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ジャンヌは、叔父夫妻の反対を押し切り、トーマスと共に上京することを決めた。
「もう二度と帰ってくるな!」
叔父の怒鳴り声とともに、わずかな荷物が外に放り出された。
血の繋がった叔父の仕打ちに心が凍りついたが、勝手を言った自分が悪いのだとジャンヌは思い込み、泥のついた荷物を拾い上げ、深々と頭を下げて玄関を後にした。
馬車乗り場で待っていたトーマスは、ジャンヌを見つけると手を振り、すぐに駆け寄った。
「ジャンヌ、荷物はこれだけか?」
彼の視線が、泥だらけのカバンに止まった。
「……カバン、泥まみれだ」
「落としちゃって……。こんなままじゃ、馬車の中で迷惑になるわよね」
慌ててハンカチを取り出すジャンヌ。
「おじさんに投げられたんだな?本当に酷いことをする」
呆れたように言いながら、トーマスは自分のハンカチを差し出し、一緒に拭き始めた。
「あ、トーマスのハンカチが汚れちゃう」
「大丈夫だ。一緒にやった方が早いから」
その優しさに、ジャンヌの瞳が潤む。涙をこぼすまいと唇を噛みしめ、彼女は小さく問う。
「……わたし、馬車代も払えないのに、一緒に行っていいのかな…?」
「ああ、気にするな。出世払いで返してくれたらいい」
冗談めかして言う彼の言葉に、ジャンヌは胸が熱くなる。
小遣いもなく、都会行きを反対されていた彼女には、自由になるお金などなかったのだ。
けれど、トーマスは事情を理解し、当然のように負担するつもりでいた。
「本当に……ありがとう、トーマス」
「俺たち幼馴染だろ?気にすんな」
安心させるように笑う彼。
ジャンヌは胸の高鳴りと同時に、「幼馴染」という一言に小さな痛みを覚えた。
***
馬車に揺られること三日。
都会の街並みは、これまでの田舎とはまるで別世界だった。
石畳の道、商人の威勢のいい呼び声、香辛料の匂いが混じる空気――新鮮で、同時にどこか恐ろしい。
ジャンヌは都会でも有数の大商会の事務として勤めることになり、寮に入った。
木の香り漂う小さな部屋。
簡素ながらも自分だけの空間に、窓から射し込む朝日を浴びながら、彼女は静かに微笑んだ。
一方のトーマスは、設計士を目指して建築会社に勤め、近くに小さな部屋を借りて一人暮らし始めた。
二人の職場は歩いて通えるほどの距離。田舎から来た二人にとって、互いの存在が心強かった。
会えるのは毎日ではない。
それでもジャンヌにとって、彼のそばにいられることは何よりの喜びだった。
休日には共に食事に出かけることもあった。
「このお店、気になってたの」
「うちの会社の女子たちも噂してたよ」
この日、二人は街で新しくオープンした話題のカフェに来ていた。
ジャンヌは淡いブルーのワンピースに薄黄色のリボンを添えて、精一杯のおしゃれをしていた。
胸をときめかせながら、彼の話を聞く。
「トーマス、会社の女の子たちと仲良くなった?」
「いや、全然。設計部は男ばっかりで、女子と話す機会なんてないな」
何気なく答える彼に、ジャンヌはほっとする。
食事を分け合い、笑い合うひととき。
やがて話題は、トーマスの食欲のことに及ぶ。
「街の店はどこも量が少ないんだよな。足りなくて、いつも腹を空かせてる」
「ふふっ。じゃあ、自炊したら?」
「いや、俺、料理したことないからなぁ。親父との生活は、食事はお手伝いさん任せだったからさ」
「そうよね、トーマスが料理する姿は想像できないわ」
ジャンヌは少しの勇気を振り絞り、唇を震わせながら言った。
「……あの、トーマス?もし迷惑じゃなければ……わたし、ご飯を作りに行ってもいい?」
「え!?いいのか?めちゃくちゃ助かるんだけど!」
ぱっと明るく笑ったトーマスの声に、ジャンヌの胸は一気に高鳴った。
それは些細な申し出に過ぎなかったはずなのに、彼女にとっては大きな一歩だった。
その日から、ジャンヌは彼の部屋に通い、食事を用意し、ときには洗濯や掃除までこなすようになった。
田舎で暮らしていた頃、叔父一家の家事を一手に担っていたジャンヌにとって、それは日常の延長にすぎなかった。
けれど、トーマスのために手を動かすと、不思議とそのひとつひとつが、特別な時間へと変わっていった。
「いつもありがとう」
「疲れて帰ってきて、ご飯があるのって最高だ」
「洗濯までしてくれたのか。助かるよ」
その何気ない言葉と、ふと見せるささやかな笑顔が、ジャンヌにとっては何よりの報いだった。
(トーマスが喜んでくれるのが嬉しい。彼を支えたい――ずっと)
胸を満たす温もりと同時に、切なさも募る。彼の心に、自分の想いがどれほど届いているのか分からない。
それでもジャンヌは、この日々を一瞬たりとも無駄にしたくないと決意していた。
ーーだが、トーマスの気持ちは違っていた。
ジャンヌに恋愛感情を抱いているわけではなかった。
彼にとってジャンヌは、幼馴染であり、信頼できる仲間。その存在に甘え、癒やされてもいたが、それはあくまで「友情の延長」に過ぎなかった。
