55 / 141
真紅の帳 一
しおりを挟む
だが、それからしばらくすると、呉家の邸のなかで奇妙なことが続いた。
やたらと物が無くなるのだ。
奥付きの召使や、厨房の下働きたちまで、いつも、あれが無い、これが見つからないと言い立てているのが聞こえてくるようになった。やがて第二夫人の棟でもそういうことが頻繁に起こるようになり、夫人付きの召使たちが探し物に追われるようになった。
美しい髪飾りやブローチなどの装飾品、小銭、あまり高価ではないが宝石まで消えてしまったときは、第二夫人はいらだった声で叫びたてた。その騒ぎは私の室あたりまで聞こえてきたほどだ。
その日の夕暮れには来客があるというので、皆浮き足だってもいた。
「まったく、お客様がいらっしゃるというのに、小間使いたちの気がきかないことといったら!」
第二夫人は鮮やかな、彼女の気に入りの紅地に白牡丹の絵柄の派手なチャイナドレスをまとって、長い眉をしかめて小さな癇癪を起こした。
「ああ、はやく、あなた達もならんで、ならんで」
邸の洋風づくりの広間には高価なペルシャ絨毯がしかれ、来客はまずこの室に通される。
ここで家族全員を紹介することになっている。
こういう形で家族そろって出むかえるのはたいてい外国人の客だ。勿論、第一夫人は今夜も顔を出さない。病弱な第一夫人にかわって女主人の役をつとめるのは第二夫人である。彼女はすこし緊張しているようだ。
今日の客は日本人の貿易商だという。
「大事なお客様がいらっしゃるというのに」
イヤリングが見つからず、第二夫人が怒りだし、それを探すのに召使たちが手間どって、料理の準備がおそくなったらしい。客を迎えるにあたって落ち度や不手際があれば、後で彼女が夫から責められるのだという。それも準正妻の務めというものなのだろう。
嫁いできて一年足らずで、しかもほとんど形だけの幼妻である私は、むしろ気楽な気分で、第二夫人や彼女付きの召使たちのあわてぶりを見ていた。
「今日のお客様は、旦那様の会社の大事な取引先だから、くれぐれも粗相のないようにね」
取引先の会社の跡継ぎだという。しかも、相手は日本人である。
日本の軍隊があちこちへ進出してきている噂は私も耳にしている。だが女は、特に良家の妻女は政治的なことには口出ししないきまりなので、私も口に出しては何も言わなかった。それでもラジオなどから聞く日本軍侵入の知らせは、黒い大きな嵐のようにこの島国を覆ってきており、私も少し日本人にたいして怖いような気持ちを持つようになっていた。いったい、どんな人なのだろう?
第二夫人の緊張が私にもうつってきたが、とにかく私は行儀よく一番上等な黒地に白蝶の模様もあでやかなチャイナドレスを着こんで、かしこまって立っていた。化粧は正直まだ不慣れで、変に見えないか気になって仕方ない。
やたらと物が無くなるのだ。
奥付きの召使や、厨房の下働きたちまで、いつも、あれが無い、これが見つからないと言い立てているのが聞こえてくるようになった。やがて第二夫人の棟でもそういうことが頻繁に起こるようになり、夫人付きの召使たちが探し物に追われるようになった。
美しい髪飾りやブローチなどの装飾品、小銭、あまり高価ではないが宝石まで消えてしまったときは、第二夫人はいらだった声で叫びたてた。その騒ぎは私の室あたりまで聞こえてきたほどだ。
その日の夕暮れには来客があるというので、皆浮き足だってもいた。
「まったく、お客様がいらっしゃるというのに、小間使いたちの気がきかないことといったら!」
第二夫人は鮮やかな、彼女の気に入りの紅地に白牡丹の絵柄の派手なチャイナドレスをまとって、長い眉をしかめて小さな癇癪を起こした。
「ああ、はやく、あなた達もならんで、ならんで」
邸の洋風づくりの広間には高価なペルシャ絨毯がしかれ、来客はまずこの室に通される。
ここで家族全員を紹介することになっている。
こういう形で家族そろって出むかえるのはたいてい外国人の客だ。勿論、第一夫人は今夜も顔を出さない。病弱な第一夫人にかわって女主人の役をつとめるのは第二夫人である。彼女はすこし緊張しているようだ。
今日の客は日本人の貿易商だという。
「大事なお客様がいらっしゃるというのに」
イヤリングが見つからず、第二夫人が怒りだし、それを探すのに召使たちが手間どって、料理の準備がおそくなったらしい。客を迎えるにあたって落ち度や不手際があれば、後で彼女が夫から責められるのだという。それも準正妻の務めというものなのだろう。
嫁いできて一年足らずで、しかもほとんど形だけの幼妻である私は、むしろ気楽な気分で、第二夫人や彼女付きの召使たちのあわてぶりを見ていた。
「今日のお客様は、旦那様の会社の大事な取引先だから、くれぐれも粗相のないようにね」
取引先の会社の跡継ぎだという。しかも、相手は日本人である。
日本の軍隊があちこちへ進出してきている噂は私も耳にしている。だが女は、特に良家の妻女は政治的なことには口出ししないきまりなので、私も口に出しては何も言わなかった。それでもラジオなどから聞く日本軍侵入の知らせは、黒い大きな嵐のようにこの島国を覆ってきており、私も少し日本人にたいして怖いような気持ちを持つようになっていた。いったい、どんな人なのだろう?
第二夫人の緊張が私にもうつってきたが、とにかく私は行儀よく一番上等な黒地に白蝶の模様もあでやかなチャイナドレスを着こんで、かしこまって立っていた。化粧は正直まだ不慣れで、変に見えないか気になって仕方ない。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる