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三日月
しおりを挟む三日月の卒業の日が来た。同時に彼の恋人である長与 秀一もこの日を最後に学院都市を去る。
マンションに一室空きが出たので白根 家広に打診したが、彼は今のワンルームにそのまま住む事を望んだ。そこで朔耶の頼みもあって、三日月と秀一がそこに住む事となった。
御影家を継ぐ事を放棄して、同性である秀一と生きて行く。今更、異性を妻として迎える気にはなれなかった。同性でしかも教師と同棲すると告げた時、両親の反対は凄まじいものだった。病気治療と養子縁組があったにせよ、長男である朔耶が同性のパートナーを選んだ時は、彼らは三日月に腸が煮え返るような怒りを持たせた程、冷淡で無関心な態度を示した。せめて父親には欠片でも良いから、朔耶の将来を気にする姿勢を見せて欲しかった。
彼らは知らない。三日月が秀一を選んで家を出る決意に向かわせたのが、両親の朔耶に対する態度であった事を。そして武が言っていた事が事実であると実感してしまったのだ。三日月に考え直すように説得を始めた両親はやがて、全ては朔耶が原因であると言い出したのだ。彼が同性に走るような子であったから、三日月まで影響を受けたのだと。怒鳴り散らして両親を非難しても良かったが、彼らがそんな事でどうにかなるとは思わなかった。
彼らにショックを与えたい。身分が高くない女性が産んだ息子だという理由だけで、朔耶の全てを決め付けてしまうこの両親に。
「兄さんは関係ありませんよ。女性を妻に迎えても構いませんが、おもうさんとおたあさんが好まれる女性に、私の嗜好を受け入れられるような方がいるとは思えませんから」
そう言って三日月は自分が、真性のサディストである事をカミングアウトしたのだ。
「中でも私はかなりのハードプレイを好みますから、女性に相手は無理だと思われます。第一、既に私好みに調教済みの相手がいるのに今更、女性相手に手加減しながら調教するのは面倒です」
残忍な笑みまで浮かべて告げると、血の気の引いた顔で父親が『嘘を言うな』と言った。三日月は内心ほくそ笑みながら、顔までは写していない写真をスマホのホルダーから呼び出して差し出した。そこには秀一だけではなく寮で、夜毎に繰り返している光景が多数保存してあった。普段はPCに直ぐに転送する画像から、相手の顔が写っていない残酷なものをピックアップして来たのだ。中には三日月自身が相手を弄っている光景を、今日の為に写したものもある。これは三日月なりの逆襲であり、愛する兄を蔑ろにした両親への復讐だった。
見せられた写真に父 十六耶は色を無くし絶句した。
「何でしたら証人を連れて来ましょうか?」
三日月の言葉も眼差しもどこまでも冷ややかだった。
卒業式を終えて帰宅してすぐに、三日月は簡単な身の回り品をまとめた。学院の寮から運び出した荷物は、武が用意してくれたマンションの部屋へ運び込んだ。本当はこの家にはもう帰って来たくはなかったが、どうしても必要なものがあって仕方なく取りに来た。
そして……待ち受けていた両親と鉢合わせしたのだ。出て行くと告げると彼らが朔耶を悪しざまに罵るを聞いて、さすがの三日月もキレたのだ。
「もう良いでしょう?正直に言ってあなた方と同じ部屋で、こうして同じ空気を吸っているだけでも不快です」
これ以上ないと言うほど冷たく言い放つと踵を返した。
「御影は月耶に継がせる」
父の震える声が背後で響いたのを聞いて、三日月は振り返って嘲笑った。
「月耶は私よりも兄さんを大切に思っています、今でもね。教師になって学院に残り、紫霞宮殿下と薫さまのお為になると言っていますよ?愚かですね、あなた方は。せめて兄さんの心臓の手術くらいは考えていれば私は兎も角、月耶くらいは騙せたかもしれなかったのに」
昨夜、月耶は自分の選択と決意を話に来た。行長と同じ道を歩きたいと望むのは、学院で生活を続ける為でもある。同時にこれからの紫霄学院の有様を武に伝え、何がどう変革されていくのかを自分の目で確かめたいとも言った。
「み、御影の跡継ぎは…どうするのだ!?」
「跡継ぎ?またどこぞの女性でも買ってつくればよろしいでしょう?兄さんを薫さまの為の人形にしたように、今度は御影の跡継ぎの人形をつくれば善いではありませんか。そういうのはお得意でしょう」
両親には確かに愛情を与えられて育てられた。だが彼らの愛情は朔耶を犠牲にしたものだった。それでも与えられた残酷な運命が自分に与えられた役目であり、生きる意味であると信じ切って朔耶は生きて来たのだ。武たちが学院に現れて、周が朔耶の心臓の手術を言い出すまでは。
朔耶の心の呪縛がまだまだ解けないのは、余りにも彼が自分を捨てて生きて来たからだと三日月は思っていた。だからこそ両親を憎悪する。兄弟三人がこの家を出てそれぞれの道を歩けば少しは、彼の心は自由になるのではないだろうか。
三日月の朔耶への想いが消えたわけではない。今でも兄は三日月にとっては、最愛の人であり続けていた。望むのは朔耶の幸せで、自分はそれをつかず離れずに見守っていたい。
