蓬莱皇国物語Ⅵ~浮舟

翡翠

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プロローグ~紫霄学院高等部再び

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かおるきみ、ぼーっとしてるとぶつか…」 

 同級生の注意にも『薫の君』と呼ばれた少年は上の空で、すぐ目の前の柱に正面からぶつかってしまった。少し離れた場所にある白鳳会の会長席にいた御影 朔耶みかげさくやは、その大人びた綺麗な顔に苦笑を浮かべながら溜息吐いた。薫を注意したのは朔耶の下の弟で薫の同級生の月耶とうやである。 

「痛あい~」 

 肩で切り揃えた艶やかな黒髪に色白でやや面長、やや大きめの目は瞳の色が青みがかっている。小柄で華奢な美少年は特別室の新たなる住人だった。彼にも名前はなかった。だがそれではあんまりだと彼を預かって小等部入学まで育てた乳母が、上に掛け合って『薫』という名前が与えられた。薫の乳部にゅうべは朔耶の実家、御影家であった。 

 月耶は薫と小等部からずっと同じクラスで一緒にいる。朔耶には弟が二人いる。一人は今、薫の横にいる月耶。もう一人は壇上で入学式の最後のチェックを行っている、現高等部生徒会長の三日月ささらだ。 

 見ているとぶつけた額を押さえて涙ぐんでいる薫の手を引っ張って、月耶が講堂に入って新入生の席に着いた。 

 本年度の特待生は3人。もう一人の特待生、戸次 幸久へつぎゆきひさは既に座っていた。 

「薫さま、まだぶつけられたの?」 

「う~」 

「あははは…ダメですよ? 歩く時は前をご覧になられて、お進みになられてくださいね?」 

「はい…ごめんなさい」 

「幸久、早いな」 

「二人が遅いんです」 

 その時、入口付近が騒がしくなった。 

「全員起立!」 

 特待生クラスの担任であり生徒会顧問の教師、下河辺 行長しもこうべゆきながの声が響いた。 

 何事かと驚いてみていると数人の男に囲まれるように、華奢な青年と背の高い青年が講堂に入って来た。居並ぶ教師たちに緊張が走るのがわかった。 

 高等部々長が慌てて駆け寄って深々と頭を下げた。 

紫霞宮しかのみやさま、夕麿ゆうまさま、わざわざのお出ましをありがとうございます」 

 だが二人とも黙って立っている。すると彼らの後方に控えるように立っていた、長い髪の青年が進み出て口を開いた。 

「高等部々長、挨拶は不必要です。お二方をお席に案内なさい」 

「はっ、直ちに」

 高等部々長が彼を『紫霞宮』と読んだ事から片方が82代生徒会長であり、現在は薫の部屋である特別室の最初の住人である紫霞宮たける王であるとわかった。一緒にいるのは恐らく、彼の伴侶で81代生徒会長の六条 夕麿ろくじょうゆうまだろう。彼らは表向きは武の生母 小夜子さよこの再婚相手である御園生 有人ありひとの養子という事になって、『御園生みそのう』姓を名乗っている筈だ。

 彼らよりも朔耶が気になったのは部長に答えた青年の容姿だった。他の男たちと同じくオーダースーツに身を包んだ彼は、ただ一人長い髪をまとめている。透けるような肌の色と性別を超えた玲瓏れいろうな面差しは見知っている少年に非常に似ていた。

「なあ…あの髪の長い眼鏡の人、幸久に似てないか?」 

 朔耶と同じ事を思ったのだろう。月耶が隣に座る幸久に問いかけ、彼は少し俯き加減に頷いた。 

「多分…御園生家に養子に行った、雅久まさひさ叔父さまだと思う……」 

 幸久は父の異母弟の顔をそっと見詰めた。 

 多分、入学式は武たちが在校していた頃と少しの変わりもない筈だと朔耶は思った。伝統を守る事が生徒会長の勤めであると彼は考えていた。懐かしい日々がそれぞれの胸を満たしているのかもしれない。武と夕麿はそっと互いの手を握り締めあっている。ある者は寄り添い、ある者たちは傍らの恋人を見詰めていた。彼らにとってここは始まりの地であった。 



