蓬莱皇国物語 最終章〜REMEMBER ME

翡翠

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新帝の即位式

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 不穏な空気もさほどなく宮中では、新帝の即位式の準備が進められていた。

 当然ながら武と夕麿は出席者を求められてはいない。慣習に従えば出席しなければならないが、即位式は各国から元首やその代理人が来る。当然、マスコミのカメラも入る。公にされていない『紫霞宮』の存在は秘されるものとされる。

 それでもそれ以外の慣習には従わなければならず、武は久方のアドバイスを受けながら、即位式の祝いの贈物を揃え、夕麿が目録を書いて添えた。これを使者として久方が直接に新帝の元へと運んだ。彼が自ら使者に志願したのは、そうしなければ近徽殿の御息所や九條家になかったことにされそうだったからだ。

 新帝が甥である武のことをどう聞いているかはわからない。できれば先帝から直接的聞いていて欲しい……という希望が久方にはあった。

「落ち着いたら紫霞宮に登城するように伝えて欲しい」

 これが新帝が久方に耳打ちした返事であった。

 少なくとも新帝は武を無視する気はないと判断した。

 しかし同時に懸念もないわけではない。即位に必要な儀式が終了した後の新年に新帝が、人事を一新するための叙任が行われるからだ。

 久方は内々に『長老』と呼ばれる皇帝の相談役に、そのまま留任することが決まっている。

 彼が今の地位に就いたのは、護院家が武の側近として動き始めた頃からだった。先帝は孫の未来が少しでも安定して欲しいと願い、久方を信頼したのである。そしてこれは近徽殿と九條家への牽制でもあった。

 また久方が選ばれたのにはもう一つ、重要で重大な理由が存在した。

 彼には権力に対する欲望がなかった。ただ皇帝を尊崇し、誠実で忠実であろうとした。その証拠に久方はただ一度も武の皇位継承権の復帰を口にしなかった。武を話題に先帝と雑談することはあっても、何かを願い出たことは唯一、護院家が後ろ盾になりたいと申し出た時だけだった。

 
 国をあげての祝賀ムードをマスコミが、さらに盛り上げて世間はすっかりウキウキとしていた。

 先帝崩御で自粛一辺倒の暗く重いムードに、皇国民は疲れていたのかしれない。先帝は賢帝で民の尊崇を集めてはいたが、何もかもを自粛する雰囲気は負担であったのだろう。

 ゆえに今の祝賀ムードの浮かれ騒ぎを、誰も責めることはできなかった。むしろ歓迎さえしていた。穏やかで優しい性格であった先帝も、その方が喜ばれると言って。

 
 即位式は宮中奥の特別に設えた場所で、皇家に名を連ねる者たちが揃って行われる。

 かつては日本国のような『高御座』が存在していたが、現在は幕屋で仕切られた高台に新帝が昇り、即位宣言をする運びになっている。

 今回異例だったのは、皇后の幕屋が設えられなかったことだ。通常は東宮時代に正妃を決めるものなのだが、新帝は即位にあたっても未だに皇后を選んではいなかった。通例であれば他に身分貴き者がいないこともあり、新東宮の生母である九條家出身の女御が選ばれる。だが新帝は沈黙しているのだと言う。

 後宮には他にも女御・更衣は何人かいる。しかし彼女たちは貴族の中で最高位に位置する九條家と比べて、どうあっても出自が低くなる。せめて六摂家出身で皇子を産んでいれば、立場が違ったのかもしれない。だが彼女たちには子がいないか、もしくは皇女しか産んでいなかった。

 新帝の皇子は東宮とその双子の弟である薫しかいなかったのだ。


 TV放送される即位式の様子を武たちは、下の階のリビングにある大画面TVで皆と観ていた。二人のためのプライベート空間にはTVがなかったからだ。

 上座にあるソファに二人が並んで座り、それぞれが他のソファや椅子に座っている。

 雅久と幸久はあえて後方に控えて、皆の飲み物の世話をしていた。

 蓬莱皇国ではあまりはっきりと皇家の貴種の顔を、映像で映さない習慣がある。皇帝は国内を行幸することが多々あるため、他よりは顔が知られている。だが武と夕麿の結婚の折に顔を出した先帝は、小夜子が紹介するまでわからなかった者もいたほどだ。

