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ジャンヌは、どうやって寮まで戻ってきたのか、自分でも思い出せなかった。
気づけば、狭い部屋のベッドの端に腰を落とし、靴も脱がずに毛布にくるまっていた。
冷たい夜気が窓辺からじわじわと染み込み、暗闇はまるでジャンヌの心をそのまま映しているようだった。
胸の奥には、動かせない石の塊が居座り、息をするたびに重みを増していく。
食堂に行く気力もなく、夕飯は抜いた。机の上に置かれたぬるい水を一口含むのに、ひどく時間がかかった。
喉を通るたびに胸の奥が裂けるように痛い。ため息を飲み込もうとした拍子に、涙が一粒、頬を伝った。
「……トーマスっ……」
名前を口にした瞬間、張り詰めていたものが切れ、嗚咽が小さな部屋に響いた。
息を殺して泣こうとしても、体が震えて、声が漏れてしまう。胸の奥の空洞が音になってあふれ出す。
横になって目を閉じると、次々に彼との記憶が押し寄せてきた。
叔父一家に虐げられていた日々、唯一優しくしてくれた少年――トーマス。
冬の日、冷たい洗濯水に手を浸すジャンヌにお湯を運んでくれたこと。
荒れた手に軟膏を差し出してくれたこと。
トーマスが街に出た時は、必ず、お菓子をお土産でくれたこと。
トーマスの優しさに、お返しができないと落ち込むジャンヌに、穏やかな笑みを浮かべて「気にすんな」と笑って頭を撫でてくれた、あの大きな手の感触。
一緒に上京してからも、劇場や食事、街歩き――二人で過ごす時間が何よりの救いだった。
身体を重ねるようになってからは、最初は戸惑いながらも、次第にその温もりの中で安堵を覚え、愛されているのだと信じた。
あれは恋人同士だからだと思っていたからだった。
彼との思い出の一つ一つが胸を締めつけ、息をするたびに涙が溢れていく。
ーージャンヌ気づけば、夢を見ていた。
彼の部屋で夕食を準備している。
夢の中のトーマスは、あの頃と同じ顔で部屋に帰ってきて、ジャンヌの頬に触れた。
「ジャンヌ、傷つけてごめん。ハルディとは遊びだった。俺には、ジャンヌしかいない」
柔らかく、低く、優しい声でそう囁き、彼は腕を広げる。
ジャンヌは泣きながら飛び込んで、彼の温かく広い胸に顔を埋め、もう離れないと胸に誓った。
……幸せな夢だった。
けれど、目覚めたときにあったのは薄暗い天井と冷たい空気だけだった。
そこはトーマスの部屋ではなく、自分の部屋だった。手のひらに残っているはずの温もりはなく、頬だけが涙で濡れている。
「……夢だったの……」
かすれた声で呟くと、その瞬間に胸の奥の何かが音を立てて崩れ、ジャンヌは毛布の中に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
泣いても泣いても、あの日々は返ってこない。昨日までの思い出が、誰かの物語のように遠くなっていく。
「どうして……どうして、あんな顔で……あんな声で……」
問いかけても、返ってくるのは嗚咽と自分の息の音だけだった。
小さな部屋にその音が反響して、孤独はますます濃くなっていく。
窓の外では朝の光が差し、石畳を撫でる風の音が続いていた。
いつもはその音を子守歌のように感じていたのに、今は心の隙間に冷たい指を差し込むようにしか聞こえない。
(……起きなくては……)
そう自分に言い聞かせながら、鉛のように重い体をゆっくりと起こした。
机の鏡を覗くと、頬は青ざめ、目の下には深い影が落ちていた。震える手で髪をまとめたが、指先の感覚が自分のものではないように遠かった。
外套を羽織ろうとした瞬間、ジャンヌの視界がぐらりと揺れた。
胸の奥が焼けるように熱いのに、背筋には氷のつめたさが這い上がってくる。指先まで力が抜け、壁に手をついてようやく立っている。
(いけない……仕事に行かなきゃ……)
小さく口の中で繰り返しながら、外套のボタンを留めようとしたが、指が思うように動かない。
昨日の夜、きちんとした睡眠が取れなかったせいだろうか。
部屋の空気を吸い込むと、涙と吐き気が同時にこみ上げてくる。ジャンヌは必死に飲み込んだが、足元から力が抜け、椅子に崩れ落ちた。
膝に顔を埋め、浅い呼吸を繰り返す。
胸の奥で石のような重みが動かず、体温だけが奪われていく。
(……仕事に行かなくちゃ……)
何度唱えても体が言うことをきかない。
立ち上がろうとするたびに、頭の奥で鐘のような音が鳴り、視界が白く霞む。
(ダメ…、しっかりしなくては)
自分にそう言い聞かせ、静かに呼吸を整えたあと、ゆっくりと起き上がったジャンヌは、外套の襟を握りしめた。
胸の奥には石を抱え込んだような重さがあるのに、時間だけは止まってくれない。足を動かさなければ、置いていかれる。
