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桜の頃 …5
しおりを挟む「俺が、ここに何をしにきたか、マジで分からない?」
流人はきゆを診察ベッドの上に座らせ、自分はコロコロのキャスター付きの丸椅子に腰かけると、滑るようにきゆの目の前に来た。
きゆは、目の前にいる流人の熱い視線からすぐに目をそらす。
「………分からない。
でも、きっと、院長先生が不在で人助けで来てくれたって信じてる」
流人は自分から目をそらしているきゆを切なそうに見た。
そして、きゆの小さな手を自分の手で包みこむ。
「俺の事を許してほしくて、それに、ちゃんと話を聞いてもらいたくて、ここに来た」
きゆは流人の手から自分の手を引き抜き、目をそらしたままつぶやいた。
「何も聞きたくないし、それに、そんな陳腐な理由でここにきたのなら、東京へ帰ってほしい……」
流人はまたきゆの手を引き寄せた。
「だろ?
そう思って一年にしたんだ。
簡単にきゆは俺に心を開かないだろうから、一年かけてゆっくりときゆに分かってもらいたいってね」
きゆはそれでも顔を背けたままだ。
流人は、またきゆの顔に手を当て、無理やり自分の方に向かせた。
「きゆが許そうが許さまいが、どっちみち、一年経ったら連れて帰るから」
きゆは流人の顔を見た。
間近で見る流人の目にはやるせなさが浮かんでいる。
きゆはずっと堪えていたが、涙が一粒こぼれた。
「流ちゃん……
ううん、流人先生……
東京では、私達は恋人同士だったかもしれないけど、この島ではただの医者と看護師…
流ちゃんと私には未来はないの。
それは一番よく流ちゃんが分かってるでしょ?
だから、これから一年間は、この島の人達のために、一緒に働いてほしい。
それが嫌だったら、東京に帰ってもいいよ…
私は、この島から、この先出ることはないから…
もう、そう決めたの……」
流人は目だけで天井を仰ぎ、深くため息をついた。
きゆのシミ一つない綺麗な頬の肌を優しく撫で、こぼれる涙を指で拭きとる。
……もう少し顔を近づければ、きゆにキスができるのに。
流人はそう思いながら、優しくきゆを抱きしめた。
「分かったよ…
でも、この一年で俺達はまた恋人同士に戻る。
それは、絶対、譲らないし、きゆは誰にも渡さない。
でも、まだ今は、友達以上恋人未満で我慢してやるから」
きゆはクスッと笑った。
俺様流人はこの島でも健在らしい………
「じゃ、流ちゃん、今から、流ちゃんの住む所に行こうか」
きゆは役場の人事部の三上から、流人が住まいに使う住宅の鍵を預かっていた。
村営住宅の奥の方にあると聞いているが、きゆもはっきりとその場所を認識しているわけではない。
車に乗り込むと、きゆはスマホのナビをセットした。
「なんか役場の人の話では、5年ほど前から積極的に医師募集の広告を出してたみたい。
そのために、急に医者の家族が来てもいいように、豪華な住宅を一軒作ったんだって。
流ちゃんが住むの第一号らしいよ」
「ふ~~ん」
流人はきゆがセットしたスマホのナビを手に取って見ていた。
「その俺が住むだろう住宅の周りってなんもないんだけど……
できれば、コンビニとかが近いところがよかったな…」
きゆは流人からスマホを取り上げ、笑いながらこう言い返した。
「流ちゃん、耳を澄ましてよく聞いてね。
この島にはコンビニなんて一軒もないから」
「マジ??」
「ほんとう」
きゆは住宅に向かって車を走らせた。
「え、じゃ、俺、どうやって生活していけばいいの?」
「流ちゃん、それが田舎に住むっていうことだよ」
きゆは窓を全開にして、青い空を仰ぎながらそう答えた。
*** *** ***
流人が住む予定の住宅は、村営住宅の中でも一番奥まった場所にあった。
海が見える高台を求めて作ったらしいが、周りには畑と森しかない。
でも、住宅はとても大きく、外国の映画に出てくるようなお洒落な洋館スタイルだった。
二人は広すぎる駐車場に車を停めて、恐る恐る大きな玄関のカギを開けた。
重厚な玄関の扉を開けると、大きなリビングルームが目の前に広がり、その先には海が見下ろせるウッドデッキタイプのベランダが見える。
「流ちゃん、見て。
凄いよ、わ~、綺麗~~~」
はしゃいでいるのは、きゆ一人だった。
流人は全くテンションが上がっていない。
「ほら、キッチンもすぐに生活ができるように全てが揃ってるし、カーテンも寝具も全部ちゃんと準備してくれてるよ。
流ちゃんみたいな独り者には最高じゃん」
きゆがそう言って流人を見ると、疲れたふりをしてソファにうなだれて座っていた。
「俺、ここに住みたくない。
だって、この周り、何にもないんだぞ。民家も店も街灯も何もない。
こんな広い家、今は昼間だからいいけどさ、夜になったら、怖いよ、怖すぎ…
きゆが一緒に住んでくれるんだったらいいけど、一人なんて絶対無理。
俺、寂しすぎて、一晩で孤独死する自信がある」
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