闇より来たりし者

平坂 静音

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昔話 二

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 老女はいつも地味で質素な灰色のクバヤをまとっているせいか、いっそうそのときは不気味な印象にみえた。伝説にきく恐ろしい鬼女、羅刹のようだ。
 島のあやかしたちの伝説をおしえてくれたのは彼女だった。彼女……本名かどうかはわからないが、幼いころの私は彼女のことをダナお婆ちゃんと呼んで、それなりに慕っていたと思う。
 私は母の寝物語から、先祖からつたわる怖い羅刹の話や、悪い子は死んでから閻魔大王様にお仕置きされるんだよ、という話や、引きさかかれた恋人同士が一年に一度だけ会えるという七夕の美しくも悲しい物語を聞かされ、ダナお婆ちゃんからは昼食後の昼寝どきや、遊んでいるときに、島に伝わるポンティアナやトヨールのおどろおどろしい物語を聞かされた。
 ダナお婆ちゃんはこの島の田舎の生まれで、そんな土地の伝説にくわしかったのだ。そして教会で出会った異人の子どもからは、西洋の妖精の物語を教えられもした。子どもの頭のなかでは、様々な物語がうずまいていた。
 けれども、それらの中で、トヨールの伝説はひときわ強烈だった。
 小銭をなくしたとき、ダナお婆ちゃんは「きっとトヨールが持っていっちまったんだねぇ」と嘆いたものだ。トヨールって、何? と無邪気に私が問うと、
「小さい、小鬼……小人みたいなもんですよ。時々家に入りこんできては、小銭やお宝を盗んでいくんですよ」
「トヨールって、悪い子なのねぇ」
 ダナお婆ちゃんは皺だらけの顔をいっそうくしゃくしゃにして笑った。
「ほほほほ。でも、いいところもあるんですよ。困ったとき助けてくれることもあるんですから」
「助けてくれるの?」
「ええ。自分でトヨールを飼えるようになると、こっちが困ったときに助けてくれるんですよ」
「えー、すごい。わたしも、トヨールが欲しい」
 ダナお婆ちゃんは微妙な表情になった。
「お嬢さんには無理ですよ……。もっと大人になってからでないと」
 そのときの表情は不思議なものだった。笑い顔ではあるが、少し白濁した目にはかすかな困惑がまじっており、哀愁めいたものさえ含んでいた。勿論、そんな細かなことに気づいたのは、ずっと後になって記憶の底をさぐってからのことだけれど。
 やがて私は初潮をむかえ、両親によって婚約を定められ、この呉家へ嫁入りし、あの午後の灼熱の太陽のしたで語られていた女たちの話は遠い日のこととなって、今の今まで思い出しもしなかった。トヨールという、その言葉を聞くまでは。
 私は急にいてもたってもいられなくなった。
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