秀一は三日月のその想いごと包んでくれる。決して愛情がないわけではない。秀一もわかってくれているから、共に生きてくれるのだと理解している。いつか…兄の幸せを見届ける事が出来たら、秀一への想いももっと深まっていけるのではないだろうか。
兄 朔耶とは別の意味で孤独に生きて来た三日月は、誰にも告げる事のない痛みと願いを抱いて、自分の道に踏み出そうとしていた。
二人の荷物を運び込んだ部屋には、家具などの調度品は全て揃っている。それでも日常生活を過ごして行くのには、細々とした物が足らない。卒業式から数日後、予備校の教師の職を紹介された秀一が面接に行ってる間、三日月はそれらを買い足す役目を引き受けた。
彼は高等部に入ってからずっと学院都市を出られなくなった薫に寄り添って、両親によって外に出る事を禁じられた朔耶と共に自ら望んで中にとどまるのを選んでいた。
朔耶が昨年、護院家の養子となって卒業して去った為、彼も再び外に出るようにはなっていた。けれども中に取り残されて三日月の帰りを黙って待ち続ける秀一に、強い胸の痛みと安堵を感じたのだ。朔耶を想う強さはなくても、秀一と言葉を交わして寄り添う時間は、真性のサディストという性癖を抱えた三日月の安らげる場所だった。
こうして街の雑踏に佇めば、梅雨の中日の太陽が眩しいのすら新鮮に感じる。身にまとうのはもう制服ではなく、白いシャツと淡いグリーンのスラックス。
これからの生活を考えると、少しは節約を考えなくてはならない。学院内で株取引で貯めたお金はそれなりにあるが、三日月はこれから皇立とはいえ大学へ行く。その費用も考えなければならない。
秀一も予備校の講師ではさほどの収入は望めはしない。医師でありながら六条家の企業の株主に名を連ねて、その上で株式取引で高収入を得ている周を恋人にした、兄の朔耶のようにはいかないのだ。
第一、朔耶は護院家の子息の一人でもある。既に立場が違っているが羨むつもりはもとよりない。広い4LDKのマンションを無償で与えられただけでも、自分たちは幸運だった思っていた。無論、三日月の言う経済的問題は学費以外に仕送りがなく、授業とアルバイトに明け暮れる一般学生からすれば、とんでもなく贅沢で羨ましい悩みであるだろう。それでも紫霄の卒業生としての体面がある。まして三日月は中・高等部の生徒会長経験者なのだ。アルバイト一つとっても、コンビニや居酒屋という訳にはいかない。
大学が始まれば皇立大の学生として、家庭教師の口でも探そうと考えていた。それでも思わしくなければ御園生関連でアルバイトさせてもらえるように、朔耶や周を通じてお願いしてみよう。
家を棄てて来たのだ。これぐらいは当たり前の事だと、蒼過ぎる空を見上げて心の中で呟いた。ゆっくりと視線を雑踏に戻すと、見覚えのある背中が少し先を歩いていた。三日月は少し急ぎ足で進んでその背中に声を掛けた。
「兄さん!」
紙袋を抱えた朔耶が振り返った。
「三日月?買い物?」
穏やかに微笑む彼に、三日月はホッと胸を撫で下ろした。
しばらく前までは完全な引き篭もりで、メールをしても返信が一切なく、当然ながら電話にも出ない状態が続いていた。弟の月耶にはああ言ったが、兄が身体を悪くしないかが心配だったのだ。
「ええ、買い物です。兄さんは…アルバイトですよね、武さまの所で」
「そう、お使いを頼まれたから出て来ました。ついでに昼食を摂って帰っても良いと言われたので…三日月、もう済ませました?」
「いえ、まだです。秀一さんはあちらで食事を出していただけるそうで、どこかに入って摂るつもりでした」
三日月がこう答えると朔耶の顔がパッと輝いた。
「これから御園生系列のレストランに行くのですが、久し振りに一緒に食事をしませんか、三日月」
言葉こそは問い掛けだが、どうやら一人で食事を摂るのは好きではないらしい。紫霄の食堂のにぎやかさの中で育った所為だろうか。それとも大切な人々と共にテーブルを囲む事に慣れて、一人で食事をするのが寂しく感じるようになったのだろうか。
そんな風情を愛しいとも可愛いとも感じてしまう。
「それは丁度良かったです。何しろこの辺りはよく知らないので、どうしようかと思っていたんです」
三日月が承諾の言葉を返すと、朔耶はホッとした顔をして微笑んだ。
「では場所を知りませんので連れて行ってくださいますか」
「ええ…少し歩くから」
二人で連れ立って街中を歩く。兄弟でありながら今まで三日月は朔耶とこうやって人々が行き交う雑踏を、取りとめのない会話を交わしながら歩いた事がない。小等部から寄宿舎生活になった薫に併せて、朔耶も外に出る事がなくなったからだった。
自分と月耶は夏休みなどに家族で、バカンスや食事に良く出かけた。月耶は薫の為と言う両親の言葉をそのまま受け入れて、家族の一人がいない不自然さに違和感を持ってはいなかったようだった。
兄は両親にはいてもいない存在なのだと確信して、中等部からは帰宅を拒否して学院都市にとどまり続けた。今、こうして歩く喜びを噛み締めた。弟として彼の側で生きていければ良いのだと、三日月にどの様な目に遭わされても説き続けた秀一のお陰だと今は思える。
「荷物を持ちましょう、兄さん」
三日月の購入した物は全て夕方に、配達してもらう事になっているから手には何も持ってはいない。
「悪いですね、いつも」
