言の葉デリバリー

粟生深泥

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変わりたくない君と変われない僕

変わりたくない君と変われない僕8

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 一体なんて話をしてしまったんだろうと思っていたけど、考えうる限り最も相当この場にそぐわない話をしたせいで、良くも悪くもその後は会話がしやすくなった。バツの悪さを誤魔化したいのもあって、バイト以外で何をしているのかであったり、雪乃さんが受けてる講義の内容だったり思いついた物から尋ねていく。
 雪乃さんの答え振りはいつもと変わらずイエスノーみたいなものが多かったけど、それでも仕事以外の話という意味では言の葉デリバリーで働き出してから一番話したと思う。
 話しながらだったからか、途中から聞こえてきたざあざあという滝の音に導かれてか、残り半分は体感的にはあっという間だった。

「おおっ……」

 目の前に広がる光景に無意識のうちに息を呑んだ。
 落差のある崖の上から水が霧散したり集まったりしながら流れ落ちてきている。水量が多いわけじゃないけど、せり出した岩に沿いながら常に形を変えながら描かれる情景に無意識に魅入ってしまう。
 崖の上に描かれた白い水の流れはまさに白竜滝の名にふさわしかった。勇壮な竜が常に体を揺らしながら崖を登って天に向かっているようだった。

「こんな風に、ずっと変わり続けることができれば……なあ」

 思わずそんな言葉が溢れていた。滝の水は微妙な流れや風の違いで絶えずその形を変えてる。それでいて竜のようなその姿はその存在感を力強く誇示し続けている。軸がありつつ、周りの環境に合わせて形を変える。こんな風でありたいなんて感傷的に思ってしまうのは、多分家族の話をしたせいだ。

「変わることがいいこととは限らない」

 隣に並んで滝を見つめる雪乃さんがスッと目を細める。それはじっと滝を睨みつけているようにも、あるいはどこか遠くを見ているようにも見えた。

「私にはある時から家族の思い出がない。法律的に家族と呼ばれる存在はいるけど、それだけ」

 雪乃さんがゆっくりと僕の方を見る。透明な瞳が真っすぐと僕を見据える。

「こんなところで話すような話じゃないけど、それでも聞きたい?」
「……さっき、僕も似たような話をしたばかりだし、聞かせてほしいな」

 しっかりと雪乃さんの目を見ながら頷く。一瞬雪乃さんの瞳が不安げに揺れて、それからふっと息を吐くと雪乃さんは視線を滝の方に戻した。

「小学生の頃、父親がいなくなった。便宜上母親と呼ぶ人によると、私のせいで出ていったらしい」

 淡々とした口調で話すには重い内容だった。悩みの重さに上下があるとは思わないけど、その時点で既に僕の零した内容よりどっしりとした重さを孕んでいるように感じる。

「それまでは毎日が楽しかった記憶があるけど、その日から私の世界は無になった。母親は私に直接何かすることはなかったけど、最低限の世話以外は私がいないものとして扱い続けた」

 幼き日の雪乃さんの姿を想像するだけで胸がギュッと苦しくなる。途端に息苦しくなって、喘ぐように息を吸う。

「父親が出ていった理由も、母親が私の扱いを変えた理由もわからなかった。当時の私はそれを本に求めた。目についた小説を片っ端から読んでいって、感情の変化の理由を知ろうとした」

 雪乃さんが目を閉じる。その目を開けたとき、瞳に帯びているのは憂いを纏った暗い蒼だった。小学生の女の子がひたすらに本を読み続ける。その先に消えてしまった両親からの愛情があると信じて。そんな場面を思い浮かべて、今度は針に刺されるような痛みに襲われた。

「本を読んで読んで読み続けて。でも、結局理由が分かったのは母親が父親と電話している声が聞こえたときだった。単純に、二人とも私が邪魔だったって」

 雪乃さんの声はどこか投げやりなのに凍てつくように冷たい。触れてしまえば傷ついてしまいそうな程鋭くて痛々しい。

「その時から、人の気持ちが一層わからなくなった。だからそれからも私は本を読み続けて人の感情を理解しようとして――いつしか私にとって感情は感じるものではなく読み解くものになっていた」

 人の感情を物語を参考に読み解こうとする。そのために雪乃さんはどれだけの本を読んできたのだろう。今の雪乃さんが描く物語はそうして積み上げられてきたものの上に成り立っているのか。雪乃さんが物語を書ける理由を知りたいと思っていたけど、気安くそれに触れようとしていた自分に後悔する。人の気持ちを読み解く形でしか理解できない。それがどういうことなのかは上手く想像ができなかった。

「そんな子どもだったから、友達もどんどん減っていって。気がつけば私の傍には物語しかなかった。大学に入って夏希と知り合って、物語を書いてみないかと言われるまで、私は家でも学校でも他人との接点なんて全然なかった」

 夏希さんの名前が出てきて、少しだけ雪乃さんの頬の力が抜ける。

「夏希と知り合ったのは入学式の部活勧誘で。実家の印刷会社の宣伝の為に物語を書ける人を探してたんだって急に声かけてきて。私を見てピンと来たって言いだしたまま殆ど無理やり印刷会社に連れていかれて」

