蓬莱皇国物語 Ⅳ~DAY DREAM

翡翠

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   休日

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 不安定な武を支えながら全員が前期試験に臨んだ。 以前に増して全員が武を一人にしないように、互いに綿密に連絡を取り合って広いキャンパスを走り回った。 特に夕麿は出来るだけ、カフェテラスへ向かう時と帰宅時には武を迎えに行った。

 薬の影響が薄れ始めた事と相俟って、武が幻覚の発作を起こす事なく試験期間は終了した。

 試験の評価が出るまでの期間、大学は休みになる。 周は武をサンフランシスコへ泊まり掛けの旅行へ連れて行く為に蓬莱皇国大使館に連絡を入れた。 今はその連絡待ち状態だった。

 武は休日をほとんど、屋敷に籠もって過ごしていた。 外出はリハビリの時だけ。 必ず夕麿か周と護衛の為に雫が付き添った。

 クリスマス休日に向けて会社が多忙になり、夕麿たちが武の為の時間を取り難くなっていた。

「只今もどりました」

 外出していた貴之が戻って来た。 何故か今日は土日でもないのに、全員が屋敷に揃っていた。

「!?」

 貴之と一緒に入って来た人物の一人を見て武が立ち上がった。

あきら…先輩!」

「武君、久し振り!」

 麗は笑顔で両手を広げた。 武が飛び付いた。

「麗先輩…麗先輩…」

 抱き付いて泣き出した姿に麗以外が驚いた。 麗は武の背中を軽く叩いて言った。

「話は貴之と雅久からみんな聞いたよ? 武君、辛かったね、怖かったね。 よく頑張った。 君は凄いよ! ちゃんとみんなを守ったんだから」

 麗の口から出た言葉に全員が言葉を失った。 専門家である高辻さえも。

 そう誰も武の奮闘を褒めてはいない。 辛い想いや怖い想いをした彼を、正面からそう言って慰撫していない。

「もう無理して頑張らなくて良いからね? 肩の力を抜いて」

「…うん…うん…麗先輩…」

 ああ…そうだったのか。 甘えさせているつもりで、甘えさせてはいなかったのだ。 誰も武にもう良いからとは言わなかった。 だから武は不安定な心を夕麿に縋り付く事で、バランスを取り懸命に頑張り続けたのだ。

 リハビリも一度も弱音を吐いていない。 幻覚の恐怖から来る様々な事だけ、武は怯えて弱音を吐いていた。 それはもう我慢ではどうにもならないレベルの恐怖だったのだ。

 一番ショックを受けたのは夕麿だった。

『もうあんな事はしないでください』

 それは武の行為を責める言葉だ。一番慰撫しなければならない立場の自分が責める言葉を発していた。ただ抱き締めてもう良いからという一言だけで武の奮闘に報いてやれたのだ。

 そう言えば…小夜子も、いつも笑顔で抱き締めてくれる。 一緒に泣いたり笑ったりして、良くやったと褒めてくれる。 その言葉にどれだけ癒され救われただろうか。

 いや、武もいつもそうしてくれるじゃないか。 過ちを犯してもちゃんと許しを与えてくれる。 慰撫してくれる。

 それなのに……

 紫霄にいる頃からいつも、武の気持ちと立ち位置を理解していたのは麗だった。

「武君…悪いけど、お腹空いた。 僕、機内食って苦手なんだよ。

 影暁は?」

「あ…ごめんなさい。 藤堂先輩ですよね、周さんの同級生の?」

「はい。 初めてお目もじいたします、紫霞宮さま。 藤堂 影暁とうどうかげあきでございます」

「武で良いよ。 はじめまして」

 にっこりと笑う武に、影暁も肩の力を抜いた。

「で、どうなの、影暁? 何か食べるの、食べないの?」

「ん、ああ…少しだけなら…欲しいかも」

「わかった。 適当に見繕って来る、待ってて」

 杖を上手く扱いながら、武が居間を出て行った。

「おい、麗! 良いのか? 宮さまに食事の用意って?」

「影暁、『宮さま』はダメ。 武君はそう呼ばれるの嫌いだからね? みんな、名前で呼んでる。 僕はついでにタメ口きく。 その方がああやって、心を許してくれるから。言っただろ? 彼は庶民育ちなんだって」

 麗は影暁にそう応えてから、居間にいる全員を見回した。

「こんだけ雁首揃えて何で武君を、あんなに思い詰めるまで放置してるのかな?」

 明らかな怒りを含んだ言葉に誰も何も言えなかった。

「雅久、君は何をしてたの?」

「ごめんなさい…」

「謝る相手が違うだろう? 夕麿さま、高等部時代のあなたはどこへ行かれたんですか? 信じられない!」

 麗の態度に影暁が狼狽えた。 雅久はともかく夕麿の身分の高さは良く知っている。 まして今は武の伴侶として、宮家に名を連ねているのだ。

「任期の最中から伝説と呼ばれた81代執行部が、何でこんなに腑抜けになっちゃうかな?

