蓬莱皇国物語Ⅱ~飛翔

翡翠

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   別涙

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 情事の後の気怠さに貴之はベッドの上で俯せになった。

 耳に聞こえてくるのは周がシャワーを浴びる水音。公園で武たちと別れた後、彼が滞在しているホテルの部屋に連れ込まれた。抱き合う事を【情事】としか呼べない関係。

 巧みで執拗な愛撫にいつも翻弄され溺れさせられる。後はただ…貫かれ揺さぶられる事しか、考えられなくされてしまう。だが乱れるのは自分だけ。獲物を眺める醒めた目に常に見つめられていた。半ば意識を失うまで抱いた後は、興味を失ったように見向きもせずにバスルームへと消える。情事の後始末すら貴之は自分でしなければならない。

 こんな男…とは思う。だが呼び出しのメールを見れば、フラフラと応じてしまう。

 今、周が抱く相手は何人いる?

 夕麿の話は初耳だったがこの人ならあり得ると納得してしまう。

 取り敢えず簡単に身を拭って、周に脱がされた衣類を拾ってそそくさと着た。靴を履いて立ち上がると軽い眩暈に襲われた。あれだけイけば、体力をごっそりと消耗するのは当たり前だ。テーブルや壁を伝ってスイートルームを横切り、ドアのチェーンを外して廊下に出た。人影がないのを確認してから、フラフラとエレベーターホールに足を向ける。貴之が姿を消しても、周は気にもとめないだろう。

 本質的に優しい夕麿と正反対な周。従兄弟同士だとは思えない程違う。周は夕麿を気にしているが、夕麿は周を嫌う分気にかけない。

 それでも周は貴之たちが高等部の一年生の時には白鳳会の会長だった。つまりそれは…その前年度の生徒会長だったという事だ。久我 周、慈園院 司と二代続けて、怠惰な会長を頂いた高等部は夕麿が引き継いだ一年前、彼に春休みを断念させる程の惨憺たる状態だった。夕麿と義勝が必死に立て直した一年だった。

 後を引き継ぐ武の為に、二年生役員全員が懸命に足掻いた結果だった。自分もその苦労をした一人なのに…何故、周とこんな関係になってしまったのだろう。

 始まりは附属病院だった。板倉 正己の事件で怪我をした武の通院に護衛の為に従った時、武の治療中に待合室で言葉を交わした事からだった。気が付けばメアドを交換させられていた。あの時、武と顔を合わせなかったのが、奇跡に思える程だ。
 
 久我 周という男は、猛毒を持っている。それがわかりながら、その甘美な悦楽に溺れてしまう。彼が今、どれくらいの人数を呼び出して抱いているのか…それはわからないが、一人や二人でない事くらいはわかる。わかっていながら呼び出しに応じてしまう。

 想っても無駄なのに……胸の中にしこりのように生まれた感情は、貴之の理性とは反対の望みを求める。

 何故自分だったのだろうか。

 確かに面識はあった。

 夕麿の側にいれば当然の事だ。

 夕麿が彼を毛嫌いしているのも、十分過ぎるくらい知っていた。それなのに…何故、こんな事になってしまったのだろう?どの道、後半年余りでこの学院を去りUCLAへ留学する貴之を、後腐れのない都合の良い相手と思ったのか。

 気が付けば周という猛毒に、身も心もすっかり蝕まれてしまっている。

 そしてとうとう、夕麿に見つかってしまった………

 武に見られてしまった…

 報いのない身体だけの繋がり。未来に待っているのは、捨てられてボロボロになった自分の姿。いや、それすらも与えられないかもしれない。留学という期限が訪れて、あっさりとジ・エンド。多分、周はそれも計算しているのだろう。狡猾で残酷な男。それが久我 周だと知っている。知っているのだ、貴之は。

 到着したエレベーターに乗り、1Fのボタンを押して目を閉じた。

 そうするとまだ身の内に燻ぶる情事の熱が、心と身体を焦がし蝕む音がする。この毒の解毒剤は存在しない。だがこの息苦しい懊悩から逃れられるものが欲しい。踏み込んでしまった闇。愛撫に溺れ愛を渇望する、身体と心。引き裂かれるように痛む胸を抱えて、見上げた空には、まるで今の貴之の心のように雪雲が重く広がっていた。
 