 全ての式典が終了し薫たち本年度の特待生が呼ばれて、気になった朔耶も共に理事室へ足を運んだ。

「まず名前を聞かせてください」 

 雅久が言うと月耶が顔を上げて言い放った。 

「そっちから名乗るべきだろう?理事って言っても薫の君の方が身分は上の筈だ!」 

「御影 月耶!紫霞宮さまに対して無礼ですよ?」 

 朔耶が制止するよりも早く行長の言葉が飛んだ。 

「紫霞宮?誰、それ?」 

 その言葉に武自身が苦笑し、朔耶は頭を抱えた。 

「10年前の特別室の住人だって言ったら、わかるかな?」 

 武が笑いながら答える。おおらかな人だと朔耶は思った。普通なら声を荒げるくらいはするだろう。 

「え?出られたのですか?」 

「在校中に結婚したから」 

 そう言って武は夕麿と視線を絡めた。 

「満足しましたか?」 

 夕麿が少し声を低めて問い掛けた。 

「はい…申し訳ありません」 

「ではあなたから名前を聞かせてください」 

 雅久が少し笑みを浮かべて問い掛けた。朔耶は少し離れた場所に立って眺めていた。

「御影 月耶です。今の生徒会長と白鳳会長が兄になります」 

 『白鳳会長』のところで月耶がこちらを見たので、彼らに向かって朔耶は軽く頭を下げた。

「戸次 幸久です……」 

「戸次…?」 

「戸次だと!?」 

 雅久と義勝が一緒に反応した。 

「あの…あなたは雅久叔父さまですよね?」 

「確かに私は雅久です…ですが、私は10年前に記憶を失っています。ごめんなさい、あなたを記憶していません」 

 10年前ならば幸久は5歳か6歳だった事になる。果たしてそんな年齢に何処まで記憶があるのだろう? 

「雅久の兄貴の息子か?」 

「はい。長男の照久てるひさの上の息子です」 

 幸久は真っ直ぐに義勝を見上げてはっきりと答えた。 

「照久っていうと…確か、お前より15~6歳上だったな…」 

「これくらいの息子がいてもおかしくありませんね? 

 その辺りはどうなのですか、貴之?」 

 夕麿が問い掛けたのはダークスーツに身を包んだ人物だった。恐らくは皇宮警護官であろうと判断できた。彼は夕麿の問い掛けに頷きながら答えた。 

「長男照久の子供は男子が二人、女子が二人います。次男直久には未だ子供はおりません」 

「なる程、でもどうして紫霄に入れたのでしょう?」 

 雅久が不思議そうに尋ねた。 

「僕は…お婆さまに嫌われてるから」 

「え?」 

「僕はおたあさんにも、おもうさんにも似てないんです」

「似てないって…お前…」 

 月耶の言葉に幸久は微笑んだ。 

「僕が雅久叔父さまに似てるって…仰るんです。だから顔も見たくない。戸次の後継ぎは弟の則久のりひさにすると言われました」 

「そんな理由で紫霄ししょうに?」 

「幸久はずっと中等部から学院にいます」 

「実の孫を嫌がるなんて…信じられない。 

 夕麿、何とか出来ない?」 

 武の言葉に夕麿は優しく微笑んだ。 

「誰かを戸次家へ行かせましょう。いっそのこと雅久、彼をあなたの養子にしませんか? 義勝、あなたは反対しますか?」 

「いや、俺たちの息子という事を彼が嫌がらないならな」 

 この会話で二人がカップルであるとわかった。 

「どうしますか、あなた方が直接行きますか?」 

「僕が行こう。二人が行くとこじれる可能性がある」 

 すぐ後ろに控えていた青年が進み出た。後で彼らのデータを調べておく必要がある。姓名は行長に問えば良いだろう。

「ではあまねさん、お任せします」 

「承知した」 

「幸久君、それで構いませんね?」 

「はい。ありがとうございます」

 幸久は学院に残されている、雅久の舞楽の映像を見ていた。天上の舞人と呼ばれ、現在でも今上が愛される天才の舞を。父親や直久叔父が雅久を虐待していたのは子供心に記憶していた。だから今日の来賓に彼の姿を見付けて、顔を合わすのが怖かった。しかし、雅久は記憶を失っていると言う。 