 紫霄に編入する前の武が良い例だ。小夜子が帰属を避けていたのもあるが、庶民として生きていれば『皇家』や『貴族』はまるで別世界の存在である。武は夕麿と出逢って『貴族』を知ったのだ。

 決められた色のルールに従いながら、それぞれが個性のある色目で装束を身に着けている。まさに絵巻物そのままのきらびやかな光景が、液晶画面を通じて映し出されていた。

 室内の左側には東宮を先頭に親王たちが並び、その後に皇孫である王たちが並ぶ。現在の並びは東宮・新帝の異母弟である『三の宮』・先帝の異母弟の『落葉の宮』と『浅茅の宮』である。彼らの後ろに宮たちの子で成人した王たちが並ぶ。

 右側には本来ならば東宮妃が先頭にいるはずだが、皇后と同じく東宮の正妃は未だに決まっていない。ゆえに先頭に立つのは新帝の異母妹、つまり武の亡き父の同母妹である皇女である。次に並ぶのも異母妹ではあるが彼女たちは女御が生母で、同じ『内親王』ではあるが身分が下がる。

 次は東宮の異母姉妹たちで、彼には同母の兄弟姉妹はいない、双子の弟である薫を除いては。

 この後ろに宮妃たちが並び、その横や後ろに女王たちが並ぶ。

 如何に新帝や東宮の生母であろうとも、三后さんごうか正妃でなければ即位式に並ぶことは許されない。ゆえに近徽殿の御息所はここにはいない。

 三后というのは『太皇太后たいこうたいごう皇太后こうたいごう・皇后』のことである。通常、太皇太后は皇帝の祖母、皇太后は皇帝の母を指すことが多い。単純に言えば先帝の皇后が皇太后で、先々帝の皇后が太皇太后となる。ただ、太皇太后は少ない。現在はかなり医学が発達したとはいえ戦前は、短命な人間が多かったのが原因であるとも言える。

 皇家では生母が誰であっても母は正妃とされる。つまり新帝の生母は近徽殿ではあるが、母は皇后として扱われる。ただ、先帝の皇后は崩御してから歳月が経過して不在になっていたためにかなり勝手が違っていた。

 九條家は本来、公式には存在しない『准后』の称号を近徽殿に……と望んだが叶えられないままに終わった。

 だから近徽殿の御息所、九條 嵐子はここにはいない。気位の高い彼女が、離れた場所でここの有様を観ることしかできないのである。

「なあ……」

「何でしょう?」

 TVから視線を外して武が問いかけた。

「もし俺がこれに出席を求められた場合、夕麿の立ち位置はどうなるんだ?」

「え?」

 問われた夕麿が絶句した。考えたことがなかったのだ。何しろ宮中の行事に武は参席を許されていない。稀に先帝が呼んでくれて、物陰から眺めることはできたりはしたが。

「その場合は私は出られないのではないでしょうか」

「それはおかしいだろ。正妃は出席できるんだ。お前の立場も同じなんだから」

「ですが……」

 武の言い分も夕麿の返事もわかる。

「おそらくは宮さま方の後に並ばれることになるのでは?」

 気を回して答えたのは保だった。何しろ今日は一番わかっているはずの久方が、即位式の采配のために不在である。ゆえに明確な答えは誰にもわからないのだ。

「あ~なるほど」

 と言いながらも多少、不満そうな顔を武はするが、続いてこう呟いて話を終わらせた。

「ま、当分はそういうのなさそうだけど」

 今の武たちは嵐の前の海だった。台風などが近付く海は潮の流れが変わり、海中は異様に澄んだ状態になる。海面は穏やかな凪になり、現代のように気象観測による予報がなければ、嵐の訪れを予想するのは余程の知識と経験を必要としたであろう。

 だが今の武には『長老』である久方の知識と情報しかない。向こうはできるだけ武たちを孤立させようとしているのだから。何も打つ手はなく社に赴く以外は極力、敷地内にしか出ないようにしている。

