【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

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 ジャンヌが商会で働き始めてから、すでに三か月が過ぎていた。

 ジャンヌと同時期に五人が商会に就職した。

 それぞれに指導係がついたが、ジャンヌの担当は、厳しさで知られる女史・ケイシーだった。

「ジャンヌは、気の毒ね」

 同期たちは口々に同情したが、ジャンヌは全く気にしていなかった。
叔父夫妻や従姉妹とは違い、理不尽な指摘はなく、教えられることはすべて理にかなっていたのだ。

 昼休み。薄曇りの光が差し込む食堂で、同期たちは笑いながらそれぞれの愚痴を零していた。

「今日もケイシー女史に怒られちゃったわ。書類のまとめ方が雑ですって! 私の先輩はこれで良いって言ってくれたのに……あの人、厳しすぎる」

 一人が眉をひそめて嘆く。
 手元の書類をぎゅっと握りしめながら、まだ苛立ちが残っている様子だ。

「私は取引先に対して、言葉遣いを注意されたわ。社長は笑って許してくれたのに!」
 別の同期も、肩をすくめながらため息をつく。言葉遣い一つで叱責されるのは、気が重かったのだろう。

 「ジャンヌ、よく彼女にマンツーマンで教わって平気ね?」

 同期たちはそれぞれ、ケイシーの厳しさに愚痴を零していた。

 彼女たちの表情を眺め、ジャンヌは頷く。確かにケイシー女史の指導は厳しかった。

「……そうね、今のところ問題ないわ」

 ジャンヌは少し微笑みながら返事をしたものの、むしろケイシー女史に感謝すらしていた。

 きめ細やかに指導してくれるおかげで、仕事の理解が深まっていくのを感じていたからだ。

 ただ、この場で庇うような言動をすれば、同僚たちの反感を買うことは容易に想像できた。

(…職場の人間関係って、難しいわね…)

 心の中で小さくつぶやき、ジャンヌは自分に言い聞かせる。

 表面上は愚痴に笑顔を合わせながらも、波風を立てず、周囲とうまくやる術を自然と身につけていた。

 そんな中で、唯一の心の支えはトーマスだった。

 彼のことを考えるだけで、緊張や不安が和らぎ、今日もまた頑張ろうという力が湧いてくる。


***

 仕事を終え、寮に戻らずトーマスの部屋へ向かうのが、ジャンヌの日課になっていた。

 二日ぶりに訪れた部屋は、すでに合鍵を持つジャンヌの方が早く到着していた。

 部屋の中は衣類が散乱し、ジャンヌが二日前に作った料理の食器が、食べ終えたまま流しに山積みにされていた。

「もう、トーマスってば……」

 呆れた言葉が口をついて出るが、それよりも彼のために家事ができる喜びが勝っていた。

 ――私は、トーマスに必要とされている。

 その思いは、幼い頃から抱いてきた感情と重なり、胸を温かく満たしていく。

 散らかった部屋を片付けていると、ダイニングテーブルの上に無造作に置かれた手紙が目に入った。

 花柄の便箋は、明らかに女性からのものだった。

(……トーマスに?)

 胸がざわつき、心臓が高鳴る。読んでしまいたい気持ちと、見てはいけないという思いが交錯する。

 指先がわずかに震え、視線を逸らす。

――読みたい。でも、読めない。

 ジャンヌは深呼吸をして気持ちを落ち着け、手紙から目を逸らした。胸の奥に残る小さなざわめきを感じながらも、彼のための家事に手を戻す。

 今日はトーマスの好物、ビーフシチューを作っていた。鍋から漂う香りに、ジャンヌの胸は少し落ち着く。

「ただいま!良い匂いがする。今日はビーフシチュー?」

 ドアの開く音と同時にトーマスが帰宅した。好物を目にして破顔する彼に、ジャンヌの胸は一瞬だけ軽く跳ねた。

「もう出来上がったから、テーブル片付けてくれる?」

 台所から声をかけるジャンヌに、トーマスはにこやかに「わかった」と返事をする。だがその表情には、どこか神妙な雰囲気も混じっていた。

「あのさ、テーブルの………読んだ?」
 気まずそうに問いかけるトーマスに、ジャンヌは知らん顔を装して答える。

「えー?何のこと?」
「いや、何でもない。ご飯にしよう!」

 トーマスは安堵の笑みを浮かべ、配膳を始めた。

 「ジャンヌ、今日もありがとう。君がいてくれて、本当に助かる」

 その言葉に、ジャンヌの頬はほんのり赤く染まる。胸の奥で甘く、しかし少し切ない温もりが広がった。

 ――やっぱり、私はトーマスに喜んでもらうためにここにいる。

 彼のために何かをすること、それがジャンヌにとって生きる意味のように感じられた。

 一方、トーマスは無自覚のまま、ジャンヌの存在を生活の中心に置き始めていた。

 疲れて帰る日も、忙しい日も、彼女の笑顔を思い浮かべるだけで胸の奥がほっと温かくなる。

 恋愛感情ではなくても、ジャンヌは確かに彼の心の支えになっていた。










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