水底の歌

渡邉 幻月

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「分かったか。」
女が言った。座敷牢の向こう側で、嗤いながら。
「呪いの経緯については分かりました。」
奥津が冷静に答えた。そして続ける。
「ですが、結局のところ惚れた男の肉を喰ってたとしても、咲さんの呪いが解けるとは思えないお話でしたが…」
話を聞くに、どうにも呪いの決定打になったものこそが、その肉を喰らうことではなかったか。
人魚の肉を喰い、そして愛しいはずの伴侶の肉を喰らうに至って、女にかけられた呪いが完成したのではないか。その出来事がなければ、あるいは女だけが不老不死のまま、今まで生き延びただけで済んだのではないだろうか。八百比丘尼のように。奥津は、そう考えていた。
座敷牢の中で、女は気の狂れたような笑みを浮かべている。
「おまエさま、もっとちカくにきてくだサいまし。ずっとヒとりでさみしかった。」
奥津の顔に触れようと、女が手を伸ばしてくる。
「どうやら、元に戻ったようですな。」
浦野が言った。 彼の腕の中で、咲が青褪め震えていた。
「今日のところは、戻りましょうか。」
奥津が溜め息を吐いた。 結局、肝心なことが分かったのか分からなかったのか。呪いは本物なのだろうか。
「せ、先生…」 
浦野が複雑な表情をしていた。
「…。僕の生肝を喰えば、元に戻る、と言う話ですね?」
びくり、と浦野が体を震わせた。 まあ、分からないでもない。元に戻るなら、今更人の一人殺めるくらい容易いことだと考えてもおかしくはない。いつから呪いなんて信じられていたのか。その長い時間を考えたなら。
だが、そんな話を頭から信用していいものなのか。
「それに関しては…」
「ダメ! それはダメ、先生、死んじゃうでしょ? 私そんなの嬉しくない!」
奥津の言葉を遮り、咲が悲痛な声で訴える。
「そうは言うが、咲…」
「それに父さま、あの女の人気が狂れてるって言ったのに。そんな人の言うこと信じるの?」
咲の言葉はそれはそれで核心を突いていた。気の狂れた女の言葉に、どれだけの信憑性があるのだろうか。
「取り敢えず、戻りましょうか。浦野さん。あまり長く居ても…」
ちらり、と、奥津は座敷牢の奥を見やる。 あれはなんだったのか。急に人が変わったようになった、あれは。人魚の意識でも乗り移ったというのだろうか、そこまで考えて奥津は頭を緩く振った。
毒されている。この、非日常的な出来事に。
「うむ、まあ、そうですな。ここが他の者に見付かっても困る。」
いったいどれくらいの時間をこの座敷牢の前で費やしたのか。浦野は朝一番に起きる者のことを考えると、早々に部屋に戻ったほうが良さそうだ、と結論付けた。
崩れかかり危険だからという理由で、他の誰も近付かないようにしていたのだ。そんな場所に出入りしているなど、知られるわけにはいかない。
ここに来た時とはまた別の胸の痞えをそれぞれ抱え、三人は土蔵を後にする。
「そう言えば、浦野さんは毎日あの方に食事を運んでいらっしゃるのですよね?」
思い出したように、奥津が問うた。 
「えっ、ええ、そうですが…」 
「お手数をお掛けしますが、明日、もしあの方が先ほどのように会話ができそうだった時にお願いしたい事があるのですが…」
「何ですか?」
訝しげに浦野は奥津の様子を窺った。この期に及んで、いったい何を聞き出そうというのか。
「人魚がいた岩場と言うのがどの辺か、聞いていただけませんか?」
「なんでまた、そんな事を…」 
「人魚はまだ、生きているのではないかと思うのです。それなら呪いをかけた本人に直接話を聞くのが一番確実な方法ではないかと思いまして。」
「…なるほど、そうか。まあ、聞いてみましょう。」
部屋へ戻る道すがら、その要求の意図を奥津は説明する。人魚の呪いが、夫の食い殺した瞬間に完成されたのではないか、という予測を。
「僕の肉で元に戻るという件ですが… あの話を聞く限りでは逆に呪いがより強固になる可能性も考えられます。もしかしたら、咲さんも自信と同じところまで引きずり込もうとしているのかもしれません。まあ、それもこれも本当に呪いが原因なら、の話ですが。人魚が存在するなら直接話を聞いてみたい。」
最後に、そう言って奥津はあてがわれた部屋に戻っていった。
「父さま、私、嫌。先生のこと食べたくないからね。それなら私、このまま死んだ方が良い。」
念を押すように、咲は言うと自分の部屋に戻る。それで元の姿に戻れても、今の咲には何の意味もなかった。
ああ、あの気の狂れたバケモノの言葉でも事実を言っていたのだな。と、咲の言葉に浦野は複雑な気持ちに襲われた。伝え聞いていた通り、あのバケモノが呪いの原因なのだと改めて思い知らされた。それまでは呪いだなんて話半分にしか思っていなかった。咲のあの状態も、病の一種なのではないかと、信じたい気持ちが強かったのだ。
部屋に戻る娘の後ろ姿を暫く眺め、浦野は深い溜め息を吐くと自らも寝室へ戻った。
 あれ、が、あんなに饒舌だったのは、初めて見た。浦野は明かりを消した部屋の中でぼんやりと考えていた。 いつもは片言で会話も成立しない、あれ、が。まるで人が変わったようだった。何かが、変わるのかもしれない。良い方に変われば良い。そう願いながら、浦野はその日の眠りに就いた。
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