蓬莱皇国物語 Ⅲ~夕麿編

翡翠

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 病院の一番奥まった部屋。武の為に特設されたセキュリティの強化された場所は、雫が入院していた部屋の更に奥に位置していた。

 精密検査の為である。予定は二泊三日。

 夕麿は簡易検査で本当は一泊で十分であったが、未だ不安定な武を一人にしたくなかった。少しでも安心してくれるならば出来るだけ、側にいて抱き締めていたかった。そうしなければ武はまた、一人で悩んで殻に閉じ籠もってしまう。一人で苦しみ、一人で泣いて傷付いてしまう。

「胃カメラ…面白いけど気持ち悪かった」

 鼻腔から体内に挿入する最新の胃カメラは、口腔からのものよりは遥かに負担が少ない。だが初体験の武は気持ち悪いで評価してしまった。

「検査なんてそんなものだと思いますが?」

「だって…採血も物凄くたくさんした…」

「検査ですから」

「もう…夕麿、さっきからそればっかり!」

 拗ねる武を笑いながら抱き締めた。

「ですがもし熱を出しやすい原因がわかったら…とは思いませんか、武?」

「そりゃ…」

「来年、ロサンゼルスに行く為にも、こうして検査をしておくのは、良い事なんですよ?」

 皇家は癌の家系。慈園院 保にそう言われて、夕麿は全身から血の気が低く思いだった。 後日、保に再度の説明を求めて…本気で武の精密検査を考えたのだ。

 癌細胞は言わば正常な細胞が変化したもの。 遺伝子のイレギュラーが生み出す細胞。 免疫力が高く健康な人間は通常は白血球が殺してしまう。 だが今の武は徐々に回復しつつあるとは言っても、薬の副作用で著しく免疫力が低下している。

 今回の血液検査の中には麻疹や風疹、結核などの抗体検査も入っている。 麻疹や風疹はワクチン接種の場合、稀に抗体が形成されていない事がある。 結核の予防接種には15年という期限がある。

 兎にも角にもまずは病気の影の有無を確認しなければならない。

 それから冬休みを利用して免疫力を高める。 免疫力の一番の敵はストレスだと言われている。 義勝や雅久、雫や高辻の協力も得て、武を休ませなければならない。

 周の事が懸念材料ではあるが……

「明日はMRIですね」

「うん…俺、輪切りにされるわけだ」

「私もCTを受けます。 昨年の怪我の再検査ですね」

「その後、頭痛とかないんだろ?」

「脳自体は痛覚がほとんどないそうです」

「そう…なんだ」

 顔色を変えた武を夕麿は抱き締めた。

「そんな顔をしないでください。 脳に異常がある時に出る症状は、今のところ一切ありません。 あくまでも念の為ですから」

 髪を撫でながら囁くと、まだ不安を隠せない顔で見上げて来る。 笑顔を向けると武は小さく頷いた。 義勝と雅久、それに貴之も夕麿のすすめで、帰国後すぐに人間ドックを受けていた。