石畳を踏みしめる音が、自分のものかどうかも曖昧なまま、ジャンヌは商会への道を歩いた。
気づけば、狭い部屋のベッドの端に腰を落とし、靴も脱がずに毛布にくるまっていた。
冷たい夜気が窓辺からじわじわと染み込み、暗闇はまるでジャンヌの心をそのまま映しているようだった。
胸の奥には、動かせない石の塊が居座り、息をするたびに重みを増していく。
食堂に行く気力もなく、夕飯は抜いた。机の上に置かれたぬるい水を一口含むのに、ひどく時間がかかった。
喉を通るたびに胸の奥が裂けるように痛い。ため息を飲み込もうとした拍子に、涙が一粒、頬を伝った。
「……トーマスっ……」
名前を口にした瞬間、張り詰めていたものが切れ、嗚咽が小さな部屋に響いた。
息を殺して泣こうとしても、体が震えて、声が漏れてしまう。胸の奥の空洞が音になってあふれ出す。
横になって目を閉じると、次々に彼との記憶が押し寄せてきた。
叔父一家に虐げられていた日々、唯一優しくしてくれた少年――トーマス。
冬の日、冷たい洗濯水に手を浸すジャンヌにお湯を運んでくれたこと。
荒れた手に軟膏を差し出してくれたこと。
トーマスが街に出た時は、必ず、お菓子をお土産でくれたこと。
トーマスの優しさに、お返しができないと落ち込むジャンヌに、穏やかな笑みを浮かべて「気にすんな」と笑って頭を撫でてくれた、あの大きな手の感触。
一緒に上京してからも、劇場や食事、街歩き――二人で過ごす時間が何よりの救いだった。
身体を重ねるようになってからは、最初は戸惑いながらも、次第にその温もりの中で安堵を覚え、愛されているのだと信じた。
あれは恋人同士だからだと思っていたからだった。
彼との思い出の一つ一つが胸を締めつけ、息をするたびに涙が溢れていく。
ーージャンヌ気づけば、夢を見ていた。
彼の部屋で夕食を準備している。
夢の中のトーマスは、あの頃と同じ顔で部屋に帰ってきて、ジャンヌの頬に触れた。
「ジャンヌ、傷つけてごめん。ハルディとは遊びだった。俺には、ジャンヌしかいない」
柔らかく、低く、優しい声でそう囁き、彼は腕を広げる。
ジャンヌは泣きながら飛び込んで、彼の温かく広い胸に顔を埋め、もう離れないと胸に誓った。
……幸せな夢だった。
けれど、目覚めたときにあったのは薄暗い天井と冷たい空気だけだった。
そこはトーマスの部屋ではなく、自分の部屋だった。手のひらに残っているはずの温もりはなく、頬だけが涙で濡れている。
「……夢だったの……」
かすれた声で呟くと、その瞬間に胸の奥の何かが音を立てて崩れ、ジャンヌは毛布の中に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
泣いても泣いても、あの日々は返ってこない。昨日までの思い出が、誰かの物語のように遠くなっていく。
「どうして……どうして、あんな顔で……あんな声で……」
問いかけても、返ってくるのは嗚咽と自分の息の音だけだった。
小さな部屋にその音が反響して、孤独はますます濃くなっていく。
窓の外では朝の光が差し、石畳を撫でる風の音が続いていた。
いつもはその音を子守歌のように感じていたのに、今は心の隙間に冷たい指を差し込むようにしか聞こえない。
(……起きなくては……)
そう自分に言い聞かせながら、鉛のように重い体をゆっくりと起こした。
机の鏡を覗くと、頬は青ざめ、目の下には深い影が落ちていた。震える手で髪をまとめたが、指先の感覚が自分のものではないように遠かった。
外套を羽織ろうとした瞬間、ジャンヌの視界がぐらりと揺れた。
胸の奥が焼けるように熱いのに、背筋には氷のつめたさが這い上がってくる。指先まで力が抜け、壁に手をついてようやく立っている。
(いけない……仕事に行かなきゃ……)
小さく口の中で繰り返しながら、外套のボタンを留めようとしたが、指が思うように動かない。
昨日の夜、きちんとした睡眠が取れなかったせいだろうか。
部屋の空気を吸い込むと、涙と吐き気が同時にこみ上げてくる。ジャンヌは必死に飲み込んだが、足元から力が抜け、椅子に崩れ落ちた。
膝に顔を埋め、浅い呼吸を繰り返す。
胸の奥で石のような重みが動かず、体温だけが奪われていく。
(……仕事に行かなくちゃ……)
何度唱えても体が言うことをきかない。
立ち上がろうとするたびに、頭の奥で鐘のような音が鳴り、視界が白く霞む。
(ダメ…、しっかりしなくては)
自分にそう言い聞かせ、静かに呼吸を整えたあと、ゆっくりと起き上がったジャンヌは、外套の襟を握りしめた。
胸の奥には石を抱え込んだような重さがあるのに、時間だけは止まってくれない。足を動かさなければ、置いていかれる。
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