 憧れの天才に舞を習いたい……願いが叶えられるかもしれない。幸久は泣きたい程に嬉しかった。 

「という事は、あなたが薫さまであらしゃりますか?」 

 夕麿がゆったりとした口調で、薫を見つめて訊いた。 

「はい、薫です」 

 にっこりと笑った顔がとても愛嬌があって可愛い。武が側へ行っていきなり彼を抱き締めた。薫の身長は160cmを超えたばかりで、華奢で小柄な武より小さい。 

「可愛い~目茶苦茶可愛い~」 

 抱き締められた薫は、わけがわからずにされるままになっていた。すると夕麿が武の腕を掴んだ。 

「武~私の前で大胆ですね?」 

「はあ?」 

 周囲はまた始まったという顔で苦笑する。 

「あ…また妬いてる、夕麿?」 

「当たり前です」 

「はいはい、放せば良いんだろ?全く、いちいち妬くな」 

「でしたら、そんな行動をしないでください」 

 クスクス笑いが皆から漏れ、朔耶も噴出した。 

「…ったく…」 

「何か言いましたか?」

「あのな…夏には結婚して10回目の記念日を迎えるんだぞ、俺たちは?」 

「歳月は関係ありませんよ、武?私はきっと10年先、20年先でも同じように思うと言えます」 

「胸を張るな!」 

 すると行長は咳払いで二人を止めた。 

「お変わりになられませんね、お二方共……10年前の生徒会室での光景が思い出されます」 

 白い特待生の制服がブリティッシュな、ビジネススーツに変わっただけだと彼は続けた。 

「話を進めてくださいませんか、武さま」 

「はいはい、相変わらず仕切るなぁ…下河辺は」 

「武さまが相変わらず脱線なされるからです」 

 容赦ない物言いが彼らしい。 

「あ…うん。 

 薫さま、外に出たいでしょう?」 

「出られるのですか?」 

「取り敢えず、夏休みに出られるように交渉する」 

「それには薫さま、あなたは紫霞宮家の一員となる必要があります」 

「あの…わかりません」 

「俺の弟になるって思ったら良いだけ」 

「弟?あなたがお兄さまになってくださるんですか? 嬉しいなあ……」 

 ぽやぽやと喜ぶ薫に月耶が慌てた。 

「ちょっと待て、薫の君」 

「なあに、月耶?」 

「なあにじゃない。えっと、それは本当に本当なんですか?」 

 どちらかと言うと天然の極みな薫は、いつも安易に他人の言葉を信じてしまう。自分たち三兄弟が目を光らせて来たのと薫の身分が幸いして、今のところは大事には至ってはいない。 

「私たちを信用出来ませんか、君は?」 

「当たり前だろ!? 苦労を知らないみたいなあなた方に、俺たちの苦労がわかってたまるか!」 

「苦労を知らない…か。俺たち、そんな風に見えるんだ」 

 武が苦笑する。 

「御影、お二方はご苦労を知らないと本当に思うのですか?」 

 行長が呆れたように言った。知り合いらしい事から事情をある程度知っているのであろうと朔耶は判断した。 

「お前は何も知らないだけだ。お二方は再三お生命いのちを狙われて、それは大変な目に合われて来られたのだから」 

「生命を狙われた?」 

 行長は信じようとしない月耶に、自分が知っていて話せる範囲で二人の事を語ってみせた。 

「それ、作り話じゃないだろうな」 

 まだ疑う月耶を見て、武は上着を脱いで左の袖を上腕まで捲り上げた。かなり薄くなっていたが何かが刺さったらしい痕が無数に残っていた。校舎のガラスが割られて降り注いだのが刺さった痕だと言う。
 
 現在の高等部の校舎の窓は重厚な樹脂製のものが使用されている。何かをぶつけても傷も付かず、ぶつけた方が壊れてしまう。あれにはこんな理由があったのか、と朔耶は一人で納得した。