 高辻も雫の看病をしながら受けた。誰が欠けても他の者が嘆く。昨年の事件で貴之が怪我をした折の状態を考えても、武が受ける衝撃はかなりのものだろう。

 定期的に検査を受けてそれぞれの身体の調子を把握しておく。武に定期的に精密検査を受けさせる為にも、全員が自らの身体を留意する。夕麿の心配を全員が汲んだ結果だった。

 部屋のインターホンが鳴った。夕麿が応対に出た。夜間の検温だという。

 今夜は明日の検査の為に夕食はない。検温の看護師を入室させた。看護師は男に限定されている。それでも一部の人間以外には、武たちの身分は秘されていた。

 今日の看護師は二人は御園生の御曹司、養子に入って義理の兄弟になった関係だと思っていた。

「本当に仲良しでいらっしゃいますね」

 彼は義勝と雅久の時にも担当していたと言う。

「同じ学校で生徒会をしていましたから」

 夕麿がおっとりと答えた。

「今は俺が生徒会にいるけどね」

「そうなんですか。でも羨ましいです。素敵なお兄さま方がいらっしゃって」

「うん。俺も自慢なんだ」

「そうでしょうね。

 …体温計をお願い致します」

 二人の体温計を受け取り彼がカルテに記入した。

「夕食抜きは今夜までですから、我慢なさってくださいね?」

「朝も抜きじゃん」

 武が苦笑する。

「昼食は普通に大丈夫ですよ」

 軽口を言って武は笑う。 それを夕麿が見守っていた。

「お二方共に平熱。 明日の検査についてですが、MRIは2時間程かかります」

「そんなに?」

「全身ですし…元々、時間がかかる機械なんです」

「CTは?」

「数分で終了します。 担当医から直接、結果を受けられるのでしたね?」

「夕麿だけズルい…」

「検査の内容が違うのですから、仕方がないでしょう?」

 苦笑混じりに夕麿は答えた。

「羨ましい…僕も兄弟が欲しかったなあ…」

 看護師が呟く。

「兄弟、いないの?」

 武の問い掛けに彼は苦笑混じりに答えた。

「姉妹ならいます…姉が3人、妹が1人」

「それはまた…」

「壮絶だねぇ?」

「お陰ですっかり女性不信ですよ」

「あははは…」

 武が引きつった笑いを漏らした。

「大変…なのでしょうね? 私はずっと全寮制の男子校にいましたから、よくわからないのですが…」

「朝とか凄まじいですね。 僕と父はダイニングで小さくなってました。 うっかり邪魔をすると、罵声が集団で飛んで来ます」

「うわ~怖そう…」

「今はここの寮…とは言ってもマンションですが、そこで一人暮らしなので静かで良いですよ」

 明るく笑う彼に武も夕麿もクスクスと笑う。

「あ…すみません、つまらない話をしてしまって…」

「ううん、姉妹っていないからわかんないけど…面白そう」

「武、それは礼を欠きますよ?」

「あ…ごめんなさい」

「いえいえ、大丈夫です。

 では、おやすみなさいませ。 失礼致します」

 辞した看護師を見送ってから二人は一息吐いた。

「凄いねぇ…女4人に囲まれる何て…」

「想像もしたくありません…」

 げっそりして顔を見合わせ吹き出す。 そのまま一緒にベッドに転がり込んだ。 抱き合って唇を重ね互いに貪り合う。

「ン…ンぁ…」

 甘えた声を上げて武が舌を絡ませて来る。 名残惜しげに離すと、情欲に潤んだ瞳が見上げて来た。

「そんな目をして…煽らないでください、武」

 彼の視線ひとつで中心に熱が集まって来る。

「だって…」

 頬は紅潮させて恥じらいを見せるのが可愛いくて色っぽい。

「明日に響くといけませんから、一度だけですよ?」

「…うん…」

 余り体力のない武を本気で抱くと、次の日に起きれなくなる事がある。 流石に検査入院している今はそれはまずい。

「あ…ぁあン…夕麿ァ…」

 パジャマのボタンを外して、白い肌を撫で回す。 それだけで甘い声を上げて、爪先でシーツを蹴る姿に、背筋がゾクゾクする程の欲望を感じる。 跡を残さぬように肌に口付けながら、パジャマを脱がしていく。

「愛しています、武」

 彼の何もかもが愛しい。 冬休みに入って周との接触がなくなった所為か、武は落ち着いている気がする。 やはり周を武から離した方が良いのだろうか?

 武が望む事と武を守る事。

 どちらを優先するべきなのだろうか? 誰に相談すれば良いのかすら、今の夕麿にはわからなくなっていた。 何故ならば相談するにはどうしても、周の自分への想いを話さなければならない。 おいそれと気安く口にするべきではなく想う。 本人が秘めている事を話すべきではないのは、貴之の姿を見て来ているからわかっている。

  小夜子にすら言えない状態に夕麿は戸惑っていた。

「夕麿!」

 いきなり武が夕麿の頭を押し戻した。

「何を考えてるわけ? 俺とシているのに、誰の事を考えてたのさ!?」

 周への対処を考え倦ねているうちに、愛撫がいい加減になっていたらしい。武が身を起こして睨み付けていた。

「すみません…その…」

「誰の事を考えてた!」

「…」

 言えるわけがない。

「俺の事じゃないってわけか…?」

「それは…」

 しまった…と後悔しても遅い。夕麿は周の名前を出さない道を探す。

「誰の事を…考えてたんだ!」

 武の瞳に涙が浮かんだ。

「この前から…俺を抱きながら…別の事を…考えてただろ!」

 敏感な武が気付かない筈がない。武の嫉妬を解消する為に、ずっと考えていたのは確かだ。

「…あなたの今後について考えてはいました。ただ…この前のような事があると…あなたにずっと付いていてくれる人が欲しいと…」

「…俺を言いくるめようってんじゃないだろうな?」

「それはありません!