 枕元のコードレスホンの子機のコール音で目覚めた。夕麿は気怠げに身を起こして子機を取り上げた。

「はい」

〔文月でございます。お休みのところを申し訳ございません。久我 浅子くがあさこさま…と申されます方からお電話でございます。

 お出になられますか?〕

「出ます、此方へ繋いで下さい」

 久我 浅子…夕麿の父陽麿の姉であり昨日会った周の母である。

「おはようございます。ご無沙汰申し上げております」

 この伯母から連絡がある時はろくな事がない。

〔お元気そうね、夕麿さん。

 ねぇ…周がどこにいるかご存知ありません?〕

「周さん…ですか…まだ逃げているんですね…」

〔その口振りだと、ご存知…と言う事ね?〕

「滞在場所までは存じません。ただ昨日、偶然にお会いしただけです」

〔まあ…どちらで〕

 夕麿は少しウンザリしながら昨日会った場所だけを告げた。

「それで今回、周さんは何から逃げていらっしゃるんです?」

〔大井田家のご令嬢との御縁談が上がってますの〕

「縁談ですか…」

〔もしまたお会いになったら、私に連絡をと仰っていだだけます?〕

「お伝えはいたしますが…私の言葉などを気にかける方ではありませんよ?」

〔でもお願いいたしますわ、夕麿さん〕

「わかりました。御用件はそれだけでしょうか?」

〔ええ…朝からごめんなさいね。では、御機嫌よう〕

「御機嫌よう」

 電話を切ってそっと子機を戻すと背後から武が抱き付いて来た。

「夕麿、おはよう」

「おはよう、武」

「よく眠れた?」

「ええ、あなたのお陰でぐっすりと」

 多々良 正恒の事件の後以来だった、武に抱かれたのは。

「うふふ…ちょっとやり過ぎた?」

 いつもは武が夕麿の言葉に恥じらう。真っ赤になって顔を隠し恥ずかしがる姿が可愛くて、休日の朝などそのまま組み敷いてしまう時がある。

 だが今朝は逆。別に武は常日頃の逆襲をしているわけではない。前夜組み敷いて啼かせた相手に対して、さらなる征服欲や支配欲が駆り立てられるだけ。そういう点に於いては武もまた立派な男なのである。

「そんな風に聞かないで下さい…」

 耳許に囁かれる言葉に溺れ、いたわるような愛撫に翻弄されて開かれた身体は、武を受け入れて貪欲なまでに激しく悦楽に淫らに乱れた。

 それが嬉しい。

 それが恥ずかしい。

 技術的な事を言えば夕麿しか知らない武は、多々良 正恒には到底及ばない。だが互いが愛情を持って触れ合えば、何よりも心が震える。心の震えは魂の震えでもある。それはその者の存在全ての歓びを呼び起こす。どんな技術も勝てる事はない。

 武の抱擁は夕麿を魂から癒す。触れられる事を厭う夕麿が触れられる事を望む。彼を気遣い彼が悦ぶようにと、懸命になる武の想いに乱され官能に狂う。身体中に付けられた口付けの跡でさえ…愛情に包まれたままでいるように想えて自分を愛しく感じる。

「夕麿って跡付けられるの好きだよね?」

 武は夕麿の白い身体の自分の付けた跡を指でなぞった。

「……ずっと…あなたに抱き締められているようで…嬉しいのです」

 自分に触れる武の指を取りそれに口付けると、小さな声を上げて身を震わせた。

「武は…私の付けた跡を、どのように感じて下さっていますか?」

 指から手の甲、手首へと口付けを移動させながら聞いてみる。

「ン…俺は…夕麿のものだって…気がして…嬉しい…けど…」

「けど…何ですか?」

「あッ…そこ…ダメ…」

 いつの間にか武は夕麿に組み敷かれて、真っ直ぐに瞳を覗き込まれていた。武は頬染めて呟いた。

「……付けられた時の事を思い出すから…恥ずかしい…」

 寮のバスルームには大きな鏡がある。また、寝室のクローゼットにも、全身を写す姿見がある。入浴や着替えの度に武がそんな事を思っていたとは…また別々の部屋だった時には、どんなだったのだろうと想像してしまう。

