蓬莱皇国物語Ⅵ~浮舟

翡翠

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想いの向こうへ

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 月耶の怪我は幸いにも大事に至らなかったが、本人のショックが大きかった。実は狙われたのは幸久だったとわかり、行長が彼を庇い、月耶が庇った結果だった。幸久の悲鳴を聞いた成美が駆け付け犯人は取り押さえられはしたが、都市警察の手に委ねた故に今ごろは解放されている可能性があった。

 当然ながら幸久のショックも激しく、連絡を受けた義勝がまず一般病棟から駆け付け、次いで雅久が御園生邸から駆け付けた。

 武と夕麿は敢えて姿を見せなかった。自分達が動けば雫たちの負担になると考えての事だった。今、武は何を思っているのだろう。彼は彼なりに薫を大切に思っていたし、葵を心配していた。真っ直ぐで懐の深い彼は何の計算もなく二人を身内として受け入れていた。葵は朔耶たちを裏切り者と呼んだが、裏切ったのは彼らの方だ。もうあの二人にはこんな単純で当たり前に見える筈のものも見えないのかもしれない。

 同時にそれだけ今上皇帝の容態がよくはないのだろうとも思えた。自分たちを巡る環境が大きく変化する可能性があった。それでも武の存在を正攻法では消すことができはしないのだろう。もしかしたら薫の父である現東宮自身は、武を巡る暗殺未遂をはじめとした陰謀を知らないのかもしれない。



 雫と清方に促されて朔耶は成美の運転する車でマンションの部屋へと戻った。葵に投げ付けられた言葉を跳ね返した事実は、これまで薫の陰日向になって生きて来た朔耶の心に如何様なダメージを与えたか……を清方が心配しての事だった。

 誰もいない部屋に一人戻り、朔耶はカーテンを開いて眼下の夜景をただ見つめていた。思い出すのは紫霄学院寮からの暗闇だった。こうして振り替えるとあれを怖いと感じる反面で、懐かしくも想う自分に気が付いてしまった。あのまま朽ち果てた命であったかもしれない。主でありもう一人の弟である薫を抱き締めて、黄泉路へと黄泉比良坂よもつひらさかを越えていたかもしれない。道は険しいのだろうか。根之堅州国ねのかたすくには遠いのだろうか。

 最愛の人がいて家族がいて、友人もたくさんいる。自分を心配して大切にしてくれる仲間もいる。それなのに何故にこんなに心が空虚なのだろう。薫は本当にもう、自分たち兄弟を必要としていないのだろうか。周と清方を見ていると乳兄弟という関係が見えてくる。自分たちは歪なのだと口にしながらも、彼らは長い間に寄り添って生きてきた時間がある。あの闇に包まれた学院都市の中で崩壊しそうな清方を支えたのは、まぎれもなく周本人だとわかる。わかるからこそ雫は彼を受け入れて幸せになれと力を貸してくれる。周と清方を巡る人間関係の光のようなものが見えるのだ、確かなものとして。

 月耶の治療も含めて、行長も幸久も成美も岳大も引き上げてきてしまった。残った生徒会役員である特待生たちも最近の葵の干渉に、あまり良い雰囲気ではないという話は月耶自身が口にしている。特待生教室の担任と生徒会の顧問である行長が居なくなった状態では、既に機能不全に近かった生徒会は完全に停止に追い込まれるだろう。今年の学祭はどうなるのだろうか。

 十年以上にわたって刷り込まれてきたものを消すのは、時として安易なものではない。それは鈍いとも言えるかもしれない。特に朔耶の心に織り込まれたものは、周囲が考えるよりもなお強く深く、彼の一途で純粋な忠義と情に根を張っている様子であった。これまで本質を見せなかったのは朔耶の想いの中に薫に背を向けるという意思が薄かったのかもしれない。葵はどうにもならなくても薫は直接話せばまだ……という希望が確かにあったのだ。だが今日、執拗に朔耶を断罪する葵の言葉に薫は異を唱えず、背を向けた朔耶にも三日月にも声をかけては来なかった。自らの伴侶の言葉に反対も賛成もせず、仲裁も制止もしなかった。彼はただ葵の後ろに無言で立っていた、こちらを見る事もなく。

