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(そんな説教は、親も家もちゃんとあって、それなのに遊ぶ金欲しさに街角で男を誘うような女の子に言えばいいんだわ!)

 コンスタンスは歯ぎしりしたくなるが、しょせん、この一ヶ月半いくら苦労して多少は世間の荒波に揉まれたといはいっても、まだまだ十六歳の少女にしか過ぎないコンスタンスは、すでにパリという街の裏も底も見つくしたような中年刑事を相手に言い合うほどの気概も弁舌も持ち合わせてはいなかった。

「……まぁ、とにかく、新たにエマ・ドュホォール殺害犯人をさがすことになるだろう。君は『マドレーヌ』店の件では調書を取るから、また書類に署名してもらうことになるな」

 また、自分の魂を切り捨てるような想いで名前を書かなければならないのだ。コンスタンスは悔し涙をこらえた。

「それがすんだら、とにかく家にいったん帰るといい。葬式もしないといけいだろう。フィオー刑事、君いっしょに行ってやるといい」

「はい」

 けっこうです、という言葉は出なかった。この場合フィオー刑事はたんなる付き添いではなく、見張りも兼ねているのだ。




 久しぶりに帰った家はひどく荒んで見えた。ちいさな庭には草が多くなり、家政婦一人では手がまわらないのだろう、花壇の花も枯れてしまっている。 
 
 鍵はかかっておらず、家のなかに入ると、コンスタンスは今にもエマが機嫌悪く怒鳴ってくる幻想を見そうになったが、カーテンを閉め切ったままの屋内は静まりかえっており、物音ひとつしない。

 廊下をすすみ広間に入ると、コンスタンスの足は止まった。

 そこにまだエマがいるような気配がしたのだ。ソファに腰かけ、コンスタンスを睨んでいる気がする。コンスタンスをたびたび苛立たせたあの琥珀色の瞳が憎らしげに自分を見ている気がした。

 だが、そこには誰もいない。

 花瓶の花は枯れ、家政婦は来ていないのか、もしくは警察からそのままにしておくように言われていたのか、皿もグラスも事件当時のままのようだ。

 コンスタンスはいきなり凄まじい恐怖に襲われた。

(ここでエマは殺されたんだわ……)

 おぞましいことに松の木の床には血痕らしきものが残っており、コンスタンスの背に激しい悪寒を走らせた。
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