「本当に…あなたは嬉しい事を言って…私を煽って下さいますね?」

「え…!?」

「ふふ。休みが明けて寮に戻ったら、今度は鏡の前で抱いてあげましょうね」

「か…鏡の…前!?」

 恐らく想像してしまったのだろう。羞恥に武の全身がみるみる朱に染まっていく。

「あなたがどんな顔しているのか…ここに、どんな風に私を受け入れているのか、たっぷりと見せてあげましょう。

 楽しみですね、武?」

「ヤダ…恥ずかしい…」

 視線をそらして呟く。目許が朱に染まった顔が、背筋がゾクゾクとする程の欲望をそそる。

「恥ずかしいからイイんでしょう?あなたが恥ずかしがって、鏡の前で淫らになるのを見るのが楽しみです」

「…夕麿の…バカ…エロ…」

「全部、武が可愛いから悪いんです」

「それ…絶対、俺の所為じゃないからな!」

「おや…?断言しましたね?何を根拠に言うんです?」

「え…えっと…」

 武が返事出来ないのをわかっていて夕麿はわざと詰め寄る。

「私は言いましたよね?あなたにしか反応しないと」

「う…だ、だから…俺に…その…対して…エロい…」

「何ですか、その意味不明の答えは。それでは評価はあげられませんね」

 楽しそうに言う。

「夕麿の意地悪…」

 膨れて横を向くとクスクスと笑う声が聞こえた。ムッとして睨み付けると、耳朶を甘噛みされて声をあげて身体を戦慄かせてしまう。

「あッ…ヤあン…」

「ふふ…可愛いですよ、武」

「ン…あッ…夕麿だって…昨夜は…可愛い…ン…かった…ひァン…」

「憎たらしい…こんな時にそれを言いますか、あなたは…」

「だって…嘘は…言って…ない…」

 乱れる息の合間に武が口にする事が、ある意味事実だと自覚しているだけに、夕麿は羞恥を扇がれて意趣返しをしたくなる。

「ではあなたにはもっと可愛くなってもらいます。

 覚悟しなさい、武」

「え…あッあッ…そこ…ダメ…ヤあ…」

「ダメじゃないでしょう?もうこんなになっているくせに…」

 体内の感じる場所を指で刺激されながら、乳首を甘噛みされながら吸われてはひとたまりもない。中心に熱が集まり、欲望のカタチに頭をもたげ、蜜液を溢れさせる。

「昨夜、あんなに私の中に出したのに…もう、こんなにして…」

「だって…だって…抱くのと…抱かれるのは…違う…」

 基本的には武は抱かれる側のタイプである。今のところ夕麿を抱きたいと望んだ時には、同時に強い独占欲や憤りを感じた時だけ。抱かれる側は抱く側より、身体的負担が大きいのは、何も相手を体内に受け入れるだけではない。与えられる快感の深さもあるのだ。受け入れる側の絶頂は全身が味わう悦楽。力もエネルギーも一度に消耗してしまう。エクスタシーを『小さな死』と呼ぶのも、それ程のエネルギーを使ってしまうからなのである。

「夕麿…も…欲し…」

「私も限界です…武…愛しています」

「んくッ…夕麿…あッ…熱ッ…ヤあ…凄い…ああん…」

 受け入れたモノの大きさを武の中はしっかり感じて貪欲に絡み付く。

「夕麿…激し…あン…あッあッ…そこ…ダメぇ…」

「ダメじゃないでしょう?こんなに締め付けて…」

「だって…気持…イイ…ンあッ…ヤあ…そこ…ばっかり…あンあッ…やあ…も…イく…夕麿…夕麿ァ…」

「イって良いですよ、武。 私も…もう…」

「あッ…あッ…イく…夕麿ァ…あああッ…ヤあ…イくぅ…」

「ああ…武…くッ…」

 武は絶頂の戦慄きの直中で、体内に熱い迸りを感じた。

「夕麿ァ…好き…」

 荒い息で覆い被さって来た夕麿を抱き締めて、官能の余韻で舌足らずな言葉を紡いだ。

 それが可愛い。

 汗で濡れた髪を指で払って、頬を濡らす涙を拭う。 武はその手を取って握り締めた。

「俺…幸せ…」

「私もです」

 唇を重ねて強く抱き締め合う。 寮にいてもここへ戻って来ても、毎夜こうして互いに求め合う。 それでもまだ足りない。 まだ欲しい。 互いの温もりから離れ難い。このまま溶け合ってひとつになれたら…それが無理ならせめて、時を止めたい…このままでいたい。 叶わぬ願いと知りながら。

 結局、二人がベッドを離れたのは昼近くになってしまった。

 夕麿の精神状態も考慮して夕食以外は、部屋に籠もっていてもほとんど干渉されない。 だから先程の電話の取次は、相手が相手だけに文月も困ったのだろう。あの親子の身勝手に巻き込まれるのは迷惑この上ない。 周に電話を入れてこれ以上巻き込まれないように対処させるしかない。

 昼の直中…周はまた誰かを呼んでお楽しみの最中かもしれない。 それは貴之かもしれない。 もし貴之ならば、伝える内容に傷付くかもしれない。

 夕麿は迷った。 大切な友を傷付けたくはないから。 だが傷は浅くてすむ内に…とも思ってしまう。 夕麿の知る限り貴之には最近までそんな気配はなかった。第一、顔見知りではあってもそこまでの接点がなかった筈。 夕麿が掌握出来なかった期間は、板倉 正己の事件とそれ以後。

