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変わりたくない君と変われない僕
変わりたくない君と変われない僕2
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すっかり見慣れた「片倉印刷」の看板を片目に砂利道を慎重に進みバイクを停める。このバイクの本来の所属である弁当屋の店主は先日退院したけど、まだ本調子とはいかず、弁当屋の再開までは今しばらく時間がかかりそうだった。そういうわけでまだバイクを借りられているわけだけど、そろそろ弁当屋が再開した時のことも考えなければいけないのかもしれない。前の店主にはお世話になってたし弁当屋が再開したら戻りたい気持ちもあるけど、今の環境も捨てがたくなってしまっていた。
ヘルメットをハンドルにかけつつため息をついてみる。考えてもキリがないし、もう少しだけ先送りしよう。
「お疲れ様ですー」
言の葉デリバリーの事務所に戻ると、雪乃さんの定位置のノートパソコンのところで夏希さんが雪乃さんと何やら話し込んでいる。それ自体は珍しい光景ではないはずだけど、今日はどこかいつもと違う雰囲気がした。
「どうかしました?」
パッと顔をあげた夏希さんはすっと駆け寄ってくると、僕の腕をとって雪乃さんの方へと連れていく。雪乃さんはいつも通りの表情だったけど、心なしか不服そうな感じがした。雪乃さんの目の前のノートパソコンには白紙の画面が広がっている。
「ねえ、悠人君。最近の鈴ちゃんのお話、どう思う?」
夏希さんがおもむろにずいっと顔を近づけてきて思わずのけ反る。もしかして、二人の雰囲気が少し微妙な感じがしたのはその話をしていたのだろうか。仕事を終えてリラックスしていた心が一気に引き締まる。雪乃さんの物語は言の葉デリバリーの根幹だ。
「……僕がここで働き始めた頃から、少し変わったと思います」
僕を見る雪乃さんの瞳がゆらゆら揺れる。どう答えるのが正解かはわからない。今の僕にできるのは自分に正直に答えるだけだった。
「僕が入った頃は印象的なセリフとかシーンに向けて物語が展開していく感じだったと思います。緻密に組み立てられていって、クライマックスでグッと揺さぶられるというか……」
慎重に言葉を探す。表現したいことは色々とあるのに、自分で言葉を選び出して伝えるのはとても難しい。それを更に物語に込めて毎日のように積み上げていく雪乃さんの凄さをこんな時に感じてしまう。
「最近の物語は人と人との関係に力が込められてる印象です。印象的なシーンの良さを残しながら、ふとした場面の登場人物のやり取りでハッと気づかされたり、ほっこりしたり、じんと来たり」
今日の木下さんのところで朗読した物語もそうだった。すれ違っていた二人が仔犬を通じて仲良くなっていく過程のやり取りにも温もりがあり、おかしさがあり、ドキドキする場面があった。
「でも、僕はどっちも――」
「ほら」
僕の言葉を雪乃さんの冷たい声が遮る。凛と通るその声は、でもどこか震えていた。
「やっぱり、変わっちゃってる」
雪乃さんは夏希さんの服を両手できつく握りしめる。
声だけじゃない、その手が震えていた。夏希さんにすがるように震えるそんな雪乃さんの姿を見るのは初めてだった。僕の知る雪乃さんはいつだって冷静で、僕よりずっと大人に見えて。
「私には物語しかないのに、それさえも変わっちゃった」
「鈴ちゃん……」
夏希さんはそんな雪乃さんをギュッと抱き寄せると、その頭をゆっくりと撫でる。
「大丈夫。鈴ちゃんの物語は少し変わったかもしれないけど、悪いことじゃないと思う。それはきっと、鈴ちゃんの世界が広がったってことだから」
雪乃さんは夏希さんの胸に顔をうずめたままかぶりを振る。僕はその二人のやり取りについていくことができなかった。ただ一つ分かったのは僕の答えが正解ではなかったこと。少なくとも雪乃さんが求めていたものではなかった。
「最近のお話、お客さんからも好評なんだよ。ね、悠人君?」
「は、はい。今日の木下さんもすごい喜んでました」
雪乃さんは顔をあげない。夏希さんも僕も雪乃さんにかける言葉が見つからなくて、ただ黙って雪乃さんを見守る。
「でも」
やがて、雪乃さんがポツリと言葉を漏らした。
「でもやっぱり、このままじゃ書けない。今のまま書き続けることは、私自身を否定することになるから」
雪乃さんの声は空気を求めて喘ぐような苦しさがこもっていた。必死にもがくように言葉を吐き出す雪乃さんに僕の方まで息が苦しくなる。夏希さんは少しだけ逡巡するように目を閉じて、それからポンポンと軽く雪乃さんの背中を叩く。
「わかった。じゃあ、しばらくお休みしよっか」
雪乃さんがハッと顔をあげる。そんな雪乃さんに夏希さんはいつものようにニッと勝気な笑みを浮かべてみせた。
「鈴ちゃん、夏の間働きづめだったでしょ。まずは一週間、一足遅い夏休みってことで」
「でも、その間宅配は」
「大丈夫。鈴ちゃんが書き溜めてくれたお話がまだちゃんと残ってるから。それで対応できる範囲だけお仕事を受けるようにする」
夏希さんはそのまま両手で雪乃さんの頬を優しく包み込む。
「もしその一週間で何も変わらなかったらそのとき考えればいいからさ。まずは何も考えずに休んでみて、ね?」