 「裏切ったのはあなたの方だ……」

 ガラス越しの夜空に向かって朔耶は呟いた。

 紫霄学院都市を捨ててでも全員を守れ。連絡を受けた武の口から発せられたのはこの一言だったという。彼にとっても学院が大切な場所であるのは朔耶にもわかっている。それでも彼が何よりも優先したのが人命だった。どこの何に最も重きを置くべきであるのか。誰が何を言っても絶対に武が曲げない想いだった。必ずしもそれが正しいとは言わない。けれども武には力への欲も媚びもない。ただ自分の周囲の人々に対する強い信頼と愛情だ。時には伴侶である夕麿と意見がぶつかる。だが二人は互いの意見や想いを尊重しているからこその行為だ。

 誰かが武を裏切っても、彼は誰かを裏切りはしない。どれ程に傷付こうとも。

「薫の君、あなたは私たちだけではない。武さまも夕麿さまも……他のたくさんの方も裏切ったのです」

 彼は今日、自分がどれだけのものを失ったのかわかっているのだろうか。多分、わかってはいない。最近では自分の考えを持つようになって来ていると感じていたのに、結局は葵を通じてその背後にいる誰かの人形になってしまった事実まで、自覚してはいないだろうとは思う。

 全てを薫が悟った時、自分たちは彼を救いに行けるのだろうか。いやそもそも彼は自分たちを頼ろうとしてくれるのだろうか......

 街の灯りさえ届かない高層マンションの一室は真っ暗だ。佇んで街の灯りを見下ろしていた朔耶はいつの間にか、床に座り膝を抱えて途方に暮れていた。何もわからない。どんなに世界が広いと言われても、自分の周りには闇だけが広がっているようで、広さを実感もできなければ信じる事もできなかった。

「!?」

 不意に目の前が光で真っ白になった。驚いて顔を上げて目を細めた朔耶の耳に声が響いた。

「暗がりで考え事をすると悪い事しか浮かばないぞ?」

 幾分、苦々しさが混じった響きなのは、恐らくは発した本人が経験済みだからだろう。

「周......?」

「他に誰がいる?」

 この部屋の鍵は一階の管理室にあるマスターキー以外は、周と朔耶が所持しているものとリビングの棚の引き出しの予備しかない。

「そう......でしたね」

 煌々と照らされた灯りの中に立つ周を、朔耶は眩しそうに見上げた。

「食事は?」

「そう言えば......」

「僕もまだだ......何か作ろう」

 周はそう言って手を差し出した。朔耶もその手を掴んで立ち上がった。彼は何も聞かない。ただ心配そうな色を浮かべた瞳のままで、柔らかな笑みを口元に浮かべる。そこに彼の強さと弱さを同時に見てしまう。


 有り合わせと言いながらそれなりに整った遅めの夕食を捕って、二人はリビングのソファに移動した。

 周は今日の出来事を口にしない。ただ静かに朔耶の傍らにいる。彼のぬくもりを感じていると、自分の居場所はここなのだと確信する。武とか薫とか......本来、選べる筈のないもの。選んではならないものだと思うし、忠義心は貴族の一員としては大切であるとわかっている。それでも人の想いは、心の安らぎはやはり、大切な愛する人と共に在るのだと。

 ふと思った。もしも朔耶が薫を選んだら、周はどうしたのだろうか......と。彼の武への忠義心は深い。その伴侶である夕麿は周の従弟で、かつての想い人だ。今回の騒動は自分以上に彼を苦しめていたのではないか。そう思い至って朔耶は言葉がみつからないまま、傍らの恋人をみつめた。

