【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

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 ーー翌日。

 帳場の朝は、いつもどおり紙の匂いと小さな声で満ちていた。

 回覧札は午前の青、受領印の上に揃った時刻がすらっと一本の線を作る。
 ジャンヌはそれを確認して、後輩に「ここまで合ってます。助かりました」と柔らかく返す。

「ジャンヌ先輩、昨日の外向け控え、すごく見やすかったです」
「そう?じゃあ、今度はあなたが書いてみてください。三行でまとめるのがコツです」
「はいっ」

 ここ一年で、彼女の周りには“教えればちゃんと動く”後輩がぽつぽつと増えた。
 ケイシーは向こうで帳簿の検算をしながら、ちらりと視線だけで「任せるわよ」と送ってくる。マイルズも筆を振りながら「もう安心だな」という顔をして頷いていた。

(……いい朝)

 ジャンヌは胸の中でそう思い、白いリボンをそっと確かめて次の帳面に向かった。


 ***

 
 一方そのころ、運用棟のほうは少しだけ賑やかだった。

「ライリー主任、おはようございますっ」
 蜂蜜色の巻き髪が弾む。ミナだった。
 今日はいつもよりリボンが派手で、腕にはまた焼き菓子の包みを持っていた。

「主任、コレなんですけど…」
  ミナはにこやかに焼き菓子の包みをライリーの前に差し出す。

「……おはよう、ミナ。差し入れだったら、皆で食べよう」
「ですよねー……?じゃあ、先に“今日の三つ”を貼ってもいいですか?わたしが書いたやつ、主任に見てほしくて」

 ぐいっとライリーの懐に近づいてくる。 ライリーはいつもの涼しい顔で、必要な距離を手元の伝票でふわっと作る。

「貼る前に、文言を三語短く。読み手が現場だと考えて。――はい、これでいい」
「わ、さすがです……!主任って、なんでそんなにすぐ要点わかるんですか?」
「場数を踏めば、誰でもこうなる。君もなるよ」
「えー、ほんとですかぁ?」
 ミナが再びライリーに一歩近づようとすると、ライリーはさりげなく黒板のほうへ移動してしまう。

 さりげなくかわされるが、冷たくはない。その絶妙な温度差に、ミナの目の奥がちょっとだけむっとする。

(うーん……わたし、こんなに愛想良くしてるのに、“これ”以上は入らせてくれない)

 午前いっぱいでそれが三回続いた。
 伝票の確認、荷主への返答、港との連絡――どれもライリーは丁寧に答えるけれど、いつも最後にふっと距離を戻す。

(これは……誰かがもういる感じ??)

 ミナの頭の中に、昨日の白いリボンがぽんっと浮かぶ。

(…でも、帳場の人って、あんまり運用棟には来ないわよね?……本当にあの人?)

 お昼前。ちょうど帳場と運用のあいだの中廊下を、ジャンヌが控えの束を抱えて通った。生成りのスカート、首元にはあの薄青のスカーフをしていた。
 すれ違うとき、ジャンヌは運用棟のほうへ、ほんの一瞬だけ視線をやわらかく向ける――決して長くは見ない、でも“そこにいる誰か”を確かめるみたいな、あの視線に気づいた。

 同じタイミングで、奥の机からライリーが顔を上げた。ほとんど無表情のまま、けれど目の奥だけがゆるんだ。それは「部下」には向けない種類のやわらかさだった。

(……え?)

 ミナの中で点がつながる。

 ジャンヌはすぐに行き過ぎ、何事もなかったように帳場へ戻った。ライリーも仕事へ視線を戻す。
 たぶん、どちらも「周囲には悟られないように」が徹底されている。けれど、ミナは近くにいたため、気づいてしまったのだ。

(やっぱり。この眼、わたしには向かないやつだわ)

 お昼休み、ミナはいつもの明るい声で同僚に焼き菓子を配りながら、さりげなく聞き出す。

「ねえねえ、帳場の白いリボンの先輩、すごく仕事できるって有名ですよね?」
「ジャンヌ先輩?うん、ライリー主任ともよく書式のやり取りしてるよ。あの人の“印の上に時刻”ってルール、最初に拾ったの、ジャンヌさんらしいし」
「へえ……」

 もう一つ、確認するみたいに続ける。

「お二人、なんか仲良いですよね?」
「そうだね。仕事で、な。――仕事で」
 同僚がニヤッとしたので、ミナも同じ顔を作る。中では、きゅっと歯を噛んだ。

(ふん、そういうこと……)

 午後、ミナはいつもどおり愛想よく業務をこなし、退勤の時刻になると一人で事務棚の影に立った。手首のブレスレットを指で弾き、軽い金属音が鳴る。

(主任、ほんとにずるい。ああいう眼を向ける人がいるなら、最初からそう言ってくれたらいいのに……っ)

 けれど同時に、ちゃんと見てしまったせいで、諦めきれないものも芽を出す。

(でも……あの人の“仕事の早さ”は近くで見たい。なら、次は仕事で認めさせるしかないか)

 ちょっとだけ表情を引き締めて、ミナは運用棟を出た。

 廊下の先では、ライリーがいつものようにジャンヌの寮の灯りが点くのを見届ける姿勢を取っている――それを見て、胸の奥がきゅっとした。

(……負けた、ってことかしら。は)

 でも、まだ完全に引く気はない。
 可愛く、賢く、役に立つ――別の入り方を探そう。ミナはそんなふうに考えながら、階段を降りて行った。



※体調を崩してしまい、久しぶりの更新になってしまいました。また、よろしくお願いいたします。
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