 高等部を卒業して大学の医学部へ進学した周。 大学部の敷地は高等部の端にある寮から、森林地帯を挟んで僅かに見下ろせる位置にある。 学祭の時以外にはほとんど交流はなく、学祭中でも中等部と高等部ほど交流しない。 だから接点はなかったのだ。 故に周が自分の周囲に毒牙を向ける危険は去ったと、安心して注意を払っていなかったのだ。 迂闊うかつだったと思う。 他者の色恋沙汰に干渉は出来ないし、してはならないとは思う。 それでも久我 周が相手では…悪過ぎる。

 夕麿は散々迷った挙げ句、事の成り行きを天に任せるべく携帯を手にした…


 もう少し温もりを感じていたいのにコール音に周が身を起こす。だからと言って貴之には抱き付いて甘える事も出来ない。どこまでも身体だけの関係を主張して、心の内は見せてはならない。

 それが今の貴之に残された唯一の矜持だった。

 だから周に誰から電話が掛かり、それが行為の最中であっても自分には関係のない素振りをする。

「夕麿…何だ?また僕に何かの苦情か?……………おたあさんが?………それは申し訳ない。でも、よくお前の連絡先を知っていたな?

 ……わかった、今後そういう事をしないように言っておく。それで………わざわざ、伝言を?……………縁談?ああ、この前のあれか…成る程ね、あれ、見合いだったのか。……………大丈夫、ちゃんと連絡するよ。

 迷惑をかけた事は謝罪する。ああ………御機嫌よう」

 電話を切るとそのまま見向きもせずにバスルームへ行ってしまう。他の者はこんな時にはきっと甘えて縋るのだろう。だがそれは貴之には出来ない。キリキリと痛む胸を押さえながら身体を起こして拭う。シャワーはいつも帰ってから。衣類を着ながら先程の電話の内容を推測する。夕麿からの電話…周の母からの伝言…そして【縁談】という言葉。

 潮時かもしれないと貴之は想った。この想いを秘めていられる内に……高等部時期の甘く苦い思い出に今なら出来る筈だと思えるから。いつものように部屋から姿を消す。決めた決意を告げる事はない。意味がないとわかっているからだ。

 ホテルを出て真っ直ぐに、携帯の番号を替えにショップへ向かう。ついでに機種も新しいものに替える。夕麿たちにはメールで連絡をして、周の番号とメアドを念の為に拒否登録してアドレス帳から消去した。古い機種は初期化して一切のデータを抹消した。自分の中の周の記憶も、こんな風に消去出来たら楽なのに…と思う。でも自分の決心は覆したりしない。もとより覚悟の関係だったのだから。

 自宅へ戻りバスルームでシャワーを浴びる。周の跡を消したくて、肌がヒリヒリしても擦り続けた。溢れる涙を止められない。泣くのもこれが最後。胸に秘めた想いを吐き出すように、シャワーの音に隠れて貴之は泣き続けた。

 自宅の道場の畳に正座して静かに瞑想する。 乱れた心が周囲と同調して溶け込むまで。

 無念無想。 それは己を万物に同調させる事。 どんな激しい嵐の海でも、荒れ狂うのは表面だけ。 深海にまでは届きはしない。 自らの内に…深く沈んで行く。 嵐のように荒れ狂ってしまった自分から遠ざかる為に。 周に乱される前の自分に戻る為に。

 その日、貴之は夜が更けても道場に座り続けた。




 貴之からのメールを受け取って夕麿は瞑目した。

 やはり彼がいた…… そして、耳にした内容に対して行動を起こした…と言う事だろう。 人の恋路に踏み込んで、酷い事をしたと自覚はしている。

 友を傷付けた。

 携帯を握って俯いていると、そっと手が添えられた。

「また、自分を責めてるだろ?」

 背後から義勝の声がした。 顔を上げると武がいて義勝と雅久がいた。

「どう判断して、どう行動するかは、貴之本人の問題だ」

「俺もそう思う」

「夕麿さまはもっと、ご自分を甘やかされるべきです」

「雅久の言う通りだ。 パーフェクトな人間なぞ存在しない。 それで良いんだ。

 貴之はかえって感謝してるだろう」

 それでもやっぱり成就出来ない想いは、辛いとわかっているから胸が痛い。

 どんな顔をして会えばよいのだろう? 不安に揺らめく心を、読んだように武は言った。

「きっと貴之先輩は、笑ってくれるよ、夕麿」

 そうであって欲しいと思う。 傷付く痛みを知っているから相手を傷付けるのが怖い。 相手が大切な友だからこそ、なお怖い。

「大丈夫だ、貴之はそんなに弱くない。 ちゃんと乗り越えて俺たちの前に来る。 それを信じてやるのも、友情だぞ、夕麿?」

 夕麿はその言葉に背中を押されたのか顔を上げて頷いた。



 家族と友人、大勢で集まってのクリスマス。ずっと毎年、母と二人だった。夕麿たちに至っては、クリスマスそのものを祝った事がない煌めくクリスマス・ツリーに、テーブルに所狭しと並べられたクリスマスの料理。小夜子と武が手作りしたケーキ。ひとつ一つは珍しくはない、何処にでもあるようなものだ。けれど家族の行事としてのクリスマスは、彼らを笑顔にさせる。貴之や麗も招いて、賑やかなパーティーは笑い声が絶えない。