 夕麿も出社以外は音大の講師に出るだけで、やはり敷地内でゆったりと嵐の前の静けさを受け入れて過ごしている。

 相変わらず響は取り巻きを数人連れて、夕麿の周囲をウロウロしてはいる。しかし夕麿が武との時間を中心にしているため、空振りになることも多い。

 彼らは懲りずに今日もここに来てはいるが、時折飛び交う武たちの会話に今一つ入れないでいる。

「う~ん」

 武が唸った。

「今度は何です、武?」

 すかさず夕麿が反応する。武の視線を追って画面を観ると、ちょうど東宮の後姿がやや大写しになっていた。

「いや、こうして見ると確かに背格好は薫と似てると思って」

「ああ……」

 言われてみれば確かに、と夕麿も思ってしまう。

「そうですね、確かに似ておられますね。でも薫の君の方がもう少し肩幅があると記憶しています」

 こう答えたのは朔耶だった。

「一番に側にいた朔耶が言うならそうなんだろうな……元気でいるかな……」

 紫霄の卒業後に消息を断った二人を、武は今も気にかけ心配している。もちろん朔耶たちも心配はしている。武は葵があれだけの言葉をぶつけ、周囲の人間を敵味方に分けようとしたにも拘わらずに。二人の言動に苦しんだ人間もいる。朔耶もその一人ではあるが、周は武への忠義心と恋人への気遣いや立場の間で板挟みになった。

 周は朔耶が自分の立ち位置を決めるまで、何も言わずに支え続けてくれた。万が一、薫を選んだ時は武から離れる決意もしてくれていた。どちらも選べないならば逃げればいいと笑った武の言葉を受けて、本気で帝都から朔耶を連れ出す覚悟さえしていたのだ。

 申し訳ない……とさえ思った。朔耶は周の手を放すことはできなかった。したくなかった。

 今ここにこうしていられるのは周のお陰であり、すべてを受け入れて朔耶の判断を待ってくれた武の懐の広さと深さだった。

「私はお二人とも元気でおられると信じてます」

 そう言ったのは三日月だ。

「きっと葵さまも後悔されておられるでしょう」

 三日月の言葉は『そうであって欲しい』という望みではあるが、敢えて口にして言霊としての力を持たせたくなる。

 蓮と交流するようになってから三日月は、御影家本来の役目である神々と人とのきざはしを意識し始めていた。
 
 彼らの言葉に他の者は頷いたり微笑んだりして、穏やかな雰囲気が室内に満ちた。

 ただし、響たち以外は。彼らは薫を知らない。特に響は近年まで海外にいて、帰国してからも紫霄関連には関与して来なかった様子だ。夕麿のことも彼らの母が近衛家の出身でなければ、関わることはなかったのかもしれない。

「全員が立ったままでずっとか……大変だな、これは」

 全員が並んでしばらくしてから新帝が登場し、近習たちによって様々な儀式が行われる。新帝も皇家の者たちもずっと同じ場所に動かずに立ったままでいる。しかも重い装束でだ。

「東宮さまはお身体が弱いと伺ってますが、今日のこれは大変なお覚悟で臨まれてあらしゃるのでしょう」

 夕麿が画面に向かって呟いた。

 武もその言葉に同意する。東宮の状態まではわからないが、同じことをするように言われたとしたらきっと、何日も前から体調を整えておかなければならないだろう。しかも夜には即位式に伴う祝宴がある。招待されている各国からの来訪者と顔をあわせるのだ。

 国際的な慣習として皇・王族の葬儀には皇帝や国王が参列するが、即位式には皇太子・王太子が参列することになっている。当然ながら祝宴での接待のホスト役は、招待側の皇太子・王太子が中心となって行うことになる。

「つくづくここで眺めるだけの立場で幸せだな」

 武が笑って言った。

 本来ならば今日、即位したのは武の父宮だった。武は東宮として袍を身に着け、あそこにいたはずの人間なのだ。なのにそこにいられない自分を笑い飛ばす。

 夕麿は胸が痛かった。画面の向こうにいる尊き方々は、同じ存在である彼がどんな想いでこの十数年を生きて来たかを知らない。知ろうともしないだろう。

 その証拠に先帝以外の皇家の誰も、武に会おうとして来なかったてはないか。ささやかな季節の文すら届いたことはない。決して身分が低くはないのに、立場の弱い武の側からはその様なものを出せないのを知っているはずだ。