 ただ…周さんでは、ダメだと思って…」

 仕方なく周の名前を出した。

「周さんを外すと?」

「彼の努力は有り難く思っています。でも彼は学生です。医学部の授業もありますし、これからは研修も増えるだろうと思います。従ってずっとあなたの側にいるわけには行かないでしょう?」

「…俺も周さんにはこれ以上は甘えたくない…」

「周さんは今上とのバイパスではありますから、完全に外すのは無理があるとは思います。 それでも誰かを…という思いが頭を離れないのです」

 嘘は言ってはいなかった。 武をきっちりガードする人間が欲しいという気持ちに偽りはない。 大学部のしかも医学生である周は多忙な筈なのだ。 それを武の為に潰してしまうのも夕麿には気が引ける。

「…わかった…疑って悪かった」

 武を想う気持ちに嘘偽りは一切存在しないが、周の想いに気付いている事だけは、口が裂けても言えはしない。

「我が君…私のあなたへの想いだけは、如何なる事があろうとも、決して変わる事はごさいません。 それだけは…信じてください」

 武への愛を疑われるのは、身を引き裂かれるよりも辛い。

「ごめんなさい…」

 顔を覆って泣き出した武を抱き締めた。 武が悪いのではない。 周の想いにもっと早く気付くべきだったのだ。

「武、あなたは悪くありません。 あなたと離れているのが私にはもどかしいのです。 夏までの我慢だとはわかっています。 それでもあなたが…あなたの事が心配でなりません」

 今回戻って学院の空気に微妙な変化があるのに気付いた。 良い意味でも悪い意味でも学院は変わりつつある。 どうしても最も身分高い武が、一番その波を被る状態になってしまっている。

 期待や希望羨望が集まるが故に嫉妬や憎悪の対象にもなる。 夕麿たちがいた時にはまだ壁になれる部分があった。 だが今は生徒会長として武が矢面に立ってしまう。行長たちでは防げないものが多いと感じられた。

 武は涙を拭いながら首を振った。

「夕麿が悪いんじゃない…俺が…俺がダメだから、あんな事になったんだ。」

「いいえ、あなたが中等部の生徒会に干渉したのは、間違ってはいないのです。 高等部生徒会長にはその権限があります。

 ……戸沢と五嶋には会いました」

「会ったの!?」

「彼らは本当にあなたを害する意味を、理解していなかった様子でした」

「うん…俺を怖がらせよう…位の気持ちだったと思う」

「それでも罪は罪です」

「どう…なったの?」

「放校にはしませんでした。 彼らは3年生の事も正直に話していましたから。 特待生資格を剥奪という事と今後、あなたの側に近付かない約束をさせました」

 武が腕の中で力を抜いたのがわかった。

「3年生については私たち前期生徒会執行部への遺恨があったようです」

「夕麿の…ファンもいたみたいだけど…?」

「そのようですね」

 実はその中に短期間だけ、そういう付き合いをした生徒がいた。 腕に触れられるだけで嫌悪感を抱き、そういう関係にすら至らなかった。

 今から思えば手酷い振り方をしたと。 自分への恨みが武へ向いてしまったのだ。 彼らの半分は放校処分になり、残る半分、主犯格ともいえる生徒は親が身元引受を拒否した為、学院都市内に留め置かれる事になった。

 彼らが学院都市のどこへ行くのかは、夕麿には知らされはしなかった。 学院側は中等部の二人の処分について、夕麿に彼らとの面会の上での判断を打診して来たのだ。

「そっか…」

 彼らの処分を知る範囲で話すと武は小さく頷いた。

「あなたの側にきちんとした警護がいれば、そういう事を考える者もいなくなるでしょう。 処分にあなたがそのように胸を痛める事もなくなる筈です」

「そう…なる?」

「断言は出来ませんが」

「わかった。 それは夕麿に任せる」

「ありがとうございます。 成瀬さんに相談してみようかと」

「うん…ねぇ…夕麿」

「何ですか?」

「その…続き…シて…」

 夕麿の胸に顔を隠すようにして、武は消え入りそうに呟いた。

「仰せのままに…」

 そのままベッドに組み敷いて唇を重ねた。

「今度は考え事なしだぞ?」

「もちろんです」

 口付けの合間に囁き合う。


 最終日、午前中に武が別な検査へ行っている間に、結果を訊く為に夕麿は小夜子と外来診察室にいた。 担当医はいつも御園生邸に往診に駆け付ける医師。 この総合病院の医長、奥村 啓士医師である。