雪乃さんはじっと夏希さんの目を見つめて、やがて躊躇いながらもゆっくりと頷いた。夏希さんはそんな雪乃さんの頭をポンポンと撫でて、よし、と切り替えるように明るい声を出した。
「じゃ、今日はもう撤収しようか。今日は悠人君も送っていくから。」
僕もですか?」
「うん。明日から暫くバイト休みにするから、ちょっとみんなで夜のドライブしよう」
ヘルメットをハンドルにかけつつため息をついてみる。考えてもキリがないし、もう少しだけ先送りしよう。
「お疲れ様ですー」
言の葉デリバリーの事務所に戻ると、雪乃さんの定位置のノートパソコンのところで夏希さんが雪乃さんと何やら話し込んでいる。それ自体は珍しい光景ではないはずだけど、今日はどこかいつもと違う雰囲気がした。
「どうかしました?」
パッと顔をあげた夏希さんはすっと駆け寄ってくると、僕の腕をとって雪乃さんの方へと連れていく。雪乃さんはいつも通りの表情だったけど、心なしか不服そうな感じがした。雪乃さんの目の前のノートパソコンには白紙の画面が広がっている。
「ねえ、悠人君。最近の鈴ちゃんのお話、どう思う?」
夏希さんがおもむろにずいっと顔を近づけてきて思わずのけ反る。もしかして、二人の雰囲気が少し微妙な感じがしたのはその話をしていたのだろうか。仕事を終えてリラックスしていた心が一気に引き締まる。雪乃さんの物語は言の葉デリバリーの根幹だ。
「……僕がここで働き始めた頃から、少し変わったと思います」
僕を見る雪乃さんの瞳がゆらゆら揺れる。どう答えるのが正解かはわからない。今の僕にできるのは自分に正直に答えるだけだった。
「僕が入った頃は印象的なセリフとかシーンに向けて物語が展開していく感じだったと思います。緻密に組み立てられていって、クライマックスでグッと揺さぶられるというか……」
慎重に言葉を探す。表現したいことは色々とあるのに、自分で言葉を選び出して伝えるのはとても難しい。それを更に物語に込めて毎日のように積み上げていく雪乃さんの凄さをこんな時に感じてしまう。
「最近の物語は人と人との関係に力が込められてる印象です。印象的なシーンの良さを残しながら、ふとした場面の登場人物のやり取りでハッと気づかされたり、ほっこりしたり、じんと来たり」
今日の木下さんのところで朗読した物語もそうだった。すれ違っていた二人が仔犬を通じて仲良くなっていく過程のやり取りにも温もりがあり、おかしさがあり、ドキドキする場面があった。
「でも、僕はどっちも――」
「ほら」
僕の言葉を雪乃さんの冷たい声が遮る。凛と通るその声は、でもどこか震えていた。
「やっぱり、変わっちゃってる」
雪乃さんは夏希さんの服を両手できつく握りしめる。
声だけじゃない、その手が震えていた。夏希さんにすがるように震えるそんな雪乃さんの姿を見るのは初めてだった。僕の知る雪乃さんはいつだって冷静で、僕よりずっと大人に見えて。
「私には物語しかないのに、それさえも変わっちゃった」
「鈴ちゃん……」
夏希さんはそんな雪乃さんをギュッと抱き寄せると、その頭をゆっくりと撫でる。
「大丈夫。鈴ちゃんの物語は少し変わったかもしれないけど、悪いことじゃないと思う。それはきっと、鈴ちゃんの世界が広がったってことだから」
雪乃さんは夏希さんの胸に顔をうずめたままかぶりを振る。僕はその二人のやり取りについていくことができなかった。ただ一つ分かったのは僕の答えが正解ではなかったこと。少なくとも雪乃さんが求めていたものではなかった。
「最近のお話、お客さんからも好評なんだよ。ね、悠人君?」
「は、はい。今日の木下さんもすごい喜んでました」
雪乃さんは顔をあげない。夏希さんも僕も雪乃さんにかける言葉が見つからなくて、ただ黙って雪乃さんを見守る。
「でも」
やがて、雪乃さんがポツリと言葉を漏らした。
「でもやっぱり、このままじゃ書けない。今のまま書き続けることは、私自身を否定することになるから」
雪乃さんの声は空気を求めて喘ぐような苦しさがこもっていた。必死にもがくように言葉を吐き出す雪乃さんに僕の方まで息が苦しくなる。夏希さんは少しだけ逡巡するように目を閉じて、それからポンポンと軽く雪乃さんの背中を叩く。
「わかった。じゃあ、しばらくお休みしよっか」
雪乃さんがハッと顔をあげる。そんな雪乃さんに夏希さんはいつものようにニッと勝気な笑みを浮かべてみせた。
「鈴ちゃん、夏の間働きづめだったでしょ。まずは一週間、一足遅い夏休みってことで」
「でも、その間宅配は」
「大丈夫。鈴ちゃんが書き溜めてくれたお話がまだちゃんと残ってるから。それで対応できる範囲だけお仕事を受けるようにする」
夏希さんはそのまま両手で雪乃さんの頬を優しく包み込む。
「もしその一週間で何も変わらなかったらそのとき考えればいいからさ。まずは何も考えずに休んでみて、ね?」
雪乃さんはじっと夏希さんの目を見つめて、やがて躊躇いながらもゆっくりと頷いた。夏希さんはそんな雪乃さんの頭をポンポンと撫でて、よし、と切り替えるように明るい声を出した。
「じゃ、今日はもう撤収しようか。今日は悠人君も送っていくから。」
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