【完結】呪われ作家と、小さなワケあり霊能者

餡玉(あんたま)

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10 川のある場所

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「川の向こうに何があるんだろうと思った。でも僕は、どうしてもそこを流れる水が怖くて。別に泳げないというわけじゃないんだが……。本能的に避けたほうがいいと感じたんだよ」
「……なるほど」
「そのときふと、『ここで見たことをネタに小説が書けないかな』っていう考えが頭の中を掠めたんだ。その瞬間すうっと意識が遠のいて、僕は病院のベッドで目を覚ました」

 女性看護師が慌てふためく声がした。やがて男性医師が律の顔を覗き込み、大きな声で話しかけられたような記憶はある。

「三か月意識不明だったと先生に言われて、警察の人から事件のことを聞いて、事情聴取を受けて……病院にいる間は忙しなかった。すっかり筋力が落ちていたからリハビリも受けた。退院したのが、ちょうどひと月前のことだ」
「そういうことでしたか」

 律の語りを聞き、天緒が大きく一つ頷いた。手では、無意識のように膝にいる夜見の毛並みをゆっくりと撫でている。夜見は目を閉じているが、耳はピンと立っていて、こちらの話を聞いている様子だ。
 天緒は夜見を撫でながら、静かな声でこう言った。

「先生が見たのは、おそらく三途の川ですね」
「さ……三途の川?」
「知ってます? 三途の川」
「当たり前だ、知ってるよ!」

 あの世とこの世を隔てる川のことだ。仏教思想のひとつで、創作に携わるものとしては常識である。
 三途の川を渡るための渡し船が存在しているとか、その船に乗るには六文(約百八十円前後)が必要で、葬式の際には棺の中に六文銭を入れておかねば川を渡れないとか——色々な説がある。

「あれが、三途の川……。へえ、すごいものを見たんだな、僕は……」
「川のほとりにいるのは、もう亡くなっている人、もうすぐ亡くなる人、船に乗りそびれた人と、さまざまです。先生が直感的に川を危ないと感じたのなら、先生はまだ死ぬときではなかったということですね」
「そうか……」

 律は脇腹をひと突きにされ、内臓から大量に出血した。懸命に治療を施してもらえたおかげで生き延びることができたのだ。

「先生、見た目によらずけっこうな生命力だな。身寄りもなけりゃ恋人もいなくて未練もなさそうなのに、どうしてそんなに生きたいって思えたわけ?」

 夜見は天緒の膝の上で大欠伸をしながら、清々しいほど不躾なことを尋ねてきた。
 天緒がすかさず「こら夜見! 失礼なことを聞くんじゃない!」と怒っている。
 だが律は苦笑して首を振った。

「そうだなぁ……。たぶん、刺されるなんて経験滅多にできないし、これは創作のネタになるって思ったから、かな」
「……ネタ?」

 天緒と夜見の声が揃う。呆れたような声だ。

「僕はミステリー作家だ。これまで、殺人事件はたくさん書いてきたし、被害者視点も書いたことがある。刺された感覚なんかわからないから、想像で書くしかなかっただろ? でも、これからはもっとリアリティをもって描写できると思うと、ラッキーだなと思ったんだよ」
「へ、へえ……。作家さんて、そういうふうに物事を捉えるんですか」

 呆れ顔から、どことなく感心したような顔になった天緒である。夜見は首を傾げたままだ。

「ああ、死ぬかもって思ったときも、これは使えるって思った。ただ、そのあと意識がなくなって……その、三途の川? ってとこをうろうろしていたときも、『これがひょっとして臨死体験か?』って考えていたんだ。ネタになるなって」
「……なるほど」

 天緒がぽんと拳で手のひらを叩いた。

「ネタを求める作家根性のおかげで気力が奪われることなく、先生は無事蘇生したってことなんですね」
「まあ、そういうことになるんだろうか。ネタはいつだって欲しい」
「でも、それだけで先生のそばに霊が集まってくるというのが、どうもしっくりきません」
「そうだなぁ……」

 天緒が、また不穏なことを言い出した。

「夜見、もうちょっと調べてみて。この家の中に、異界と現世をつなぐよすがのようなものがあるかもしれない」
「りょーかい」

 ぴょん、と夜見が天緒の膝から飛び降りる。律は天緒と仕事部屋のほうへ歩いて行く黒猫のしっぽを見比べた。
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