「武さまの検査結果でございますが、免疫力もご提供いただいたカルテと比較して、かなり回復なされておられます。 また今のところはどこにも異常はおありになりません。 ただこちらの血液検査から鑑みると、やはり、定期的に検査をお受けになられるのがよろしいかと存じます。

 それと…今少し、体力を付けられた方がよろしいですね」

「武さまは学院で合気道の練習をなさっていらっしゃいますが、それでは足らないのですか?」

「そうですね…体力をつけやすいのは水泳なのですが…」

 奥村医師の言葉に夕麿は少し顔を陰らせた。

「お義母さん、申し訳ございません。

 武さまは編入当初はプールを利用していたようなのですが…私がダメなので…自然と足が遠のいてしまったようなのです」

「あなたの責任ではありませんわ、夕麿さん。 あの子は余りプールや海に入った事がないんですの。

 すぐ熱を出したので…学院のを利用していたのは温水だったからでしょう?」

「はい。 常に一定の室温や水温に保たれています」

 高温の温泉水を冷却する為に温まった水が豊富にある為、プールも学院中も湯は余る程あった。

「武はどの道泳げない筈よ? プールを利用していたのは、誰かお友達に誘われてだと思うけど?」

 編入当初、武をプールに誘っていた生徒。 夕麿には一人しか浮かばなかった。板倉 正巳。 彼が武をプールへ誘っていたのだろう。

「その温水プールですが、現在も利用が可能なわけですね?」

「…警護の問題など相談しなければなりませんが…それらがクリアされれば可能だと思います」

 警護もなしでプールで無防備に肌をさらすのは流石に心配な部分があった。

「ただ鍛えるのでは問題があります。 武さまのような体質の方は時折、そういった行為が身体に過負担をかける事になり、返って病気の原因をつくる事もあります。それなりにスポーツを理解して、尚且つ武さまの身体を理解出来る方が必要です」

 医師の指示は益々難問だった。

「基本的には身体を冷やされない事が重要です」

 夕麿と小夜子はしっかりと武の身体への対処を聞いたが……問題を増やしただけの気がした。

 武が戻って来るまで二人は病室で待っていたが夕麿は、ある事についてこの機会に小夜子に訊いて起きたかった。

「あの…お義母さん、少し伺いたい事があります」

「何かしら?」

「高辻先生とも話したのですが、武のある思い込みの原因を知りたいのです」

「思い込み?」

「はい」

 小夜子と武の過去に触れるだけに躊躇いはあった。 だが知らなければ武の抱えている問題の根本を掴めない気がしていた。

「お義父さんと出逢われる前に、縁談はおありになられませんでしたか? その中でどなたか武をお義母さんから離そうと考えられた方はいらっしゃいませんでしたか?」

 夕麿の言葉に小夜子は少し困ったような顔をした。

「あの子はやっぱり…あの事を忘れてはいないのね…」

「あったのですね?」

「ええ。 ちょうど武が小学校に入学したばかりの頃だったわ」

 小夜子が語り出したのは、余りにも無茶苦茶で無神経な老人の話だった。 彼は当時、小夜子と武が住んでいたアパートの大家だった。 彼の自慢は大手商社に勤める孫。 その孫の上司がどこで見初めたのか、小夜子を妻に迎えたいと言って来たのだ。 その上司と小夜子の間に入って、縁談を持って来たのが老人だった。

 彼は小夜子にはっきりと言ったのだ。 武の存在は小夜子の傷になるゆえ、然るべき施設に預けるか養子に出してしまえと。当然小夜子は断った。 大切に育てて来た武を邪魔扱いするような人間に、絶対に嫁ぎたくはなかったし、老人の独断であったとしても不愉快だったからだ。しかも武の身体に流れる血は皇家直系の尊きものだ。そのようなことは死んでもすることはできない。 

 ところが小夜子に断られた老人は、彼女が留守の間に武を捕まえて告げたらしいのだ。武がいると小夜子は幸せにはなれない。 私生児の息子など小夜子の傷にしかならない不要物だと。 むろん武自身は今でもその話を小夜子には一切しない。 たまたま目撃した近所の婦人が、余りに目に余ると小夜子に知らせてくれたのだ。