 義勝、何か言う事はないわけ?」

「面目ない…」

「ああもう! こんだけ揃って役立たずしかいないの? 何もかも武君に背負わせて、危険な事に走らせて。 2年前に懲りてる筈だよね? 武君の性格も知ってるよね?」

 麗は頭から湯気を出しそうな勢いである。

「えっと…あなたが成瀬さん?」

「あ…ああ」

「皇宮警察の人で武君の護衛に派遣されてるんだよね?」

「はい」

「ふん、役立たず」

「麗! その人は紫霄の先輩だぞ!? 元生徒会長だぞ…」

 影暁が慌てた。

「関係ない。 僕は武君が一番大事なの!」

結城ゆうき! 事情を良く知らないクセに、雫さんを責めるな!」

 雫を庇う周を今度は、影暁が怪訝な顔をして見た。

「周、彼の言う通りだ。 俺は武さまの決意を覆す努力をしなかった」

「雫…それは命令に背けなかったからでしょう?」

「いや、俺の立場から言って、何をしてもお止めすべきだったんだ」

 止められなかった。 あの時の武には気迫と威厳があった。 誰もが追い詰められ、思い詰めていた。 赤佐 実彦が消息不明になり、夕麿が傷付けられる事を恐れていた。

 既に夕麿は生命を狙われ、挙げ句に記憶操作までされた。

「誰も武君を止められなかったわけ?」

「ではあなたは止められたのですか?」

 不意に問い掛けられた声に、麗はギョッとして振り向いた。 そこにいたのは既にこの世にいない筈の人間。 横に立っていた影暁も、麗の腕を掴んでいた指に力を入れた。

「……いい加減慣れましたが、私を幽霊を見るような目で見ないでいただけませんか?」

 保がうんざりとした口調で、顔を背けながら呟いた。

「あ…ごめんなさい。 ええっと、保さまですよね? 本当に…声までそっくり…」

「失礼ですよ、麗? 確かに似てはいますが、保さんは保さんです。 司と混同してはいけません」

 夕麿は既に保と司の違いをはっきりと理解していた。 似ているのは血の繋がった兄弟だから。 だが性格も嗜好もまるで違う別の人間だ。

「はい…本当にごめんなさい」

「いえ、仕方がないとは思っていますから。

 夕麿さま、ありがとうございます」

 保の言葉に夕麿は微笑みで返した。

「それで、私の質問の答えを聞かせてくださいますか?」

「……」

「恐らく武さまをお止めする事は、誰も出来なかったと私は思います。 あなたはあの時、ここにいなかったからこそ言えるのですよ、結城 麗君?」

 保の言葉は夕麿たちとは違う場所で育って来ただけに、冷静で別の視点から見つめていたものだった。

「この場にいなかった者には、何とでも言えるでしょう。 けれど皆さまはそれぞれ、ご自分がお出来になられる事を懸命になさっていらっしゃいました。 私は途中からこちらにお世話になっておりますが、それでも皆さまのご苦労を見知っています。

 まして…夕麿さまは、大変な目にお合いになられた直後。 責められるのはお門違いです」

「保さん…」

 数日前、慈園院家より六条家と御園生家に、謝罪があったと双方から連絡が来た。 遥を廃嫡にし当主の創が次男に家督を譲って隠居するという。 そうする事で慈園院家は家を守った。

 それでも日陰の宮と言えども今上の孫である紫霞宮に、危害を加えようとする一連の企てに参加した事実は消す事は出来ない。 当然ながら貴族社会での立場は悪くなったと言えるだろう。ただ今上から直接の叱責はなかった。 それはひとえに兄の暴挙を止めるべく保が雫やFBIに協力したのを、武が周を通じて奏上したからであった。

「これぐらいでやめませんか? それぞれ言い分が存在するのは当たり前です。 立場が違うのですから。 互いに相手を非難しても、何も解決はしません。 反省すべきは反省して改めれば良いのです」

 高辻が剣呑になるのを何とか宥めようとしたその時、周の携帯が鳴った。

「失礼」

 周が携帯に出た。

「はい…はい。 ええ…わかりました。感謝します」

 手短に終了し切った。

「武さまのサンフランシスコ2泊3日の旅行。 宮内省と外務省、双方からの認可おりました」

「良かった。これで出掛けられますね。 周さん、ホテルの手配は?」

「全員分押さえてある」

「感謝します」

 そう言うと夕麿は立ち上がった。

「知らせて来ます。 麗、藤堂さん。 多分、そろそろ食事の用意も出来たと思います。 ご案内します」

 ロサンゼルスとサンフランシスコはちょうど東京と大阪くらい離れている。周は中型機をチャーターしてロサンゼルス空港から、サンフランシスコ空港へとフライトする方法をとった。公共交通や車での移動はまず、武の身体への負担が多い。カリフォルニア州は現在、高速鉄道の導入を計画してはいるが現地点ではそれはない。警備上から考えても長距離の移動は時間短縮を図った方が安全だった。

 武は朝から浮かれていた。武が言う路面電車とはケーブルカーの事である。サンフランシスコは急な坂道が多い為、海側から急な登って行く路面電車が二本走っている。アメリカの映画やテレビドラマではお馴染みの公共交通だ。武は幼い頃に観た古い映画のシーンを思い出していたのだ。

 麗が加わった事が幸いして、武の幻覚は今のところ起こってはいない。夕麿に縋って離れない…というのも落ち着いて来た。相変わらずべったりと仲良く手を繋いで歩いてはいる。

 サンフランシスコの案内役をロバート・ブラウンが買って出た。サンフランシスコは同性愛者に優しい都市だと言われている。

 海産物のレストランが並ぶ場所があったり中華街や日本人街もあり、 食べ物が美味しい都市と言われている。

 名所も多い。

 宿泊先はノブ・ヒルにある老舗ホテルを総領事館が確保してくれた。パウエル・メイソン線とカリフォルニア線の二つのケーブルカーが走る場所の交差点にある。 ノブ・ヒルは高級住宅街で高級ホテルが顕在している。 王侯や政治家、著名人が宿泊するホテルだ、

