50 / 74
50
しおりを挟む
夕刻。
退勤の鐘が鳴り、封印紙に今日の日付が並ぶ。ジャンヌが外套を羽織って門へ向かうと、門柱の影からライリーが姿を現した。
「今、帰りか?寮まで送るよ」
「……ありがとうございます。お願いします」
石畳を並んで歩く。
焼き栗屋は今日は休みで、かわりに角の花売りが薄い紙に包んだ花を積んでいる。
「昼、ハンネスと話しているのを見かけたよ」
「はい。ライリーさんの“隊長”の由来を教えてもらいました」
「大した話じゃなかっただろう」
ライリーの軽口にジャンヌは首を振る。
「いえ、立派なお話でした。怪我までされたって……」
「たいした傷じゃない。あの町は天候が荒れやすいからね。二年前は、大寒波で人も紙も危うかった」
「でも、ライリーさんの機転で、被害が出なかったと伺いました」
「いや、それは俺ひとりの力じゃない。皆で動けたからさ」
照れ隠しのように、そっけなく言う。
「それでも……本当に良かった。無事で」
ジャンヌの瞳はまっすぐだった。二年前の彼を思うだけで、胸がきゅっとなる。
「皆、無事だったことが何よりだな」
「はい。あの……ライリーさん、どうか無理はなさらないでください」
「ふっ。君がそんなに心配してくれるとは」
柔らかい笑みがこぼれ、ジャンヌの鼓動が小さく跳ねた。
「……心配します」
思わずうつむく声は、すこし小さい。
「無茶はしないよ。前へ進むには、慎重に歩くときも必要だ」
二人の歩調が自然にそろう。
ジャンヌは迷い、けれど口を開いた。
「さっき、中庭で……エレナさんとご一緒でしたね。笛の音が、少し……」
ライリーはキーリングを持ち上げ、小さな笛を親指で弾く。
「ああ、見られてたか。ハンネスの娘さんだ。北の町でよく手伝ってくれてね。これは彼女にもらった笛。あっちの風の音が、よく鳴る」
「……綺麗な方でした」
ジャンヌはそう言って胸の奥が、少しだけ苦しくなる。
「そうかな。二年前はまだ子供でね。今も俺には妹にしか見えないな」
首をかしげる彼の横顔が、冗談に逃げず、まっすぐだった。
ライリーは少しだけ足を緩め、ふっと目を細め、ジャンヌの瞳を見つめる。
「綺麗って言えば――君のこと、俺は綺麗だと思ってるよ」
「えっ……!」
ジャンヌの声が驚きのあまり、思わず大きくなる。
「そんなに驚くことかな」
「は、はじめて言われましたから……」
「そうか」
満足そうに頷くと、穏やかに続ける。
「人の見た目は移ろうけど、内側の丁寧さは積み重なる。俺は、そこが大切だと思っている。君はどっちも、きれいだ」
「ライリーさん……」
言葉が頬の内側にそっと火をともした。
胸の真ん中が、たしかに一度だけ鳴る。
目を合わせるのが急にくすぐったくなって、指先が無意識に白いリボンへ触れた。
(――きれい、なんて)
反芻しただけで、耳の奥まで熱が上がっていた。
寮の門灯がともり、ガラスに小さな火が揺れた。
「明日、国境向けの便が出る。午前のうちに荷の最終チェックがある。君の三行メモ、あれを“外に出す版”に直して、港の掲示板に貼らせてもらえるか?」
「はい。……うれしいです」
「助かる」
ライリーが短く言ったところで、向こうの通りから軽い靴音。
エレナだった。髪を高く結い直し、白い襟のリボンを風に踊らせながら駆けてくる。
「隊長!――あ」
ジャンヌを見ると、ほんのわずか笑みの角度を変えた。
「失礼。……ライリー、宿のこと、あとで教えて。港までの道で迷っちゃって」
無邪気に見える一言に、わずかな棘が垣間見える。ライリーはうなずいた。
「わかった。――ジャンヌ、先に入って。灯りが点くの、見届ける」
ジャンヌは「おやすみなさい」と頭を下げ、門の取っ手に手を掛ける。
扉の向こう、廊下の灯がぱっと明るくなる。
彼女の足音が奥へ消えたのを確かめてから、ライリーはエレナへ向き直った。
「宿は商会通りを抜けて右、角の旗のある建物だ。送っていく」