「これを見ても?足りなければ別件だが夕麿の頭にも傷痕がある」 

 皇家の貴種の生命を脅かす……本来は有り得ない、あってはいけない事であった。 

「特別室の住人は俺を含めて4人。俺の前に旧特別室に住んでいらした方々は皆、暗殺されたんだ。薫さまは5人目の住人。狙われない保証はどこにもない」

 言われて見て先日、彼らが高等部特待生寮に移って来てから、行長が都市部の借家から移転して来ている。あれはこう言う意味があったのか……と。

 月耶にすればそれは思った事すらない事実だったろう。 

「朔耶兄さん……」 

 自分の手には余ると思ったのだろう。振り返って朔耶に縋るような目をむけた。弟に頷き返して朔耶は前に進み出た。

「白鳳会々長を務めさせていただいております、御影 朔耶です。皆さまが偽りを申されるとは思ってはおりませんが、できましたら現在の生徒会長である弟の三日月を入れて、お話をうかがいたいと存じます」

「いいでしょう、ここへ呼んでください」

 物事の判断は主に夕麿が行っているように見える。武は最も重要な事を決めるのだろうか。

 朔耶は早々に弟に電話をしたが、生徒会長室に戻っている彼は今は動けないと返事した。

「宮さま、真に申し訳ございませんが生徒会室までお運びいただけませんか」 

「生徒会室?良いよ?」 

 自分たちよりも上の身分の方に動いてもらうのは、 本来は礼儀に反した要請だ。だが武が『懐かしい』と言って喜んだという事で、何の咎めもなく大人数で出向く事になった。 

 向かう行程で彼らは『懐かしい』と『変わってない』を連発していた。所々で行長が改築された部分を説明し、その中には窓が樹脂ガラスになった話もあった。

 程なく生徒会室の扉の前に到着した。行長が扉を叩く。背の高い細身の少年が、開け放って彼らを招き入れた。 

「わざわざのお運びを感謝申し上げます。生徒会副会長を務めさせていただいております、幣原 密しではらひそかと申します」
 
 彼の挨拶に雅久が進み出て答えた。

「紫霞宮ご夫婦であられます。本来ならばあなた方の非礼を問うところですが、武さまが思い出深きここを訪れられるのをお喜びであらしゃりますので、今回は不問にいたします。 