「なんだ?」

 そっと肩を抱かれて問われた。

「私は......」

 申し訳なさと感謝をどう言葉に変えれば良いのだろうか。自分の言葉で伝え切れるのだろうか。口から出た瞬間、違う意味になってしまったりしないのだろうか。

「朔耶、今は何も言わなくてもいい」

 こう言った周の目は穏やかで優しかった。今の彼には出会った頃のあの刹那的な顔はない。追い詰められた末に武への忠義心に逃げ込んでいた、あの頃の。

「周、私は......私という存在は少しは、あなたの何かになっているのでしょうか」

「は?今更、何を言ってるんだ?」

 朔耶の言葉に彼はわけがわからないと言いたげに答えた。

「今回の事、必要以上にあなたを苦しめてしまいましたよね」

「それは......でも僕は、お前が何をどう選んでも着いて行くつもりだった」

「え?でも」

 もしも朔耶が薫を選んでいた場合、彼はあれほど忠義を捧げた武から離れて、自分の選択に着いてきたと?

「もっとも武さまには第三の道を教えていただいたけどな」

「第三の道?」

「身分も地位も捨てて逃げ出す」

「はあ?逃げる?」

 貴族は皇家に仕え従うものというのが、普通に受ける教育の結果である。これを放棄して違う生き方をする。

「考えた事もありません」

「僕もだ。しかし思えば小夜子さまがかつて実行された事だ」

 小夜子の名前を聞いて、本当は他ならぬ武自身がやりたいのではないかと気付いた。

「そんなに簡単にできる事なのでしょうか」

「僕は医師だし、お前は大学を移るという方法がある。小夜子さまがなされたように、全てを捨てて身を隠す必要まではない。この帝都と今の立場を捨てるだけだ。その気があるならば手配もしてくださると言われた」

 朔耶と周が帝都を去ったとしたしても、生命まで狙われるとは考えられない。二人のどちらも選ばなかったわけだから、薫と葵、強いては九條家も追っては来ないだろうという判断だと感じられた。時間が経過すれば事態も変わり、帝都に戻れる可能性も考えられた。武はそこまで見越して口にしたのだろう。

 もしも薫を選んでいた場合、周も共にとなると......彼がおかれる状況は熾烈を極める。朔耶でさえ『裏切り者』として、葵からどのような扱いを受けたかわからないのに、周の立場はもっと大変になる。下手をすればスパイ扱いされるだろう。周は本来は繊細で傷付きやすい性質をしている。普段はそうは見えない様に繕ってはいるが。むき出しになった彼の素顔は痛々しい程に脆い。

「葵さまは容赦なくあなたを敵と見たと思いますよ」

「だろうな。だが僕の方にも少し手はある」

「手?」

「ああ、余り喜べないんだが......父が九條家に擦り寄っているという情報がある。事実ならば絶縁するつもりでいる」

 外側から武の側近を崩して行こうと言うのか。だが彼らは紫霄学院OBの結束の固さと強さを知らない。あの学院の気風で家族よりも、生徒同士の絆がしっかりと結ばれてしまうという現実を知らない。ましてや武の周囲にいる人間は、家庭に問題がある家の出身が多い。故に家族よりも武と夕麿なのだとわかってはいない。

「もちろん、武さまだけでなく、特務室でも詳細は把握している。僕の気持ちも伝えてある」

 ゆっくりとだが確実に不穏な足音が響き始めていた。これは武の祖父である今上皇帝が現在、病床にある事と無関係ではないだろう。

「武さまをお守りしなくては。周、私に何ができるでしょう?」

 朔耶が元気にここにいられるのは、武がいて夕麿がいたからこそだ。彼らがいなければこうして周と共にいる今はなく、もしかしたら自分の生命は消えていたかもしれない。

「お前は大学を一番に考えろ。恩返しは医師になってからで十分だと思うが?」

 確かに周の言う通りだとも思えた。

「では葉月の面倒と勉学に励む事にしましょう」

「そうだな。あの子もいろいろ精神的に抱えている。大変なのはこれからかもしれん」

 各々ができる事を確実に。個人ができる何かには限界がある。しかし複数の人間が自分のするべきものを実行すれば、足下がまず固まっていく。しっかりとした地盤に立って行われ、上に築いていくものも確かであれば、安易に揺らぐようなものはできはしない。