「ありがとう。……ねえ、明日、港にも行くんでしょう? 私、手伝えるよ。ロープの結び目、昔みたいに早くできる」
「手は足りてる。港は風が強いから」
柔らかいが、しっかりと線は引かれている。エレナは一瞬むっとして、すぐ笑顔に戻った。
二人が通りへ消えるのを、門番のランタンが見送った。
*
その夜、寮の小さな机。
ジャンヌは紙を一枚広げ、三行メモを“港掲示板版”に直す。
――「受領印の上に時刻」「午前は青・午後は赤」「迷ったら入口へ戻る」
字を置いていると、遠くの通りで、誰かが口笛を短く吹いた。もしかすると、ただの酔客の気まぐれかもしれない。
それでも、音のあとに訪れる静けさが、彼女の胸に、やさしく降りた。
(ほどけても、結び直せる)
白いリボンを指先で確かめ、灯りを落とした。
***
その頃。
旅人宿の窓辺に、エレナの影が立っていた。
通りを遠くに見下ろし、笛の形の金具に唇を寄せる。
「隊長は、私を見てくれなきゃつまらないの」
小さく呟いて、窓を閉めた。
――それぞれの夜が、別々の静けさを抱いて深くなる。
明日、港の風は強い。
掲示板に貼られた“道標(みちしるべ)”の三行が、いくつもの手を迷わせずに運ぶだろうか。
退勤の鐘が鳴り、封印紙に今日の日付が並ぶ。ジャンヌが外套を羽織って門へ向かうと、門柱の影からライリーが姿を現した。
「今、帰りか?寮まで送るよ」
「……ありがとうございます。お願いします」
石畳を並んで歩く。
焼き栗屋は今日は休みで、かわりに角の花売りが薄い紙に包んだ花を積んでいる。
「昼、ハンネスと話しているのを見かけたよ」
「はい。ライリーさんの“隊長”の由来を教えてもらいました」
「大した話じゃなかっただろう」
ライリーの軽口にジャンヌは首を振る。
「いえ、立派なお話でした。怪我までされたって……」
「たいした傷じゃない。あの町は天候が荒れやすいからね。二年前は、大寒波で人も紙も危うかった」
「でも、ライリーさんの機転で、被害が出なかったと伺いました」
「いや、それは俺ひとりの力じゃない。皆で動けたからさ」
照れ隠しのように、そっけなく言う。
「それでも……本当に良かった。無事で」
ジャンヌの瞳はまっすぐだった。二年前の彼を思うだけで、胸がきゅっとなる。
「皆、無事だったことが何よりだな」
「はい。あの……ライリーさん、どうか無理はなさらないでください」
「ふっ。君がそんなに心配してくれるとは」
柔らかい笑みがこぼれ、ジャンヌの鼓動が小さく跳ねた。
「……心配します」
思わずうつむく声は、すこし小さい。
「無茶はしないよ。前へ進むには、慎重に歩くときも必要だ」
二人の歩調が自然にそろう。
ジャンヌは迷い、けれど口を開いた。
「さっき、中庭で……エレナさんとご一緒でしたね。笛の音が、少し……」
ライリーはキーリングを持ち上げ、小さな笛を親指で弾く。
「ああ、見られてたか。ハンネスの娘さんだ。北の町でよく手伝ってくれてね。これは彼女にもらった笛。あっちの風の音が、よく鳴る」
「……綺麗な方でした」
ジャンヌはそう言って胸の奥が、少しだけ苦しくなる。
「そうかな。二年前はまだ子供でね。今も俺には妹にしか見えないな」
首をかしげる彼の横顔が、冗談に逃げず、まっすぐだった。
ライリーは少しだけ足を緩め、ふっと目を細め、ジャンヌの瞳を見つめる。
「綺麗って言えば――君のこと、俺は綺麗だと思ってるよ」
「えっ……!」
ジャンヌの声が驚きのあまり、思わず大きくなる。
「そんなに驚くことかな」
「は、はじめて言われましたから……」
「そうか」
満足そうに頷くと、穏やかに続ける。
「人の見た目は移ろうけど、内側の丁寧さは積み重なる。俺は、そこが大切だと思っている。君はどっちも、きれいだ」
「ライリーさん……」
言葉が頬の内側にそっと火をともした。
胸の真ん中が、たしかに一度だけ鳴る。
目を合わせるのが急にくすぐったくなって、指先が無意識に白いリボンへ触れた。
(――きれい、なんて)