「凄~い」

 ホテルに泊まる経験が皆無だった武は、両目を開いてロビーを見渡した。

「お気に召されましたか、武さま?」

「うん、映画の中にいるみたい…」

「本当だねぇ~」

 麗と二人で瞳を輝かせているのを見て夕麿と周は苦笑した。

「返って安全かもしれません」

 雫が言う。

「そうですね。 武さまの御身分を曖昧に出来そうですし、注目は夕麿さまに集まると思います」

 影暁が頷きながら言葉を繋いだ。

「それを言うなら保さんも十分目を引くぞ?」

 貴公子然とした雰囲気は、やはり夕麿と保が色濃くまとっている。

 蓬莱皇国の皇家関係者。 素性をある程度明らかにしなければ、このホテルの最上級の部屋を予約出来ない。 総領事館直々の予約があって、武と夕麿の為の部屋が用意された。

 ケーブルカーでの移動は武と夕麿に付き従う者と、車でバックアップに回る者とに別れた。ケーブルカーは武のたって希望ゆえ仕方がないが、雫としては出来る限り公共交通を使用したくない。本当に武の生命を脅かす為の存在が佐久間たちの逮捕で、いなくなったという保証がどこにもないからである。

 気を抜いた時こそ最も危険な時。二人の為に出来れば、そのような者はもういないとは思いたい。だが雫は楽観視して気を抜くわけにはいかないのだ。

「本当、ゆっくりだ。映画で走って飛び乗ってたけどそのままだね~」

 武のはしゃぎっぷりに誰もが自然に笑顔になる。杖をあまり必要としなくなったとはいえ、まだ長距離を歩くのも長時間立っているのも、武にはまだまだ苦痛になる。ゆっくりとはいえ、揺れるケーブルカーの中で夕麿はしっかりと武を抱き締めていた。武も夕麿の腕に両手で縋るようにして、車窓からの景色を眺めて楽しんだ。向かっているのはパウエルストリート、ソーマという地区である。

「周さん、お腹空いた」

 ケーブルカーを降りてすぐ武がいきなり言った。

「車が到着したら日本料理レストランでランチを摂ります」

 そこへボブが運転する大型ワゴン車が到着した。

「武、ケーブルカーはどうだった?」

「ゆっくりで面白かった」

 以前に雅久と二人で来て体験した義勝は車移動にまわっていた。

 全員が揃って向かったのは日本料理レストラン『京や』。パレスホテルの一階にあり、アメリカにいながら日本にいるような日本料理が食べられる。

「武君、これ食べる?」

 すっかり細くなった武を気にして、あっちこっちから料理がすすめられる。

「そんなに入らないよ!」

 武が音をあげると夕麿が笑い転げた。

「もう…何だよ!」

 膨れて拗ねる武に周囲から笑い声があがる。

「武」

 笑いながら夕麿に抱き締められてまた膨れた。

「何だよ?」

「たくさん食べられましたね」

「だから、お腹いっぱいだって言ってるだろう?」

「こんなに食べたのは久しぶりでしょう?」

「そう…だっけ?」

 ずっと食が細くなっていた武を夕麿は心配していた。骨と皮ばかりになってしまった身体が痛ましくて、早く元通りになって欲しいと願っていた。 だから嬉しくて仕方がない。

「それでこの後はどこへ行くの?」

 レストランを出て開口一番、武が笑顔で言った。 ロサンゼルスでさえほとんどが大学と屋敷と会社の間を行ったり来たり。 ビバリーヒルズの外れにある巨大なショッピングモールすら、来たばかりの頃に雫が連れて行ったきりだ。 武にはどこへ行っても何を観ても珍しくて楽しい。

「武、行きたい所があるのですが」

 夕麿が遠慮がちに言う。

「行きたい所? 俺の言う事をきくって約束するなら行っても良いぞ?」

「まだどこへ行きたいか言ってませんが…?」

「買うのは5冊までにしろ。 ここは皇国内じゃないんだぞ?」

「5冊…」

 以前、街に買い物に出た時に、夕麿と巨大な書店に入った事がある。 すると夕麿は100冊以上の本を一度に買ったのだ。

 5冊と限定されて、夕麿は悲しげに肩を落とした。

「そんな顔してもダメなものはダメだからな?」

 絶対に折れないぞと言わんばかりの武を見て全員が顔を見合わせた。

「武さま」

「何?」

「私が持ち帰りますからその分として、もう5冊…お許しをいただけませんか?」

 見兼ねた周が言った。 彼にすれば夕麿ががっかりした顔を見ていたくないのだ。

「では俺がもう5冊、責任持ちます」

 貴之まで言い出した。

「だったら俺も…」

「ああもう! わかったよ! 好きなだけ買って良い!」

 義勝が名乗りを上げた時点で武が降参してしまった。 笑い声に包まれて武も笑う。

 その日は夕食を有名なフランス料理レストラン『マサズ』で堪能し、彼らはホテルの部屋へと帰った。



 入浴を済ませると周が来てメディカルチェックを行った。 一年前の神宮旅行の時程、武は疲れてはいなかった。

 その後、保が来て武の腰から爪先にかけての筋肉を解す為に、オイル・マッサージを施して行った。

「明日も朝から観光に行きます。 もう休みましょう」

「え~もう、寝ちゃうの?」

「まだ何かしたい事があるのですか?」

「ある!」

 元気良く答えた武に夕麿は困った顔をした。 それを見て武が吹き出した。

「何故笑うんです?」

「…やっぱり…天然…」

 武の笑いが止まらない。

「またそれを言うのですか、あなたは?」

 不機嫌そうに声を低くした夕麿が、ベッドに武を押し倒した。

「憎らしいですね? そんな事を言えなくしますよ?」

「ふふ…だから…寝る前に…」

 夕麿の首に腕を回して、悪戯な笑みを浮かべて言った。

「ああ、そういう意味ですか」

 夕麿が婉然と笑う。

「シて、夕麿」

 潤んだ瞳でそう言われて熱が一気に、身体を包み夕麿の瞳に欲望の炎が揺らめく。 武はトドメを刺すように、舌先で唇を舐めた。

「今夜のあなたは淫らですね?」

「イヤ?」

「とんでもない! 今すぐにでも挿れたいくらいです」

「シて…夕麿が欲しい…」

 いつもとは違う場所、豪奢なホテルのベッド。 そんな事と昼間の幸せな時間が武の心を満たしていた。 だから…身体も満たして欲しい。

 ベッドに縫い止められるように両手を押し付けられて重ねられた唇を貪られる。 口腔を余すところなく舐めとられ、絡められた舌を強く痛みを感じる程吸われた。

「ン…ンぁ…ふン…」

 口付けだけでイってしまいそうだ。 腰を押し付けるようにして、全身を戦慄かしてしまう。

「ああ…ン…」

 離れていく唇を追うように、開かれた武の唇から舌先が覗く。 上気した頬の薔薇と相まって、壮絶な程の淫らな色香をまとっている。

「今夜のあなたは…淫らで…とても綺麗です、武。 そんなに私を煽らないでください」

 頬や首筋に口付けの雨を降らせながら、夕麿が熱い吐息混じりに囁く。

「煽って…な…い…ああッ!」

 首筋に胸に、強く吸われた甘い痛みが走る。 欲情した夕麿が、無数の跡を花びらのように散らしているのを感じる。

「ぁン…ヤ…夕麿…」

 触れられた場所から、身を灼く熱が広がっていく。

「は…あぁン…夕麿…もう…触って…」

「触ってますよ?」

「バカ…」

 直接の刺激が欲しくて強請ると、意地悪な返事が返って来る。

「どこを、どうして欲しいのですか? 言ってください…武」

 言葉は余裕綽々だが夕麿が常になく興奮しているのは、声がいつもより艶を帯びているのでわかってしまう。

「俺の、俺の…に触って…もっと…感じさせて…」

 普段は言わない事を口にする。 羞恥に震えながらも、渇望には抗えない。

「手と口、どちらでシて欲しいのですか?」

「あッああッ」

 指先で強めになぞると、もどかしげに声をあげて腰を揺らす。

「言ってください…どちらが欲しい?」

 耳朶を甘噛みして囁く。

「あンッ…さ、最初は…手で…後から…口で…シて…」

「どちらも欲しいのですか?」

 そう問い掛ける夕麿も、興奮して舌先で唇を舐める。もうどちらも歯止めがきかない。長い指が武のモノに絡み付き、快楽のツボを知り尽くした愛撫に紡ぎ出される快感に、爪先がシーツを踊る。

「ヤぁ…あン…ああッ…」

 嬌声が止まらない。

 その間も夕麿の口付けが、白い肌に紅の花びらを散らし続けていた。

「ふふ、ここも可愛い」

 赤く色付いた乳首を口に含んで甘噛みをする。

「ひぁン…ヤぁ…ああッあぁン…ダメ…も…イく…ああッあ!」

 頭の中が真っ白にスパークした。

 シーツを握り締めてのけぞって、夕麿の手の中に吐精する。

「あ…ああ…」

「可愛い…武。もっと感じて…いくらでもイかせあげます」

 吐精で濡れた掌を舌先で舐めた。

「毎日シてるのにこんなにいっぱい出して…」

 武は目を開けて自分の吐精を舐める妖艶な姿を、ぼんやりと眺めてハッと我に返った。

「そんなもの、舐めるな!」

 身を起こしてテッシュを投げ付けた。顔は真っ赤だ。夕麿が声をあげてわらう。

「今更でしょう? いつも飲んでるのに」

 言われた言葉にもっと赤面する。 夕麿は武のそんな顔を楽しむかのように、朱い舌先でまた掌をペロリと舐めた。

「拭けッ…舐めるな!」

 手を伸ばしてその手を掴もうとすると、スッと身を退かれた。 そして…また…

「ごちそうさま」

 夕麿は綺麗に舐め終わった掌を翻して、武に見せて笑った。

「バカ…」

 武は羞恥に全身を染めて、涙を浮かべた瞳で睨んだ。

「拭けって言ったのに…」

「そんな顔をしないでください…あなたが愛しくて…可愛くて、余すところなく欲しいのです」

 欲情してやや掠れ気味の声に、背筋がゾクゾクとする程の色気が溢れていた。

「俺は…全部、お前のものだ…」

「私はあなただけが欲しい…あなた以外を欲しない」

 誓いのように恭しく夕麿は、再び欲望のカタチを示している武のモノに口付けた。

「もうどんな事があっても、私はあなたを離しません、決して! ずっと…一緒に…武!」

「夕麿…ああッ…」

 夕麿の熱を帯びた口腔が、武のモノを包んだ。

「夕麿…ンッ…俺…夕麿と…あッ…一緒にいる…」

 夕麿の為に、皆の為に、自分はいない方が良い。 そう信じていた時があった。 自分は誰かを幸せに出来ない。 そう思っていたが…今から思えばそれは言い訳だった。

 本当は怖かったのだ、夕麿を失う事が。 夕麿を失って皆が去る事も。 愛する熱情も、愛される歓びも知ってしまったから。 失う傷みが怖かった。 だから逃げたかった。いつか『必要がなくなった』と言われて、背を向けられるのを見る時から。 自分から去ったのだと大切な人の幸せを願ったのだと、自分に言い聞かせる方が傷は少ない。 自分に対する言い訳が出来たから。