 誰もこちらに興味がないということは、現状のままで放置するつもりなのかもしれない。この宙ぶらりんのままが彼らには都合がよいのかもしれない。

 夕麿の思考はどうしても『これから』になる。武は静かに平穏な生活だけを望んでいる。それのどこが悪いと言うのだろうか……

 ただこれは貴族らしくない思考だ。特に摂関家は歴史上、数多くの不遇に泣いて闇に屠られた皇家の貴種を見て来た。そう、ただ見て来た。紫霄で悲惨な終焉を迎えた三人の宮たちを含めて。

 敗者、不必要な者、都合の悪い者は、そのほとんどが不平不満を封じられて消えて逝った。

 せめてもの慈悲が出家。そして紫霄の創立だった。

 今もまた同じことで物事が進もうとしている。久方のような人間がせめてもう一人か二人、摂関貴族の当主として動いてくれたら……自分の実家である六条家が、まるで力にならない現実が哀しい。父がもう少し役に立つのならば、どれだけ心強かっただろう。

 武を守りたかった。彼の望む明日を二人で迎え続けたい。願い望むことはそれだけだった。今の治療で武の身体へのダメージがどれだけ回復するのかは、医師たち全員にもわからないと言う。以前の診断よりは延命できるはず……と。まさに天にすべてを委ねるしかない現実だった。

 近付いて来た響の思惑も気が付かずにいたわけではない。ただ彼と伯母を通じて一条家をこちら側に引き入れることはできないか、そのような計算がなかったわけではない。もちろん母の死後に切れてしまった、近衛家や叔母や伯父たちとの縁をもう一度繋ぎたかった。実際、ほぼ交流が途切れていた高子の縁は繋げた。

 けれど響は武を邪魔者に思っている。彼がいての今の夕麿であるのを響は理解しない。したくないのか、できないのか……そこまではわからない。今日も誰の許可も得ずに勝手に、皆が集まるこの場に来て、自分の思い通りにならないことに不機嫌な顔をしている。ただただ腹立たしい。

 そうこうしている間に約一時間に及んだ即位式が終了し皇帝が退出すると、色鮮やかな衣装を纏った皇家女性たちが、微かな衣擦れを立てて退出して行く。裳裾を長く引いて歩く様が古典文学の世界の様で千年の歴史を感じさせた。

 次いで皇家男性が退出して行く。こちらもそれぞれに決められた色の袍が高貴な雰囲気を醸し出していた。

 先頭を歩く東宮は長袴の裾捌きも見事に、宮中の長廊下の角を曲がっで行った。身体が弱いと言われ姿を滅多に現さないと言われているが、堂々たる御姿であると武たちは感じていた。

 即位式が無事に終了し、新たな皇帝は『新帝』から『今上』と呼ばれる。残念ながら皇国は年号を廃止しているため、日本国のような新しい年号はない。

「さて、夜の祝宴までは時間があります。少し休んでください」

 夕麿が武に声をかけた。二期目の治療が始められているが、この即位式にあわせて中断されている。ゆえに体調は悪くない様子ではある。

「ん、そうだな」

 治療がどの様な副反応を起こすかはよくわかっていない部分がある。あくまでもたった一人の治験者の記録しかなく、もう一人の治療は武よりも先行しているとはいえまだまだ未知数だった。
 
「失礼をいたします」

 周が武の体温を測り、脈を診る。

「お変わりございませんね?」

「ない」

 最初の治療は大変だった。嘔吐が続いて食事が摂れず、点滴でしのいだ時期もあった。

「何がきっかけでどの様な症状が出て来るのか、今のところは不明です。何か少しでも変化をお感じになられたならば、速やかに我々にお知らせください」

「わかった」

「ありがとうございます。

 夕麿も何か気付いたら連絡してくれ」

「わかりました。周さん、いつもありがとうございます」

「え……?あ、いや……医師としては当然のことをしているだけだ」

 不意に礼を言われて周は戸惑い、しどろもどろの返事をしてしまう。

 今は武の治療に専念してはいるが、普段の彼は病院での外来勤務を行いながら、武たち専用の病棟にも詰める。緊急対応のために二十四時間気を抜けない。時には休みなしで勤務する。

