闇より来たりし者

平坂 静音

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新妻 三

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 インド人の先祖を持つサリナはイスラム教徒らしいが、屋敷のなかでは夫の意向もあって、いっさい宗教的な習慣はださず、顔をかくすこともない。後ろで束ねただけのちぢれた黒髪が、彼女の動きにあわせてクバヤの背でゆらめいていた。
 私とおない歳の召使は必死に庭の草むらのなかを、何かをさがすようにはいつくばっている。
 蚊に刺されるわよ、と私は半分眠った頭でのんきな心配をしていたが、やがてサリナは目当てのものを見つけたようで、立ちあがったときには黒ずんだ塊を両手に持っていた。
 そのときのサリナの、いつもは無邪気そうな色黒の顔に浮かんだ笑みを、私はその後ながく忘れることはなかった。   
 サリナはさぞ嬉しそうにその黒ずんだ、私の目にはちりの塊としか思えないものを、まるで宝物のように大事に、持っていた布に包んでいる。
 起きて、何しているの、と彼女に問いただしたかったが、身体はこのまま椅子にもたれていたいと訴える。

 後日、異変に気づいたのは、召使たちの噂話からだ。
 その日、私は食欲がなく昼はスープだけで過ごしたのだが、後になって妙にお腹がすいてきて、厨房へむかった。自分から食事はいらないと言ったてまえ、後になって召使を呼ぶのが気恥ずかしかったのだ。この時間は料理人も休憩しているだろうから、こっそり果物でもつまもうと思っていたのだ。
 だが、その日は召使たちがのこって、厨房でうわさ話に花を咲かせていた。
「でね、サリナったら、ここ最近変なのよ」
「変って、どんなふうにだい?」
 話していたのは下働きの娘で、彼女はたしかサリナとは仲が悪かったことを私は記憶していた。中国人で、歳も上の自分が下働きなのに、インド系のサリナが奥付きの仕事をしているのが気に入らないのだ。
「あの子のクルン見た? 蘭の刺繍がはいったの。とっても綺麗なものだったわ。あんなもの、どうやって手に入れたのかしら?」
 料理人は四十代の小男で、ちいさな木の椅子にすわって煙草をふかしている。
 かまどの火はまだ燃えていて、鍋が煮られている。私が入っていくのをためらうほどに厨房じゅうの空気がねっとりと熱そうだ。
「奥様からのお下がりじゃないかい?」
 ここで彼の言う奥様とは、サリナの主である私のことだ。私は緊張した。
「でも、奥様だってあんなクルンは持っていないし、第一、奥様はクルンは着ないわ。いつもチャイナドレスですもの。ここの奥様方は皆そうでしょう? それに」
 娘は鼻を鳴らした。廊下からは娘の顔は見えないが、彼女の糸のように細い目が意地悪げにゆがんでいるのが私には想像できた。
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