現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第1章

【対応記録:第08回】

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現代ダンジョン管理ギルド本部、地下三階。
ここは、地上階のきらびやかな喧騒から隔絶された、静寂と埃が支配する場所だ。
久我は、自席に戻ると、細心の注意を払ってビジネスバッグをデスクの上に置いた。バッグの中から聞こえていた微かな震えは、彼が「大丈夫ですよ」と一言添えるだけで、不思議なほど静かになった。

「……久我さん。あの、一つ聞いていいですか」

向かいのデスクで、死んだ魚のような目をしている同僚の佐藤が、珍しく自分から口を開いた。彼の視線は、久我のバッグに釘付けになっている。

「何でしょうか、佐藤さん。午後の書類整理の分担についてでしたら、すでに私の分は八割方終わっておりますが」

「いや、そうじゃなくて。……さっきから、その、バッグの中から『クゥ』とか『キュイ』とか、およそビジネスマンの持ち物からは発せられないはずの音が聞こえるんですけど。まさか、お昼休みにこっそり捨て猫でも拾ってきたわけじゃないですよね? ここ、ペット持ち込み禁止ですよ」

久我は、表情一つ変えずに書類を整理しながら答えた。

「失礼な。私は規則を重んじる人間です。これは拾得物……いえ、正確には廃棄区画に放置されていた『不法投棄物』の暫定的な確保、および一次対応です」

「不法投棄物?」

佐藤が不審げに身を乗り出した。
久我は、周囲に他の職員がいないことを確認してから、ゆっくりとバッグのジッパーを開いた。
中から現れたのは、久我のハンカチに包まれた、真っ黒でふわふわした毛玉のような生き物だった。

「……うわっ、魔獣の幼体!? それも、これ……ケルベロスの変異種じゃないですか!?」

佐藤が椅子ごと後ろに飛び退いた。
ケルベロス。深層に生息し、地獄の番犬とも称される災害級魔獣だ。その幼体は極めて希少で、闇市場では天文学的な金額が動くと言われている。
だが、久我の腕の中にいるその生き物は、そんな伝説的な威厳は微塵もなく、ただ心細げに久我のスーツの裾を甘噛みしていた。

「ケルベロスであろうと、お客様……いえ、管理対象であることに変わりはありません。佐藤さん。この個体は資材廃棄区画で衰弱しているところを私が発見しました。放置すれば、餓死するか、あるいは腐敗して公衆衛生上の問題を引き起こしたでしょう。組織の管理責任を問われる事案です」

「いや、衛生の問題じゃないでしょ! これ、見つかったら大騒ぎですよ。っていうか、なんでそんな大人しいんですか? ケルベロスって、赤ん坊でも三つの首がそれぞれ別の意思を持って暴れるって……」

久我は、幼体の頭を、指先で優しく撫でた。
まだ二つの予備の頭は、小さな瘤のような突起でしかないが、久我が触れると気持ちよさそうに喉を鳴らした。

「対話を試みた結果です。彼……クラ君は、自分がなぜ捨てられたのか、何が不満なのかを訴えていました。私はそれを聞き届け、適切な処置を約束した。それだけのことです」

(……あったかい。この人の手、落ち着く。……お腹、すいた)

久我の脳内には、クラの切実な訴えが届いていた。
魔物の言葉がわかる。その力は、相手が小さければ小さいほど、その感情の純度が高いために鮮明に伝わってくる。

「……キュ(お腹すいた)」

「承知いたしました、クラ君。一次対応として、栄養補給を優先しましょう」

久我はデスクの引き出しから、自分の非常食としてストックしていた高タンパクな栄養調整食品を取り出し、小さく砕いて差し出した。
クラは、それを小さな口で一生懸命に頬張り、満足げに尻尾を振った。その姿は、およそ地獄の番犬には見えなかった。