 ですが、次はありません」 

「はい。感謝いたします。わざわざお運びいただきましたのは、会長が先程足を痛めまして。移動が少々不自由な状態でございます」 

「足を?酷いのですか?」 

「いえ、捻挫なのですが…本来は安静を必要とする状態で」 

「入学式の後に?」 

 清方が問い掛けた。 

「暗幕の一つが作動不能で、三日月会長がご自分で様子を見に行かれたのです」 

「暗幕……」 

 夕麿が苦笑した。 

「11番か?」 

 義勝の言葉に少年が目を見開き、武たちが深々と溜息を吐いた。 

「取り替えるように学院に申請したのは、俺の時だぞ?」 

 武が行長にうんざりしたように言った。

「私の時にも相良あいらの時にも申請しました」 
 
 先程、貴之と呼ばれた青年の横に立っていた人物が言った。

「怠慢だな。下河辺、学院側に言っておけ」 

「怪我人が出たわけですから、さすがに学院側も予算を出すでしょう」 

 武と行長が慣れた口調で会話するのを、執行委員たちが不思議そうに見る。 

「あれ?下河辺、生徒たちは知らないのか?お前が元副会長だったって」

「「「副会長!?」」」

 制服を着た全員が声を上げた。

「そう、第82代生徒会副会長だ。今みたいに俺を叱り飛ばすのが仕事だった」

 今度は夕麿たちが吹き出した。

「あれは武さまがお悪いんです」 

「よく言うな。夕麿のファンで、最初から俺を睨んでた奴が」

 貴之と同じくダークスーツを着ている二人が噴出した。

「笑うな、逸見、千種」

 行長が苦笑いをして二人を睨んでいった。

「二言目には夕麿に恥をかかすな…だったからな、お前は」

「そう言わなければ、あなたはすぐに凹んで逃げ腰になられたではありませんか」

 ダークスーツの一人が夕麿に呟いた。

「お止めになられてください」

 言われた彼は少し残念そうな顔をしてから頷いた。どうやらこの二人のやり取りは彼らには見知ったものらしい。

「武、下河辺君、旧知を温めるのは後にしていただけませんか?まずは用件を済ませるべきでしょう?」

「あ……」

「申し訳ございません、夕麿さま」

 行長が素早く夕麿に頭を下げて謝罪する。

「これだからな…」

 武が笑ってすませた。

「では会長執務室へお入りくださりませ」 

「えっと…全員は無理だから、俺と夕麿と周さん…兄さんたちとしずくさん、下河辺と久留島。 

 後は待っていてくれ」 

 武の言葉に全員が従った。 

 武たちを見て立ち上がろうとした三日月を雅久が止めた。 

 行長は武と夕麿をカウチに案内し、武の横に周、夕麿の横に雅久と義勝が、二人の背後に成瀬 雫なるせしずく久留島 成美くるしまなるみが立った。最後に行長が双方の間に立つ。 朔耶がゆっくりと弟の横に行くと、既に椅子が用意されていた。行長が朔耶に座るように告げた。

 双方が自己紹介を始めた。武と夕麿は雅久が紹介したところを見ると、彼が紫霞宮家に特例的に置かれている『大夫たいふ』らしい。その彼の伴侶は御園生 義勝みそのうよしかつと名乗った。先程、戸次家に交渉に行くと言った人物は、久我 周くがあまねと名乗り、夕麿の従兄で職業は医師だと告げた。

