闇より来たりし者

平坂 静音

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洗礼 三

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 そこでアレックスは言葉をいったん途切らせた。
「トヨールはいます。生きているのです。ひとたび役目が終わって仮眠していても、死ぬことはなく、自分を必要とする人間をもとめ、相手もそれに応じ、血をあたえるようなことがあれば、トヨールはその相手を主とみとめ、死ぬまでついていくでしょう。主が死ねば、その子、孫とまで。特にこのトヨールは生命力がつよいのだと思います。何故ならば……」
 そこでまたアレックスは言葉を切る。
「このトヨールは、祖父が特別念入りにつくったものなのです。それというのも……、雛となった胎児というのが、祖母が生み落とした赤ん坊だったからです」
 私はまた何と言っていいのかわからず、黙ったままだった。
「祖父は、おそらくそれをトヨールとして使役するためではなく、そういう形であっても死産だった赤子に命を吹きこみたかったのだと思うのです。闇にとらわれた、いつわりの命であっても、とにかく生きて、なんらかの意思をもって動く〝もの〟を現世にとどめたかったのです。べつに小銭を盗んでこなくてもいい、だれかに嫌がらせや悪戯をしたりしなくてもいい、ただ、ただ、生きていてほしい。その一念で生後わずか二日で息絶えた赤子をトヨールにすることを決心したのだと、祖母は書き記していました」 
 そして、そのトヨールは、弟子によって盗まれ、サリナというマレー人の召使の手をとおして華人の珠鳳にわたり、さらに何らかの経緯を経て、私の曾祖母となる美代のものとなった。机の引き出しにかたく封をして閉じこめられたまま海をわたり、それからは長く長崎の舟木家に秘められていたものが、美代お祖母ちゃんの死によって、私のものとなり……、私は美菜とともにそれを開けてしまった。
 もしかしたら……、私は、開けてはいけない、あのギリシャ神話のパンドラの箱を開けてしまった?
「そのトヨールを私はどうにかして取りもどしたいのです。私自身もトヨールなどどうすればいいかわからないし、下手に持っていると人間の弱さで悪用しようとするかもしれない。だから、ボモーにたのむつもりです。現在もなお、マレーシアにはボモーと呼ばれる人たちがいます。できれば信用できるボモーにたのんで、そのトヨールを弔って眠りにつかせてやりたいのです」
 話を聞いていて、わたしは突然、あることが気になった。 
 背筋に虫が這うような不快感がじわじわとこみ上げてきて、さきほど読んだ手記の、ミヨが自分の指を切ってトヨールに血をあたえていた件りが生々しく思い出されてくる。
「あの……じつを言うと」
「なんですか?」 
 私はさいごに美菜と話したとき、美菜が指にバンドエードを巻いていたことを説明した。
 アレックスとリィーランさんの顔がこわばる。
 まさか、美菜はトヨールに血をあたえたのだろうか? でも、そんなこと知っているわけないし……。
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