 再三、朔耶が周の無茶苦茶な勤務を諌めるが、人数が限られるためにどうしても周に一番負担が行ってしまう。

 夕麿は周のその献身に感謝している。だからこそ同じ従兄弟でありながら、響が無視するのを我慢できなくなっていた。何もしていない響が周を軽視している事実は、武も腹を立てているのがわかっている。最近では清方が抗議した。本人は不満だった様子で、自分の非は認めないというよりもわからないのではないか……と思う。

 一条家は確かに摂関貴族としては上位にある。だが響がその名を欲しいままに扱っていいわけではない。しかも彼は分家の人間なのだ。本家の者であるならばまだしもだ。

 謂わばこれは響への牽制でもあったのだが、狼狽える周を見れたのはオマケだと夕麿は微笑んだ。

「お前、いい性格してるな」

 それを見て武が夕麿の耳元に囁いた。

「お褒めに与り光栄です」

 涼しい顔でこう答える。

 時折、夕麿は本当に喰えない反応をする。

 そこへ義勝が近付いて来た。武を寝室まで運ぶためだ。

 実は今日は雫が不在である。皇帝が即位式にあたって信用のおける警護官を望み、母が皇家の元内親王である彼に白羽の矢が立ったのだが、最初はかなり渋っていた。そこを久方に説得されて出向いたのだ。

 職員までが直衣姿の中で、カメラに映らぬように気遣いながら、ダークスーツの雫が皇帝の側で警護の任に就いているはずである。

 久方が何と言って雫を説得したのか、ここにいる者全員が知らない。そして夕麿が心配をしているのは、そのまま皇帝が彼を自分の側に……と望むことだ。彼にとっては大変な出世である。また皇帝直々の要請であれば断るのも難しい。このまま雫を取り上げられてしまうかもしれない。
 
 もしも皇帝が九條の意向を汲んで武を排除するならば、先ずは警護の力を削ぐことから始めるだろう。ならば雫を側に置くのは最も良い手である。

 誰が敵で誰が味方なのか、それとも事なかれを貫く者なのか、これまでの経緯から安易に判断できない。ここにいる者は皆、味方であると信じたかった。少なくとも苦楽を共にして来た仲間だ。

 武を運んで行く親友の背を見ながら、夕麿はここのところ頭を過ぎる問題に想いを馳せる。

 それを武と義勝は無言で頷いく。

 雫たちとは別に武は、何人かと夕麿の状態を憂うグループをつくっていた。双方に重複しているのは貴之と敦紀のみ。もちろんこっちは雫たちの集まりを知らない。逆に雫には貴之から報告されている。

 ソッとベッドに降ろされて武は深々と息を吐いた。

「ま、なる様にしかならないだろうさ」

 誰に言うともなく武が呟く。

「そうだな、こればっかりは相手があることだしな」

「何の話です?」

 横から夕麿が問い返してくる。

「いろんなことが……だよ。心配しても埒があかない」

 武とて何も考えていない訳ではない。だからこそストレス性の発熱が起こっている。それでも深く考え込むのをやめる様に努力していた。答えなどないからだ。

 今はこの平穏をゆっくりと過ごすと決めた。治療の再開を希望したのもそうだ。

 この先に何が待っているのかはわからない。即位したばかりの皇帝にとって、甥である武がどの様な存在であるのかも不明だ。

「軽く着替えて時間まで寝てるよ」

 即位式は午前中に行われたが、祝宴は十八時からだ。

「昼食後は後で持って来させる」

「よろしくお願いします」

 ベッドの上でスーツの上着を脱ぎ出した武に代わって、夕麿がそれを受け取りながら答えた。

 最近は武の給仕は雅久が、夕麿のは絹子が行う。厨房の監視はキチンと行われている。一番危険なのは厨房から食堂への行程だった。そこで雅久もしくは幸久、そして絹子が担うことによって異物や薬物の混入を防いでいる。