 武は本能的に大切なものを嗅ぎ分け、理解して確かな力にする。しかし薫にも葵にも残念ながらわかってはいないし、地盤を作ろうとしていた朔耶が退いた今、自分たちが砂上の楼閣を築こうとしているのはわからないのだろう。

 砂上の楼閣はいつか崩れ落ちる。武に仕えながらも、その時に二人を救い出して守れるようにしておくべきなのだろうか。それには何が必要なのだろうか。

 答えがわからないこそ今は、医学生として全力で学ぶべきなのだろうと、朔耶は周に寄り添いながら決意した。

「周......周......!」

 触れ合う肌の温もりがこんなにも幸せだと感じさせるというのを、朔耶はこれまで知らなかった気がする。周との抱擁は多幸感よりも独占欲の方が勝っていた。それくらい彼を過去の相手から引き離してしまいたかった。貴之や清方もだが、学祭などで彼に群がるOBたちも朔耶の嫉妬心を掻き立てた。

 特に不安にさせたのはかつて周が恋焦がれた相手、夕麿の存在だった。従兄弟同士の関係もあって、周は普段は彼に敬称を付けない。今は兄弟のようなものだと言われても、周が唯一想い続けた相手なのだ。気にするなという方が無理だった。

 出会いから1年半ほど。周をめぐる人間関係と夕麿の異母弟 透麿の悪意に、朔耶は何度も絶望して嘆いた。人目もはばからず嫉妬心を剥き出しにもした。周囲を傷付けた......と思う。子供過ぎた自分を今ならば恥じる事もできる。

 今、純粋に周の愛撫に溺れ、何もかもを差し出す事は何もかもを与えられるのと同じだと感じていた。

 今回の件で朔耶が悩み迷っていた時、雫はこう言った。

「迷った時は余計なものは捨てて、自分の一番大切なものを選べ。お前は俺と同じ過ちをするな」

 清方の為と言いながら心のどこかで、自分の保身の気持ちがなかったか。そう問われるとなかったとは言いきれないのだろうと思う。彼は自分の一番を見誤ったのだと。故に後悔の日々を過ごし、清方との再会で本当に大切なものを取戻した。だがそれは奇跡に近い。

 もし自分と周が引き裂かれたら......いや、雫と清方の姿を見てきたからこそ、彼は自分が不利な立場に立とうとも朔耶と共にあろうとしていたのだ。

「周......愛しています......ありがとう」

 溢れる涙は止まらない。朔耶の想いをわかっているのだろう。周は優しく抱きしめてくれる。

 彼と生きて行こう。この先に何が待ち受けているかはわからない。武と薫を巡る陰謀や策略は、これからますます激しくなって行くだろう。一人ならば乗り越えられずに潰れてしまうかもしれない。けれど愛する人と共にならきっと......

 重ねた唇に更なる幸せ感じて、朔耶は久しぶりの深い眠りに堕ちていった。



「そうか......大変だったな、朔耶。俺はお前の選択を尊重する」

 次の日に御園生本社に顔を出して、朔耶なりの報告を武にするとこう言われた。

「当分、紫霄と距離を置かなければならなくなったのは痛いですね」

 夕麿が溜息混じりに言う。副会長の月耶の怪我と幸久、梓、そして行長の離脱で同じように特別な措置を求める者が出ている。一応の条件は高等部の全課程を終了し、全ての単位を取得している事だ。しかも用意された一時編入先に登校可能であるのも条件になっている。