 でも……一時的だったにしろ、本当に背を向けられた傷みはそんなに甘くはなかった。 温もりがすぐ側にあるのに、触れる事の出来ない悲しみ。 確かにそこにいるのは夕麿なのに、武を見詰める眼差しは氷のように冷たかった。 耳に響くのは大好きな筈の声だというのに、心の中が冷え切ってしまう程感情がなかった。

 失うというのが現実にはどのような事なのか。 武は骨身に凍みる程、知ってしまったのだ。 だから以前にも増して怖くなった。

 佐久間が投与した薬が見せる幻覚が幸せであればある程、夕麿が戻って来てくれた現実まで都合の良い幻に思えた。

 誰もいない屋敷に独りきり。 バッドトリップが見せた光景こそ、自分を取り巻く真実ではないか。 ロサンゼルスの屋敷に独りきりならば、安易に生命を奪われる事はない。 だがそれは死より恐ろしく辛い運命である。

 失う恐怖を知ったからこそ、幻覚が現実化する恐怖が消えない。 だから縋り付いた。 温もりを感じていれば、少しだけ安心出来た。 全てを投げ出してしまう為にひとり、危険に飛び込ぶ事を選んだ自分を、夕麿も皆も許してはくれないと感じていた。

 皇家の一員である自分が最も選択してはいけない方法だった。 わかっていて実行した事だから、叱られ責められても仕方がない。でもわかって欲しかった。 自己満足な手段だったとしても、誰かの生命と引き換えには出来なかった。 その切実な想いをわかって欲しかった。

 麗が来て欲しかった言葉をくれたから、武は少しだけ恐怖から離れられた。 今見ている光景を現実と認められた。 そうしたら…あれ程繰り返した幻覚が襲って来なくなったのだ。

 今はそれだけでも嬉しかった。

「夕麿…俺と…いて…ずっと一緒にいて…」

 もう失うのは嫌だった。自分の手足を引き千切られるより痛くて辛い気がした。声を封じ込め自分で動く事を否定するように両脚が麻痺した。恐怖がそうさせたと武自身が感じていた。

「武?」

 武の泣き声に気付いて、夕麿は愛撫を止めて武を抱き起こした。

「どうしたのですか、武?私にちゃんと話してください」

 胸に抱いてあやすように、痩せた背中を優しく撫でた。すると武は両腕を差し出して、泣きながら縋り付いて来た。

「危ない事ばかりして…ごめんなさい…もうしない…夕麿や成瀬さんの言う事…ちゃんと利く…だから…もう、俺の事…見捨てないで…」

「ああ…武…」

 麗の言葉が正しかったと痛感する。危険に身を晒してまで、自分たちを守ろうとしてくれたのだ。それは紛う事なき武の愛情であり真心なのだ。

「武…感謝しています。あなたは私を…私たちを守ってくださったのを。ありがとうございます」

「怒ってない?俺の事、嫌いになってない?」

 俯く姿に武の恐れが見える。

「守っていただいたのに、怒ったり嫌いになったりする筈がありません。ただ……私も皆も怖かったのです。あなたを奪われて失ってしまう事が。大切な大切なあなたが私たちの前から、消えてしまうのがとても怖かったのです」

「もう…しない…」

「こんなに痩せてしまう程、あなたは私たちの為に頑張ってくださいました。 でももう終わりました。 一緒に幸せになりましょう、武。 私も皆もそう思っています。 あなたがいてくだされなければ、誰も幸せにはなれません。