彼の心臓が悪い時から三日月も月耶も、絶対に重い荷物を持たさないように心掛けて来た。
「これ…何ですか?」
紙袋の中は真っ白な糸…光沢から見ると正絹らしいものが入っていた。
「絹糸です。武さまが組み紐にお使いになられるらしいのですが、ご利用になられている店の主が病で倒れたとかで、配達に行ける者が不在になったそうです」
「そんな事まで兄さんがするのですか?」
「いえ、武さまは帰りにご自分でお立ち寄りになると仰っておられたのですが、今朝から少しお身体の調子がおよろしくないご様子で…夕麿さまがとても気になさっていられたので」
いい訳めいた口調で説明する朔耶を見て、しばらく引き篭もって皆に心配をかけた事を気に病んで引き受けたらしいとわかった。
「その糸は何でも婚礼衣装の帯締めを制作する為のものだそうです。特別に注文をお受けになられたと仰っていました」
武の事を話す朔耶はとても穏やかな顔をしていた。彼がアルバイト先で大切にされているとわかり、三日月はホッとした心持になった。
「それで…周先生は…」
心配で気になって仕方がないが、言葉にするのがどうしても躊躇われる。すると朔耶は弟の気持ちを察したかのように、柔らかく微笑んで見せた。
「義兄がね、周は幸せ慣れをしていないのだと言うのです」
「幸せ慣れ?」
「ええ。周の恋は例えば夕麿さまに対しては、とうとう叶う事はありませんでした。紫霄に在学していた時の醜聞の相手には、それでも心が動いた人も何人かはいたそうです。
でも……彼の母親が許さなかった。相手が酷く傷付くやり方で引き裂いて…それを知った周も随分傷付いたようなのです」
周の母 浅子がどんな人物かは、実際に会ったからこそわかる。彼女の言葉に周がどれ程傷付くのかも、1年前に目の当たりにしたのだからと、朔耶は目を伏せて哀しそうに呟いた。
「しかも義兄と雫さんの間に起こった別れを、紫霄に取り残された義兄の姿を何年も見て来た周は、恋愛には終わりが必ず訪れると心の深くで信じているのかもしれないそうです。
二人が別れたのは周がまだ幼い頃だったそうですから」
「たくさんの辛い事を経験されてしまって、今ここにある幸せが怖いと感じられているのかもしれませんね。けれど兄さんはどうなのですか?」
「私…?そうですね…正直に言うと『幸せ』とは、どんな事を指しているのかがまだわからないのです。周に出逢うまで考えた事がなかったので」
それはそれで哀しいと三日月は思う。
全ては薫の為に……がこれまでも朔耶の人生だった。何の疑問も感じないように育てられて周囲に望まれ、強制されている事すらも自覚なく過ごしていた。ただ目の前にあるのは死だけ。大きな発作がいつか自分の生命を奪う。その恐怖は如何ばかりかと思うが、朔耶はいつだって自分の苦悩を欠片すら見せた事がなかった。だからこそ周と共に生きて、幸せになって欲しいと願う。
「きっと生きていればわかるのではないですか?周先生も兄さんも、きっと」
「そうであれば嬉しいのですが」
そう答えて浮かべた笑みは美しかった。
「そう言う三日月はどうなのです?あなたの相手は長与先生だけではなかったと記憶しているのですが?」
「ええ…彼らを捨てたわけではありませんけれど、人生を共にと考えた時に真っ先に浮かんだのが秀一さんだったんです」
梅雨の中休みの青空を見上げながら、三日月は一緒にと告げた時の恋人の顔を思い出していた。
「それに…彼を引き込んだのは私のわがままで、学院都市から出られない人を捨てては来れませんでした」
正直な気持ちだった。もちろん自分の残虐で淫靡な趣向を教え込み、後戻り出来ないようにしてしまった責任も感じていたし、重ねた肌の分を超える情を抱いているのもまぎれもない事実だ。
「責任だけ?」
「まさか…それだけで共に生きる決心は出来ませんよ、幾らなんでも」
「そっか…」
少し安心したような声で答えた朔耶を見ると、彼は困ったように眼差しを伏せた。
「あなたはずっと、心臓の悪い私に寄り添ってくれていたでしょう?私の人生があの中に限定されていたのは、その…事情から言ってもまあ、仕方がない部分があったと思います。でもあなたまで巻き込んでしまったのを、ずっと申し訳ないと思っていました。あなたも月耶も私を心配し、とても優しく大切にしてもらっていたと感謝しています」
「兄さん…」
初めて聞く朔耶の本心だった。心臓への負担ゆえに声を荒げる事も笑い転げる事も出来ずに、ただ静かに穏やかに微笑んでいた彼が、自分たちの事をそんな風に感じていたのだとは今の今まで知らなかった。
「少なくともあなたは、私とは異母兄弟だと早くから知っていたのですよね?」
「はい」
「それでも兄として大切にしてもらった記憶しかないのは、きっと幸せと呼ぶべきなのでしょうね」
「当たり前の事しかしていません。私の兄はあなただけですから」
「ありがとう…三日月」
朔耶はこれまで本当はどの様な想いで生きてきたのだろうか。子供が欲しかった御影夫妻の為に、身分が低い女性を母としてこの世に生み出され、しかもその時には三日月と月耶の実母である御影夫人の胎内に新しい生命が宿っていた。