 この日から武は食事を摂らなくなった。 無理やりに食べさせると全部吐いてしまう。 そのうちに高熱を出して緊急入院してしまうまで状態が悪化した。

 小夜子は意を決してアパートを出て、隣町へと引っ越したのだと言う。 当然、武も転校したのだが…小夜子に袖にされた老人が、孫に恥をかかせたと逆恨みしたのだ。武を私生児だと言ってあらぬ噂を町に流した。小さな町に噂は瞬く間に広がり、親たちの心無い噂が子供たちを動かした。 学校で虐められ除け者にされた武は、老人の言葉をそのまま呑み込んでしまったのだ。

 自分がこの世に生まれて来なければ母親は幸せになれたのだと。 元々頭が良くて周囲の大人の思考を読んでしまう傾向にあった武は、自分を自分で否定するようになって行った。 そしてストレスをためて食欲をなくし、発熱して倒れると言う状態に度々陥るようになった。

「夕麿さん、武はね…私の結婚はとても喜んでくれたの。 でも多分、学院への編入は厄介払いされたと思い込んだと感じだの。

 事情はおわかりでしょう? でもあの時には言えなかった。 夏休みの騒動も多分、そこに起因してると思うわ」

 小夜子は夕麿という伴侶を得てもなお、息子の心から消えない傷を憂いていた。

「武は自分をとるに足らない存在だと今でも思っているのね?」

「自分に人が寄るのは身分ゆえにだと思っている様子です」

「私は今でもあの大家が憎いわ。 小学校に入学したばかりの何もわからない子供が、どれほど傷付くかなんて少しも考えてはいなかったのですもの。自分の面子とか孫の出世とか、自分と身内の都合しか考えていなかったのよ」

 小夜子が誰かの事を悪く言うのは珍しい事だった。

「あの子、今度は何に悩んで夕麿さんを困らせてるの?」

 真っ正面から訊かれて夕麿は咄嗟に目をそらせてしまった。

「誰にも言わないわ、教えてくださる?」

 夕麿は抗えずにゆっくりと頷いた。

 周の自分への想い。夕麿自身が最近になって気付いた事。だが同時に武も気付いていた事。武の嫉妬。自分をとるに足らないと考える為に、夕麿をいつか失うと怯えている事。どこにも吐き出せなかった気持ちを混ぜて、夕麿は小夜子に全てを吐露した。武に信じてもらえない辛さに最後には涙が溢れた。

 そう初めて夕麿は自覚したのだ。未来の自分が武を裏切るように思われている事を、どれほど辛く悲しく思っているのかを。誰にも相談も愚痴も言えずにひとり想いあぐねていた辛さを。

「ごめんなさいね、夕麿さん。あなたはこんなにもあの子の事を想ってくれているのに…」

 小夜子にもどうして良いのかわからなかった。MRIで身体の中を見られるように、心の中を見る事が出来る機械があれば良いのに……と思わずにはいられなかった。

「成瀬さんに相談して誰か武に、専属に付いて警護してくれる人を、探してもらおうと思っています。

 元々、医学生の周さんでは無理があったのです」

「久我さんを武から離すと仰るの?」

「それで武の気持ちが少しでも安らぐならば…」

 武の為ならば何でも誰でも犠牲にする。

 それにしても小夜子の話に出て来た老人を夕麿は許せないと思った。 武が夕麿を傷付けた佐田川一族を潰した気持ちが今更ながらよくわかる。 10年も前の話を今更蒸し返して報復しても、武の心の傷は癒えないだろう。

「話を聴いてくださってありがとうございます」

「武の事なのだからお礼は必要なくてよ? 私が言いたいくらいだわ。

 ね、夕麿さん。 高辻先生にも言えない事があったら、私にもっと話してくださらない?

