君の中で世界は廻る

便葉

文字の大きさ
14 / 47

嵐の頃 …1

しおりを挟む



気がつくともう7月に入っていた。

4月と5月は学校や職場の健康診断が多く、診察自体はそれほど忙しくなかった。
流人は専門外の科の勉強に励むと同時に、去年から取り組んでいるボストンの学会に提出する論文の期限が6月いっぱいということで、何かと毎日を忙しく過ごした。

きゆも医療事務の通信講座の自宅受験を6月に控えて、役場の保健課の人に教えてもらいながら、やはり勉強に励んでいた。

その二人にとっての慌ただしい6月が過ぎ、7月に入ると少しだけ生活にも仕事にも余裕が出てきた。


「きゆ、今日、うちに来ない?」


最近、流人は人里離れた自宅で時間を過ごすことが多くなっている。
ここに来た頃は、静けさと暗闇が怖く長い時間を一人で過ごすことができなかったが、今ではそれでも泊まる事はしないけれど、休日の昼間にあの豪華な家でくつろぐことの楽しみを覚えた。


「また、俺に料理を教えてよ」


以前、暇さえあれば家に籠って論文を仕上げていた流人に、きゆはご飯の炊き方を教えてあげた。


「料理って…
お米を炊くのって料理なのかな?…」


「でも俺は、ご飯の作り方なんて知らなかったから、すごく役に立った」


きゆは伸びてきた前髪をちょんまげのように結んでいる流人を見て、堪えきれずに笑った。


「流ちゃん、髪切ってあげようか?」


流人はこの島に来てから一度も髪を切っていない。
きゆに教えてもらった散髪屋は70代のおじいさんが営んでいると聞き、しり込みしていたからだ。


「きゆが? 切れんの??」


診察室の椅子に座っている流人の髪を、きゆは優しく撫でて触った。


「こんな小さな島で育つと、一通り何でもできるようになるの。
だって、私、二人いる兄達の髪を二人が中学を卒業するまで切ってたんだから」


流人はきゆに疑わしい眼差しを向ける。


「その髪型は坊主でした、じゃないよな?」


きゆはまた笑った。


「坊主じゃないよ。
普通の男の子がする髪形。

分かった…
じゃ、前髪だけ切ってあげる」


流人はしぶしぶ頷いた。
どのみち、この前髪の限界は近づいている。


「じゃ、今日は土曜日だから、午前の診察が終わったら、俺の家に行こう」


7月に入り、梅雨の季節は終わったようだ。
今日は、夏を思わせる雲一つない濃い青色の空が広がっている。
流人は、きゆと大切な話がしたいと思っていた。

去年のきゆの誕生日の言い訳をしたい。
あの時、俺に何があって、何を考えていたか…
この話をちゃんとしない限り、俺達は前に進めないんだ……


***  ***  ***


「流ちゃん、ちゃんと、掃除してるんだ?」


流人の家に久しぶりに訪れたきゆは、綺麗に片付いている家の中を見て驚いてそう言った。


「いや、それが、たまに誰かが来て掃除しくれてるんだ…
役場の人かな?
本当に至れり尽くせりで気が重いよ」


きゆは海を眺める大きな窓を開け放った。
この間ここに来た時は雨が降っていて、ここから見える空も海も灰色だった。
でも、今日の窓から見える風景は、素晴らしくため息がこぼれるほどだ。
高台から見下ろす海と空の絶妙な青色違いのグラデーションが、目を見張るほど美しかった。
きゆは外から入ってくる柔らかい海風に体を預けていた。

流人は電気ポットに水を入れて、お湯をグツグツ沸かしている。


「流ちゃん、お茶を飲む前にちゃちゃっと切っちゃおうか?」


「え~~、マジ?」


「マジだよ」


きゆは洗面台からはさみと剃刀とブラシを持って来た。
床に新聞紙を敷き詰めて椅子を置き、そこに流人を座らせる。


「ちびまる子ちゃんみたいなパッツンはやめてくれよ…」


「大丈夫だって」


きゆは自分の顔を流人の顔の位置まで下げる。

流人の頬にきゆの息が何度もかかった。
剃刀とはさみの音が、流人の耳元に心地よさをもたらしてくれる。
流人はきゆの口もとをずっと見ていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

処理中です...