そして―――先天性心疾患が発見され、御影家にとっての朔耶は不要で厄介な存在になった。まるでその後に御影家が薫の乳部となる為に、用意されたかのように。もしも心疾患を持って生まれたのが自分だったら両親はどうしたであろうか……と三日月は三日月なりに幾度も考えた。
しかしそれでも朔耶は紫霄に閉じ込められる薫に寄り添い、運命を共にする役目を与えられたのではないか。行き当たった答えは余りにも残酷で、身勝手なおとなたちの都合だった。
でももう朔耶は病からも学院都市からも解放され、自分の幸せを求めて愛する人と歩き出している。だから側で自分が選んだパートナーと共に見守って生きると決めたのだ。
「それはそうと、今夜の夕餉の予定はありますか?」
「夕餉?いえ、私も秀一さんも料理はまるでダメなので…学生である私の方が時間がまだあると思うので、少しはチャレンジしてみようとは思っています。
………それがどうかしましたか?」
「良かったらうちへ来ませんか?」
「それは構わないと思いますが…」
「周から招待するように言われているんです」
「周先生が?」
「家では彼が料理をしてくれるので」
含羞んだように笑う兄を見て、そう言えば彼は掃除も洗濯も、もちろん料理も出来なかった事を思い出した。
紫霄では衣類は全てクリーニングに出せる。掃除は週に数回入る係りの者に任せるか、自分でするかが普通ではあった。だが掃除は体力を消耗し、重い心臓疾患だった朔耶には負担で、自分でするのは不可能に近かった。手術を受ける前の彼は授業を受けるのさえ限界に来ており、大学部の講義を受けに行く事も出来ない状態に陥りつつあったのだ。
周は主治医として患者としての朔耶が、置かれていた状態を最も理解している筈だ。だから彼が何も出来なくても気にはしないのだろう。
「わかりました、二人でご挨拶がてら伺わせていただきます」
「周は今日は5時あがりですから、そうですね…7時頃にどうぞ」
「7時ですね。多分、秀一さんもその頃には戻って来ている筈です」
レストランに入っても二人は、久々の兄弟水入らずの会話を楽しんだのだった。
周と朔耶の部屋で二人して夕食に招待された後、四人でとりとめのない話に花を咲かせたのは心地良かった。それは紫霄の中で育った彼らには知らない世界だった。
朔耶は良く笑い時には拗ねた顔をして、弟である三日月とその恋人の前でも憚らずに甘えていた。見た事のない顔。三日月や月耶がどんなに頑張っても、兄が声を上げて笑う状況は与えられなかった。
一年前、行方を絶った周を心底心配し、見付かったという連絡に号泣した朔耶。彼が感情を露にするのすら、そこにいた誰もが初めて目撃した。
「朔耶さまは…お幸せそうに見えました」
ソファに座る三日月の足元の床に正座して、秀一は少し遠慮がちに言った。この前からの朔耶の引き篭もりを知っているからだった。
「ええ、結局は二人とも、幸せが何であるのかを理解していないようなのです」
「そうですか…何となく、わかるような気もします」
周の辿って来た事は別にして紫霄に閉じ込められた者は、その時点で幸せというものが存在するのを心から消してしまうのかもしれなかった。
「あなたもわからないのかな?」
声が低く冷たい響きを突然帯びた。秀一がビクッと全身を震わせて硬直した。
「わ、私は…ご主人さまのお陰で…幸せでございます。全て…全て教えていただきました」
支配される恐怖と悦びに秀一の声が、淫らな艶を帯びて震える。
「ではここでのルールを命じる」
「はい、ご主人さま。何なりとお申し付けください」
床に両手を着き、額をフローリングにこすり付けて答えた。
「まずは邪魔な物を取って来なさい」
「はい、ご主人さま」
三日月の冷酷な眼差しと言葉に、身体の奥底で暗い歓喜が揺らめく。秀一はそのまま四つん這いで自分の部屋へと姿を消した。
紫霄の寮で三日月が愛人たち全てに厳守させていたのは、部屋に入ったら特別な理由がない限りは一切の衣類を取り払う事だった。秀一とここへ正式に引っ越して来て今日までは、挨拶回りや同じ住民の訪問などがあった為、このルールの適応はしばらく見合わせていた。
ようやくここでの生活が落ち着いて始められる……三日月と秀一、双方が同じように感じていた。だからこそ三日月は、胸に秘めていた想いを告げなければならないと感じてもいた。
全裸で人前に身を晒すのは辛い。そう言った下級生がいて、だったら這えと命令した事がある。結局はそれが三日月の部屋での姿勢になり、秀一もずっとこれを守って来ていた。
三日月がソファに座るならば、愛人たちは床の上に座る。これも暗黙のルールで、三日月本人は誰かに望んだり強制した記憶はない。裸になって床に手を着いて這いよって来た秀一は、三日月の足元にきちんと正座して座った。
「こっちへ」
三日月が指定したのは自分の膝の上だった。
「はい…失礼いたします」
伏し目がちに立ち上がって体重をかけ過ぎないように、床に両足を着けて座る。
「もっとこう…」
どこまでも遠慮する彼を抱き寄せた。
「エアコンの温度は大丈夫ですか」
衣類を身に着けたままの三日月と裸の秀一では、体感温度が明らかに違うとわかっている。前以って高めの温度設定にはしてあるが、個々の感覚は違う為に気を付けなくてはならない。