「夕麿、人参残しちゃダメだろ?えっと…嫌いだっけ?学院じゃ食べてた気がするけど?」

「周囲に示しがつかないので、食べてただけです」

「夕麿さま~子供じゃないんだから、食べようよ~」

「家にいる時くらい勘弁して下さい」

 パーフェクトの仮面を脱いだ夕麿が、好き嫌いを言ったり小さなわがままを言う。小夜子が笑顔でそれを許すので、武が呆れ果てたり諫めたりする。学院では食べ物の好き嫌いがない事で通っていたが、実は人参が苦手だと言い出した。最近は武以外にも素の自分を出せるようになった。もちろん学院では今までの顔を貫くだろうが、ここにいる親しい者にさえ、少し前までは仮面を被った姿だったのだから。

「そろそろ、プレゼントの交換をしよう」

 息子が増えその友人まで交えた賑やかさに、有人は喜びに満ちた顔で告げた。武は母にまず、あの大きなウサギのぬいぐるみを渡した。

「オマケ付きだからね」

 笑いながらプリントアウトした、ぬいぐるみを抱く夕麿の写真を出した。

「武!」

 夕麿が真っ赤になって奪おうとする。それを義勝が受け取る。

「ほお…CDのジャケット、これにすれば良かったんだ」

 笑いながら言って隣の雅久に手渡す。

「これは…楽しい写真ですね」

 笑い声を上げて貴之に手渡す。貴之は目を丸くした次の瞬間、横を向いて吹き出した。その手から麗が手紙をひったくる。

「見事なミスマッチだね~武君、この画像、後で頂戴!」

「いいよ?はい、母さん」

「あら、可愛い」

 もう夕麿は羞恥に声も出せず、口をパクパクするばかり。小夜子が笑顔でそんな夕麿を抱き締めて言った。

「このウサギさんは、夕麿さんが抱き締めて下さったのね。ありがとう」

「お義母さん…」

 ミスマッチな写真も小夜子にかかるとこうなる。笑いながら武は箱を取り出して、中の物を一人ひとりに手渡し始めた。それは組み紐と貴石を取り合わせたストラップだった。

「武君、これは…?先日、私に皆さんの声の色を尋ねたのは、これの為だったのですね」

「私の所から組み紐の台を持って行ったと思ったら…これを造る為だったのね、武」

 組み紐は小夜子の趣味で幼い頃から武も編んで遊んでいたのだ。雅久から聞いたそれぞれの色を、絹糸から染めて編んでいた。夕麿が一緒にいる事が多いので、秘密にするのが大変だったがなんとか間に合わせた。

「紐の部分には細いワイヤーを何本か入れてあるから、簡単には切れたりしないからね」

 もちろんお揃いという事で武の物もある。

「一応…天然の染料を使ったから、色移りはしないとは思うけど…」

「染色から!?」

「凄いな」

 夕麿のストラップの瑠璃色の糸には、よく見ると武の紫色の糸が混ぜ込んである。ラピスラズリの勾玉にアメジストの丸玉を通して組み紐に付けてある。携帯に付ける細い紐の部分の根元には、金と銀の小さな鈴がついていて澄んだ色を鳴らす。武が手先が器用な事は知ってはいたが、こんなに完成度の高い美しいものを造れるとは思ってもいなかった。

 知っていたのは小夜子だけ。

「適わないわね、いつもあなたに負けるのだから」

 桜色のストラップを見つめながら、小夜子が苦笑する。

 全員が携帯を取り出した。別のストラップを付けていた者は、それを外して武に贈られたものだけにする。

「全員で写真を撮りましょう、あなた」

 クリスマス・ツリーの前に並んで、全員がストラップを出して、文月がシャッターを押した。デジタルカメラからすぐにプリントアウトが行われた。

「この写真は宝物になりますね」

 夕麿の言葉に全員が頷いた。夏には離れ離れになる。武は学院に残り、麗はフランスへ旅立つ。夕麿たち4人は同じ場所だが、それぞれが歩む道は違う。同じキャンパスで学ぶ事はない。

