言の葉デリバリー

粟生深泥

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変わりたくない君と変われない僕

変わりたくない君と変われない僕7

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 道尾さんから紹介してもらった白竜滝傍というバス停で降りると、結構な傾斜の山道が目の前から伸びていた。道尾さんはハイキングと称していたけど、これはどちらかといえば登山だろう。平気で20km走るような人を基準にしてはいけないようだ。

「雪乃さん、大丈夫そう?」
「行く」

 僕に続いてバスを降りた雪乃さんは山道を見てスッと目を細めるけど、小さく頷くとスタスタと歩き始めた。濃紺のフリースにカーキ色のクライミングパンツ、アウトドア用の服装の雪乃さんを見るのは当然初めてで、これも知らない姿の一つになるんだろうかと思いながら後を追う。

 白竜滝までは山道を四十分少し歩いていくことになる。バスを降りたのは僕たちだけで山道もきちんと整備されているけど人の気配はしなかった。小さく息をついてスマホを取り出す。バスに乗っている間、実家の母親から何度か着信が入っていた。バスを降りてから折り返そうかと思っていたけど、そうしている間にも雪乃さんは歩いていってるし、スマホをポケットに押し込んで雪乃さんの後を追う。

 しばらく進んでも人の気配は全然しない。僕らの息遣いと足音以外に聞こえてくるのは秋風に吹かれて葉が踊る音とか、虫の囀りとかばかりだ。元々僕らが住んでいる辺りは街というよりは田舎に近い場所だけど、ここまでどっぷりと自然に浸かるのは久しぶりだった。
 そんなことを考えながら少し後ろを振り返る。雪乃さんの顔色は最後に会った時よりはよくなっていたけど、一足早い冬のような冷たく透明さを感じる瞳の色をしていた。
 二十分近く歩いてきて、殆ど会話という会話をしていない。自然を満喫しているならそれでもいいのだけどそんな雰囲気でもないし、このままだと滝を往復して終わってしまいそうだ。だけど、何を話して何を聞けばいいのか全然思い浮かばない。そんなこと事前に考えとけよって自分でも思うけど、事前に考えても全く決められなくて、結局現地に着いたときの自分に全て丸投げすることにしてしまっていた。

――夏希さん。僕にも誰かを励ましたり勇気づけたり、そんなことができるようになれますか?

 言の葉デリバリーで働き始める日に夏希さんに尋ねた言葉。僕はあの日の夏希さんの言葉に答えられているだろうか。
 グルグルと考え込んでしまって、ため息が溢れてくる。言の葉デリバリーで働き始めて何か変わった気がしていたけど、根っこの部分では何も変われていないんじゃないか。

「きゃっ――!」

 後ろから聞こえてきた小さな悲鳴に振り返ると、雪乃さんが足を登山道の外側へと滑らせていた。慌ててその腕を掴む。細い身体を片腕でどうにか支えてホッと息をつく。もしそのまま倒れ込んでいたら、そのまま山の下の方に滑り落ちていたかもしれない。

「大丈夫?」
「……ありがと」

 雪乃さんはお礼を言いながらもつっと視線をそらしてしまう。その息が小さく乱れていた。よく考えれば20分以上登り坂を休みなく登ってきた。普段あまり運動しないなら息切れしてもおかしくないだろう。

「あそこの少し広くなってるところでちょっと休憩しようか」

 雪乃さんは少し視線をさ迷わせて迷うようなそぶりを見せたけど、そのまま小さく頷いた。
 少しだけ登ったところは小さな広間のようになっていて、少し古ぼけたベンチが据えられていた。そこに雪乃さんと並んで腰を掛けて荷物を下ろす。雪乃さんの額には薄らと汗がにじんでいた。

「疲れてるの、気づけなくてごめん。ちょっと考え事してて」
「別に平気。でも、慣れてるのね」
「兄貴が山登り好きでさ。就職して家を出るまではよく付き合わされたから」

 雪乃さんから返事はなかったけど、視線はじっと僕の方に向けられている。どの部分にかはわからないけど興味を持ってくれたようだった。あまり人に話すようなものでもないけど、会話のきっかけになるなら。

