【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

文字の大きさ
37 / 74

37

しおりを挟む
 朝の帳場は、まだ暖炉の火が細く、紙とインクの匂いが静かに満ちていた。

 ジャンヌは机に腰を下ろし、深く一度だけ息を吸った。

 前髪を耳にかけ、白い細リボンの結び目にそっと触れてから、羽根ペンを動かした。筆圧は軽く、線はまっすぐ――ペン先は、思ったより素直に紙の上を滑った。

「おはよう、ジャンヌ。早いわね」
 背後から、ケイシーに声を掛けられる。

「おはようございます。体調も戻ったので、いつも通りに起きられるようになりました。」
 少しだけ張りのある声で返せたのが、自分でも分かった。

 伝票の束を手前へ寄せ、入荷記録の照合を始めた。ページを繰る音が、いつもの朝の音に重なった。



 昼の鐘が鳴ると、帳場の雰囲気はふっと軽くなる。

 ジャンヌは食堂へ移動し、木の盆を抱えて、列に並んだ。温かいスープの湯気に顔を撫でられ、少しだけ肩の力が抜ける。

 空いた席を探していると、奥の窓辺で手が上がった。

「ジャンヌ、こっち! 席、空いてるよ」
 マイルズが手を振る。ケイシーも目元を少し綻ばせた。その隣には、書類束を小脇に置いたライリーの姿もある。

「ご一緒しても……よろしいですか?」
「もちろん。座って」
 ケイシーが隣の椅子を引き、ジャンヌは静かに腰掛けた。

「体調は良さそうだな」
 水をひと口含んでから、ライリーが口を開く。
「はい。完全に良くなりました」
 ジャンヌは控えめに微笑んで答えた。

「若いから回復が早いね! 俺なら一週間は寝込むよ」
「若いって……私たちだってまだ若いわよ?」
 マイルズとケイシーの軽口が始まる。

「そりゃ中年ではないけどさ、十九歳のジャンヌから見たら、二十六歳の俺らとはもう違うよ」
 パンを口に運びながら、マイルズが続ける。
「なんだか、疲れが翌日まで残るんだよねぇ」
「俺は残らないけどな」
 ライリーが飄々と呟く。
「私も平気。マイルズが不摂生なだけでしょ?」
「えー、ここにきて仲間はずれかよ」

 三人のやり取りを聞きながら、ジャンヌは小さく笑った。

(私より、七つ上なのね……)


「そういえばさ」
 マイルズが思い出したように顔を上げる。
「市祭の臨時勘定、初陣であれは立派だったね。噂、聞いてるよ」
「クレーム対応も落ち着いてたそうね」
 ケイシーが感心したようにうなずく。

「ライリーさんに、たくさんフォローしていただきました」
 ジャンヌが照れたように視線を向けると、ライリーは肩をすくめた。

「最小限しかしてない。君がよくやった」
 その一言に、ジャンヌの表情が和らぐ。
「ありがとうございます」
 小さく頭を下げる。

「それと――“急ぎでない仕事は明日に回す”って言えたの、進歩よ」
 ケイシーが目を細める。

 ジャンヌは一拍おいてから、言葉を選んだ。
「はい。体調も気持ちも、仕事のペースも……自分で整えることが大事なんだって、わかりました」

「続けていくには一番の気づきだ」
 ライリーが短く添え、マイルズが「だね」とパンをちぎりながら頷いた。

 話は仕事から、他愛のない会話にうつる。

「なぁ、ライリー、また背が伸びた?」
「なんで。いまさら伸びるわけないだろ」
「最近、ライリーが机にいる姿が窮屈そうだから」
「机が縮んだだけだろ」
 マイルズとライリーが戯けた口調で会話を続け、冷静にケイシーが突っ込む。

「机に罪をなすりつけないの」
 小さな笑いがテーブルの上に広がる。
 ジャンヌも控えめに笑って、スープをひと口、含んだ。

(いつもの結び目)

 白いリボンに指先が触れ、ジャンヌは小さく息を整える。胸の奥に、無理のない熱が灯っている。



 同じ頃、食堂の柱の陰、離れた卓で同期の二、三人が身を寄せていた。

「見た?あの席」
「さすが“”。できる先輩の輪に自然に入るの、上手ね」
 匙の先で皿を叩く小さな音。

「病み上がりアピールも効いてるんじゃない?守ってあげたい感じ、出して」
「そうそう。ああいうの、得だよね」
「ほんと。あざといわ」
 声は落ちて、笑いは薄い。当人たちの耳には届かない距離感を保っている。

 一人が周囲をぐるりと見回し、囁きをさらに細くした。

「……少し冷やかしてやろうか。ほんの“”ね」



 窓辺の卓では、話が締まりかけていた。

 片付けに立ち上がると、ライリーがさりげなく言葉を足した。

「机の引き出しの内側に“手順メモ”を貼っておくと良い」
「手順メモ……ですか」

「ああ。伝票の栞がずれたり、何かしらのトラブルで行を見失っても、その順番を見れば、落ち着いて立て直せるから」

「……やってみます。ありがとうございます」

「俺、昔やらかしたんだ。二行飛ばしの名人時代ってやつだ」
 とマイルズが肩をすくめると
「それ、名人って言わないからね」
 ケイシーが即座に突っ込み、四人が小さく笑う。

 その笑い声は、冬を抜けた陽だまりのように短く、温かかった。




 午後。
 帳場へ戻る途中、廊下でライリーとすれ違った。彼は書類束を肩へ、足を止めずに言った。

「自分のペースでな」
 言葉は短かったが、ジャンヌは彼の気遣いに感謝した。

 ジャンヌは席に戻ると、まず胸の結び目を一度、きゅっと結び直した。
 ページの角を揃え、深呼吸。ペン先は、また素直に滑り出す。

 ――“”は、すぐには取り戻せない。けれど、戻る道筋はもう見えた。

 あとは、結び目を確かめながら、少しずつ進むだけだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうぞお好きになさってください

みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。 婚約者の第一王子殿下は言った。 「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」 公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。 「好きになさればよろしいわ」

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

処理中です...