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第1章
【対応記録:第09回】
しおりを挟む現代ダンジョン管理ギルド本部、地下三階の空気は、今朝も重く澱んでいた。
だが、その澱んだ空気の中を、黒くてふわふわした「何か」が猛烈な勢いで駆け抜けていく。
「こら、クラ君。備品が勝手に走り回ってはいけません。床のワックスがけをしたばかりですよ」
久我は、手に持ったクリップボードから視線を上げることなく、淡々と注意した。
足元を駆け抜けていったのは、先日保護した冥界の番犬(ケルベロス)の幼体、クラだ。久我の注意を聞いたのか、クラはピタリと足を止めると、三つの首の「芽」がある背中を丸めて、殊勝な顔で久我を見上げた。
「……キュ(ごめんなさい。でも、ここ、楽しい!)」
「楽しむのは結構ですが、まずは身分を明確にしなければなりません。佐藤さん、例の書類は準備できましたか?」
向かいのデスクで、怯えたように椅子を引いている佐藤が、震える手で一枚の用紙を差し出した。
「……本気なんですね、久我さん。これ、『固定資産・備品登録申請書』ですよ。登録名、クラ。種別、多目的防犯・癒やし用設備。……こんなの、上層部が通すわけないじゃないですか」
「通す、通さないではありません。受理させるのです」
久我は、佐藤から受け取った書類に、淀みのない筆致で必要事項を記入していく。
「研究所が遺失届を出していない以上、この個体は拾得物として扱われます。そして、一晩経っても所有権の主張がない場合、拾得した部署が管理責任を負うのがギルドの規定です。……私はただ、ルールに則っているだけですよ」
「ルール以前に、こいつはケルベロスですよ! 世界を滅ぼしかねない厄災の幼体ですよ!?」
「今の彼は、ただの『お腹を空かせた迷子のお客様』です」
久我は、クラの頭を優しく撫でた。クラは嬉しそうに三つの首の突起を震わせ、久我のスーツの裾を甘噛みする。
(……この紙、おいしそう。食べていい?)
「いけません。それはあなたの『戸籍』になる大切な書類です。食べたらあなたは、ただの不法投棄物に戻ってしまいますよ」
久我の言葉に、クラは慌てて口を離した。その知能の高さは、やはり通常の魔物とは一線を画している。
そんな時だった。
地下三階の重い扉が、音を立てて開いた。
入ってきたのは、白衣を纏った神経質そうな男と、二人の屈強な警備員だった。
「おい、ここか。昨日、廃棄区画の近くで不審な動きがあったという報告があった。研究所から消失した重要検体……黒い魔獣を探している」
佐藤が「ひいっ」と短く悲鳴を上げ、自分の足元にクラを隠そうとした。だが、久我はペンを置き、椅子をゆっくりと回転させて男たちと対峙した。
「失礼ですが。面会の予約はいただいておりません。現代ダンジョン管理ギルド、研究所所属の方とお見受けしますが、所属と氏名、並びに来訪の目的を正式に述べていただけますか」
「……ふん。私は研究所、第三生物管理課の主任だ。紛失した検体を回収しに来ただけだ。いちいち事務的な手続きなど必要ない。そこに隠しているのはわかっているんだ。さっさと渡せ」
主任と呼ばれた男が、佐藤のデスクの下を指差した。クラは久我の言いつけを守り、息を潜めていたが、主任の放つ刺々しい魔力に怯え、震えていた。
(……怖い。あの人、冷たいお注射した人だ。また、暗いお部屋に閉じ込めるんだ……!)
