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桜の頃 …13
しおりを挟む流人ときゆが訪れた老健施設は、高台にある広大な敷地にひっそりと建っていた。
広大な敷地を最大限に利用した二棟の建物は、平屋風の長細い造りになっている。
その内の一棟の老人ホームの方が、今日の健康診断を依頼された場所だった。
二人は正面玄関にある事務室で受付を済ませると、健康診断の会場となっている大会議室に通された。
「きゆ」
だだっ広い会議室に二人で座っていると、廊下の方できゆを呼ぶ声がした。
「はい?」
きゆは廊下の方へ出てみた。
すると、そこに、瑛太と瑛太のおばあちゃんが立っている。
「瑛太、どうしたの?」
きゆが驚いて大きな声でそう聞いた声は、会議室の中で待っている流人の耳にもちゃんと届いていた。
「ばあちゃんがここにお世話になってるんだ。
今日、仕事が休みだったから、ばあちゃんに会いに来たら、田中医院のスタッフが健康診断でここに来るって聞いて、実は待ってた」
「きゆちゃん、べっぴんさんになったね~」
瑛太の祖母はきゆの事をよく覚えていたし、きゆももちろん覚えていた。
瑛太の両親は朝から畑で働いていたため、いつもおばあちゃんが子供達のお世話をしていたから。
「きゆちゃん、この島に本当に帰ってきたのかい?」
「はい、帰ってきました」
瑛太の祖母は涙ぐんで瑛太の手をさすっている。
「瑛太、良かったな~、きゆちゃんが嫁さんに来てくれるなら、ばあちゃんはそれまで長生きしなきゃ」
きゆが困った顔をして微笑んでいると、会議室の方から大きな咳払いが聞こえた。
「おばあちゃん、私、仕事だからもう行かなきゃ…
今日は、おばあちゃんも健康診断の日?」
「ううん、ばあちゃんは次の回だって言ってた。
だから、きゆの顔を見に来たんだ。
ごめんな、忙しいのに…」
きゆは小さく首を横に振ると、また奥の方で咳払いが聞こえる。
「じゃあね、私、行くね。バイバイ」
きゆは瑛太と瑛太の祖母に手を振りそそくさと会議室に入ると、そこには目を細めた明らかに機嫌が悪くなっている流人がいた。
「仕事の前に何してんだよ」
きゆは流人の前に座り、ごめんと手を合わせた。
「久しぶりに瑛太のおばあちゃんに会ったの。ごめんなんさい」
流人はわざとらしく大きくため息をついた。
「あのマッチョはきゆが来るのを知ってて、ここに来たんだろ?」
……やっぱり、そこ?
流人は確実に瑛太を嫌っている。
健康診断は思っていた以上に時間がかかった。
流人の気さくな性格は、お年寄り一人一人にたっぷり時間をかけ悩みや心配事を熱心に聞き、そして丁寧に優しくアドバイスをする。
たまにはジョークも交え、みんなを楽しませたりもした。
そこに来ている入所者もスタッフもあっという間に流人と仲良くなり、口々にありがとうと言う声が色々な所で聞こえるほどだった。
流人は何人かの体の具合を懸念して、スタッフの人に近々病院へ連れて来るようお願いした。
そして、初めての島での巡回訪問の仕事を無事に終えることができた。
流人ときゆはスタッフの人達に挨拶を済ませ外へ出ると、中庭に設置されているベンチに瑛太が座っているのが見えた。
「きゆ、終わった?」
瑛太にはきゆしか見えていない。
「うん、ずっと待ってたの?」
きゆと瑛太が立ち話をする間、今度は流人が中庭にあるベンチに座り込んだ。
それも、きゆと瑛太の真正面のベンチに座り、二人を目を細めて見ている。
「きゆ、幸喜、覚えてる?」
「覚えてるよ~」
「きゆが島に帰ってきたって教えたら、近々帰って来るって。
あいつ、隣の島で働いてるんだ」
きゆは目の前に座っている流人が気になってしょうがない。
「幸喜にきゆのラインの連絡先を教えてもいい?
あいつ、きゆにすごく会いたがってるからさ」
きゆは小さく頷いた。
「きゆ、そろそろ行くぞ」
流人は突然立ち上がると、そう言い残して車の方へ歩いて行った。
「きゆって……
あの先生、もうきゆの事呼び捨てなのか?」
きゆは空を仰いでしまった。
ここにも保護本能丸出しの血気盛んな男がいる。
「きっと、待ちくたびれてわざと言ったんだよ。
すごく優しくて、いい先生だから、大丈夫」
きゆはそう言って瑛太と別れた。
駐車場の方へ歩いて行くと、車の前にしゃがみ込んで缶コーヒーを飲んでいる流人が見える。
「なんで、あいつにラインとか教えてるわけ?」
きゆは本当に面倒くさいと思った。
流人の俺様気質は無理難題を押し付けてくる。
「あいつにはさ、この島に、たくさんの友達がいるだろ?
俺にはきゆしかいないんだ…
だから、きゆは俺の事を最優先に考える事。
そうじゃないと、俺は孤独で一人ぼっちで死んでしまうからな」
こうやって、私の心を掴んでいく。
俺様気質は好きだけど、寂しがりは勘弁してほしい…
だって、流人のことを放っておけなくなるでしょ?
これが私の弱い部分…
流人を愛している隠し切れない気持ちが、いつの間にか私自身を追い詰める。
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