【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

文字の大きさ
24 / 74

24

しおりを挟む
 その頃――。
ジャンヌは冷めた夕食の前で、芯の短くなった灯をぼんやり見つめていた。

(……遅いな)

 今日は休日で出かけると言っていた。
 トーマスからは「遅くなる」という短い書き置きだけが机の上に残されていた。

 行き先も用件も知らない。胸騒ぎだけが膨らんでいく。

(せめて、どこへ行くのかだけでも聞いておけばよかった)

 深くため息をつく。
 なら、お互いの予定を把握していてもいい――そんな考えが頭をもたげる。

 開く気配のない玄関扉に視線を向けた。
 いつもなら、遅くとも扉は開いていたが、今夜は風の音だけが聞こえる。

(事件とか、事故でなければいいけど)

 言い訳は、夜半を過ぎるほど重くなる。
 鳥が鳴き、空が白み始めても扉は動かなかった。

 ジャンヌの胸騒ぎは、朝靄よりも濃くなっていく。もう一度ため息をつき、髪をまとめて紺のリボンを結ぶ。

 椅子から立ち上がり、洗面所へ向かった。鏡の前で笑顔の練習をして、寮を出た。



 商会に出社したジャンヌは、冴えない顔色を手の速さで上書きした。

 帳簿を取り出し、転記、照合、予定の整理。影より先に指が動く。

「ジャンヌ、頼みたいことがある」

 帳場にライリーが現れた。
 刈り揃えた栗色の短髪に灰青の瞳。背筋がすっと伸び、無駄のない所作で澄んだ声は、まっすぐ要件だけを射抜いてくる。

「新規先の台帳を分けたい。税の扱いが違うから、列を増やして見やすく整理したいんだ」

「承知しました。摘要を分けて転記ルールを書き出します。今日中に原紙を作ります」

 一を言えば十を汲む理解と段取りだった。ライリーは内心、舌を巻く。他の新人のような余計な私語は一切ない。

「無理はしないこと」

「大丈夫です」

 迷いのない返事。頼もしさと同時に、少し危うい速さ――何かを誤魔化す時の速度だ、とライリーは感じた。

「助かる」
 そうだけ告げて持ち場へ戻る。



 昼休み。
 食堂の隅で、ライリー、マイルズ、ケイシーの同期三人が皿を並べていた。気安い会話が続く。

「今回の出張、長かったな。二年くらいか?」
 マイルズがサラダをつつきながら訊く。

「二年ちょっと。隣国で新規店舗を立ち上げられたのは、いい経験になったよ」

「いいわね。やりがいがあるでしょう」
 ケイシーが水で喉を潤し、言葉を継いだ。

「私もチャンスがあれば行きたいわ」
「君みたいな有能な人が抜けると本店は痛手だろ」
「おや、それは安易に“俺は有能じゃない”と言ってないか?」
「ち、違う違う!君のルートは出世コースだ」
 戯けるライリーに吹き出し、慌てて訂正するマイルズ。

「ケイシーが抜けると、女性陣の士気が下がるというか」

「私は監視役を任された覚えはないのだけれどね」
 ケイシーが片目をつぶって肩をすくめる。ライリーがふと思い出したように口を開いた。

「君の担当のジャンヌ、すごくいいね。一度言えば先回りして手を打つ。数字も速い」

「今年の新人では群を抜いてるわ」

「頭も回るし気も利く。続けていけばケイシーみたいになる」

「私を例に出さないで」
 ケイシーが笑う。

「ただ、仕事に打ち込みすぎているのが気になる」
 ライリーが低く言う。

「打ち込むこと自体は悪くない。新人なら早く覚えたい気持ちもあるだろうし、彼女なりの信念かもしれない。――ただ」

「ただ?」とケイシー。

「もし“自分の感情を誤魔化す逃げ場”として打ち込んでいるなら、やがて潰れるかもしれない」

「……彼女さ、良い恋愛をしていない気がするんだ。潰れないといいんだけど」
 マイルズは、笑顔を貼りつけたまま冴えない顔色で働くジャンヌを思い出しながら言った。

「ケイシー、相談に乗れば?」
「私は恋愛相談がいちばん苦手」
「同感」
 ライリーも頷く。

「じゃあマイルズが」
 二人に振られ、マイルズは顔をしかめて首を振った。

「勘弁して。後輩女子と二人きりで相談なんて、変な噂が立ったら困る」
 三人は苦笑し、結論を一つにした。

「……見守るしかないね」

 ちょうどそのとき、食堂の扉が軋む。
 ジャンヌが入ってきた。三人に気づかず、窓辺の奥へ。静かに腰を下ろし、器を両手で包む。所作は乱れず、表情は薄い。

(大丈夫か)

 ライリーは一瞬だけ視線を遣り、すぐ戻した。今は――見守る。それがいちばんいい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうぞお好きになさってください

みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。 婚約者の第一王子殿下は言った。 「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」 公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。 「好きになさればよろしいわ」

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

処理中です...