S的行為と虐待・暴力は全くの別物である。SはMに苦痛と屈辱を与えはするが、それによっての快楽や精神的解放を与える。S的行為はある意味、Mへの絶対的奉仕であるのだ。Mの従属的奉仕と真逆でありながらも、相手の為に尽くす行為であるのは同じなのだ。ただ嗜虐的にMをいたぶり、力と苦痛でねじ伏せる行為は、本当のSが行う行為ではないとも言える。
むろん世の中には自覚のないMを見つけ出して、調教して育て上げるタイプもいる。だが手当たり次第に暴力的に身勝手に相手を従属させようとするのは、本来のSの在り方からは外れるのだ。その観点から見ると雅久の異母兄たちは、Sとして失格であり最低の部類に入るとも言えるだろう。
三日月も本来はSとしてのそういった本質は守っては来た。
しかし唯一の例外があった。それが秀一だった。異母兄 朔耶に自分の歪んだ欲望を知られたくない。サディストである事は知られても、その欲望が強く向けられているのが、血の繋がった兄だとは絶対に知られるわけにはいかなかったのだ。まして心臓の悪かった当時の彼がそんな事を知って、ショックのあまり発作を起こしてしまったならば…取り返しがつかない事態になってしまう。
だから秀一を部屋に呼び寄せて催淫剤を飲ませ犯した。ついでに写真まで撮って脅かして、その後も部屋に来るように命令した。執拗なまでに催淫剤を使用して、嗜虐的な快楽をその身に教え込んだ。その罪は消えないと三日月は思っている。
「先生…もしこのまま自由になりたいと思われるならば、私に気を遣わないで言ってください」
「三日月さま?」
「ここへ一緒に移る。私のわがままな願いをこうして、利いてくださっただけで十分です。どうか…あなたはあなたの望み通りに生きてください」
もしも彼が三日月と離れる事を望むのならば、出て行く覚悟は出来ていた。紫霄の中で彼の返事は聞いてはいたが、それはあの特殊な環境下でしかも三日月の命令が効いていたからとも考えられた。
「私に飽きられましたか…?」
震える声でそう問われた。
「いいえ、そうではありません。いまさら遅いと言われてしまうかもしれませんが、私はあなたを無理やりこちら側に引っ張り込みました。
本当はイヤだったのではありませんか」
閉じ込められていた彼をこうして、学院の外に出せて良かったと心底思ってはいる。だがそれとこれとは別問題だった。自分に従い依存するように仕向けた責めは負うべきだと思っている。望まぬ事を強制した結果がここでの二人の同居であるのならば、これ以上彼を縛りつけておくのは罪に罪を重ねるだけだった。
もし彼が本当は三日月から解放されたいと望んでいるならば、愚かな行為は終わりにしなければならない。そして三日月は自分の性癖を生涯、封印して生きる覚悟であった。たとえマゾヒストの願望を叶える行為であったとしても、相手が望んでいてこその行為だとわかっている。
愛すれば愛するほど相手に対して、強く激しくサディスティックな行為を求めてしまう。それをどれくらいおぞましいと思って来ただろうか。心の何処かで許されざる行為だと自覚しながら、如何に自分に引き寄せられる者たちがM願望があり、互いに承知した関係だったとしても、三日月はどうにも制御出来なくなる自分自身を持て余して来た。
結果として朔耶への想いを隠蔽する目的だけで、教師である秀一を自分の支配下にした。
元より同意など存在しない関係。本来のルールを逸脱した。わかっていながら止められず、こんな所にまで来させてしまった。彼はもう紫霄の闇から解放されたのだ。ならば三日月という闇からも解放されて然るべきだ。彼を失えば自分は孤独になる。二度と誰かに触れる事はしない。自分の犯した罪の|《贖あがな》いになるかどうかは、まさに八百万の神々のみが知る事だろう。
「高等部の一年の…今頃からですから…随分と長い間、私は理不尽で残酷な方法であなたを縛って来ました。学院を出る前に全てをきちんと処分して来ました。先生を脅かす物はもう存在しません。ですから安心して本当のお気持ちを聞かせてください。
私は自分が取り返しのつかない事をして来たのは自覚しています。許していただけるとは思ってはいません」
こうして彼の肌に触れ、抱き締めるのも最後だと覚悟していた。酷い仕打ちをしている三日月を、それでも一番理解してくれたのは彼だった。
だからこそもう………
「ここへ移って来てから、あなたはずっと私に触れませんでしたね。何か理由がおありになられるのだろうと……待っておりました」
秀一はそう言って、三日月の瞳を真っ直ぐに見詰めた。その瞳は今にも零れ落ちそうな涙を浮かべていた。
「それが今のあなたの本心なのですね?」
「はい」
性的関係も身分の上下も関係なかった。一人の人間として二人は互いに相手に向き合っていた。
「では…私も正直に話さなければなりませんね」
言葉と共に伏せられた目から、涙が頬を伝って零れ落ちる。三日月の腕の中で、秀一の身体はかすかに震えていた。
「高等部の入学式でした。壇上で代表として言葉を紡ぐあなたに私は強く惹かれました。私は教師で…しかもあなたよりも身分は低い。それにこの身は学院に囚われていました。元より私の想いは誰にも告げられぬものでした。それでも私はあなたを見詰めていたかった」