「今年の学祭の開催は無理でしょうね」

 戦時中以外はずっと開催され、唯一OBが母校を尋ねられる機会が奪われたのだ。

「温室へのお参りもできませんね」

 武の想いを受け取って守った一人として、通宗が残念さを滲ませて呟いた。

「どないなるんやろうな......薫さまが卒業しはったら、元のように戻せるんやろか」

 彼ら全員にとっては紫霄学院は故郷のようなものだ。

「冬休みに薫さまと葵さまは御園生には戻られないだろう」

 今更、知らぬ顔で戻る事もできないし、しないだろうと思えた。

「御園生は既にお二人には敵地でしょうから」

「それじゃぁ、どこへ行くんだ?」

 武が首を傾げる。薫は彼の弟格として御園生預けの身だ。それを破る事になる。

「三条家でしょう。葵さまに様々なアプローチを表立って行っているのは三条家でございますから」

 清方の言葉に武は深々と溜息を吐いた。

「葵はわかっていない。俺と夕麿を排除したら、次に邪魔になるのは葵自身だ」

 久方の情報通りであるならば、九條家が欲しているのは現東宮の息子の影武者だ。双子の弟である薫は入れ替わってもわからない。確かに二卵性双生児ゆえにうりふたつとは言えない。しかし『御香宮』と呼ばれる彼は病弱ゆえに、ほとんど顔を出してはいない。マスコミの写真もはっきりとしたものはないと聞いていた。

「はたして薫さまに身代わりはおできになられるのでしょうか」

 雅久も頭を傾げる。

「それこそ人工授精でもなんでもするだろ。彼らが欲しいのは九條の血を色濃く引く、皇統後継者だからな」

 義勝がうんざりした声で言った。

「こうなると今上に御香宮が双子で、紫霄に薫さまがいるのをお知らせしていなかった理由が、もっと作為的に感じられるな」

 薫の存在は九條家にとって保険だった。特に兄の御香宮が虚弱体質だとわかってから余計に。御影家が敢えて様々な事を薫に教えないで育てたのは何某かの命令が出ていたのではないか、と今になって考えられた。ならば完全に朔耶は捨て駒であったとわかる。

 雫も人の気持ちを考えずにただ、権力にすがり付く浅ましさに苦々しく呟いた。

「紫霄の中の暗殺者が下河辺を狙った以上、俺たちは宣戦布告されたも同然だ。とは言ってもこっちから打って出るつもりはないが」

 部屋に集まった全員を見回して武が言った。

「それでよろしいかと存じます。これまでの事から鑑みても、蜥蜴とかげの尻尾切りに終わるのはわかっております。向こうが一番嫌がるのは武さまと夕麿さまが、変わらずにいらっしゃること。そして我々の結束が簡単には解けないのを見せる事ではないかと思われます」

 先日、正式に紫霞宮の後ろ盾としての立場が決定した護院家は、アドバイザーとして顔を出していた。雅久が大夫を辞して、代わりに久方の息子が就任した。

 新たなる御在所としての建物は外観はほぼ完成している。防弾と防音断熱、セキュリティなどを含めた内装工事が未だしばらくかかる。マンションは高い外壁で守られ、外側には堀も造られる予定になっている。雫率いる特務室も脇にある建物に移転し地下道で繋がっている。

 当然、全員が転居する事を承諾していた。

「問題は山積みですね。暗殺者たちの実態もまだ雲を掴むようなものでしょう?」

 同級生が被害者だけに影暁の想いは強く深い。圭が敢えて口を挟まないのも逆にこの事の根の深さを物語っていた。

「現在の都市警察署長が、集団の元締めの立場にある事がわかっております。彼は私の1年先輩になります」

 雫の声に苦々しさが含まれるのは、清方の同級生を殺害した犯人は彼だと思えるからだった。

「今の立場に登り詰めるまで、どれくらいの人の生命を奪ったのでしょう」

「同時にどれだけの生徒を自分たちの凶行に引きずり込んだのか......だな」

 記録があるのかさえ定かではない。そもそもいつの時代から彼らが存在していたのかもわからない。皇家の貴種の生命を絶った佐久間医師の母方の様に、代々の執行者がいたのかすらわかってはいない。