 私はあなたがいなかったら、明日をどう生きて行けば良いのかわからなくなってしまいます」

「俺…一緒が良い…夕麿とずっと一緒にいたい。 みんなと一緒にいたい!」

「やっと…やっと言ってくださいましたね、武。 その言葉をずっと待っていました」

 夕麿の頬を涙が零れ落ちた。

「愛しています」

「夕麿…夕麿…愛してる」

 愛しくて愛しくて、胸がいっぱいになってしまう。 互いに顔を近付けて唇を重ねた。

「ン…ンふぅ…」

 抱き締め合ったまま横たわる。

「武…もう限界です…挿れていいですか…」

「欲しい! 挿れて!」

 両脚を夕麿の腰に絡めて、強請るように舌先で唇を舐めた。夕麿の瞳が欲情に輝いた。ローションを手に垂らして、待ち構えるように綻び始めた蕾に塗った。

「ン…何…? 何か良い匂いする…」

「ローションですから」

「だってイチゴの匂い」

「成瀬さんにいただいたのですが…」

「はあ…? 何でイチゴ?」

「チョコレートの香りもありましたが、そっちの方が良かったですか?」

「チョコレート…!?」

 武の顔がみるみるうちに真っ赤になった。

「ふふ、あれを思い出しましたか?」

「思い出してない!」

 二人で過ごした初めてのバレンタインデー。逸見 拓真いつみたくまに借りたBL小説を読んだ夕麿に、チョコレート塗れにされて抱かれた。その記憶を思い出したのだ。

「あの時の武はとても可愛らしかったですよ?」

「…そんな事を思い出すな!また、仕返しするぞ?」

「構いませんよ?」

 ホワイトデーに今度は生クリーム塗れにされ、夕麿が逆襲された。だがそれを言われても彼は余裕綽々な顔で笑みを浮かべた。

「次はチョコレートの香りをもらって来ます」

「そんなもの…あッ!」

 もらって来るな、と言いかけた武を黙らせるように、蕾を開いて指が挿れられた。

「ヤ…ンぁ…ああン…」

 引き出される快感に身悶えして言葉が紡げない。

「お喋りの時間はもうおしまいにしましょう?」

 夕麿は婉然と笑みを浮かべながら、武の膝を胸に付くくらいに曲げた。

「今は…あなたが欲しい…!」

「あッ…ひぁああッ!」

 一気に貫かれて爪先まで甘い痺れに襲われた。

「あン…夕麿…ヤ…いつもより…大きい…」

 体内をいっぱいいっぱいに広げられ、武は熱い呼吸に胸を上下させる。 夕麿はうっとりとした表情で、しばらく収縮する熱い肉壁を味わっていた。

「ああ…武…あなたの中は熱くて…たまりません」

「夕麿…夕麿…」

 更なる刺激を求めて刹那げに腰を揺らすと、中が夕麿のモノを強く締め付けた。

「うッ…武…締め過ぎです…」

 思わずイきそうになった夕麿が、息を呑んで顔をしかめた。

「夕麿…早く…」

 じわじわと押し寄せる快感は、身体の奥に懊悩の熱を溜め込む。 溜まった熱は解放を求めて、身体の中で渦巻く。 熱い渦が身を焦がす。

「武…可愛い…存分に感じてください」

 その言葉と同時に夕麿が抽挿を始めた。

「ンぁあッ!ヤア…激し…あッあッあッ…ひィ…はぁン…」

 余りの快楽に頭がスパークする。 身体はただ快感だけを貪り、心は甘く酔いしれる。

「ああン…やン…夕麿…イイ…もっと…」

 既に口をついて出る言葉をコントロール出来ない。

「ダメ…イく…もう…イく…夕麿ァ…一緒…イきたい…」

「ええ…一緒に…私も…もう…」

「夕麿…イく…あッあッあッああああッ…!!」

「武…武…!!」

 武が吐精を激しく飛び散らせた次の瞬間、夕麿も叩き付けるよいに愛しい人の体内の奥に、欲望を激しく迸らせた。

「あ…ああ…あ…」

 体内に広がる熱が快感を更なる高みへと押し上げた。 身も心も痺れたようになって浮き上がる。 ゆっくりと力の抜けた身体を夕麿が預けて来るのを感じて、武は背中に回した腕で抱き締めた。

「夕麿ァ…好きィ…愛してる」

 どんな言葉にも出来ない。 熱く強い想いが胸を満たし溢れ出す。 幸せだと思う。 嬉しくて嬉しくて…涙が溢れて来る。

 もう離れない

 放したくない。

「愛しています」

 返って来た言葉が愛しい。 見つめ合い、互いの吐息を吸い込むようにして口付けた。



「それで何で成瀬さんにローションなんか、もらう事になったわけ?」

「ストックがなくなってしまったのです」

 まさか小夜子に頼むわけにはいかない。

「ボブに訊いてみたのですが…アメリカのは成分が若干、違っている様子で…あなたの肌に合わない可能性がありました」

 敏感な武の肌に直接触れる物は、慎重に選ばなくてはならない。

「それで周さんに相談したのです」

「そんなの…相談するな!」

 片想いの相手にそんな相談をされてしまう周を、気の毒に思うと同時にやっぱり夕麿は天然だと思う。 第一、恥ずかしいではないか!

「で、成瀬さんがどうして出て来る?」

「それが…」

 周とどうするかと話している最中に、雫がやって来て話に加わったのだと言う。 そして部屋に連れて行かれたと。

「箱にその…たくさん入ってました。 好きなのを選んで良いと言われたので、取り敢えずもらったのがこれなのです」

「箱にいっぱいって…高辻先生、良く身体からだ保つな…」

 高辻が体調を崩したり、辛そうにしているのを見た記憶がない。 むしろ時折、周が青い顔をしていたり、ぐったりしているのを見る。

「夕麿、周さんとあの二人って…」

「成瀬さんか高辻先生が、引っ張り込むみたいです。 元々、周さんと高辻先生は所謂…セフレ関係だったようですし…」

「はあ!? マジで…?」

「高辻先生から直接聞きましたから、事実だと思います」

「ああ、この前の言い合いはそういう意味か。 高辻先生が遊びまわってたっての…あんまりイメージにないよね?」

「成瀬さんと引き離された反動だったのだと思います」

 ならば周は夕麿への想いゆえか。そう思い至ると武は少し申し訳なく思ってしまう。どんな想いで夕麿のそんな相談を聞いているのだろう?自分ならば絶対に出来ない。夕麿は彼の自分への感情を知ってはいるが、感覚的に兄に対する気持ちなのだろう。周に対して抱いて来た感情だったようだ。だから普通にその感覚で相談してしまうのだろう。

「あれ…?夕麿、義勝兄さんには相談しないわけ?」

「え?ああ、義勝は既にアメリカの製品試してイマイチだったと言ってましたから。使うタイプが少し違うみたいですし…」

「使うタイプ?」

「催淫剤が混入されている物とかを、最近は使っていたりしています」

「…」

「お互い、そういうのは問題あるでしょう?」

「うん…ちょっと嫌かも」

 それにしても何だか周囲に性生活を知られたみたいで、気がひける…そんな思いがする武だった。

「さあ、もう休みましょう?」

「うん。夕麿、お休み」

「おやすみなさい、武」

 灯りを消して肌を寄せ合って眠る。二人はすぐに深い眠りへと落ちて行った。



「おはようございます、武さま」

「ん…おはよう、周さん」

 夕麿と一緒に朝食に降りて行くと、レストランの入口で周が待っていた。笑顔で答えると周は虚をつかれたように息を呑んだ。

「…周…さん…?」

 実は控えの部屋に宿泊している、高辻と雫も似たような反応をした。夕麿と二人で顔を見合わせて首を傾げた。

「周さん、どこかおかしいですか?」

 困ったように夕麿が問い掛けた。

「いや…そうじゃない」

 二人の、特に武のまとう空気が一変していたのだ。柔らかで温かく、眩い輝きのようなものを感じる。昨日までの武にはそんな雰囲気はなかった。寄り添う夕麿もこれまでになく満ち足りた笑みを浮かべていた。

