のご両親は放棄されてる。神林夫妻も放棄されるだろう」

 成瀬さんが静かに言った。

「問題は俺たちですね?」

 幸彦兄さんの言葉に成瀬さんが頷いた。ただ、義理とはいえ弟の虐待を許せないと言う立場で、告発保護の届けを出したのは彼らだ。。

「その分の駆け引きを弁護士を入れてするんだよ」

「よくわかりません」

「私たちに任せておきなさい。君たちが一番幸せになる方法を、私たちは模索していますから」

 ネットで相談しただけの僕たちに何故ここまでしてくれるのだろう。僕はそれを言葉にして訊いてみた。

「ひとつには危うい所で助けてもらったけれど、学生時代からのストーカーに拉致されたのです。だから葉月君の恐怖はわかります。

 それに…私の身内に同姓間レイブの被害者がいます。彼は極度の対人接触恐怖症になり、様々なPTSD を起こしました」

 先生の悲しそうな顔を見て僕は訊いた事を後悔した。

「ごめんなさい」

「良いのです。もう終わった事ですから。

 葉月君、君も身体も心もちゃんと治療しましょうね」

「はい」

 この先生なら…僕の痛みや苦しみを本当にわかってくれる。

 お義母さんや前の学校の先生たち大人に、散々に振り回されて僕は疲れ果てていたんだと思う。だって今は…消えてなくなりたいって思わなくなったから。僕は僕の人生を生きたいと今は思えるから。それはきっと兄さんたちに愛されてる事と、僕は自分の思う通りに生きて良いんだと言ってくれた先生のお陰だと思う。

 まだまだ問題は山積みだけど僕は負けない。絶対にもう負けない。僕は僕の足で自分の人生を歩いて行く。子供だからまだまだみんなの手を借りなければならないけど。

 それでも僕は…兄さんたちと一緒に生きていたい。人生の終わりが来て分かたれるまで。

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