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嵐の頃 …10
しおりを挟む「今夜は俺のために時間を空けといて。
実行委員会の打ち上げとか、そんなの無視すること。
きゆからのご褒美が何がいいか、その時に教えるから」
きゆはご褒美をもらう方なのに態度の大きい流人を見て、クスッと笑った。
でも、カラオケ大会に出てくれる流人の心意気に、何でもしてあげたいと心から思った。
夏祭りも佳境に入り、カラオケ大会は異様なほどの盛り上がりを見せている。
流人は小さな特設ステージの脇に立ち、自分の愚かさに嘆いていた。
この島にこんなに人がいたのかと思わせるほど、たくさんの人が集まっている。
カラオケは老若男女が入り乱れ、どちらかと言えば聴かせる歌より盛り上げる歌を歌う人の方が多かった。
流人は実行員会の人達の言われるがままに、白衣を着てここに立っている。
……マジ、無理かもしれない。
何で俺はここに立ってるんだ?
流人は、キャンセルになった前年度の優勝者が歌うはずだった“栄光の架橋”を歌うことになっていた。
ゆずの“栄光の架橋”はカラオケで歌ったことはあるが、そんな歌詞を見ないでなんて到底無理だ。
流人の手のひらには、きゆがその歌の歌詞をびっしりと書いてくれている。
「じゃ、最後になります。
急遽、前年度の優勝者がキャンセルになり、その枠に、4月からこの島に赴任してくれた田中医院の池山流人先生が歌ってくれることになりました。
流人先生、どうぞ~~~」
流人は目を閉じ大きく深呼吸した。
チャラ男降臨…
流人は、盛り上げ上手で軽いノリのもう一人の自分に身をゆだねた。
静かなイントロが流れると、ざわざわしていた観客が急に黙りこむ。
白衣を着たイケメン医師に、皆、目を奪われていた。
流人は真正面に座っているきゆを見つけた。
その隣では、役場の人達が手作りの横断幕を持って体を揺らしている。
もっと奥に目をやれば、今まで診てきた患者さんの顔がちらほら見える。
そして、ステージの下の方には、マルを連れた本田さんも座っていた。
流人はこの島に来る事ができた奇跡に感謝しながら、心を込めてその歌を歌った。
「きゆちゃん、先生、すごい……
こんなに歌が上手いなんて知らなかった…」
きゆの隣にいる役場の保健課の人達が、目を潤ませてそう言っている。
きゆは頷くことしかできなかった。
流人の歌声は、島の優しい風に乗って皆の心に届いているだろう。
この島を愛してくれて、島の人々を尊重してくれて、田舎者のきゆの全てを受け入れてくれる人。
こんな人はきっともう現れない…
きゆは流人を見ながら、大粒の涙を流した。
島の人達が流す感動の涙と同じふりをしているが、本当は全然違う。
流人のことが好き…
たまらなく好きだよ…
流人はあれよあれよという間に皆に称賛され、優勝トロフィを手にしていた。
きゆと一緒にふくろ詰めをした一番いい金額の商品券を手にし、流人を囲んでいる島の人達に何度も頭を下げる。
今夜は瑛太も、何度も流人に握手を求めてきた。
流人はぴちぴちのTシャツを着ている瑛太の事は相変わらず苦手だったが、でも差し伸べられた手はしっかりと握り返した。
皆にもみくしゃにされながらも流人はずっときゆを捜しているのに、真っ先に来てくれてもよさそうなはずのきゆは、ちらりとも姿を見せない。
「では、お祭りの最後は花火になりますので、皆さん、海の方を見て下さい」
アナウンスの声が響き渡たり、広場を照らしている灯りがひとつずつ消えていく。
流人はきゆを捜して広場の中を歩き回った。
灯りが消え暗闇が濃くなると、ますます人の顔が見えなくなる。
花火の上がる音が聞こえると、海の真上の空に大輪の花が咲く。
きゆを見つけられない流人は、花火を背にして病院へ向かって歩き出した。
きゆがいなければ花火を見る気にもならない…
広場から離れた小道を歩いていると、後ろで流人を呼ぶ声がした。
綿あめを手に持ったきゆが、流人の方へ走ってくるのが見える。
「流ちゃん、花火が上がってるのに、なんで帰るの?」
「だって、きゆがいないから…」
「流ちゃんの大好きな綿あめを買ってたの…」
きゆがそう言って綿あめを流人に手渡そうとすると、その手首をつかまれ流人の胸に引き寄せられた。
「花火はきゆと一緒に見たかったんだ。
急に消えるなよ」
二人はその小道の脇に腰かけて綿あめを食べながら、真上に上がる大きな花火を寄り添い見上げた。
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