反芻しただけで、耳の奥まで熱が上がっていた。
寮の門灯がともり、ガラスに小さな火が揺れた。
「明日、国境向けの便が出る。午前のうちに荷の最終チェックがある。君の三行メモ、あれを“外に出す版”に直して、港の掲示板に貼らせてもらえるか?」
「はい。……うれしいです」
「助かる」
ライリーが短く言ったところで、向こうの通りから軽い靴音。
エレナだった。髪を高く結い直し、白い襟のリボンを風に踊らせながら駆けてくる。
「隊長!――あ」
ジャンヌを見ると、ほんのわずか笑みの角度を変えた。
「失礼。……ライリー、宿のこと、あとで教えて。港までの道で迷っちゃって」
無邪気に見える一言に、わずかな棘が垣間見える。ライリーはうなずいた。
「わかった。――ジャンヌ、先に入って。灯りが点くの、見届ける」
ジャンヌは「おやすみなさい」と頭を下げ、門の取っ手に手を掛ける。
扉の向こう、廊下の灯がぱっと明るくなる。
彼女の足音が奥へ消えたのを確かめてから、ライリーはエレナへ向き直った。
「宿は商会通りを抜けて右、角の旗のある建物だ。送っていく」
「ありがとう。……ねえ、明日、港にも行くんでしょう? 私、手伝えるよ。ロープの結び目、昔みたいに早くできる」
「手は足りてる。港は風が強いから」
柔らかいが、しっかりと線は引かれている。エレナは一瞬むっとして、すぐ笑顔に戻った。
二人が通りへ消えるのを、門番のランタンが見送った。
*
その夜、寮の小さな机。
ジャンヌは紙を一枚広げ、三行メモを“港掲示板版”に直す。
――「受領印の上に時刻」「午前は青・午後は赤」「迷ったら入口へ戻る」
字を置いていると、遠くの通りで、誰かが口笛を短く吹いた。もしかすると、ただの酔客の気まぐれかもしれない。
それでも、音のあとに訪れる静けさが、彼女の胸に、やさしく降りた。
(ほどけても、結び直せる)
白いリボンを指先で確かめ、灯りを落とした。
***
その頃。
旅人宿の窓辺に、エレナの影が立っていた。
通りを遠くに見下ろし、笛の形の金具に唇を寄せる。
「隊長は、私を見てくれなきゃつまらないの」
小さく呟いて、窓を閉めた。
――それぞれの夜が、別々の静けさを抱いて深くなる。
明日、港の風は強い。
掲示板に貼られた“道標(みちしるべ)”の三行が、いくつもの手を迷わせずに運ぶだろうか。
335
あなたにおすすめの小説
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました
唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」
不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。
どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。
私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。
「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。
身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
どうぞお好きになさってください
みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。
婚約者の第一王子殿下は言った。
「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」
公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。
「好きになさればよろしいわ」
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる