水底の歌

渡邉 幻月

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哄笑

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「浦野さん、あの、これは…」
ようやく奥津が口を開いた。 何がそんなに可笑しいのか、まだ座敷牢の中の『何か』は、笑い続けている。
「何代前かも分からない、浦野本家の先祖です。祖父も、その祖父も、その先代も、それより前からずっと世話をしているそうです。ずっと、あれは生きているんだそうです。」
浦野の言葉に、そんな馬鹿な、と言いかけて奥津は言葉を呑み込んだ。
そもそもあれは何なのだ。人なのか? 骨格は人のようだ。人の言葉も、まあ、理解しているようだ。会話になるかは別にして、だが。
「先生、残念ですが、あれに言葉は通じない。狂ってるんだそうですわ。」
そう言う浦野は拳に相当な力を込めて握りしめている。
「何があったか、聞き出せそうも無いんでしょうかね… 少し、診ても良いですか?」
異様な光景に姿に面食らいつつも、奥津は目的を果たそうとする。
「…無駄だとは思いますが、少しでも咲が治るきっかけになると言うのなら、どうぞ。ただ、危ないので座敷牢の鍵は開けませんが、よろしいですかね。」
「ええ、そうですね。それでも大丈夫でしょう。失礼します。」
意を決し、奥津は得たいの知れぬ、それ、に近付く。
不老不死など、本当にあるのだろうか。咲さんの前に発病した誰かに間違いは無くとも、そんな昔のことでは無いのではないのか。
せいぜい、咲さんの三代前とか。ここまで変容していれば、個人の区別もつきそうにない。何度か入れ代わっていても、そのうちに同一視されてもおかしくないのではないか。
様々の事を思い巡らせながら、奥津は『それ』に最も近い場所で膝をついた。浦野の話では言葉は通じないそうだが、話せるのだから理解はできるはず… 不安だらけではあったが、できるだけ冷静に丁寧に話しかけることを心がけようと心を決め、奥津は語りかけた。
「こんばんは。僕は奥津と言います。医者をしてお…」
「ああ、おマえさま、いきておイでだったノね?」
奥津に気付いたそれ、は、ぎこちない動きですり寄ってくる。
「あア、モっとよく、かオをみせて、」
奥津の顔に触れようと、その骨と皮と少しの鱗に覆われた手を伸ばしてきた。 さすがの彼も得体の知れない恐怖に思わず仰け反る。
「おまエさま、ドうして、」
しゃがれた声では、悲しんでいるのか、傷付いているのか、はたまた怒ったのかも分からぬ。
「僕は、あなたとは初対面です。暗いので、見間違えたのでしょう。」
居住まいを正し、奥津は答えた。
「おまえは、ダれだ。」
「医者です。彼女を治すための、医者です。」
奥津はそう静かに説明した。話が通じているかは、疑わしいが。
「あなたは─…」
奥津が続けようとした言葉を遮り、咲を見たそれ、がまた高笑いを始めた。話にならない。浦野が言った通り、気がれているのだろう。
奥津は軽く溜め息を一つ。そして、そっと咲の様子を窺う。恐怖と絶望に染まった目が、気の狂れた先祖に釘付けになっている。
これは、切り上げた方が良いな。
奥津は判断した。咲が思い詰めたあげく、自らも気の狂れることを恐れて、命を絶ちかねない。明日以降、また浦野に都合をつけてもらおう。今度は咲を置いて。奥津は立ち上がると浦野に向かって、
「今日は、もう…」
「肉を喰らえば、良い。」
もう切り上げましょう、と言う奥津の言葉を遮り、妙にドスの効いた声がした。
奥津も浦野も咲も驚き、声のした方、それは座敷牢の中だったのだが、思わず視線を投げる。それ、が、あくどい笑みを顔に浮かべていた。
「肉を喰えば、元に戻るぞ。」
先ほどまでの、しゃがれた声はどこへやら。狂った様子も今は無く、それは言った。
「…何の、肉ですか?」
奥津が尋ねた。それ、は、奥津を指差して言う。
「お前の生肝よ。」
それは酷く邪悪な顔をしていた。
「その娘は、お前に惚れているだろう。惚れた男の生肝を喰えば、元の人間に戻れるぞ。」
残酷な宣告。咲の呼吸が乱れていく。
ひどい。先生にだけは知られたくなかった。こんなバケモノ染みた姿の女に好かれているだなんて、先生はどう思っただろう。元の姿に戻るまでは黙っていようと思っていたのに。ひどい。
ふらつき始めた娘に気付いた浦野が、支える。
今気遣っても、余計に咲を傷付けかねないと判断した奥津はそのまま、座敷牢の中に視線を向けたまま続ける。
「…惚れた男の生肝、ですか。何故、それで治るのか、教えていただけますか。」
鋭く射るような目で、奥津はそれを捉えていた。
確かに、生肝が万病に効くという迷信はある。だが、所詮は迷信だ。そんなもので病は治らないし、おそらく呪いが解けることもないだろう。まるで咲を追い詰めて楽しんでいるようだ。奥津の拳に力が籠る。
「過去世の因縁、と言うやつだ。」
にやにやと邪悪な笑みを浮かべたまま、それは言う。
「知りたいのなら、教えてやろう。因果の元を。」
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