 ここに集まった者にわかっているのは、彼らが敵側の意向で動き始めたという事実のみ。そしてそこに傀儡かいらいとなった薫と葵がいるという事だ。

「さすがに直接何かをしては来ないかと私は思います」

「そうだな。今はまだ時期尚早だろう」

 彼らがこちらに積極的になる時はどういう状態になっているのか。わからない朔耶ではない。同時にそれは薫と完全に立場が別れる時だ。

 ふと視線を感じて顔を上げると武がこちらを見ていた。

「朔耶、最終的に俺は薫を取り返したいと思ってる。身代わりが幸せなるとは思えないからな」

「はい。私も薫さまを取り戻したいです」

「葵さんは......難しいでしょうね」

 同じ『妃』の立場としては彼の状態を夕麿は悲しく思っているとわかる。

「もはや洗脳に近状態ですので、そこからの脱却は不可能ではありませんが……」

 並大抵の事ではないのを清方は匂わせた。かつて夕麿が護院夫妻の部屋に滞在して治療を受けたのとは、明らかに状態が違い過ぎる。少なくとも葵にはあの時の夕麿の様な『快復したい』という願望がない。彼は自分が正しいと信じ切っているのだから。まずそこから始めなければならない。二人を取り返したとして、葵の治療の時間をどれくらい与えられるのかは不明だ。彼らにとっては葵も邪魔な存在なのだ。利用価値がなくなれば排除を考える。これまでの経験があるからこそ彼らは現在の葵の状態を憂う。

 朔耶にとって三条 葵はよき先輩だった。少し気性の激しいところはあったが、尊敬できる相手だった。心臓に欠陥を抱えている朔耶が無理をしないように、細やかな配慮をしてくれたし、生徒会長としても優秀だった。どうしてもマンネリになってしまう学祭にテーマを与えて、自分たちのオリジナルという意欲と責任感を起こさせたのも彼だった。伝統を守りながらも改革と挑戦を忘れない姿勢は、後に語り継がれている生徒会長たちの在り方そのものだった。今ここにその『伝説』と呼ばれた元生徒会長が揃っている。『伝説』が決して大袈裟ではないと実感させられてばかりだ。

 自分は何を成しただろうか。心臓病がかなり進行してできない事が数多くあった。会長として規定の仕事をするだけで精一杯だった時もあった。内部進学する葵と次期会長である三日月にどれだけ助けられたか……そう思うとやはり葵の現状は悲しくて悔しかった。

「朔耶、あなたには何の責任もないことですよ?」

 俯いて考え込んでしまった朔耶に清方の穏やかな声が聞こえた。

「同じ状況に置かれても拒否できる者もいます。葵さまは監禁されて洗脳されたわけではありません。元々に持っていた心の闇の部分につけいられただけです。PTSDも一因であありますが……最終的にあの方は、ご自分の病の治療を投げ出されたのも事実です」

 清方自身がPTSDの治療を受け続けているだけに発せられる言葉は重い。武の傍らにいる夕麿も無言で頷いていた。

「病を権力欲へすり替える事で苦しいのは自分ではない人間の所為せいにしたわけか」

 影暁が苦々しく吐き捨てた。心が壊れるほど辛い目遭った人間を紫霄学院という閉鎖空間の中で、生徒会に名を連ねればイヤというほど見てしまう。大人のエゴが生徒の人生を左右し、安易に生命を奪う。葵自身も見てきた筈だった。

「葵も……救えればいいな」

 朔耶の気持ちを察したのか、それとも元々の武の願いゆえの言葉なのか……いまの朔耶には判断はできなかった。

「そうですね。私たちはここで立ち止まってはいられません。若輩者の私に何ができるのかはわかりませんが、兎に角今は前を向いて自分にできることを頑張りたいと思います」

「よく言った!」

 武が笑顔で叫んだ。他の者がそれぞれに同意の意思を示した。



 過酷な状況に追い込まれて道を間違う人間は多い。しかいし同じ状況に置かれても誰しもが同じ結果にはなり得ない。この違いは何を起因とするのであろうか。ひとり一人は何を感じ何を想い、そして願うのであろうか。その心の違いによる差の線引きはできるのであろうか。

 けれどもたったひとつだけ言える事がある。世の中に『よい人間』と『悪い人間』がいるわけではない。犯罪を犯す人間とそうではない人間の区別もない。どのような人間も追い詰められればどうなるのかは誰にもわかりはしないのだ。私たちはそれを決して忘れてはならない。




    完

 

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