「……信じられない。魔獣が、人間の食べ物をあんなに幸せそうに食べてるなんて。……あ、そうだ。久我さん、まずいですよ」

佐藤がスマートフォンの画面を指差した。
ギルド内のイントラネットに、赤い文字で緊急の通知が表示されている。

『特級警戒:研究所より移送中の重要検体が消失。黒い小型の魔獣。発見者は直ちに本部に連絡せよ。なお、接触は極めて危険であり、武装探索者による回収を推奨する』

「……これ、絶対こいつのことですよね? 研究所の連中が血眼で探してますよ」

「消失、ですか。正確には廃棄区画への不法投棄でしたがね」
久我は、冷徹なまでに落ち着いた声で言った。

「佐藤さん。研究所の管理体制に重大な欠陥があったということです。あんな劣悪な環境のゴミ捨て場に、生きた個体を遺棄するなど、コンプライアンス的に許されることではありません。……クラ君は、組織の不手際による犠牲者です」

その時だった。
地下三階の廊下に、複数の重い足音が響いた。
金属製の防具が擦れる音。荒々しい呼吸。

「おい、この辺りから魔力の反応があったはずだ! 隅なく探せ!」

室内に、緊張が走る。
武装したセキュリティチームが、各部署を回っているらしい。
佐藤は顔を青くして震え始めたが、久我は平然としていた。

「佐藤さん、クラ君を私のデスクの下に。……ああ、動かないように。私が窓口を務めます」

久我はクラを素早く隠すと、再びパソコンに向かった。
数秒後、扉が乱暴に開かれた。

「おい、管理事務局の苦情係だな! ここに黒い魔獣……」

入ってきたのは、完全武装した三人の探索者だった。
だが、彼らは室内の異様な静寂に、一瞬言葉を失った。

部屋の中は、整理整頓の行き届いたデスクと、淡々とキーボードを叩く男が一人。
そして、その男が放つ、あまりにも隙のない事務方の威圧が、武装した男たちを気圧した。

「失礼ですが。入室の際はノックをお願いできますか。それから、その抜身の武器。ここはオフィスですので、安全管理上の観点から、鞘に収めていただくようお願いいたします」

久我は、視線を画面から外さずに言った。
その声は、かつて数え切れないほどの理不尽な要求を跳ね除けてきた、プロの防壁そのものだった。

「あ、ああ……。いや、研究所の検体がいなくなったんだ。何か怪しい影を見なかったか?」

「怪しい影、ですか。……そういえば、先ほどから換気ダクトの調子が悪いようですね。異音や影、という意味では、設備の老朽化による不備であれば、私共の方で苦情として受理しておりますが」

久我は、ゆっくりと顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳には、一切の動揺がない。

「それとも、何か。研究所の方々が、管理不備で検体を紛失し、それを我々のような末端部署の業務時間にまで影響させて探しておられる、ということでしょうか。……もしそうであれば、後ほど正式に業務妨害としての苦情を、そちらの部署へ入れさせていただきますが」

「い、いや……そんなつもりじゃ……」

探索者たちは、久我の理詰めの視線に耐えきれず、たじろいだ。
彼らにとって、暴力で訴える相手は得意だが、正論とコンプライアンスで攻めてくる事務員は、最も苦手な部類だった。

「……ここは異常なしだ。次へ行くぞ!」

彼らは逃げるように部屋を去っていった。
佐藤が、机の下から這い出してきた。

「……久我さん。あなた、心臓に毛が生えてるってレベルじゃないですよ。あの人たち、Sランク一歩手前のプロですよ?」

「相手が誰であろうと、手続きに則らない要求に応じる必要はありません。……それよりも佐藤さん」

久我はデスクの下を覗き込んだ。
そこには、久我の言葉を信じ、微動だにせずに潜んでいたクラの姿があった。

「お利口でしたね、クラ君。……約束しましょう。私はあなたをゴミとしては扱いません。これからは、我が苦情係の……そうですね、備品の一部として、適切に管理させていただきます」

(……びひん? わかんないけど、ここにいていいの? ……クゥ!)

クラが、久我の手を嬉しそうに舐めた。
佐藤は呆れ果てたように溜息を吐いたが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。

「……備品ですか。ケルベロスの変異種が備品なんて、世界でここだけですよ。……まあ、いいです。僕も、あの研究所の威張った連中には一太刀浴びせたかったところですから」

こうして、現代ダンジョン管理ギルド・苦情係に、新たなメンバーが加わった。
それは、捨てられた小さな影が、世界を揺るがす大きな力へと変わっていくための、静かな始まりだった。
久我は、手帳の対応記録に、一言だけ付け加えた。

――新規備品:黒い影(クラ)。適正管理に移行。
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