 その流れは似たような思い出があってつい苦笑が浮かんでしまう。そういえば、夏希さんが言の葉デリバリーを始めた理由は雪乃さんの物語を読んで救われたことがきっかけと言っていた。でも、今の雪乃さんの話だと、夏希さんが雪乃さんの物語を読んだタイミングと雪乃さんを言の葉デリバリーに誘ったタイミングは逆のような気がするけど。

「それでいきなり物語を書いてみろって。それまで物語なんて書いたこともなかったし、何を書けばいいのかわからなかったからリクエストを聞いてとにかく書いてみた。それを読んだ夏希が急にボロボロ泣き出して。そのとき初めて自分が思っている以上に人の気持ちを読み解けることを知った」

 雪乃さんは基本的に依頼の悩みを聞いて物語を書き上げる。それは人と人との表情ではなく、悩みの内容から必要なものを読み解いていたということなのか。相談される内容は抽象的な物や断片的なものも少なくないのに、雪乃さんにはそれができる。

「それで、夏希は言の葉デリバリーを思いついた。印刷会社の宣伝をしながら、私の物語を他の人たちにも広く届けたいって。正直、初めは全然乗り気じゃなかった。だけど、物語しかない私にできた唯一の居場所だって思ったら、もう二度とこんな機会ないんだって。だから、私はこの場所を守り続けたいと思ってる」

 ずっと滝を見ていた雪乃さんが改めて僕の方に向き直る。

「大学に入るまで、私に起きてきた変化は全部最低だった。父親が出て行って母親に無視されて、友達はいなくなっていった。私は人の気持ちを読み解くことしかできなくなって、そんな私でも物語を通じて唯一の居場所ができた。それでも変化はいいものだって、貴方は言えるの?」

 突きつけられた言葉は鋭くて、すぐには答えが思い浮かばなかった。
 雪乃さんが経験してきたことを思えば何を言っても嘘っぽくなってしまいそうだった。
 それでも、変わることがいけないことだとも思えなかった。ここ最近の雪乃さんの変化は悪いことだとは思えなかったから。物語を聞いた人が好意的に受け止めて、恭太は温かくなったと言っていた。そのどちらも僕も同じように感じている。

「変化がいいものとは言い切れないけど、変化を否定することも違うと思う」
「どうして?」

 雪乃さんの視線にひるみそうになるけど、ぐっとこらえる。

「今の雪乃さんの変化を否定することは、雪乃さんが言の葉デリバリーでやってきたことを否定することだと思うから」

 雪乃さんが変わってきた理由。それは、雪乃さんの世界が物語だけではなくなったからじゃないだろうか。
 雪乃さんの物語は誰かの悩みを解きほぐすと同時に、雪乃さん自体に小さな変化を積み重ねていった。その積み重ねが最近みんなの目にわかるほど大きくなっていった。

「雪乃さんが物語を通じて築いてきたものとか。僕や夏希さんがどれだけ雪乃さんを信頼してるかとか。それで雪乃さんが変わることが、過去の雪乃さんを変えてしまった状況と同じだとは思えない」
「それは、そうだけど」

 雪乃さんの瞳が揺らぐ。変わってはいけないという思いに迷いが生じている。
 僕はそんな雪乃さんに手を伸ばす。今できる精一杯の笑みを浮かべてみせる。

「それに、雪乃さんがちょっと変わったくらいで、僕や夏希さんが雪乃さんから離れていくと思ってるの?」
「そんなことない。そんなことない、けどっ!」

 揺れる瞳から涙が溢れる。濡れた瞳を雪乃さんは真っすぐと僕にぶつける。僕の手に向かって伸ばされかけた手がすっと引っ込められた。その手をギュッと握りしめ、雪乃さんはきつく目を閉じる。

「だけど、怖いの! また誰もいなくなったら、今度こそ私は耐えられない!」
「大丈夫」

 手を伸ばし、雪乃さんが引っ込めた手を握りしめる。ハッと見開かれた雪乃さんの目にしっかりと頷いて見せる。

「この滝なんて常に形を変えてるのにずっとここにあるみたいにさ。僕は雪乃さんの傍にいる。雪乃さんの物語がどんなふうに変わるか楽しみだし、それを通じて僕も変われたらいいなって」
「その例えは、ちょっとよくわからないけどっ……!」

 滝のように零れ落ちる涙を拭うこともせず、雪乃さんは重なった僕たちの手を見つめている。雪乃さんはその手に恐る恐るもう片方の手を重ねた。雪乃さんの手は震えていて、その手をもう一度しっかりと握りしめる。

「どんな私になっても、私はここにいていいの?」
「僕は変わりたいと思ってるのに変われないからさ。雪乃さんがどうなっても変わることなくここにいる」

 迷いながらも一歩踏み出した雪乃さんを、そのままぐっと抱き寄せる。
 堰を切ったように僕の胸元で雪乃さんは声をあげて泣いた。今までずっと溜め込んできたものを吐き出すかのようにずっとずっと泣き続けた。
 そんな雪乃さんの背を優しく叩く。今まで雪乃さんが渇望しながら得られなかったものを、少しだけでも雪乃さんが感じ取ってくれたらいいなと思いながら、雪乃さんの涙が枯れるまで僕らはずっと傍にいた。
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