 一応、義理でも母親よ?」

「はい…ありがとうございます」

 ありのままを全て受け止めて、温かく包んでくれる小夜子に心から感謝した。 本当に自分ひとりでは、もう抱え切れないくらいになっていた。 だから武を抱いている時にまで考え込んでしまうのだ。

 涙を拭いひと心地したところへ武が戻って来た。

「あれ、母さん? どうしているの?」

「結果を聞きに来たに決まってるでしょう?」

「何ともないって言われたけど…違うの?」

「いいえ、その通りよ? ただね、もう少し運動して体力を付けるのと、定期的に検査を受けるようにってだけ」

「夕麿は?」

「私も大丈夫でした」

「そっか。

 ねぇ、もう帰っても良いんだろ?」

「もちろんよ? 皆さんでお昼ご飯を食べに行ってらっしゃい。 成瀬さんが予約してくださってる筈だから」

「やった~ご飯だ!」

「では私は退院の手続きをしておくから、着替えて帰る支度をなさい、二人とも」

「は~い」

「わかりました」

 小夜子が出て行くと武は早速にパジャマを脱いで着替え出した。 夕麿も苦笑しながら着替えて、わずかかばかりの荷物をまとめた。 武の腰を抱いて出て行くと警備員が二人を守るようにして、外来に続く正面玄関へと案内してくれた。待っていた車に乗り込んで病院を後にする。 夕麿は次に打つ手を考えながらも、ご飯だとはしゃぐ武を見つめていた。


 帰宅した彼らを待ち受けていたのは雫が武の専任警護官に任命された事と、周が義勝たちの要請に応えて武を西の島の皇大神宮参拝の旅行の許可を得て来た知らせであった。同時にこれを機会に周は勉学に専念すると言う。武の心の不安を取り除く為に彼を側近から外そうと考えていた夕麿は、この事態を安堵の心持で静かに了承したのだった。

 翌朝、大神宮詣の最後の一人を連れて、周が御園生邸に迎えに来た。最後の一人。 それは透麿だった。 当然ながら夕麿は不快感を隠さない。 軽く周を睨んで横を向いた。

 透麿に初めて合う義勝と雅久と貴之は楽しそうに彼を取り囲んだ。

「へぇ、やっぱり兄弟だな。 小さいところなんかそっくりだ」

 義勝が長身で見下ろして言う。 透麿は紹介はされたものの、物珍しく眺められるのに戸惑った。 夕麿は止めようともせずに、武を促して車に乗せ義勝たちに声を掛けた。

「いつまで遊んでいるのです? 新幹線に乗り遅れますよ?」

 不機嫌そのものの夕麿に彼らは顔を見合わせた。

 新幹線の駅に向かう車は2台。 御園生家の4人と雫が乗る車と周たちが乗る車である。 渋滞に巻き込まれる事もなく新幹線の駅に到着した。 そのまま団体客用の通路から貸切にされた車両に乗り込む。

 広い車内には彼らと内々に派遣された鉄道警察官がいるだけだ。 ここは先頭車両で次の車両との出入り口には鉄道警察官が立っている。 こちらの車両に一般客を入れない為の配慮である。 窓も駅に停車している間は中が覗けないようにカーテンで遮蔽しゃへいされた。

 早朝のまだ一般客の少ない駅を、彼らを乗せた新幹線はゆっくりと出発した。 余りにも慌ただしい参拝に理由を訊いてみると、周と雫が揃って嫌悪感を露わに答えた。

 夕麿の生命を狙った可能性のあるあの人物が何の嫌がらせか参拝に来ていると言う。武と出来るだけ鉢合わせさせたくはないからと、神宮内に長時間とどまるのを回避したのだ。その代わりに横町では、武が好きなものを食べて楽しめるように時間を少し取った。

 だが流石に早朝からの慣れない移動に、武の顔色が次第に色を失って行った。急いで月見ヶ浦の宿に向かった。その日はそのまま、ほとんど食事も摂れずに武は眠りに就いた。まるで夕麿が側を離れるのを止めるかのように、宿の浴衣の袖を握り締めたままで。