 武が組み紐のストラップを造ったのは、変わらない友情の絆の証にしたかったから。ここにいるみんなのお陰で今の幸せがある。今この時の絆があるから、ひとりになっても目標に向かって歩いて行ける。いつかまた、笑顔でここに戻って来れる日の為に。

 ソファで談笑していると、メイドが一人駆け込んで来て文月に耳打ちした。

「何事だね、文月?」

 有人が団欒を壊すような出来事に不快な顔をした。

「申し訳ございません、旦那さま。急な御来客のようなのです」

 そう言うと文月は夕麿に視線を移し、それから貴之に視線を移した。

「前後して二組いらっしゃられました。

 最初に来られた久我 浅子さまと周さまは、夕麿さまにお会いになられたいと申されております。

 後から来られた十河 三郎さまと梓さまは、貴之さまと夕麿さま、武さまにお会いになりたいと。

 それぞれ別室にお通しいたしておりますが…本日は、ご家族水入らずのご予定と申し上げたそうでございますがお聞き届けになられません」

 アポイントもとらずに押し掛ける。これほど礼を欠いた行いはない。上流階級では全てに予定が組まれており、緊急の場合でもまず電話を入れて、事情を話してアポイントをもらうのがルールである。

「わかりました、会いましょう。

 まず伯母と従兄から。

 麗、貴之と向こうへ」

「あ、うん、いいよ?貴之、行こう」

 麗が貴之を隣へ連れて行った。今は周と顔を合わせない方が良い。

「お義父さん、お義母さん、申し訳ございません」

「夕麿君が謝る事ではないよ?小夜子、私たちも隣で控えていよう」

 有人は妻を連れて下がった。

「俺と雅久はどうする?」

「いて下さい」

「わかった」

「武、伯母はかなり気性の激しい人です」

「わかった」

「文月、彼女たちをこちらへ」

「承知いたしました」

 義勝と雅久は少し離れた場所に移動し、夕麿は武を座らせて傍らに立った。

「こちらでございます」

 入って来たのは神経質そうな面差しの女性と周。浅子はリビングを見回して、座ったままの武を不快そうに一瞥した。

「ご機嫌よう、夕麿さん」

「何の騒ぎですか、これは?幾ら何でもアポをとらずの来訪は、礼を欠いていると思われないのですか」

「礼?それどころではないから、こうして足を運んだのです。私は詠美さんから、あなたがこの御園生家に養子に入ったと聞いていました。

 でも、周に聴くと違うようですわね?」

「何をどのように聴かれたのかは存じませんが」

「あなたはここへ婿入りしたと言うではありませんか!それもお相手は同じ殿方。紫霄の慣習は存じてはおります。けれどあなたは六条の嫡男なんですのよ!」

 ヒステリックに叫ぶ彼女は恐らく、自分の息子の言葉すらきちんと耳入らなかったに違いない。

「私はその前に六条から廃嫡になりました」

 武の肩に置かれた夕麿の手に力が入る。武はその手にそっと手を重ねた。

「廃嫡など、私は認めておりませんわ」

 浅子はそう言いながら夕麿の手に手を重ねた武を睨み、徐に立ち上がって武の手を払おうとして叫んだ。

「その手を離しなさい、穢らわしい!」

 だがその手は武に触れる前に夕麿によって払われた。

「武さまに無礼は許しません。

 周さん、これはどういう事ですか?あなたはこの方のご身分を何だと思っているのです?ここに来る前に何故、きちんと説明していないのです!」

 夕麿の剣幕に周は絶句した。

「夕麿、落ち着いて」

 武は夕麿の手を握って見上げた。

「申し訳ございません、武さま」

 浅子は二人の遣り取りをまだ憤怒の形相で見つめていた。周は胸のポケットから先日、武が手渡したハンカチを母に差し出した。

「先日…武さまから賜った品です、おたあさん。先程からお見せしようとしているのに…聞いて下さらないから、いらぬ恥をかくのです」

「これは…」

 顔からみるみる血の気がひいていく。

「先程の言葉がどれほど無礼か、おわかりになられましたか?」

 何となく事情は察したようだが、それでもなお浅子は言葉を紡いだ。

「何故あなたなのです、夕麿さん」

「私たちが愛し合っているからです。他に何の理由がいるのです?」

「私は認めません。何故あなたが犠牲にならなければならないのです」

「愛し合う事が犠牲ですか?私たちはお互い相手を必要としているのですよ?」

 武の手の中で夕麿の手が怒りに震える。

「ではあなたはどうなんだ」

 武の声が響いた。

「あなたは夕麿が詠美にどのような目に合わされていたのかを知っていた…そうだよな?俺が何も知らないとでも?見て見ぬふりを決め込んで放置したのは誰だ。一度でも彼に救いの手を出したのか?