ただ見詰めるだけで良いのだと、秘めた想いで三日月を目で追ううちに気付いた。彼の瞳が兄を見詰める時に帯びる熱を。血の繋がった兄を恋する悲しみと苦悩に耐える姿に、秀一は胸が痛んで仕方がなかった。
「私は黙って見ている事に耐えられなくなったのです」
少しでも三日月の苦しみを和らげたい。その一心で彼の恋を指摘したのだと秀一は語った。
「こういう形であなたと触れ合う事になるとは…想像はしてはいませんでしたが」
同時に三日月の想いの底にこの性癖が、重く関わっていると知って秀一は更に胸が痛かった。最中は行為に溺れて見せる三日月が、実は深い苦悩の中にいるとすぐさまに感じたのだ。
自分はどうなっても良い。彼が学院を去る時に捨てられたとしても、二度と普通のあり方で誰かと触れ合う事が出来なくなったとしても、今は彼を少しでも救いたいと思った。彼が望むのであれば性奴隷でもペットにでもなって見せる。
「あなたに脅迫されたからではなかったのです。私は私自身の意思で、あなたの部屋に通っていたのです。愛しています、三日月さま。私の大切なご主人さま」
三日月の為であるならば何でもする。生命だって惜しくはない。三日月の苦しみが少しでも和らぐのであれば。
「私の願いも望みも全てはあなたの為にあります」
「先生…ありがとうございます」
自分はこんなに愛されていたのか。従属させたから自分に尽くしてくれるのだと思っていた。だから辛くて…哀しかった。朔耶を想っていた時の様な激しく辛い感情ではなく、秀一への想いはひたすらに穏やかで温かな気持ちだった。だからこそ三日月は兄を想った時以上に、自らの性癖を呪い悔やんでいた。
「あなたにまだ私が必要であるのならば、どうかこのままお側に仕えさせてください。私はあなたの性奴隷でございます」
以前、奴隷とペットのどちらを望むかと尋ねた事があった。その時に彼はこう答えたのを思い出した。「出来れば奴隷にしていただきたいです」と。ペット、つまり愛玩として飼われる方が楽で、愛人たちはそちらを皆望んだ。ゆえに何故と問えば彼は笑顔で応えただけだった。
「どうして奴隷なのですか」
「だってペットはただ可愛がっていただくだけです。あなたのお世話までは出来ないではありませんか」
改めて問い掛けて返って来た言葉に、三日月の胸は熱い想いで満たされた。
「先生……」
「もう先生ではありません。あなたは紫霄学院を卒業されましたし、私も学院の教師である事を辞めたのですから。これからは思う存分、あなたに尽くさせていただけます」
「ありがとう…ございます」
もうそれ以上は言葉が出て来ない。三日月は秀一を強く抱き締めて、自分の胸の中の熱を表現するしかなかった。
上級生かららも下級生からも幾つも告白を受けて来た。中には心臓の悪い朔耶の身代わりにされそうになった事もあった。けれどこの性癖ゆえに従わせる事は出来ても、本当の意味で愛してくれる者はいないと感じていた。仕方がないのだとずっと自分に言い聞かせていた。
その気持ちが少しだけ揺らいだのは、行長から雅久と義勝の事を聞いたからだった。元より性癖を隠すつもりはさほどなかった為、特待生寮にいる者は多かれ少なかれ、三日月の部屋で夜毎繰り広げられている淫靡で嗜虐的な行為を知っていた。同じ寮に今は移り住んでいる行長の耳に入らないわけがない。しかもその中には彼の同僚である秀一がいたのだから。
―――そういう愛の形もあると言われて三日月は答える言葉をなくした程に驚いた。従属ではなく愛情で、自分と共に生きてくれる人はいるのだろうか。三日月は縋るような気持ちで愛人たちを見詰めた。
彼らの中には卒業後、家の為に性的玩具として何処かにやられる少年もいた。『暁の会』で救われる対象になれると言うと彼は悲しそうに首を振った。自分が救われれば妹や幼い弟が身代わりになると。どんな目に遭わされても大丈夫なように、三日月に調教してもらったのだと。
あまりの事に三日月は行長に事の次第を知らせに行った。当然ながら事態は武の耳に入り、本家の主の慰み者にされて彼らを産んだ女性と一緒に、彼は卒業後に北海道の御園生関連企業に就職して移って行った。紫霄の生徒になっていたのは、彼を引き取る側に箔を着けて渡すつもりだったからだという。
雫や清方は昔も似たような話を耳にしたと証言し、大いに武を怒らせた。何も知らないで少年が売られていく手助けをした事実に三日月は更に傷付いてしまった。結局は誰かを不幸にしかしない性癖なのだと。
誰にも苦悩は言えなかった。ここに移って来てまず思ったのは、自分は秀一の人生を歪めたのだという事実だった。紫霄から救い出したけれども、交換のように今度はここに縛り付けている。酷い目に遭わせたのに…彼は恨み言ひとつ口にしない。もう全ての頚木から解放するべきなのだと。抱き締めた恋人の肌の温もりを感じながら、三日月は嘘偽りのない自分の想いを口にした。
「ありがとうございます。でも私にはこうしてあなたの側に繋がれ続ける事こそが、心からの願いで歓びなんです。寮のあなたの部屋にいた子らの何人かは、これからもあなたを必要とするでしょう。でもあなたに必要だと思っていただけて、こうしてお側を許していただけたのは私だけ。これが解放でなくてなんでしょう?私は私の意思でここにおります。