 時には雅久自らが食事をつくる。料理好きの武のために、プライベート空間にしっかりしたキッチンがあるからだ。

 おそらく昼食も雅久がつくってくるだろう。階下の厨房はここでの祝宴の準備で手一杯なはずだからだ。

「夕麿、お前も休んでおけ」

 義勝の言葉に夕麿は素直に頷いた。彼が発したのは医師としての言葉だ。夕麿は自分の体調への自覚が希薄で、こうした判断を周囲に頼っている。

 武が着替え終わって、今度は夕麿が上着を脱いだところでスマホの着信音が響いた。夕麿が手を伸ばしてテーブルに置いた、自分のスマホを手にする。

「音大から?」

 どうやら夕麿が講師をしている音大かららしい。『こんな日に?』と武は義勝と視線で会話する。

「はい、夕麿です。

 は?秋の演奏会ですか……ええ。中止ではなかったのですか?」

 先帝崩御の服喪のために、ほとんどの行事が中止になっている。学校も同じで入学式も卒業式も『おめでとう』の言葉抜きで行われたほどだ。

 夕麿はしばらく話し込んでいたが、通話を切ると忌々しげにスマホをテーブルの上に投げ出した。彼にしては珍しい行動である。

「どうしたんだ?」

 興味津々という顔で義勝が問いかけた。

「中止にしていた秋の演奏会を実施すると言って来ました」

 夕麿が勤める音大には学祭がなく、春と秋に演奏会を行うことになっていた。

「ほう。で手伝えと?」

「いえ、私に演奏しろと」

「はあ?夕麿、講師じゃん。演奏会って学生のためだろう?」

 武が疑問に思うのも当たり前である。学生のための演奏会に、非常勤の講師が出ることはほとんどない。よほど世界的に名を馳せた音楽家でもない限りは。

「夕麿は皇家の血を引く人間だからな。武の伴侶というのを差し引いても、大学側には一つの目玉にできるんだろう。

 で、曲目は?」

「一曲は学生の弾くヴァイオリンの伴奏で、曲目はツィゴイネルワイゼンです」

「難曲だな」

「ええ。学生に無理なわけではありませんが、少々問題がある学生なのです」

「難曲と言ってもかなり年齢の低い子供でも、弾くだけならできるはずだが?

 どう問題があるんだ?」

「明石教授のお嬢さんなんですが、向いていないと思えるんですよ、彼女には」

「そりゃ厄介な相手だ。断るに断れないな。しかし他にもいい曲はあるだろう。何でツィゴイネルワイゼンなんだ?」

「以前、私が伴奏をしているのを聴いたそうです」

「伴奏……というと、ヴァイオリンは貴之か」

 夕麿はごく限られた相手としかセッションしない。一番の相手は貴之だが、稀に周ともする。周が音大に足を運ぶことはないが、貴之は警護として随行していた。たまに余った時間に楽器を借りて、演奏を楽しむことがあるというのだ。

「貴之本人は趣味と嗜みだと言うが、あれのヴァイオリンはプロとしても十分通じる」

「ええ。だから私も彼とセッションするんです」

「まあ、貴之のストレス解消が難曲弾くことみたいだし。この前、イザイの曲やってたぞ」

「無伴奏ソナタの5番……ですね」

 無伴奏ヴァイオリンソナタは6曲あり、その中の5番が最も難曲と言われている。民族音楽を複数取り入れ、繊細かつ情熱的に弾かなければならないとされている。特に後半は鬼難しいと言われている難曲中の難曲である。

「貴之の実力なら弾きこなせるでしょう」

 この手の話になると武にはよくわからない。なので黙って聞いておくことにしている。

「それで……」

 と話を切り替えて夕麿は武に恭しい仕草で振り返った。

「我が君、この話を私は受けてもよろしいでしょうか」

「ん?俺はかまわないけど……」

「上の許可はとったそうです」

「手回しがいいな」

 思わず義勝が呟く。武も同じことを思ったので軽く頷いた。

「夕麿はやりたいの?」

「ヴァイオリンの方は問題があって悩まされそうですが、オーケストラの方は出てみたいです」

「わかった。当日に観に行くのを楽しみにしている」

「観に行く?武、クラシックコンサートは聴きに行くもんだぞ?」

「いいの。俺は夕麿の晴れ姿を観に行くんだから」

 堂々と言い切る武に義勝は深々と溜息を吐いたのだった。




 





 

 






 
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