龍蘭帝国奇談夜話 影絵遊び

平坂 静音

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黒瑠璃

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「おまえ、誰だ?」
 花鈴が今にも踵をかえそうとしたその瞬間、午後の光のなかに緑色のきらめきが走った。
「え? あの……」
「ここで何をしているんだ? うちに何か用か?」
 目の前にいたのはまだ若い男、というより少年のようだった。最初のひと声こそやわらかかったものの、花鈴と目があうと詰問するようなきつい口調で訊ねてくる。
「あ、あの……わたし」
 花鈴は知らずに私道に入りこんでいたらしい。ここは彼の家の一部だったのだ。
 花鈴はあせった。そんなに悪いことをしたわけではないが、他人の地所に無断で立ち入ったのは誉められない。きちんと説明しようと思うが、舌がまわらない。もともと花鈴は妓女のくせに、いたって口が重い性質なのだ。
「す、すいません、わたし、あんまり桜がきれいだったので、それで」
 花鈴をあわてさせる一番の理由は、なによりも自分を問いつめる相手の風貌だろう。
 不審そうに自分を見る少年――歳は花鈴より二つか三つ上ぐらいだろうか、背はすらりと高く、濃緑こみどりの簡素な袍衣が似合っている。腰にしめられた白帯しろおびの揺れる飾り玉がひどく洗練されて見えるのは、都育ちでこそつちかわれた洒脱しゃだつさだと、楼で田舎地主をよく見かけてきた花鈴には判別できた。
 生粋の都人みやこびと、特に西の都民は、そういった細かいところにささやかな贅美をつくすのが粋だという信条をもっている。地方の金満家のように、これみよがしに華やかな色の衣をまとって玉石宝玉ぎょくせきほうぎょくを飾りつけて豪奢に見せかけようとはしないものなのだ。
「桜……、ああ、大通りから迷いこんだのか? ときどきそうやって桜を見たまま、うちの敷地内に入ってくるぼんやり屋がいるんだ。この季節は特にな」
 少年の口調は再びやわらいだ分、言葉には、ちょうど大人になろうとしている子ども特有のほのかな毒気がにじんでいる。
 妓女にもそんなふうに、やたらと威張りたがる娘がいる。ちょうど初仕事をこなした頃は、ことさら一人前ぶって、目下の者に威張りちらしたりするようになるものなのだ。
 一刻もはやく繭から脱けだしたい若い蝶のようなもので、みっともない芋虫だった頃の記憶を捨ててしまいたくてしかたないのだろう。最初から自分は華麗な蝶であったと自分にも他人にも思わせたくてしかたないのが、季節の変わり目というものなのかもしれない。
 目の前の少年もその季節にさしかかっているのだろう。そんな花鈴のやや不遜ふそんな思惑を知ってか知らずか、少年は両腕をくんで、めずらしそうに、うさんくさそうに花鈴を黒瑠璃くろるりのような目で見つめてくる。
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