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その傷跡を抱きしめて
その傷跡を抱きしめて4
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日が暮れた道を辿って事務所に戻ると、出る前と同じように雪乃さんが一人でパソコンと向き合っていた。戻ってきた僕を一瞥して、すぐに作業に戻ってしまう。
「ただいま。夏希さんは?」
「ずっと待ってたけど、さっき親から呼び出されて印刷所にいる」
ああ、そっか。ここは夏希さんの親の会社の一角だから、そんなこともあるのか。どれくらいで戻ってくるだろうか。事務所に戻ってくるとどっと疲れが込み上げてきて、今日は早く帰りたかった。
まあ、しばらく待つしかないか。伝票を片付けるためにデスクの傍のホワイトボードに近づいて、小さな違和感に気づいた。思い違いかもしれないけど、心なしかキーを叩く雪乃さんの指が上擦っている気がする。なんというか、そこはかとなくそわそわしているような。
「……多分、ちゃんとできたと思う」
「そう」
雪乃さんの言葉は素っ気ないけど、しっかりと返事は聞こえた。物語の内容を考えているのか、その指がキーボードの上で止まっている。
「あ、そうだ。これ、直前に見てすごい勇気出た。ありがとう」
丁寧に折りたたんでしまっていた住宅地図のコピーを取り出すと、雪乃さんは僕と反対側をつんとそらした。ん、と微かに頷く声が聞こえた気がする。
恭太の話では雪乃さんのことを雪女だなんて呼ぶ人がいるらしいけど、その人は多分雪乃さんの表面しか見ていない。いや、僕だって雪乃さんの何を知ってるんだってレベルだけど。
「やっぱりさ、上手くいったのは雪乃さんの物語のおかげだと思う」
雪乃さんの物語を信じて、冊子を開いたらぐっと勇気が湧いてきた。だから、僕はすっと物語の世界に入って、内側からその世界を紡ぐことができたと思う。
ん、とさっきと同じように微かな声。雪乃さんが小さく顎を引いたように見えた。
「ほんと、凄いなって。僕みたいに空っぽな人間でも、物語の想いを届けられるんだってやっとちょっと自信を持てた」
夏希さんは僕のことを人の想いに寄り添えると評してくれたけど、それは単に僕が人の顔色をうかがいながら生きていることへの裏返しではないのか。
それでも、そんな僕にでもできることがある。凄い疲れてはいたけど、心地のいい疲労感だった。弁当屋でデリバリーをしていた時はもっとこなしているような感じが強くて、こんな風に思えたことはない。
やっと、本当に夏希さんに声をかけてもらえてよかったと心の底から思えた気がする――
「やめて」
はっきりとした声に意識が現実に引き戻された。
雪乃さんは座ったまま僕の方に向き合っていて、険しい顔で僕を見ている。
「軽々しく空っぽだなんて言わないで」
突然のことに雪乃さんが何を言っているのかすぐには飲み込めなかった。声のトーンは変わらないけど、怒ってる気がする。でも、そうだとして何がそんなに雪乃さんの心に触れてしまったかがわからない。
「えっと、ごめん」
「……何に謝っているかわからないなら、謝らないでほしい」
雪乃さんの言葉は図星過ぎて、返事が何も浮かんでこない。
雪乃さんはしばらくじっと僕を見上げて、それからやがてため息をつくとノートパソコンの前へと戻った。
僕の存在など忘れたかのようにカタタタタと猛スピードでキーが叩かれていく。
「貴方は全然空っぽなんかじゃないから。そんな風に卑下されると余計に傷つく人がいるってこと、知っていた方がいい」
それが雪乃さんの最後の言葉で、後はもうノートパソコンの画面から視線を逸らす気配もなかった。
結局、夏希さんが戻ってくるまで僕と雪乃さんは一言も交わすことはなくて。事務所内には苛立たしげなタイプ音がひたすらに響き続けた。
「ただいま。夏希さんは?」
「ずっと待ってたけど、さっき親から呼び出されて印刷所にいる」
ああ、そっか。ここは夏希さんの親の会社の一角だから、そんなこともあるのか。どれくらいで戻ってくるだろうか。事務所に戻ってくるとどっと疲れが込み上げてきて、今日は早く帰りたかった。
まあ、しばらく待つしかないか。伝票を片付けるためにデスクの傍のホワイトボードに近づいて、小さな違和感に気づいた。思い違いかもしれないけど、心なしかキーを叩く雪乃さんの指が上擦っている気がする。なんというか、そこはかとなくそわそわしているような。
「……多分、ちゃんとできたと思う」
「そう」
雪乃さんの言葉は素っ気ないけど、しっかりと返事は聞こえた。物語の内容を考えているのか、その指がキーボードの上で止まっている。
「あ、そうだ。これ、直前に見てすごい勇気出た。ありがとう」
丁寧に折りたたんでしまっていた住宅地図のコピーを取り出すと、雪乃さんは僕と反対側をつんとそらした。ん、と微かに頷く声が聞こえた気がする。
恭太の話では雪乃さんのことを雪女だなんて呼ぶ人がいるらしいけど、その人は多分雪乃さんの表面しか見ていない。いや、僕だって雪乃さんの何を知ってるんだってレベルだけど。
「やっぱりさ、上手くいったのは雪乃さんの物語のおかげだと思う」
雪乃さんの物語を信じて、冊子を開いたらぐっと勇気が湧いてきた。だから、僕はすっと物語の世界に入って、内側からその世界を紡ぐことができたと思う。
ん、とさっきと同じように微かな声。雪乃さんが小さく顎を引いたように見えた。
「ほんと、凄いなって。僕みたいに空っぽな人間でも、物語の想いを届けられるんだってやっとちょっと自信を持てた」
夏希さんは僕のことを人の想いに寄り添えると評してくれたけど、それは単に僕が人の顔色をうかがいながら生きていることへの裏返しではないのか。
それでも、そんな僕にでもできることがある。凄い疲れてはいたけど、心地のいい疲労感だった。弁当屋でデリバリーをしていた時はもっとこなしているような感じが強くて、こんな風に思えたことはない。
やっと、本当に夏希さんに声をかけてもらえてよかったと心の底から思えた気がする――
「やめて」
はっきりとした声に意識が現実に引き戻された。
雪乃さんは座ったまま僕の方に向き合っていて、険しい顔で僕を見ている。
「軽々しく空っぽだなんて言わないで」
突然のことに雪乃さんが何を言っているのかすぐには飲み込めなかった。声のトーンは変わらないけど、怒ってる気がする。でも、そうだとして何がそんなに雪乃さんの心に触れてしまったかがわからない。
「えっと、ごめん」
「……何に謝っているかわからないなら、謝らないでほしい」
雪乃さんの言葉は図星過ぎて、返事が何も浮かんでこない。
雪乃さんはしばらくじっと僕を見上げて、それからやがてため息をつくとノートパソコンの前へと戻った。
僕の存在など忘れたかのようにカタタタタと猛スピードでキーが叩かれていく。
「貴方は全然空っぽなんかじゃないから。そんな風に卑下されると余計に傷つく人がいるってこと、知っていた方がいい」
それが雪乃さんの最後の言葉で、後はもうノートパソコンの画面から視線を逸らす気配もなかった。
結局、夏希さんが戻ってくるまで僕と雪乃さんは一言も交わすことはなくて。事務所内には苛立たしげなタイプ音がひたすらに響き続けた。
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