 そちらの都合だけ並べて、夕麿の気持ちを無視する行為は、詠美のやった事と何ら変わりはないとわからないのか?」

 背後で義勝と雅久は、武が相当怒っているのを感じていた。

「伯母さま…これ以上、武さまに御不快な想いを与えないで下さいどうぞ、お引き取り下さい。あなた方に干渉されるのはもう御免です」

「夕麿さん、私はあなたの為を思って…」

「文月、お客さまがお帰りです」

 夕麿の鋭い言葉に浅子は渋々立ち上がった。

「夕麿、僕は…」

「周さん、あなたにお話する事もありません」

 夕麿にあっさりと切り捨てられて周は言葉を失った。

 二人はそのまま、文月に玄関へと案内されて行く。

「何だよ、あれ」

「すみません、武」

「何で夕麿が謝るんだ?」

 恐ろしく不機嫌な武に、どう言ってよいのかわからない。

「フェイクかけたら図星だったみたいだし?」

「え…貴之から聞いたのではなかったのですか?」

「俺はそんな報告していません」

 貴之が隣から出て来た。

「あの親子が揃っているところを見るのは久しぶりです。周さんはご両親にずっと反発してますから。

 彼が外の大学を蹴って、内部進学したのもそういう理由です」

「いい気なもんだ。穢らわしいと来た。周さんの事を棚に上げてよく言える」

 義勝が嫌悪を剥き出しにして言った。

「全くですね。武さまと夕麿さまは一途にお互いを思っていらっしゃる。けれど周さまは、手当たり次第、モラルも何もない状態。

 穢らわしいと言うなら、まずご自分の息子を正すべきです」

 雅久は嫌悪感を露わに言った。彼はかつて周の標的になった。もちろんその記憶はない。ただ久我 周という人間の人となりを義勝から聞き知っているだけだ。

「次の客ですが…十河 三郎は与党民政党の代議士です。もとは大学の准教授でしたが、数年前にまだ野党だった民政党に請われて立候補、当選いたしました。

 父の古くからの友人ですが、俺は現在、縁を切るように進言しています。警察官が政治家と親しい…というのは問題があります。

 先日の事もありまして、破談を申しているのですが、あちらは家と切りたくないようなのです」

「う~ん、じゃあ何で俺と夕麿にも会いたいんだろ?」

「武さまと縁故を持って、自分の箔を付けたいのでしょう」

「それは不愉快ですね。武を政治家の道具にしようとは。

 武、今度は口を出さないで下さいね?」

「わかった」

 さっきだって本当は黙っておくつもりだった。だが夕麿がどれほど苦しんでいるかを知らない、知ろうともしない無遠慮な物言いに腹が立ったのだ。

「では貴之、あなたも座って下さい。私も今度は座って対応しますから」

「わかりました」

「文月」

「承知いたしました」

 すぐさま十河 三郎が娘の梓を伴ってリビングに入って来た。武たちが座ったまま平然としているのを見て、十河は不愉快そうに見下ろして、荒々しく乱暴にソファに座る。

 どうやらそれが相手を威圧すると思い込んでいる様子だ。

「なんだ君たちだけかね?有人氏はどうされた?何故に挨拶に出ては来られない?」

 当主がおらず、若い武たちだけなのがよほど不満らしい。

「私たちだけの問題ですので、控えていただきました」

 夕麿が言う。

「何…?生意気…うッ…」

 子供が生意気な口を利くと高圧的に迫ろとして逆に、夕麿の放つ雰囲気に威圧され言葉を失った。権力を笠に着た付け刃と、生まれながらに貴族の誇りを持つ夕麿とでは格も質も明らかに違う。

「それで礼儀を欠いてのご訪問は、どのようなご用件でしょう?」

 普通なら夕麿のこの物言いほど無礼なものはない。だが立場的には夕麿の方が上なのだ。

「当家では君たちみたいな子供に、無礼な対応させるのを礼儀と考えているのかね?

 有人氏を呼びなさい」

「その必要はありません」

 ソファにふんぞり返って座る十河の下品さを見て、夕麿は皇国の未来を憂いたくなった。学院の教師や大学部から出講する、教授や講師たちを知っているが、彼らに比べたら何という品のなさだろうか。
 
 戦後に皇家と政治を別けた弊害かもしれないと夕麿は思った。
  
 武はウンザリして顔も見たくなくなり、視線をそらしてしまった。夕麿はその様子をチラリと見てから言葉を繋いだ。

「ご用件を伺いましょう」

 十河が幾ら強く出ても、夕麿の態度も声も少しも揺らぐ様子はない。そもそも夕麿にとっては十河などという政治家は、身分の卑しき小者でしかない。逆に十河にすれば自分の子供くらいの年齢である夕麿が放つ威圧感に呑まれてしまうのが信じられない。いや呑まれるどころか、畏怖のような感情が起こるのを無視するのに必死だった。

「貴之君に聞きたい」

「何でしょうか」

 夕麿のようにはいかないが、貴之も学院で風紀委員長として、生徒会に名を連ねる一人である。虚仮威こけおどしの恫喝どうかつくらいでは怯まない。

「先日のデパートでの一件だが、君は娘を無視して彼らを庇ったと聞く。普通は女性を庇うものではないのかね?ましてや梓は君の許嫁だ」

 貴之は十河の言葉にチラリと梓を見た。彼女はは決まりが悪そうに視線をそらした。どうやら自分の保身だけで、伝言を父親に伝えなかったらしい。

「理由は二つあります。

 俺は武さまの護衛を学院都市の警察から拝命しています。夏休み中で偶然お会いしたのですが、お側にいる限りは護衛は俺の役目です。

 もうひとつは襲撃者が明らかに、夕麿さまと武さまを狙っていた事です。梓さんに危険が及ぶ事はないと判断しました。

 襲撃者は夕麿さまを狙った事が判明しています。従って適切な判断であったと、父も認めてくれています」

 貴之は言葉を切るともう一度梓を見た。

「御園生財閥の御曹司が、そんなに重要かね?代議士である私の娘よりも?」

  鼻で嘲笑う十河に夕麿が嫣然と笑った。

「何が…おかしい!」

「代議士ともあろう方が余りにも無知なので」

「十河さん、あなたの情報力はそんなものですか?せめて父にでもお二方の事をお聞きになられたら良かったのに」

 夕麿や武の事をきちんと調べられない。それは十河の代議士の力量が、本人が偉ぶる程ではないという意味だった。

「話になりませんね。武さま、ここにいらっしゃる意味はございません」

 夕麿が立ち上がって手を差し出した。武は無言で頷いて手を取って立ち上がった。

「文月、お客さまのお帰りです」

「承知いたしました」

「貴之、あなたも下がりなさい」

「はい。では十河さん、お疲れさまです。

 梓さん、この前の伝言を今からでも伝えて下さい。あなたがそこまで、無分別で姑息だとは思いませんでしたが。

 これ以上失望させないで下さい」

「貴様ら…この私を愚弄した事を後悔させてやるぞ!」

「どうぞ。あなたには不可能です」

 夕麿は振り返って平然と答えた。

「何…!?」

 その時、十河の携帯のコール音が響いた。そこに記された名前を見て彼は狼狽して、慌てふためくように出る。

「これは幹事長…えっ…はあ…わかりました。直ちに伺わせていただきます」

 電話を切って顔を上げると、そこにはもう執事の文月しかいなかった。

「梓、帰るぞ」

 十河親子が騒々しく帰って行くのを、武たちは隣室で聞いていた。

「やれやれ、無礼な男だ。幹事長の南山氏が知り合いで良かったよ」

 有人がげっそりとした顔で吐き捨てた。

「まあ、代議士と言っても所詮は無位無冠の輩。所詮はあんなもんだろ?」

 義勝が呆れて言う。

「さあ、皆さん、パーティーをやり直しいたしましょう?

 雅久さん、お茶を入れ直すのを手伝って下さいな」

「はい、お義母さま」

「武、麗さん、ケーキを取り分けをお願いしますわ」

「は~い」

「あとの方はリビングのテーブルを片付けて下さいな」

「はい、お義母さん」

 小夜子のテキパキとした指示に全員が動き出した。

 打ち壊された気分はすぐに戻り、夜更けまで彼らの笑い声が絶える事はなかった。



  冬栄

「舞楽が仕上がりました。皆さまにご覧いただき、ご感想をお聞かせいただきとうございます」

 降誕祭クリスマスの次の日の朝、雅久はテーブルに着く皆に頭を下げて言った。貴之や麗も明日まで御園生邸に滞在する宮中に入れるのは、雅久と世話役を務める義勝のみ。武たちは雅久の晴れ姿は、映像でしか観る事は出来ない。

 裲襠りょうとう(舞楽の衣装)が出来上がって来た事もあり、仕上げの披露を…と考えていた。

「観ていいの?」

 武が笑顔で聞き返す。

「仮面は新調が間に合わなかったので、あちらでお借りする事になっていますから、なしの状態でになりますが」

「観たい!」

「では午後から演舞場へいらして下さい」

 演舞場というのは御園生邸の敷地内にあった古い和風の家屋を、有人が舞が出来るようにリフォームしたものである。洋風建物である母屋から少し
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