ですから三日月さま……私の唯一お慕い申し上げるご主人さま。どうか淫らで恥ずかしいこの性奴隷めに、ここでのお定めとご命令をくださいませ」
「本当に私と生きてくれますか」
「はい、それが私の望みです。でも……一つだけお願いがございます」
「願い?」
「もしも私に飽きてしまわれる時が来ましたら、どうかその時は『死ね』とご命令ください」
「そのような日は来ないとは思いますが…約束しましょう」
「ありがとうございます」
秀一は本当に約束をしてもらったのが嬉しいという顔で笑った。
よく宗教が『幸福になる』と言って勧誘する。カルトなもの程この傾向が強いように見受けられる。だが『幸福』への尺度は人それぞれではないだろうか。他者からみれば『不幸』に見えても、本人は『幸福』を感じているかもしれない。また逆に『幸福』に見えて、本当は苦悩の底にいるかもしれない。道往く人々は皆、『幸福な人』に見えるかもしれない。皆が同じく平凡な日々を生きていると思えるかもしれない。
けれど真実は違う。個々に願いがあり、様々な想いがあり……幸不幸もある。
三日月と秀一の結び付きは、確かに歪な姿をしてはいる。だが彼らにも彼らなりの生き方があり、『幸福』が存在している。確かに『サディスト』はある意味で『性嗜好性障害』である。とは言え三日月は自らを制御する術をある程度身に付けている。
紫霄で不特定多数の愛人がいたのは相手にも理由が存在していた。彼らの望みを受け入れて叶える。秀一に対するもの以外は、互いに納得した上でのプレイだったのだ。
唯一、本人の同意なしに始めてしまったのが秀一だった。それでも彼は三日月への好意を元から抱いていたと言う。普通ならばどんなに好かれていても、あのような行為に走られたらその想いは消えてしまう筈。いや、好意が存在するからこそ憎まれて当然の行為であると、他ならぬ三日月自身が自覚していた。だからこそ一緒に学院都市を出ようと言って、彼を檻の中から解放してやりたいと思ったのだ。
でも…秀一の想いは揺るがなかった。望むのは唯一つであり、たった一人の相手だった。改めて三日月は彼の自分への愛情の深さと心の強さに感動していた。
「言っておきますが、私はちゃんとあなたを愛していますからね。覚えておいてくださいよ?」
腕の中の秀一の肩に頬を置いて、三日月ははっきりと気持ちを言葉にした。
「はい…ありがとうございます…私は幸せでございます…」
震える声が秀一の想いを表していた。
「では…ルールを言いましょう」
「はい、ご主人さま」
答えた声は本当に喜びに満ちていた。
「まず、今の格好は私が命じるまではしなくても構いません。ここは紫霄ではありません。ご近所さんがたくさん居て、訪問を受ける事もあるでしょう。あなたにはあなたの、私には私の立場があります。他者に…特に兄や周先生に迷惑がかかる可能性を考えて、控えるべきものは控えようと思います。
代わりに……定期的にどこかへ出かけましょう。その時は容赦はしません。覚悟しておいてください」
これからは場所と時を選ばなくてはならないだろう。無分別に行えば最終的に、武や薫にまで迷惑がかかるかもしれない。ギリギリのところで相手の羞恥を煽り、官能を引き出すのが本来のやり方ではあるが場所と時を選んで行えば良い。
「それ以外はこれまでと同じとしますが、時々で命じる事もあると心得てください。それとも淫らで恥ずかしい事が大好きなあなたには、物足らない命令でしょうか」
最後の言葉はまるで冷たく鋭い氷の欠片のようだった。ピクリッと秀一の身体が腕の中で反応した。
「ああ…ご主人さま…」
欲望を滲ませた声が、俯き加減でいる唇から漏れた。
「フッ…私はまだ何もしていませんよ?恥ずかしい奴隷ですね」
「も、申し訳ございません…どうか、淫らでイヤらしいこの奴隷に罰をお与えください、ご主人さま」
慌てて三日月の膝から床へ降りて懇願した。
「顔を上げなさい」
命じる三日月の声は何処までも冷たく響く。床に伏していた秀一が恐る恐る頭を上げると、三日月の爪先が股間に伸びた。爪先で踏み付けるようにして、三日月は残忍な笑みを向ける。
「これはなんです?誰が勃たして良いと言いました?奴隷のくせに主人に欲情するとは、随分と恥知らずですね」
「ひィ…ああ…お許しください…ご主人さまの余りの魅力に、淫らな奴隷めは我慢が出来ません」
「許す?罪を犯したお前を許す?どうやら強い罰が必要なようですね。寝室に行きなさい」
「はい、ご主人さま」
何をされるのか…期待と欲望に秀一の瞳が輝く。逆に三日月はこの場合は何が相応しいか…と考えた。二人の甘く淫らな夜が始まる。
月耶は兄二人に置いて行かれた、一人になったと思っているが、三兄弟の中で最も孤独に生きて来たのは三日月だった。常に自分の性癖に強い罪悪感を感じて日常生活では、心疾患だった朔耶よりも自分を律して生きて来た。
「ヒぃぁあああ…」
真紅の細紐が四肢を縛め、白い肌がピンク色に染まっていく。両脚は左右に大きく開かれ、閉じる事が出来ないように縛られている。両腕も後手にされ、既に勃ち上がったモノは蜜を垂らしていた。そこには身体を縛める紐ではなく、麻の荒縄が巻き付けられた。
毛羽立った繊維で幹を巻かれ根元を縛られ、秀一は身悶えしながら快楽の悲鳴をあげる。
