闇より来たりし者

平坂 静音

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魔女 六

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「わたし、近所に住むお年寄りのお婆さんにトヨールについていろいろ訊いてみたの。そしたら、いろんな言い伝えや噂話があって、トヨールを使って大金持ちになったり仕事を成功させたりした人はたくさんいるんですって。持ち主の嫌いな人間のところへ行って、その相手に災いをもたらすことも出来るそうよ」
 ミヨは目を輝かせて言いつのる。
「幽霊や妖精には距離なんて関係ないと思うわ」
 確かにそうかもしれない。私はそれ以上止めることもできず、ミヨがあらたに自分の中指を傷つけて血をしたたらせるのを見ていた。
 けっして大きな傷ではないが、先日傷つけた人差し指の傷痕を見ると、胸騒ぎがする。私は、少女は恋を叶えるためにはなりふりかまわなくなってしまうのだということをつくづく実感した。
 もしかしたら……と、私は暗い気持ちになって考えた。
 トヨールという特殊な物を手に入れたとき、私はすっかり有頂天になって、自分を、あの西洋の童話集に出てきた、不幸な少女のために南瓜かぼちゃを馬車にしてやった親切な魔女のようだと思って悦に入っていたが、実は、海の底で人魚の王女に足をあたえてやる代わりに彼女の美声をうばい、歩くたびに激痛に耐えるという試練の代償をあたえた、強欲な金貸しのような魔女の役割を担っていたのではないだろうか? 
 魔術には、白魔術と黒魔術があるのは、西洋のみならず、この国でも同じだ。
 私はなんの心得もないのに、危ないことに手を出していないだろうか?
 けれど、ミヨの熱っぽい目を見ていると、今更止めろとは言えなくなってしまった。
 生き血をその身体に吸いこんだトヨールは、首……、というか頭部をふって、眠りから目覚めた。そしてあの不気味な赤い目をあける。やっぱり不気味だ。だが、となりのミヨは、可愛いものでも見るように微笑んでいる。
「トヨール、おねがい。私、愛する人と結婚したいの。でも、相手の人のお父様が、どうしても認めてくださらないの。……お願い、どうにかしてちょうだい」
 前回とおなじことが起こった。
 トヨールはゆったりとした動きで瓶口から出てくると、よたよたと歩いていく。
 そして形も、どんどん大きくなる。心なしかその足が少し早くなっている。ミヨは頼もしげにトヨールの小さな黒い背を見ている。
 ミヨに見送られながら、トヨールは太陽から降りそそぐ金波きんぱあふれるバルコニーに出ていくと、あっという間に見えなくなった。

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