 次の日、彼らは月見神社に詣でた後、早々に保養所へと移動した。マイクロバスの中で散々に笑い転げて、武も元気に保養所に入った。

 思ったよりも広い部屋に案内されて武が寂しがった。そこで光回線が入っているという事なので、PCを借りて来るつもりで武を部屋に残してフロントへと向かう。

「夕麿?」

「周さん…」

 階段を降りかけた夕麿に周が合流した。

「ひとりでどこへ?」

「フロントでPCを借りて来ようと思いまして」

「考える事は同じか」

「周さんもですか?」

「一応、周辺の観光を明日予定してはいるが…」

「学院にいるのと変わらない気がします」

「もう少し武さまに観光をしていただく予定だったが…」

 二人して溜息を吐いた。

「流石にもう私が狙われるとは思いませんが…」

「成瀬さんは武さまの安全を第一に考えるのが仕事だからな」

 広い施設内の廊下はすれ違う人もいない。

「皆で騒ぐ方が武は好みますから、集まって遊ぶ場所が欲しいですね」

「わかった、手配しよう」

 周の並んで歩く。 武が見れば余り良い顔をしないかもしれない。 夕麿はそう思いながら、ふと何かの気配に振り返った。

「!?」

 温泉が通り施設内が暖かいのが原因なのだろうか…この時期にはいない筈の生き物が、柱の灯りに絡み付いてこちらに頭をもたげていた。

 夕麿はそれを見た瞬間、気が遠くなりかけた。 とっさに周が抱き止めて辛うじて失神するのは免れた。

「この季節にながむし!? 夕麿、お前…相変わらずダメか…」

 夕麿の亡き実母が異常なまでの蛇嫌いだった。 生きて動いているものだけではなく置物や絵すら嫌うほどで、 夕麿はその影響を受けてしまい、物心ついた頃には蛇だけではなく、ミミズや百足まで極端に怖がる傾向にあった。紫霄学院は生徒への害を考慮して毎年、春休みと夏休みに大々的に駆除している為にこれらの姿を見る事はない。

 怯える余り触れられる嫌悪感を忘れて周に縋り付いた。 震えて今にも倒れてしまいそうな身体を、周があやすように抱き締めて背を撫でた。 それでも震えは止まらない。背後にはまだ蛇がいる。周は夕麿の腰を抱くようにして、すぐ側の部屋に引き込んだ。そこは食事用に使用される部屋の一つらしく周は夕麿を横にならせた。それから従業員を呼んで飲み物を持って来させ、蛇を排除するように要請した。

 従業員の話によるとその蛇はここの屋根裏に住み着いていて、彼らには『ぬし』と呼ばれているらしい。夕麿は御園生の後継者の一人である。その彼が倒れそうになる程蛇が苦手と言われて、流石に慌てた様子だった。夕麿は温かい飲み物で落ち着き、昼食の準備が整った知らせを受けた時には、まだ顔色が悪いものの移動出来るくらいには回復した。

 そこへ武たちが降りて来た。夕麿は武に余計な心配をさせたくなくて、とっさに視線をそらせてしまった。だから高辻が武に近付いて来るまで、武の顔色が悪いのにも気が付けなかった。また疲れが出たのだろうか。発熱はしていないのだろうか。心配で見つめていると武の笑顔が返って来た。

「…大丈夫だから」

 その言葉を鵜呑みにしたわけではないが、高辻も席に戻ったので一応は胸を撫で下ろした。

 だが夕麿はまだ気もそぞろだった。どこかから蛇が出て来そうで不安だったのだ。見苦しい…とは思うが恐怖が先に立ってしまう。恐怖だけが心を満たして、何もわからなくなってしまう。それでも懸命に気を取り直して、またまた始まった高辻と雫の夫婦漫才に加わった。

 ふと気付くと武がいなかった。慌てて部屋へ向かう。気分が悪くなったのかもしれない。皆が楽しんでいるのを壊したくないと黙って出て行ったのだろうか。武の知らない事に恥じて、彼を見ていなかった事に自責の念がわく。

