現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第1章

こんな話

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新宿駅東口、アルタ前広場は、文字通りの地獄と化していた。

空を覆うのは、本来なら現代の科学技術や魔力観測網が捉えるはずのない、銀色の巨大な影。現代ダンジョンの深層、踏破すら絶望的とされる階層に君臨する災害級モンスター、ストーム・ドラゴンがそこにいた。
全長五十メートルを超える巨躯がくねるたびに、大気を引き裂くような衝撃波が走る。新宿の象徴とも言えるビル群の窓ガラスは、その咆哮一つで粉々に砕け散り、路上には避難し遅れた人々がパニックに陥り、阿鼻叫喚の図を呈していた。

「総員、散開! 最大火力を維持しろ! 一秒でも長く足止めするんだ!」

都知事直属のSランク探索者パーティ、雷光の翼のリーダー、カイトが叫ぶ。
彼らは日本に数人しかいない最高戦力だが、その表情に余裕はない。装備したミスリル製の鎧はひび割れ、自慢の雷剣もドラゴンの放つ魔力の奔流に押し返されている。
背後の魔導師たちが詠唱を重ね、巨大な魔法陣から極太の雷光が放たれるが、ドラゴンの銀鱗をかすめることすらできない。

「無理だ……! 物理も魔法も通用しねえ! そもそも、なんでこんな奴が地上に湧いて出てくるんだよ!」

カイトの絶望は正しかった。現代ダンジョンというシステムにおいて、深層の主が勝手に地上へ現れるなど、あってはならないエラーだった。それは自然災害というより、世界そのものが壊れたかのような不条理だった。

その時だ。

「……あー、やっぱりここか。場所の指定がアバウトすぎなんだよ、あの課長」

爆風と怒号が飛び交う戦場に、あまりにもそぐわない溜息が混じった。

避難誘導のテープを軽々とまたぎ、ドラゴンの足元へと歩み寄る一人の男。
年齢は三十を少し過ぎたあたりだろうか。安物の、しかしプレスだけは完璧に効いたビジネススーツを纏い、右手には使い古されたブリーフケース。左手には、新宿のデパ地下で買ったと思われる、季節の熨斗が巻かれた菓子折りの箱。

久我は、眉間に寄ったシワを指で揉み解しながら、上空を見上げた。
その足元には、真っ黒でふわふわした毛並みの、小犬のような生き物が一匹、退屈そうに欠伸をしながらついて歩いている。名はクラ。外見こそ愛らしいが、その正体は主人公が以前の業務中に拾い、なし崩し的に懐かれた冥界の番犬の幼体である。

「おい! どけ、死にたいのか!」

カイトが喉を枯らして叫ぶが、久我は止まらない。
むしろ、営業回りの一軒目に向かうような、目的意識の明確な足取りでドラゴンの正面に立った。

「グオォォォォォォォォォォォンッ!」

ドラゴンが、自分を見下ろす不届きな羽虫を叩き潰そうと、その喉奥に銀色のブレスを溜め込み、咆哮を放つ。
大気が震え、周囲の探索者たちがその圧力だけで気絶する中、久我だけは冷静だった。

彼の耳には、その咆哮が、全く別の言語として脳内に直接響いていた。

(……うるさい! うるさい、うるさい、うるさい! なんだお前ら、さっきからチカチカと! 眩しいんだよ! 俺はただ、ちょっと散歩に出ただけなのに、どいつもこいつも攻撃してきやがって! 痛いじゃないか!)

久我は、深い溜息を吐いた。
そして、前職のコールセンターで何万回と繰り返してきた、脳を介さない完璧なビジネススマイルを顔に貼り付けた。

「夜分遅くに失礼いたします。新宿ダンジョン管理事務局、苦情係の久我と申します」

久我は、流れるような動作で胸元から身分証を取り出し、ドラゴンの巨大な瞳に映るように掲げた。

「本日は、周辺住民の方々より、過度な咆哮による騒音、および建造物損壊に関するご指摘をいただきまして、状況の確認、並びに一次対応に参りました」

ドラゴンの動きが、ピタリと止まった。
銀色のブレスが、喉の奥で霧散していく。

(……え? お前、俺の言ってること、わかるのか?)

「はい。恐れながら、お客様のお怒りはごもっともでございます。管理側の不備により、地上区画の照明、並びに探索者の魔法訓練が、お客様の安眠を妨げる形となってしまいました。多大なるご不便をおかけしておりますこと、まずは担当部署に代わりまして、心よりお詫び申し上げます」

久我は、四十五度の角度で深く、そして静かに頭を下げた。
それは、どれほどの罵声を浴びせられても決して揺るがない、鋼の謝罪だった。

周囲の探索者たちは、その光景が信じられず、呆然と口を開けていた。
伝説の魔獣を相手に、名刺代わりの身分証を突きつけ、平謝りをするサラリーマン。あまりにもシュールな光景に、戦場の緊張感が急速に削削がれていく。

(……いや、まあ、わかってくれるならいいんだけどさ。でも、あいつらが先に撃ってきたんだぜ?)

ドラゴンの意識が、久我のペースに引き込まれていく。
久我は顔を上げると、困ったような、しかし頼りがいのあるプロの表情で頷いた。

「左様でございましたか。過剰防衛に関する件につきましても、弊社……失礼、ギルド側のマニュアル不徹底として、厳重に調査し、しかるべき処置を執らせていただきます。つきましては、お客様。これ以上の紛争は、双方にとって建設的ではございません。一度、元の居住区にお戻りいただけないでしょうか」

久我は、持っていた菓子折りを恭しく差し出した。

「こちらは、我々の誠意……いえ、ご不快な思いをさせたことへのお詫びの品でございます。銀座でも一、二を争う老舗のどら焼きでございます。中には最高級の小豆が詰まっておりまして、お疲れの際には特にお勧めでございます」

ドラゴンは、巨大な鼻先を菓子折りに近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
その瞬間、足元のクラが「ワンッ!」と短く、しかし地響きのような重低音で吠えた。
それは、同族の魔物にしか聞こえない警告だった。

(おじさんが、折角の菓子をくれると言っている。これ以上我儘を言うなら、ぼくが貴様の魂を噛み砕くが、どうする?)

ドラゴンの背中の鱗が、一瞬で逆立った。
自分より遥かに小さな黒い小犬から放たれた、逃れようのない死の気配。そして、その小犬を平然と連れ、柔らかな笑みを浮かべている目の前の男。

ドラゴンは、理解した。
この男、ただの人間ではない。自分たち魔物の理を熟知し、それを掌握した上で、あえて人間のルールで接してきているのだと。

(……わ、わかったよ。戻ればいいんだろ。そのどら焼き、貰っていくからな)

ドラゴンが、その巨大な前足で器用に菓子折りの箱を摘み上げた。
そして、空間に現れた元のダンジョンへの亀裂へと、吸い込まれるように消えていく。

嵐のような風が止み、新宿に静寂が戻った。

後に残されたのは、廃墟と化したアルタ前広場と、ボロボロになったSランク探索者たち。そして、何事もなかったかのようにブリーフケースを整える、一人の男だけだった。

「ひ、一言で、追い返しやがった……」

カイトが震える声で呟く。
久我は、腕時計を確認すると、少しだけ表情を崩した。

「……十七時十五分か。あー、完全に残業確定ですね。報告書の作成、何枚書かされることか」

「おまえ……」

「ただの苦情係ですよ。以前の職場に比べれば、言葉が通じるだけ、ドラゴンのお客様の方がずっと理性的です」

久我はそう言い残すと、駆け寄ってくるギルドの職員たちを避けるように、足早に駅の改札へと向かった。
足元では、クラが満足げに尻尾を振り、夕闇に溶け込んでいく。

これが、後に全ダンジョンから恐れられ、崇められることになる伝説の調停者、久我の、あまりにもありふれた仕事の一幕だった。
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