闇より来たりし者

平坂 静音

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新妻 二

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 私はまだそのとき夫の夜の訪問を受けておらず、心も身体も少女のままだった。だからこそ幸せだったのかもしれない。思えばそれは、甘い飴をあたえられて満足している子どものような、他愛ない幸せだったが。
 それでも当時の私の日々はのどかなものだった。
 近代的なコロニアル様式の呉家は西洋風の造りだけれども、第二夫人やその召使の女たちは色鮮やかなチャイナドレスに身を包み、下働きの召使たちはマレーシア風にクバヤやクルンなどの衣をまとっていた。
 屋敷の広間には夫が射止めた動物の剥製もあれば、西洋人の来客と応対するときのための革ばりのソファもあり、床には赤い絨毯がしかれてあれば、中国風の深山を描いた屏風もある。客人には香辛料を効かせたカレーやロッティという麺麭パンが出されもした。
 街にはオランダやポルトガル、イギリス風の建築物がならぶが、一歩建物のなかへ入れば中華風の装飾品がいろどりを放ち、インド人がこの国にもたらしたスパイスの香が廊下をながれもする。この街では、異種の文化が、多少いびつではあっても不思議と心地よく共存していた。
 私のそだった家庭でも、貧しいながらも母は私に英語を学ばせ、華僑の誇りをうしなわなかった父からは、先祖が作ったという漢詩を学びもした。もっとも先祖の作ったものなので、世間ではほとんど知られてはいないけれど。
 その日も私は近所の教会から流れてくる子どもたちの歌う英語の歌に耳をすませつつ、母や乳母から教えこまれた裁縫の練習にも手をぬかなかった。洋の東西、新旧の文化を、良し悪しや優劣がどうかよりも、ただ世間が、年寄たちが求めるものを持っていなくてはならないのだから。
 その日、私はバルコニーで刺繍の練習にはげんでいた。朝顔の絵柄が純白の布地に映えて、かなり満足のいくものだったことを覚えている。
 夢中になっていたものだから、すっかり時間がたってしまっていて、気がつけば日は少しかげってきていた。
 熱をふくんだとろりとした風に吹かれて、だるくなってきた。ほんの息ぬきつもりで籐椅子の背もたれに身をまかせると、庭の椰子の木がぼんやりと見えて、それはのんびりとした時間を味わっていた。
 一見、平和で幸福ではいても、やはり実家をはなれて他人ばかりの家で過ごすのは、気疲れするもので、誰もいない時間はとてもありがたいものに思えた。いつもはすぐ側にひかえている召使のサリナも、そのときは用事でもあったのか姿が見えず、かえって私はとても心地よい気分で、安心してまどろんでいた。
 だから最初、緑の芝生のかたすみ、庭木の影に、ぼんやりと見えた人影は幻だと思っていた。
 だが、それは幻ではなく、灰色の質素なクバヤに身をつつんだサリナだった。
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