「もう二度と帰ってくるな!」
叔父の怒鳴り声とともに、わずかな荷物が外に放り出された。
血の繋がった叔父の仕打ちに心が凍りついたが、勝手を言った自分が悪いのだとジャンヌは思い込み、泥のついた荷物を拾い上げ、深々と頭を下げて玄関を後にした。
馬車乗り場で待っていたトーマスは、ジャンヌを見つけると手を振り、すぐに駆け寄った。
「ジャンヌ、荷物はこれだけか?」
彼の視線が、泥だらけのカバンに止まった。
「……カバン、泥まみれだ」
「落としちゃって……。こんなままじゃ、馬車の中で迷惑になるわよね」
慌ててハンカチを取り出すジャンヌ。
「おじさんに投げられたんだな?本当に酷いことをする」
呆れたように言いながら、トーマスは自分のハンカチを差し出し、一緒に拭き始めた。
「あ、トーマスのハンカチが汚れちゃう」
「大丈夫だ。一緒にやった方が早いから」
その優しさに、ジャンヌの瞳が潤む。涙をこぼすまいと唇を噛みしめ、彼女は小さく問う。
「……わたし、馬車代も払えないのに、一緒に行っていいのかな…?」
「ああ、気にするな。出世払いで返してくれたらいい」
冗談めかして言う彼の言葉に、ジャンヌは胸が熱くなる。
小遣いもなく、都会行きを反対されていた彼女には、自由になるお金などなかったのだ。
けれど、トーマスは事情を理解し、当然のように負担するつもりでいた。
「本当に……ありがとう、トーマス」
「俺たち幼馴染だろ?気にすんな」
安心させるように笑う彼。
ジャンヌは胸の高鳴りと同時に、「幼馴染」という一言に小さな痛みを覚えた。
***
馬車に揺られること三日。
都会の街並みは、これまでの田舎とはまるで別世界だった。
石畳の道、商人の威勢のいい呼び声、香辛料の匂いが混じる空気――新鮮で、同時にどこか恐ろしい。
ジャンヌは都会でも有数の大商会の事務として勤めることになり、寮に入った。
木の香り漂う小さな部屋。
簡素ながらも自分だけの空間に、窓から射し込む朝日を浴びながら、彼女は静かに微笑んだ。
一方のトーマスは、設計士を目指して建築会社に勤め、近くに小さな部屋を借りて一人暮らし始めた。
二人の職場は歩いて通えるほどの距離。田舎から来た二人にとって、互いの存在が心強かった。
会えるのは毎日ではない。
それでもジャンヌにとって、彼のそばにいられることは何よりの喜びだった。
休日には共に食事に出かけることもあった。
「このお店、気になってたの」
「うちの会社の女子たちも噂してたよ」
この日、二人は街で新しくオープンした話題のカフェに来ていた。
ジャンヌは淡いブルーのワンピースに薄黄色のリボンを添えて、精一杯のおしゃれをしていた。
胸をときめかせながら、彼の話を聞く。
「トーマス、会社の女の子たちと仲良くなった?」
「いや、全然。設計部は男ばっかりで、女子と話す機会なんてないな」
何気なく答える彼に、ジャンヌはほっとする。
食事を分け合い、笑い合うひととき。
やがて話題は、トーマスの食欲のことに及ぶ。
「街の店はどこも量が少ないんだよな。足りなくて、いつも腹を空かせてる」
「ふふっ。じゃあ、自炊したら?」
「いや、俺、料理したことないからなぁ。親父との生活は、食事はお手伝いさん任せだったからさ」
「そうよね、トーマスが料理する姿は想像できないわ」
ジャンヌは少しの勇気を振り絞り、唇を震わせながら言った。
「……あの、トーマス?もし迷惑じゃなければ……わたし、ご飯を作りに行ってもいい?」
「え!?いいのか?めちゃくちゃ助かるんだけど!」
ぱっと明るく笑ったトーマスの声に、ジャンヌの胸は一気に高鳴った。
それは些細な申し出に過ぎなかったはずなのに、彼女にとっては大きな一歩だった。
その日から、ジャンヌは彼の部屋に通い、食事を用意し、ときには洗濯や掃除までこなすようになった。
田舎で暮らしていた頃、叔父一家の家事を一手に担っていたジャンヌにとって、それは日常の延長にすぎなかった。
けれど、トーマスのために手を動かすと、不思議とそのひとつひとつが、特別な時間へと変わっていった。
「いつもありがとう」
「疲れて帰ってきて、ご飯があるのって最高だ」
「洗濯までしてくれたのか。助かるよ」
その何気ない言葉と、ふと見せるささやかな笑顔が、ジャンヌにとっては何よりの報いだった。
(トーマスが喜んでくれるのが嬉しい。彼を支えたい――ずっと)
胸を満たす温もりと同時に、切なさも募る。彼の心に、自分の想いがどれほど届いているのか分からない。
それでもジャンヌは、この日々を一瞬たりとも無駄にしたくないと決意していた。
ーーだが、トーマスの気持ちは違っていた。
ジャンヌに恋愛感情を抱いているわけではなかった。
彼にとってジャンヌは、幼馴染であり、信頼できる仲間。その存在に甘え、癒やされてもいたが、それはあくまで「友情の延長」に過ぎなかった。
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