クラの恐怖が、久我の脳内に直接流れ込んできた。
久我の目が、わずかに細まった。
眼鏡の奥にある瞳が、かつて無理難題を押し付けてきた最悪のクレーマーに対峙する時と同じ、冷徹な光を宿す。
「……紛失、ですか。主任、それは穏やかではありませんね」
久我は、先ほど記入したばかりの書類を、机の上にスッと滑らせた。
「ですが、おかしいですね。ギルドの資産管理システムを確認しましたが、該当する検体の『紛失届』は発行されておりません。さらに言えば、移送マニュアルに基づいた『管理放棄の記録』も存在しない。……つまり、法的には、その検体は存在しないことになっています」
「なっ……。それは、機密保持のために手続きを遅らせているだけで……!」
「組織において、手続きの遅滞は過失と同義です」
久我は立ち上がり、主任の目の前まで歩み寄った。身長は久我の方がわずかに高い。
「さらに、昨夜、私がこの個体を発見したのは『資材廃棄区画』……つまりゴミ捨て場です。主任、あなたは『存在しないはずの重要資産』を『ゴミ捨て場に遺棄した』ということになりますが、その認識でよろしいでしょうか」
「ぐっ……。それは……事故だ!」
「事故であれば、速やかに報告し、周囲の安全を確保するのがプロの仕事です。それを怠り、あろうことか部外者(私)が拾得するまで放置した。……もし、この個体が街に出て被害を出していたら、主任、あなたは懲戒免職だけでは済まなかったでしょう」
久我の声は、静かだが、逃げ場のない正論で男を追い詰めていく。
主任は顔を真っ赤にし、警備員に合図を送ろうとした。だが、久我はその前に、手元のタブレットを操作した。
「すでに、この個体は『苦情係の備品』として、暫定的な登録申請を完了しました。管理番号、KJ-009。名称、クラ。……今この瞬間から、この個体の所有権は現場対応課にあります。回収を希望されるのであれば、正式な『資産譲渡申請書』を作成し、昨夜の管理不備に関する始末書を添付した上で、上局の承認を得てからお越しください。……一ヶ月ほど、お時間はかかると思いますが」
「ふざけるな! そんな事務手続き、待てるわけがないだろう!」
「待てない、というわがままは、子供の論理です。大人の社会では、手続きこそがすべてです」
久我は、ドアを指差した。
「お引き取りを。……それとも、今ここで監査部に電話を繋ぎ、昨夜の遺棄事件について詳しく報告いたしましょうか」
主任は歯噛みし、久我を睨みつけたが、結局は「覚えていろよ……!」と捨て台詞を残して去っていった。
扉が閉まると、佐藤がその場にへたり込んだ。
「……久我さん。あなた、本当に……。研究所の主任をあんなに完膚なきまでに論破するなんて。……でも、これ、本当に備品として認められるんですかね?」
「ルールを味方にすれば、不可能なことはありませんよ、佐藤さん」
久我は、デスクの下から這い出してきたクラを抱き上げた。クラは安堵したように、久我の胸元に顔を埋めた。
(……助けてくれた。ありがとう、おじさん。私、ここで一生懸命、お仕事する!)
「おじさん……ですか。まあ、間違いではありませんがね」
久我は苦笑し、クラを自分のデスクの上に座らせた。
「さて、クラ君。備品として登録された以上、あなたにも役割があります。……まずは、この溜まりに溜まった書類の仕分け、手伝ってもらいましょうか。あなたのその鋭い嗅覚で、緊急性の高い苦情を探し出してください」
「……ワンっ!」
こうして、ケルベロスの幼体・クラは、現代ダンジョン管理ギルド・苦情係の「正式な備品」となった。
それは、力と恐怖が支配する魔物の世界に、事務手続きと誠実さという名の新しい風が吹き込んだ瞬間でもあった。
久我は、手帳に「登録完了」のスタンプを押し、定時までの残り時間を確認した。
「……さて、次は地下通路の氷結苦情ですか。……クラ君、初出勤ですよ。準備はいいですか?」
クラは、小さな鼻をヒクつかせ、やる気に満ちた表情で頷いた。
苦情係の新たな戦いが、ここから始まろうとしていた。
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