 ダークスーツを着た人物で入室した二人の年配者は、成瀬 雫と名乗り、紫霞宮家専属の皇宮警護室の長であるといった。今一人は久留島 成美と名乗った。

「薫の君の事でいらっしゃったそうですね?」 

「武さまは薫さまを紫霞宮家にお迎えされたいとお考えです」 

「紫霞宮家に?」 

「生徒会長ならば歴代の特別室の住人を調べてみれば良い」 

 周が静かに言った。 

「僕はその方々が崩じられた原因を調査した」 

 武たち全員が目を伏せた。 

「今はない旧特別室に住まわれた3人の方々は、皆さま…故意に生命を断たれた」 

「そんな……」 

 告げられた事実に三日月も言葉を失った。

「紫霞宮ご夫婦も繰り返し、生命を脅かされた」 

 周のその言葉に月耶が答えた。 

「兄さん、宮さまの腕には物凄い傷痕があります」 

「生徒会室を出てエレベーターを待っている時でした。武さまがお気付きになられなければ、私は間違いなく死んでいました」 

 夕麿が答えた。 

「私もあの時の光景は今でも忘れられません。エレベーターホールが武さまの流されたおみあせで赤く染まっていました」

 行長が悲しげに眉をひそめて呟いた。恐らくはその光景が目に浮かぶのであろう。

「私たちは卒業して渡米しても、まだ生命を脅かされ続けました」 

「俺たちは一応は解決出来た。だが俺を消したかった人間を排除しただけだ」 

「薫の君も狙われると?」 

「可能性はある」

 答えたのは雫だった。

「皇宮警察の方でしたね?」

 朔耶が口を開いた。

「ついでに言えば第66代生徒会長でもある。特別室の存在を邪魔だと思われる方は幾らでも存在する」

「俺たちは学院の理事会から順次掌握しつつはある」

「ですが、学院側は未だに手が付けられずにいます」

 義勝と雅久が言葉を繋いだ。

「まずは警護を付ける。

 久留島 成美警部だ」

「久留島は俺の時に風紀委員長だった」

「はい。よろしくお願いいたします」

「それと薫さまには専任の主治医をお付けします。

 周さん」

「よろしく御願い致します」

「何故ですか?学院には校医がおります」

 朔耶に疑問を三日月が口にする。

「お二方のお生命を脅かしたのは、学院高等部の校医だった男だ」

「!?」

 生徒たちは驚愕に声も出せなかった。

「周さん、薫さまをお願いします」

「はい、お任せくださいませ」

 周が武に頭を下げた。

「それで特別室の両側の部屋の片方を開けて欲しい」

「私が移りましょう」

 答えたのは朔耶だった。

「どちら側の部屋ですか?」

「大学が見える側です」

「わかりました。そこを久留島警部の部屋に。周、泊まり込みが必要な時にはお前も」 

「僕はよくよくあの部屋に縁があるようですね」 

「そうだね。周さん、週にどれくらい通える?」 

「私の外来勤務が月・木ですから、水・土は確実に空いています」 

「じゃあ、基本的にそれで」 

「薫さま、体調が少しでもお悪くなられましたら連絡してくださいませ」 

「はい、久我先生!」 

「周とお呼びください」 

「は~い、周先生!」 

 周は実家を出てから身近な者に姓で呼ばれるのを好まなかった。 

「それで夏休みの件ですが反対をしますか、あなた方は?」 

「可能なのですか?」 

 三日月が問い返した。 

「必ずと約束は出来ません。しかし今上に直接お願いいたします」 

 夕麿のその言葉に三日月も朔耶も驚いた。日陰の宮の伴侶が今上の側近くに行ける筈がない。 

「雅久は今上がお気に召していらっしゃる舞楽師。周さんは紫霞宮家と今上を繋ぐ役目を、雅久と同じく持っています」 

「だけどそれはある条件を満たさない限り、夏休み限定になる」 

 武が目を伏せて呟いた。

「条件とは何ですか?」

「俺にとっての夕麿のような相手を見付ける事」

「同性の伴侶を見付ける?」

「そうです。それが唯一の方法なのです」

「薫さま、誰か好きな人は?」

「ん~好きな人?朔耶も三日月も月耶も大好き!」

 この答えに全員が天を仰いだ。

「夕麿…俺より上手がいた」

「恋愛そのものを理解なされていらっしゃらないようですね…」

「義勝兄さん…どうしたら良い?」

「俺に訊くな」

「精神科医だろ~?」

「恋愛は分析が難しいんだ。第一、俺はまだ医師としては駆け出しだぞ?……清方きよかた先生に訊けよ」

 武が義勝を兄と呼ぶのに薫が首を傾げた。

「世間的には俺も夕麿も御園生の養子なんだ。だからみんな、兄って事。薫さまもそうなる。兄が4人、弟が一人」

「本当?お兄さまって呼んでも良い?」

「どうぞ」

 夕麿が代表して答えた。

「じゃあ、私は薫って呼んで」

 薫はすっかりご満悦だ。

「じゃあ、薫。紫霞宮家にようこそ」

「あなた方は反対されますか?」

 夕麿の問い掛けに朔耶と三日月は無言で頷いた。

「わ~い、私も月耶たちみたいに兄弟が欲しかったから、嬉しい!」

 無邪気に喜ぶ薫の幼さに、朔耶と三日月は顔を見合わせた。夕麿と義勝も顔を見合わせている。わかっている。薫は敢えて幼い心のままでいるように仕向けられて来た。側にずっと仕えている朔耶が一番知っている事実だった。

「それと幸久君の事ですが、戸次家と交渉して雅久の養子として御園生に迎えます」 

「養子…ですか? 薫の君は弟なのに?」 

「薫を俺の養子にすると、御園生の後継者問題になる。俺と夕麿の後は、御園生の血をひく弟ののぞむが継ぐのが相応しい」 

「薫さまは何かお好きな事は?」 

「ピアノの勉強をしたい!」 

「ピアノ……夕麿!」 

 武が飛び付くようにして夕麿の腕を掴んだ。薫が不思議そうに首を傾げた。 

「薫、夕麿は天才だと言われながら、俺の為にピアニストになるのを止めたんだ」 

「武、私は私のやりたい事をする為にピアニストにならなかっただけです。何度言えばわかるんです?」 

「薫、ピアノのレッスンを夕麿にしてもらえ。夕麿は私立音大でピアノ科の非常勤講師もしてる」 

 武の言葉に薫は目を輝かせたが、夕麿のピアノは『暁の会』で現在も販売されている為、朔耶と三日月は知っている事だった。

「薫さま、ピアノはどうなさっていられますか?」 

「音楽室のを使ってるけど?」 

「ではベーゼントルファーをお部屋へ運ばせましょう。ベヒシュタインは今少し、移動出来ないので」 

 ベヒシュタインは修理中らしい。自分専用のピアノが出来ると聞いて、薫は素直に喜んでいた。




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