「お腹空いた」

「あ…申し訳ございません」

 慌てて雫が中を窺い、周が先導して中へ入った。

「ブラウンさん、今日はどこへ連れて行ってくれるの?」

「ボブで構いませんけど…フィッシャーマンズ・ワーフへ」

「フィッシャーマンって事は漁師?海に行くの?」

「はい。元々はイタリア系移民の漁師の街です。 海産物の美味しいレストランや水族館などがあります」

「海って神宮以来だよね! 船はいる?」

「バルクルッサ号というのが、博物館になっていますから動きませんが中に入れます」

 紫霄の高等部の敷地は高台にある。 図書館の裏から学院都市の向こう側の山の切れ目から見える、キラキラと輝く海に夕日が沈むのを見るのが好きだった。街中の水族館には偽物の海しかなかった。 神宮の海にはホンの少し近付いただけ。 山の中の学院生活が長かった夕麿と義勝は尚更である。

「え? 本当に箱入りなんですねぇ…」

 ボブは彼らの余りの特異性に驚いた。武が本来は幽閉される身であり、夕麿たちグループの中の何人かが、一定の地域から出られない身の上だった。 そんな話に半信半疑だった彼も、武の無邪気で純粋な喜び方を見て、信じられずにはいられなかった。

「それでは釣りも経験ない?」

「釣り? ない! テレビでしか観た事がないよ?」

 瞳をキラキラさせる姿を、本気で可愛いと思ってしまう。 ふと視線を感じて見ると、夕麿が案の定、睨んでいた。 ボブは肩を竦めてから言った。

「今回はその用意も時間もないけれど…来年、暖かくなったら手配しましょう。 ロサンゼルスにも良い釣り場がある」

「うわっ! 楽しみ!」

 子供のように無邪気で、天使のように純粋で、一人の男として勇敢… こんな人物に会った事がない。

 ボブはそっと貴之を見る、貴之は笑顔で頷いた。 彼の側に集う者は皆、彼に忠義の誠を抱き仕える。 貴之はそう言った事がある。 その時は馬鹿馬鹿しいと思った。 時代遅れのナンセンスな思考だと。だが小柄で華奢な武の奮闘を見た今となっては、笑い飛ばす事が出来なくなっていた。 むしろ彼らを羨ましく思ってしまう。

 アメリカ人にとって魂の拠り所とは一には信仰。 だが同性愛を禁じるキリスト教の社会では、彼らSexualセクシャルMinorityマイノリティは異端者扱いだ。その次に家族。 しかし多くの同性愛者は家族から受け入れられない。 誰か愛し合う者を見付けない限りは。そして富や地位、名声といった所謂アメリカン・ドリーム。 だがこれらがもたらすのは外面の満足でしかない。

 無償で忠義を尽くす心。 アメリカ人には国家への忠誠心がある。 だが…時として国家のエゴに振り回されて押し潰されてしまう。 悲劇もたくさん産んで来た。アメリカ人として生を受け、育って来た自分とは明らかに違う彼ら。 懸命に心血を注いで、主として、家族として、友として、最愛の相手として、武を守ろうとする彼ら。 それに自分の生命を投げ出しても、応えようとする武。

 彼らが望むのは平穏な日常で余計な混ざりものはない。 それ故に美しいと思ってしまう。

 武が幸せそうに笑っていて、その傍らで夕麿も微笑んでいる。 それだけで何もいらなくなる。

 自分は彼らには異国人だ。 だが…彼らと共に在りたいと願うのは、許されざる事なのだろうか? 朝食を終えて出掛ける準備をしている間、ボブは本気でそう思い至った。すると居ても立ってもいられなかった。 武たちの部屋へ単独で赴いた。 興奮に胸の鼓動が踊る。 こんな気分は初めて感じる。

 ドアを開けたのは雫だった。 武にお願いがある。 そう告げて中へ入れてもらった。

「お願いって何? 俺に出来る事?」

 ソファに座って笑顔で訊く姿を眩しく思う。 ボブはその足許へひざまづいた。

「え!?」

 驚く武を夕麿が手で制した。

「ロバート・ブラウン。 我らが主、紫霞宮武王さまに永久の忠節を誓いますか?」

 夕麿は彼がここへ来るだろう事を予測していた。 この旅行で武を見つめる眼差しも、自分たちを見る目も変化して来ているのに、とっくに本人よりもはっきりとわかっていたからだ。

 ボブは胸に手を置いて答えた。

「主を持った事がありません。 私たちアメリカ人は自らの主は、自分であれと教育されます。 だからどう言えば良いのか。 どう行動すれば良いのか、それがわからない。でも、何かしたい。 武、あなたに従いたい!」