 階段を上がって廊下を急ぎ部屋のドアを開けた。

「武、いるのですか?」

 かすかにどこかで声がした。武がいるだろう奥の部屋へ入ると、カーテンが閉じられてかなり暗かった。

「やっぱり、気分が悪いのですか?」

 灯りを点けて武の様子を見ようとした瞬間、武の声が弱々しく聞こえた。

「点けないで…暗い方が良い…」

 まだ外が明るい為に室内はカーテンがひかれていても、真っ暗と言うわけではなかった。

「わかりました」

 暗い方が安心するのだろうと夕麿は、そのまま室内に踏み入れて後ろ手に襖を閉じた。

「武? 高辻先生を呼びますか…あっ!?」

 武の肩に手を伸ばして触れるか触れないか…という状態で手首を掴まれ気が付くと天井が見えた。 気合い投げの要領で引き倒され組み敷かれたのだ。

「武!?」

 驚きの声を上げたが、何かを言う前に荒々しく唇が塞がれてしまった。 唇を舐められ僅かに開くと舌が差し込まれた。

「ン…ンふ…ン…」

 唇を貪られながらシャツのボタンが外されていく。 すぐに露わにされた上半身を武の手が撫で回す。 唇は首筋に移動して、ゆっくりと下へ移って行く。

「あ…武…ダメ…ああッ」

 突然の行為の理由を訊こうとするが、乳首を含まれて甘噛みされてしまい快感に阻まれた。

「武…武…ンぁ…お願い…あッ…」

 懸命に言葉を紡ごうとするが、その度に強い刺激を与えられて嬌声に途切れてしまう。 その間にも衣類を剥ぎ取られ、いつの間にか裸になっていた。 快感に身体は甘く痺れ、更なる刺激を求め出していた。

 だが武は一言も発しない。 無言のまま俯せにされて腰を上げさせられた。 尻をゆっくりと撫でられ左右に開かれた。

「イヤ…武…あッ…ああッ…そこは…」

 熱い吐息が触れた次の瞬間、温かく柔らかい舌が蕾に触れた。 自分では見えない場所を舐められる。 羞恥と戸惑いに悲鳴を上げてしまう。

「あン…ああ…ヤメ…くださ…ひァ…」

 開いた蕾の中に舌を差し込込まれ、体内を舐められる感覚に背筋が戦慄く。 指が入れられ、より開いた中へ舌が侵入する。

「ぅあァ…中…舐め…イヤ…ああン…」

 増やされた指が蕾を一層広げてかき回す。 快感に啜り泣き、さらなる刺激を求めて腰が揺れる。

「ああ…武…武…もう…欲し…」

 淫らに揺れる腰を突き出すように強請ると、指が抜かれて一気に奥まで貫かれた。

「ひィぁぁああ!」

 衝撃に悲鳴を上げて、シーツを握り締め大きく仰け反った。 すぐさま腰を掴かまれて、荒々しい抽挿を開始された。 解されたとは言え、久し振りに体内に武を受け入れた。 当然ながら中は狭くなっている。

「ああッ…イヤ…ひィ…武…あンぁ…」

 引きつるような痛みが快感に入り混じる感覚に身を捩って身悶えてしまう。

「夕麿…夕麿…」

 自分を呼ぶ武が涙声なのに気付いた。 だが押し寄せてくる快感に上がる嬌声に、言葉は飲み込まれ消えてしまう。 背中に熱い雫が落ちるのは、武の流す涙だろうか?

「夕麿…ごめんなさい…夕麿…許して…」

 響いてくる謝罪の言葉は、何を意味しているのだろうか? 戸惑いから遠のいた快感を再び呼ぶように、武の指が夕麿のモノに絡み付いた。

「ああッ…武…武…」

 涙の理由を知りたかった。 だが欲望が体内を荒れ狂う。 快感が出口を求めて、熱く駆け上って来る。

「ああッ…も…イく…あッああッああ!!」

「くっ…」

 武の指を吐精で濡らした次の瞬間、体内に熱が放たれた。 その熱に身体が悦びに戦慄く。 シーツを握り締めて余韻に震える身体を感じていると、再び腰が掴まれ抽挿が再開された。

「あッ…武…待って…まだ…ああ…許し…」

 過敏になっている中を更に刺激されて、夕麿は指が白くなる程強く、シーツを握り締めて強過ぎる感覚に身悶えた。

「ヤぁ…ダメ…ンぁ…ひィ…あン…ああン…武…許して…ああ…」

 目の前がチカチカする。 絶え間なく嬌声が溢れ、嚥下出来ない唾液が顎を伝い滴り落ちる。 感じ過ぎているのに、まるで強請るように腰が揺れる。 武は夕麿の一番感じる場所を、執拗なくらいに攻め続けていた。

「ああッ…また…またイく…ひアアア…!!」

 吐精しても武の抽挿は終わらない。 強過ぎる快感は拷問にも等しい。 夕麿はシーツを掻き毟り、啜り泣いて揺らされ続けた。

「ひィ…また…イく…ああ…許して…死ぬ…死んでしまう! イヤああああああッ!!」

 頭が真っ白になり感覚がスパークした瞬間、目の前が真っ暗になった。 身体が布団に沈む。 遠ざかる意識の片隅で、武の声を聴いた気がした。

「ありがとう…幸せだった…」 と。

 武を止めなければ…… そう思った刹那、意識が途切れた。
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