【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

文字の大きさ
5 / 74

5

しおりを挟む
 その日の夕暮れ、ジャンヌはトーマスの部屋で夕食を囲んでいた。

 テーブルにはジャンヌが用意した煮込み料理が湯気を立てている。

 いつもの穏やかな時間――のはずだったが、トーマスは向かいに座る彼女の様子に、ふと違和感を覚えた。

「……ジャンヌ、なんか元気ないな。大丈夫か?」
 フォークを止めたトーマスが心配そうに覗き込む。その声音に、ジャンヌの心は温かな光で満たされた。

 自分の小さな変化に気づいてくれる人がいる――そのことが何より嬉しかった。

「ううん、平気よ。気を遣わせちゃったね」

 そう言って、ジャンヌは慌てるように笑顔を作った。

 無理をしていることは自分でも分かっていたが、これ以上トーマスに心配をかけたくなかった。

 彼は彼で、彼女が笑ったのなら本当に大丈夫なのだろうと、それ以上は深く追及しなかった。

 食事を続けながら、トーマスが何気ない口調で切り出す。

「そういえばさ、ジャンヌは会社で気になる人とか……できたか?」

 思いがけない質問に、ジャンヌは驚いて手を止めた。

「えっ……いないわよ。そんなの」
 気を取り直してそう答えると、逆に問い返す。

「じゃあ、トーマスは?」

 トーマスは少し目を逸らしてから、苦笑いを浮かべた。

「うーん…いや、今のところはいないかな。でも……まあ…」

 歯切れの悪い返事に、ジャンヌの心がそわそわと揺れる。

「みんな、恋愛話が好きだよなー。職場でも、なんか自分だけ置いていかれてる気がするんだよ」
 トーマスは肩をすくめ、軽くため息をついた。だがすぐに笑みを戻し、ジャンヌを見た。

「でもさ、俺はジャンヌとこうしてご飯食べてる方が気楽でいいよ。余計なこと考えなくて済むしな」

 その言葉は、ジャンヌには特別な響きを持って届いた。

「……私もよ」

 思わず声が漏れた。勇気を振り絞り、問いかける。

「ねえ、私たち……ずっと変わらずに一緒にいられる?」

 トーマスは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔を見せた。

「もちろん!そんなの当たり前だろ」

 その笑顔に、ジャンヌは頬が熱を帯び、視線を逸らせなくなった。

 夕食を終え、トーマスが食器を片づけながら何気なく言った。

「やっぱ、ジャンヌが来てくれると助かるな。俺、一人だと部屋ぐちゃぐちゃだし。
ジャンヌが居ないと生きていけないかも」

 それは軽い冗談のつもりだったが、ジャンヌの心臓は跳ねるように速まった。

 ――トーマスに必要とされてる。

 そう感じてしまう自分に気づき、頬がさらに赤くなる。

「ほんと、ジャンヌが近くにいてくれてよかった。都会の人間って何考えてるのかわからないし。ジャンヌだけだ、心開けるのは…」

 その無邪気な言葉に、ジャンヌは胸の奥をぎゅっと掴まれるような切なさを覚えた。

だけ』

 ――私はトーマスにとって特別なんだ。

 自分でも気づかぬうちに、ジャンヌの中で「友達」の線はすでに恋人の領域へと踏み込んでいた。

 けれどトーマスはそんなことには気づかず、ソファに腰を下ろして大きく伸びをした。

「ふぅ……明日も早いし、今日はもう寝るかな」

 あっさりとした言葉で区切られた夜。
 ジャンヌは心のざわめきを抱えたまま、
「じゃぁ、私はそろそろ帰るね、おやすみなさい」と微笑んだ。


***

 ジャンヌが帰宅し、一人になったトーマスは、机の引き出しから花柄の封筒を取り出した。

 それは、まだ返事をしていないラブレター。

「……『好きです、付き合ってください』、か」

 声に出すと、紙に書かれた直筆の文字が不思議と鮮やかに心に残り、胸の奥に波紋が広がった。

「ハルディ……」

 送り主の名前を呟くと、自然と彼女の姿が思い浮かぶ。

 大きな瞳に小ぶりな鼻、やや肉感的な唇は可愛らしさと色気を併せ持っている。
 小柄で華奢な体つきなのに、豊かな胸元が目を引き、いつも周囲の視線をさらっていた。

――俺なんかに、ほんとに?

 信じられない思いと同時に、くすぐったいような高揚感が体を駆け抜ける。

 今日の昼休みに先輩たちが話していたことが、また頭をよぎった。

「おい、見ろよ。ハルディがいる」

 先輩や同期たちと食堂で昼食をとっていると、先輩社員が声を上げた。

 視線の先には、トレイを手にして席を探すハルディの姿があった。

「やっぱ可愛いよなー」
「ちょっとドジなとこも、逆に堪らないんだよな。女子には僻まれてるけどさ」
「そういえば…ユアン先輩とは別れたんだろ?」

 彼らの会話に、トーマスの手が止まる。

「ああ、そうみたいだ。なんでもハルディから、好きな人ができたって振ったらしいぞ」
「えっ、あのユアン先輩を?!営業部のエースでも振られるのかよ」

 その言葉を聞いた瞬間、トーマスは食べ物を喉に詰まらせてしまった。

「ゴホッ、ゴホッ……!」
「おい、大丈夫か!? ほら水!」
「すみません、ありがとうございます……」

 ――好きな人ができた。

 その一言に鼓動が早まり、体の奥がざわつく。

(……俺のことなのか?)

 答えの出ない予感に戸惑っていると、会話は再び続いた。

「にしてもさ、ユアン先輩は未練タラタラらしいぜ」
「ははっ、分かる気がするわ」

 そう話していた矢先、ハルディ本人が近づいてきた。

「私も、ここに一緒にいい?」

 にこやかな笑顔と共に差し出された声に、テーブルの男子たちは一斉に浮き立った。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうぞお好きになさってください

みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。 婚約者の第一王子殿下は言った。 「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」 公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。 「好きになさればよろしいわ」

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

処理中です...