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真紅の帳 六
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そして家のまえに飛び出したとき、偶然、散歩していた隣家のイサムとぶつかり、一瞬にして事情を察したイサムは、親切にも主人をいさめ、説得してミヨを自分の持ち家に引き取ってくれたのだという。
イサムの父は主人の男にとって上司に当たるそうだから、そういったことが出来たのだろう。勿論、主人がミヨのために支払ったお金はイサムが立て替えなければならなかったが。昔の物語に出てくる侠客のようで、私はイサムの整った顔を思い出しながら、感心した。
だが、後日イサムはそのことで父親から叱られたという。よけいな出費だし、部下の男性との関係に罅を入れるなと。
それでもイサムはミヨを追いはらうようなことはせず、その後は自分の家でメイドというより友人として住まわせ、衣食住の面倒をみて、なお勉強も教えてくれたのだという。
「勇様がいろいろ教えてくれたおかげで、わたし、難しい日本語の本も随分読めるようになったし、ほんの少しならピアノも弾けるのよ。勿論、英語も勇様が教えてくださったの」
ミヨの目は誇らしげだった。
「でも、近所の人は、わたしのことをイサム様の愛人だと思っているみたいなの。出入りの商人も、わたしのこと〝奥様〟って呼ぶし。勇様のお友達は、わたしのこと、冗談まじりにマドモワゼル・ムラサキって呼ぶの」
意味がわからず怪訝な顔をすると、ミヨがたどたどしく説明してくれた。
「そのお友達、古典に興味がある方で、その人が言うには昔の貴公子に愛された少女のことなんですって」
わたしも、良くは知らないのだけれど……。ミヨは恥ずかしそうに付け足したが、その顔には、困惑と嬉しさが入り混じっている。
わたしは奇妙な妬ましさをおぼえた。
ミヨはイサムに恋をしているのだ。ほのかな憧れなどでなく、真剣に、本気で。
それは、まだ私が経験したことのないものだった。
私はかつて教会で賛美歌をうたう若い神父の顔に目を奪われたことがあった。遠目に見る中国人の学生の後ろ姿にため息をこぼしたことがあった。だが、どちらもそれは姿を見なくなって数日たてば忘れてしまうような、ほのかな淡い想いだったと自覚している。
そもそも、私は異性と深くかかわったり、身近に親しんだ経験がないのだ。そんなことはとても出来ない境遇や因習のなかではぐくまれたた。そして貧しい実家を助けるためだけに、親子ほどに歳のはなれた夫に嫁いだ。頬がたるみ肌が妙に脂ぎっている中年男に。
嫁ぎ先のこの屋敷には、気のふれた第一夫人と抜け目のない第二夫人がいる。当の夫はいまだに一度も私の室を訪れず、それが察せられるのか、主人の寵がうすい第三夫人を召使たちまで軽んじるようになった。実家の親はそんなことはつゆ知らず、先日も「子はまだか? はやく作るように」と忠告にも助言にもならない言葉をつたえてきた。
恋愛とは……、人を想い、恋するということは、どういうものなのだろう?
イサムの父は主人の男にとって上司に当たるそうだから、そういったことが出来たのだろう。勿論、主人がミヨのために支払ったお金はイサムが立て替えなければならなかったが。昔の物語に出てくる侠客のようで、私はイサムの整った顔を思い出しながら、感心した。
だが、後日イサムはそのことで父親から叱られたという。よけいな出費だし、部下の男性との関係に罅を入れるなと。
それでもイサムはミヨを追いはらうようなことはせず、その後は自分の家でメイドというより友人として住まわせ、衣食住の面倒をみて、なお勉強も教えてくれたのだという。
「勇様がいろいろ教えてくれたおかげで、わたし、難しい日本語の本も随分読めるようになったし、ほんの少しならピアノも弾けるのよ。勿論、英語も勇様が教えてくださったの」
ミヨの目は誇らしげだった。
「でも、近所の人は、わたしのことをイサム様の愛人だと思っているみたいなの。出入りの商人も、わたしのこと〝奥様〟って呼ぶし。勇様のお友達は、わたしのこと、冗談まじりにマドモワゼル・ムラサキって呼ぶの」
意味がわからず怪訝な顔をすると、ミヨがたどたどしく説明してくれた。
「そのお友達、古典に興味がある方で、その人が言うには昔の貴公子に愛された少女のことなんですって」
わたしも、良くは知らないのだけれど……。ミヨは恥ずかしそうに付け足したが、その顔には、困惑と嬉しさが入り混じっている。
わたしは奇妙な妬ましさをおぼえた。
ミヨはイサムに恋をしているのだ。ほのかな憧れなどでなく、真剣に、本気で。
それは、まだ私が経験したことのないものだった。
私はかつて教会で賛美歌をうたう若い神父の顔に目を奪われたことがあった。遠目に見る中国人の学生の後ろ姿にため息をこぼしたことがあった。だが、どちらもそれは姿を見なくなって数日たてば忘れてしまうような、ほのかな淡い想いだったと自覚している。
そもそも、私は異性と深くかかわったり、身近に親しんだ経験がないのだ。そんなことはとても出来ない境遇や因習のなかではぐくまれたた。そして貧しい実家を助けるためだけに、親子ほどに歳のはなれた夫に嫁いだ。頬がたるみ肌が妙に脂ぎっている中年男に。
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