王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

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「本当にこれを口に入れるのですの?」

 

翌朝、鍛冶場の脇にある粗末な食卓で、リリエルは黒ずんだ鉄鍋と向き合っていた。中には小麦の粥と干し野菜が浮かぶだけ。香草も乳も使われていない質素極まりない見た目に、彼女の眉がわずかに跳ねる。

 

「腹が膨れりゃ十分さ」

 

テオは木椀に粥を盛り、自分の分を一口すすった。煤で曇った匙が歯に当たり、軽い金属音が響く。

 

「味付けは?」

 

「塩ひとつまみ。贅沢は昼まで我慢しな」

 

リリエルは匙を手に取りかけ、ふとその質量に驚いた。木製だと思っていたが、柄の根元に銀がはめ込まれている。

 

「この村で銀の匙とは珍しいですわね」

 

「親方の自慢の一品だ。結婚祝いに鍛えたって聞いた」

 

「奥様を愛されていたのですね」

 

「残念ながら早くに亡くした。だからこそ大事にしてる」

 

リリエルは匙を大切に返し、指先で祈るように粥をすくった。塩だけの味は淡泊で、王都の甘いポタージュとは天地の差だが、冷えた胃にじんわり染みる温度が悪くない。

 

「……もう少し胡椒があれば」

 

「仕入れが来たら振ってやる。今朝はこれで勘弁だ」

 

テオは笑いながらパンの欠片を粥に浸す。その無造作な動作が一瞬だけ王侯の優雅さに見え、リリエルは首を傾げた。

 

 

朝食が終わると、親方ユルゲンが帳簿を持って現れた。

 

「嬢ちゃん、字は書けるか」

 

「貴族の教育に恥じぬ程度には」

 

「なら在庫を数えて記してくれ。数字は俺より几帳面だろう」

 

リリエルは煤けた帳面と羽ペンを受け取る。インクは鉄鉱石から取った自家製で、色も匂いも荒い。だがページに置けば、王都の羊皮紙より素直に染みた。

 

「石炭袋五つ、鋼材七束、鎚の替え柄三本……これは?」

 

「テオが昨日仕入れた錫だ。半分は鍋屋へ回す」

 

「錫と銅で青みを加えるのは装飾品にも使えますわね」

 

ユルゲンが目を細める。

 

「嬢ちゃん、金属の商いも分かるのか?」

 

「宝飾商と親しくしておりましたので」

 

「大したもんだ。じゃあ午後は隣村の行商人と値を決めてこい。俺とテオは鍛造が詰まってる」

 

リリエルは唇に微笑を浮かべる。市場――それは王都で唯一自分が王太子に勝てた舞台だった。

 

 

昼前、鍛冶場の炉が真白に燃え上がるころ、クラリスが裏口から顔を覗かせた。

 

「お嬢様、昼餉の支度を致しました」

 

「献立は?」

 

「昨夜残った粥に人参を足し、燻製肉を少々……」

 

「粥の再来ですの」

 

テオが鎚を振り下ろしつつ笑いかける。

 

「食べ物を粗末にする貴族はいねえだろ?」

 

「ええ、食べ物は敬うもの。それは貴族でも庶民でも同じですわ」

 

そう答えた自分にリリエルは小さく驚いた。昨日まで「粗悪」と口にしていた粥を、今は自然と「食べ物」と呼んでいる。

 

 

午後、リリエルはクラリスを伴い、石畳より荒れた獣道を辿って隣村の市場へ向かった。行商人が並べる粗末な天幕の間を縫い、雑多な匂いが鼻を刺す。

 

「錫七斤、おいくら?」

 

「銀貨五枚」

 

「粉々の錫屑に五枚? 鏡でも磨けと?」

 

リリエルは肩をすくめる。行商人が舌打ちをして値を下げた。

 

「四枚半でどうだ」

 

「三枚。質が悪すぎますわ」

 

「それじゃ儲けがない!」

 

「鍛冶屋は火を食って火を吐く。儲けは炉の底で出すものですわ」

 

周囲にいた商人たちが笑い、値踏みの空気が和らぐ。結局、錫七斤は三枚と銅貨十枚で決着した。

 

「嬢ちゃん、口が達者だな」

 

商人が手を叩いて感心する。リリエルは頬を張らずに微笑んだ。

 

「口は道具ですわ。鍛冶屋なら鎚、商人なら言葉。貴族であってもね」

 

 

帰路、クラリスが息を弾ませながら振り返る。

 

「お嬢様、やはり市場は生き生きしておられますね」

 

「値札がある限り、舞台は同じ。王宮より自由で楽しいわ」

 

「それを王都でおっしゃれば……」

 

「追放前より追放後の方が耳を傾けてくれる人が多いもの」

 

クラリスは頷き、荷車に載せた錫を見やる。

 

「親方の御厚意に応える良い取引でした」

 

「応える? 違うわ。これからは私が価値を生む番よ」

 

リリエルは初めて意識的に自分の足音を聞いた。石と靴底が打つ音は鍛冶場の鎚より小さいが、確かにリズムを刻む。

 

 

夕刻、鍛冶場に戻ると、ユルゲンが取引結果を確認した。

 

「三枚十銅? 上出来だ。村一番の行商でも四枚がせいぜいだ」

 

「錫の純度が低かったのです。炉で不純物を飛ばす手間を笑って付けましたの」

 

ユルゲンは声を立てて笑い、リリエルの手に銀の匙を乗せた。

 

「明日からこの匙は嬢ちゃんのもんだ。良い交渉人への褒美だ」

 

リリエルは目を瞬く。柄の根元に刻まれた模様は、どこか家紋にも似ているが、炎を象った意匠だった。

 

「親方のお宝を頂くわけには」

 

「道具は使ってなんぼ。倉に眠らせるより人の手で光る」

 

テオが背後から肩を押すように囁く。

 

「受け取れよ。銀は錆びにくいが、心は錆びる」

 

リリエルは匙を握った。重さは木製のそれと大差ないのに、掌が温かくなる。

 

「ではお言葉に甘えます」

 

「明朝からその匙で粥をかき回せ。味が変わるかもしれねえ」

 

「ええ、塩だけの粥にも輝きが混ざるのでしょう」

 

リリエルは笑い、テオと視線を交わす。炉の火がゆらめき、銀の匙がかすかに赤を映した。かつて舞踏会で煌めいた宝石よりも、今この小さな食卓の光の方が胸に残ると、彼女は知る。
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