「兄貴っていっても六歳離れてるんだけどさ。兄貴が十歳の時、二年間山村留学で山間の村で暮らしてて、そこで登山の楽しさに目覚めたらしくて、よく巻き込まれたよ」

 どちらかといえばスポーツマンというよりは優男という見た目だし、球技とかはてんで苦手な兄だったけど、しょっちゅう山に登っていたせいか体力はかなりあった。
 そんな兄に小学校の頃から連れまわされたおかげか、僕も体力だけは人並み以上についたと思う。

「仲いいのね」
「それは、どうなんだろ……」

 雪乃さんが怪訝そうに眉を顰める。

「兄貴が山村留学に行った理由ってさ、僕なんだ」

 その頃のことはよく覚えていない。兄が十歳で僕は四歳だった。
 熱っぽい頭で見上げていた天井が思い出せる数少ない記憶だ。

「小さい頃、僕は体が弱くて。両親とも働いてて、近くに頼れる人もいないしで色々いっぱいいっぱいだったみたいで。それで、兄貴は二年間山村留学に行くことになったんだ」

 山村留学に行けば知らない土地で知らない人たちと暮らすことになる。当時の兄は泣いて嫌がったらしい。ぼんやりとだけど、熱を出して寝ている部屋から聞いた兄の声を覚えている。そしてそれは僕らの家族の中で今も罪悪感という形で居座り続けていた。

「兄貴は戻ってきた時、なんていうか凄い大人になってた。大人にならざるを得なかったんだなってわかったのはだいぶ後になってからだったけど」

 小学校に上がる頃には僕も殆ど体調を崩さなくなって、両親の仕事も落ち着いてきて、平穏な家族の姿になった。でもそれは構造的な話であって、家の中にはひずみがずっと残っていた。両親は兄に何かと気をつかうようになって、そのことにどことなく寂しさを感じながらもその原因が自分だと思うと寂しいなんて言い出すこともできなくて。

「兄貴が僕を山に連れてってたのも単に趣味に巻き込んでるだけじゃなくてさ。体が弱かった頃のことがあるから体力つけようっていうのもあったんだろうし。それにさ、両親が忙しかったから兄貴がよく料理を作ってくれて、大学に入ってからは弁当屋でバイトし出したらドンドン腕も上がってた」

 小さく深呼吸をして空を見上げる。常緑樹の緑の隙間から見える青空はどこまでも透き通っているように見えた。山に登って休憩するといつもこうやって空を見ていた。その透明な世界に少しだけ救われる気がしたから。
 あ、そうだ。念のためカバンに入れてきた一口チョコを取り出して雪乃さんに差し出す。不思議そうな顔をしつつ雪乃さんはそれを受け取ってくれた。

「兄貴もこうやって休憩中にチョコとか色々くれてさ。僕のせいで兄貴が山村留学しなきゃいけなかった負い目は色々感じてたけど、兄貴と山に行くのは楽しかったなあ」

 自分の分のチョコも取り出して口の中に放り込む。あの頃の甘さと何も変わらず、動かしてきた身体にゆっくり染みる。
 兄は優しかったけど、家の中の歪は息苦しかった。それで、逃げるように大学は実家から離れた遠方のところを選んだ。

「背を向けるんじゃなくて痛くても向き合えば、もう少しマシな選択もできたのかもしれないとは思ってる。だけど、僕は今も背を向けていて、ずっと変われないんだ」

 自分の中の思考に沈んでいて、じっと僕を見ている雪乃さんにようやく気付いた。雪乃さんのことを知りたいとか、雪乃さんを励ましたいとか言っておいて結局自分語りをしてしまっていた恥ずかしさで慌てて立ち上がる。

「なんて、休憩中にする話じゃなかったね。そろそろ行こうか」

 雪乃さんのから若干何か言いたそうな気配を感じたけど、こんな時でも僕は逃げるように背を向ける。その間際、雪乃さんが僕の渡したチョコを口に含むのが見えた。
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