【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

文字の大きさ
6 / 74

6

しおりを挟む
 食堂で同僚たちと席を囲んでいると、ふいに明るい声が響いた。

「私も、ここに一緒にいい?」
 トレイを持ったハルディが近寄ってきて、ためらいなくトーマスの隣に腰を下ろした。

 ハルディの肘が軽く触れ、思わずトーマスは身を引く。

「あ、ごめん」
「気にしないで」

 大きな瞳を細めて、にこやかに返すハルディの微笑みに、胸が不意にざわついた。

 やがて周囲の会話が盛り上がり、賑やかな笑い声が響く中――再び、ハルディの肘がトーマスの腕に触れた。

(……また、当たった)

 慌てて手を引こうとしたその瞬間、横からクスッと小さな笑い声が聞こえた。
 視線を向けると、ハルディが意味深な微笑みを浮かべている。

「……ふふっ、トーマスって可愛いね」

 彼女の囁きは小さかったが、確かに耳に届き、心臓が一気に跳ねた。

「……」

 トーマスは視線を逸らし、わざと無表情を装った。だが、胸の内は熱く、鼓動は速さを増していた。

 周囲の誰も気づかない中、一人だけ――同期のアランが、そのやり取りを黙って見つめていた。

 午後、設計図の前に座り、製図ペンを走らせていても、ハルディの肘の柔らかい感触がふと甦る。

 線をまっすぐ引こうと集中しているはずなのに、ペン先がわずかに震えてしまう。

 頭の中では構造計算や寸法の数字が並んでいるのに、その合間から彼女の笑みや囁き声が忍び込んでくる。

(落ち着け……今は仕事に集中だ)

 自分に言い聞かせるが、図面の余白に咲いた小さな花柄模様が、どうしても彼女の便箋を思い出させた。

 消しゴムで何度も消しては描き直し、気づけば定規を握る手に汗が滲んでいた。

 トーマスの真剣な横顔に、通りがかった女性社員たちが思わず足を止めた。

「ねえ見て、あの集中してる顔……」
「やっぱり彼って素敵だわ」
「定規とペンを持つ姿まで、まるで絵画みたいじゃない?」

 囁きはたちまち広がり、小さなため息やくすくす笑いが周囲に漂う。
 中には手に持っていた布や書板で頬を隠しながら、赤らめた顔で見つめ続ける者までいた。

 だが当のトーマスは、熱を帯びた視線には気づかない。定規とペンを握る手を止めず、必死に図面と数字に向き合っていた。




 夕方。帰り支度をしていると、声を掛けられた。

「なあ、トーマス。帰りに食事でも行かないか?」

 顔を上げると、そこに立っていたのは同期のアランだった。

 短く刈り込んだ金髪に、背が高くがっしりとした体格。誠実さを漂わせる落ち着いた眼差しと、真面目な人柄で評判の男だ。

 ジャンヌが食事を用意してくれているのはわかっていたが、せっかくの誘いを断るのも悪い気がして、トーマスは頷いた。

「……ああ、行こう」

 心のどこかで――ジャンヌの料理は、明日の朝食べればいい。帰りが遅ければ、彼女も先に帰るだろうと考えていた。

 近くの酒場に入り、木のテーブルに簡単な料理を並べながら、二人は互いの仕事の話や日々の出来事を語り合った。

「今日も一日、疲れたな…」
「だな。でも、こうして一息つける時間はありがたいよな」
「そうだな。俺もまだ覚えることばかりで手一杯だし、トーマスもきっと同じだろ?」
「ああ。設計の書類や図面の整理とか、まだ手順を覚えるのに精一杯だよ」

 アランはがっしりした体格を生かしてテーブルに肘をつき、真剣な表情で話す。

「でも、こうして話すと少し気が楽になるな。新人だからこそ分かる苦労ってあるし」
「そうだな。もう、学生時代と違うし…仕事を覚えないと話にならないからなぁ」

 二人の会話は自然に笑いも混ざり、穏やかに続いた。だが、アランの表情がふと真剣になった。

「ところで……一つ聞きたいんだ。お前、ハルディ先輩に狙われてないか?」

 唐突な問いに、トーマスはグラスを持つ手を止めた。

「……な、何でそんなことを?」

 声がわずかに震えた。動揺は隠しきれない。アランは苦笑しながらも頷いた。

「やっぱり、図星か」
「いや、別に…っていうか、どうして?」
 トーマスは少し驚きながら答えた。

「そりゃ、同期として心配だからさ。実は俺、同期に彼女がいて聞いたんだ。ハルディ先輩の評判は、あまり良くないってね。仕事よりも恋愛に熱心で、狙った獲物は逃さないって話らしい」

 アランはさらに言葉を重ねた。

「君、女性経験はあるか?」

「っ…!え?…ああ…、うん、まあ…」
 トーマスの動揺は隠せなくなっていた。

「もし付き合う気があるなら、彼女を満足させられないと続かないぞ。
お前は仕事熱心で、期待されてる人材だ。だからこそ……色恋沙汰で駄目になってほしくないからな。付き合う気がなければ、この話は忘れてくれていい」

 アランの言葉は、同じ新人としての率直な忠告だった。真剣な表情で見つめられ、トーマスは胸の奥がざわつくのを感じた。

「…ああ、分かった。気をつけるよ」
「うん。それでこそ、同期として安心できるってもんだ」

 アランの誠実さと配慮に、トーマスは安心しつつも、同時にハルディのことを意識せずにはいられなかった。


 





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうぞお好きになさってください

みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。 婚約者の第一王子殿下は言った。 「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」 公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。 「好きになさればよろしいわ」

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...