「もう淫らな声を上げて、なんてはしたない奴隷でしょう」
「ああ…申し訳ございませんどうか、どうか罰を」
「良いでしょう、たっぷりと反省しなさい」
三日月は手にした鞭で、大きく開かれた太腿を打った。
「ひぁッ!ひ…ああッ」
痛みに悲鳴を上げて身悶えするが、縛られた身体では逃げる事も抗う事も出来ない。太腿は見る見るうちにミミズ腫れが幾重にも走り、紅に染まっていく。この鞭はプレイ用のものでぬるま湯に浸かれば、ある程度は回復する程度のダメージを与えるもので、本来の皮膚を裂き骨を砕く武器や拷問道具として、開発されたものとは素材自体が違うものである。それでも痛みは強い。
「ああッ!痛い…ご主人さま…もっと…もっと私を罰して…」
いつの間にか快楽を貪るように、縛られた足で床を蹴り腰を振っている。
「痛い?気持ち好いの間違いじゃないのか?」
鞭打つ三日月も次第に興奮して来たのか、口調が変化して来た。
「正直に言ってみろ」
「ぁああ…どうかお許しを…私はご主人様に鞭で打っていただいて、こんなにも感じてしまう浅ましく淫乱な奴隷でございます」
「全く、罰になっていなだろう」
三日月は呆れたように言い放つと、今度は金色のクリップを取り出した。これもプレイ用のもので、先はギザギザになっており、文具品のものよりもバネモ強く痛みも強い。官能に反応して芯を持ってプックリと勃ち上がっている乳首にあてた。
「まずは右側」
「イヤぁぁあああ」
痛みに仰け反って激しく首を振る。
「今度は左側だ」
「ああああ…許して…痛い…」
今にも千切れそうな痛みに秀一は泣いて身悶えする。
「おや、気に入らないか?同棲の記念にお前へのプレゼントとして買って来たのだが?」
指先で先に着けた右のクリップを引っ張りながら告げると、更なる痛みに泣きながら秀一は三日月を見詰めた。
「私への…プレゼント…?」
「そうだ。こうすれば普段からここが敏感なお前は、もっと敏感になって一日中、私に弄られる事を考えて過ごせるだろう?こうしてクリップを与えられた次の日は、乳首がシャツに擦れても痛む筈だ。仕事に行く時は勝手に漏らしたりしないように、前を縛って蓋をしてやろう。
生徒たちに授業をしながら、お前の身体は淫らに私に犯される時間を考える。バレたら生徒たちに輪姦されるぞ?」
「イヤ…そんなのはイヤです…私はご主人さまの奴隷です」
もちろん誰かに彼を与えるつもりなどない。あくまでもこれはプレイ中の言葉でしかない。それでも受ける方はIFを考えて想像し、身体の懊悩に震えながら生徒たちの前に立つ自分に興奮する。
「当たり前だ。もしもそんな淫乱なマネをしたら、この部屋に繋いで一日中弄って、快楽だけしか考えられないようにしてやる」
「ああ…それでも構いません…ご主人様のお側に置いていただけるならば」
秀一が望むのはただそれだけだった。彼は義勝と同じく小等部から閉じ込められている一人だった。彼の母は父の屋敷で働く使用人だった。彼の父はこの家の跡継ぎで、使用人の女性と恋に落ちた。当然ながら許されない恋だったが、女性が身篭った為に正式な婚姻ではなかったが、取り敢えず二人は同じ敷地内の離れで暮らし始めた。だが彼女への風当たりは強く陰湿で執拗なイジメを受けた果てに、まだ幼い秀一を残して屋敷近くの溜池に入水して生命を絶ったのだ。そして秀一の父親には元からの許婚者が迎えられる事になった。
そうなると秀一の存在は邪魔になる。彼が母親の戸籍に私生児として記されている事を良い事に、母の姓である『長与』のまま学院の住人となった。武が私生児として高等部で最初にイジメの対象になっていた事でわかる通り、秀一も周囲から無視され続けた。
閉じ込められる人間に友人はいらない。どんなに親しくなっても、卒業して去って行ってしまう。かつての清方と同じように同学年の友人は彼にはいなかった。他者と関わる事はいつか訪れる別れの時に、悲しみと苦しみしか与えてはくれない。
母親の自殺……という突然の別れが、秀一のトラウマとなっていた。誰とも仲良くなってはならない。
そう思っていたのに……教師として迎えた新入生の総代に、ひと目で心を奪われてしまった。それが三日月だった。生徒と教師の恋愛は、紫霄の中では珍しい事ではなかった。けれども秀一は自分の心に募っていく想いに戸惑い悩み苦しんだ。
どんなに自分を戒めても、眼差しは彼を追ってしまう。いけないと思いながらも気が付けば、三日月の事を想っている自分がいた。そして気付いた。三日月の眼差しが誰に向けられているのかに。
彼もまた、苦悩の中にいる。だから勇気を出して言葉をかけた……彼の孤独を少しでも和らげてあげたいと思ったから。
「あッ…ああ!ご主人さま…」
どの様な形でも良い。彼の側にいる事を許されるならば。全身全霊をかけて彼を愛すると決めたのだから。彼が望むならば身も心も全て捧げ尽くす。
淫乱で浅ましい性奴隷で良い。彼以外の誰も見ない。触れられる温もりも身の内に受け入れた熱も彼の愛だと今は感じられるから。愛する人によって学院都市と言う檻から解放され、彼の与える鎖に繋がれて生きて行く。死が二人を分かつその時まで……
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