「ボブ、特別な事は何もない。 僕たちはただ、真心で武さまの為に何が出来るかを考えて行動するだけだ」

 周が静かに、しかし誇らしげに答えた。 ボブはその言葉に瞳を輝かせて、しっかりと頷いた。

「如何あそばされまするか、宮さま。 彼は異国人でごさいますが」

 高辻が武に問い掛けた。 武は了承を求めるように夕麿を見た。 そこには美しい微笑みがあった。 武も笑顔になる。

「ロバート・ブラウン。 武さまはご了承あそばされました。 あなたの真心ある忠義を捧げる事を、私たちは期待いたします」

 夕麿の声が厳かに響いた。

「感謝…します」

 答えた声は涙声だった。ボブは胸がいっぱいだった。彼らと共に在れと、許しを得られた。それが嬉しい。ボブは準備をすると告げて部屋を辞した。

「タラシですね、武さま」

 雫が笑顔で言った。

「俺は何もしてない」

 膨れっ面で答える武を、夕麿が抱き締めた。

「あなたを大切に思う友だちが増えた。そう思えば良いのですよ?」

「うん…わかった」

 夕麿の腕の中で幸せな笑みを浮かべて武が答えた。まだ幼子のような部分が完全に抜けていないのは、やはり例の薬剤の後遺症か。高辻はそう思った。

 元々武にはそういう傾向が存在してはいる。年齢の割に幼い部分があり、夕麿に対して頓に顕著になる。全てを委ねている証ではあるが、それが夕麿の負担になっていた時期もあった。だが今はそれが武なのだという感覚で全面的に受け入れているのが窺えた。

 夕麿は高辻の視線に顔を上げ、武の髪を撫でながら告げた。

「先生、昨夜武がずっとみんなと一緒にいたいと…私と歩いて行きたいと、言ってくれたのです」

「それは…素晴らしいですね。 私たちも嬉しいです、ねぇ?」

 周と雫に同意を求めると二人も笑顔で頷いた。

「一緒にいてくれる?」

 幼げな眼差しがまっすぐに見上げて来る。

「いつ如何なる事がありましても。 久我 周、武さまと共に歩ませていただきます」

 美しく優雅な振りで周が跪いて答えた。 その背後で雫と高辻も、胸に手を当てて頭を垂れた。

「ありがとう」

 笑顔で返された言葉が何よりもの宝物だった。



 海沿いの街並みを歩く。 潮風は冷たくなってはいたが武はそれすら物珍しい。

 昼食は海岸通りに並ぶ屋台での買い食いをボブが推奨していた。

 武と麗は喜び、夕麿たちは戸惑った。 影暁もパリで経験済みで平気な顔で摘む。 夕麿たちは戸惑いながらも、武が笑顔で差し出す料理を手掴みで食べた。

 屋台の料理はシーフードが中心だがそれ以外もある。 ボブはディナーがシーフードレストランであるのを考慮して、様々なものを購入して来た。

「美味しいね~安いし。 あ、ロブスターもうちょっとちょうだい」

 何よりも武が楽しんでいる。 それが何よりだった。

「武さまはアイスクリームはお好きですか?」

「アイスクリーム?」

「少し3ブロック先にチョコレートメーカー直営のカフェがあります。 サンデーが人気の店です」

「食べたい!」

 鶴の一声でその店に行ったが、出て来たサンデーに武は絶句した。 どう見ても皇国のものの倍はある。 普段食べないアイスクリームを、浮かれて食べたいと言ってしまったのを思わず後悔した。

「夕麿…どうしよう…」

 目の前に置かれたサンデーを見て、呆然とした口調で武が呟いた。 夕麿が吹き出した。 元々冷たいものをほとんど食べない武は、アイスクリームといえば学院のデザートメニューになっている時に、夕麿が取って来たのを一口二口もらうくらいでしか知らない。

「半分食べてあげますから、頑張って食べなさい」

「半分……頑張る…」

 半分と言われてなお絶句するのがおかしくて、夕麿に続いて義勝まで笑い出した。

「こちらの方々はたくさん食べられますよね…」

 雅久が巨大サンデーを眺めてしみじみと言った。 義勝と雅久、二人で一人前を食べた事があると言う。 昨夜のレストランのように、ある程度分量の融通が効く店もある。 だが普通にアメリカの料理はサイズが大きい。 武や雅久のように食の細い者には、かなり困った事態になる。 普通に標準的な蓬莱皇国人男性の食欲である夕麿たちにしても、アメリカ人サイズの料理にはお手上げだ。 アメリカ人との食欲の差は倍以上の差がある。

「ん…美味しい」

 スプーンで一口食べて武が笑顔になった。

「夕麿、はい」

 手にしたスプーンですくって普通に差し出す。 夕麿も周囲を気にせずに、当たり前のようにそれを口にした。

「少し甘さが強いですが、確かに美味しいですね」

 他の者は見てる方が甘過ぎて困る…と内心思っていた。

「なあ…麗。 夕麿さまって…あんなだっけ…?」

「武君とラヴラヴだからね~ 紫霄にいる時からあれなんだよ。 影暁が信じられないのはわかる…」

 ホット・ショコラを飲みながら麗は笑う。

「一途だし妬きもちだし、周囲の目も気にしないでベタ甘だし…僕も慣れるのに大変だったよ?」

 影暁は信じられないと目を丸くしている。 その横で保が苦笑していた。 彼もビバリーヒルズの屋敷に移り住んで、最初は本当に驚いたのだ。 武が手料理をつくり、夕麿はどんなシェフの料理よりも、それを好み互いに寄り添い合う。 微笑ましくはあるが時々、逃げ出したくなってしまう。 しかも昨夜に何事かあったらしく、いつにも増してのベタ甘振りである。

 死んだ弟の分もと二人の幸せを願うが、相手のいない独り身には少々我が身が寒く感じてしまう。 そしていつの間にか…同性同士のカップルを違和感なく、自分が受け入れているのに気付いた、保であった。
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