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嵐の頃 …9
しおりを挟む「きゆ、俺はこの島が好きだ。
きゆが生まれたからとかそんなんじゃなくて、俺はこういう自然の中で生きるってことに、きっと憧れてたんだ。
もし……」
もし、俺がこの島に留まりたいって言ったら…?
流人はそう言いかけたが、ギリギリのところで心の中に飲み込んだ。
また、きゆの事を苦しめるのは分かっている。
親父とおふくろのために俺が帰ることを願っているきゆに、この島で一緒にずっと暮らそうなんて言えるはずがない。
いや、今は言えない……
「もし?」
きゆは左頬にえくぼを浮かべそう聞いた。
「もし、俺がこの島に生まれてたら、きっときゆと幼なじみで、地元の大学の医学部を出て、この島の町医者になって、きゆは瑛太じゃなくて俺と結婚するんだ。
なんで、俺はこの島に生まれてこなかったんだろう……」
きゆは隣に座る流人をそっと抱きしめた。
「流ちゃん、ありがとう……
その気持ちだけで嬉しいよ…
この島を好きになってくれて、本当にありがとう」
波の音できゆの小さな声は聞き取れない。
夕暮れに染まる凪いだ海は本当に綺麗だった。
波の先に日の光が反射してキラキラ輝くその光景を、流人はきっと忘れないだろう。
きゆを愛するということは、きっとそういうことなんだ……
俺の心髄に沁みわたる一番素晴らしくて一番欲しいもの……
*** *** ***
それから幾日が過ぎ、いよいよ夏祭りの当日になった。
きゆは名目上は実行委員会の会計係となっているが、実質は雑務全般を任された何でも屋だ。
土曜日に夏祭りが重なったため午前は病院の仕事をこなしながら、空いた時間に商品券を封筒に入れる作業に励んでいた。
「今日は病院に来る人なんていないから、閉めてもいいよ」
流人は暇そうにきゆの仕事を覗きながらそう言った。
「ダメだよ。
土曜日に半日病院を開けるのは、島の人達の希望でそうなってるんだから」
「みんな、夏祭りにてんやわんやで来る人なんていないと思うけどな」
流人はブツブツ言いながらきゆの仕事を手伝った。
きゆのしている事を真似て封筒に商品券を入れている。
「これは何に使うやつ?」
流人はは手を動かしながらきゆに聞いてみた。
「これはカラオケ大会の参加賞で配る景品。
この島の祭りはカラオケ大会が目玉なの。
隣の島とかからも歌の上手い人が集まるくらい」
「ふ~~ん」
きゆは急にあることを思い出して手を止めた。
「流ちゃん…」
必死に封筒のふたの部分を折り曲げている流人は、顔を上げずに目だけできゆを見る。
「流ちゃん、カラオケ大会に出ない?」
「は~~~??」
流人はさすがに封筒を折る手を止めてきゆを見た。
「だって、流ちゃん、歌うのめっちゃ上手いじゃない。
東京の病院では流人先生は歌手でもやっていけたなんて、皆言ってたんだから。
私も流ちゃんの歌声をまた聞きたいし、ねえ、どう?」
「ねえ、どう?って……
そんなぶっ飛んだ話聞いた事がないよ。
だって、今日の夜の話だろ??
無理無理、いくら俺でもそんなカラオケ大会だなんて、緊張して声も出ないよ」
きゆはわざと大げさに悲し気にため息をついた。
「急なキャンセルが二人も出て、時間も内容も大幅に変えなきゃなんないの。
そのキャンセルの一人の人は、去年の優勝者で、隣の島から来る人ですごく上手かったらしくて、島の人達皆が楽しみにしてたみたいなんだ。
流ちゃん、ダメ? いい思い出になると思うよ…
流ちゃんの歌声なら皆喜んでくれると思う。
カラオケ大会もめちゃくちゃ盛り上がると思うんだけどな…」
流人はまた封筒を折り始めた。
そんな恐ろしい事俺にさせるなよみたいなすねた目をして。
でも、きゆは、諦めきれなかった。
流人の歌声はこの島のカラオケ大会にはもったいないくらいレベルが高いもので、軽く歌う程度で皆を感動させることができたから。
結局、流人はカラオケ大会に出ることになった。
きゆと話したあの後、祭りの実行委員会と名乗る青年団が瑛太を筆頭に病院へやって来た。
いくらわがままな流人でも、あんなに頭を下げられれば断ることはできない。
この島の事は大好きだし、色々な事を経験するのはいいことなのかなと自分に言い聞かせ、この小さな島の小さなお祭りで、流人は人前で歌を披露することに決めた。
「流ちゃん、ありがとうね…
それとごめん、無理言って。
それで、私ももう行かなきゃ、祭りの準備があるから」
実行委員会の人達が帰った頃を見計らって、きゆはそう流人に伝えた。
きゆは流人の心遣いに本当に感動しもっと一緒にいたかったが、何せ時間がない。
「きゆ、ちょっとここに座って」
流人は急いで着替えに行こうとしているきゆにそう言うと、きゆは穏やかな笑みを浮かべ素直にそこに座ってくれた。
「ねえ、俺、ただじゃ歌わないから」
「え??」
「きゆからのご褒美がないと歌わない」
きゆは流人のこの二面性のある子供っぽい性格に戸惑いながら、でもなぜか愛おしい。
「……分かった、じゃ、ご褒美は何がいいの?」
きゆは予想はついたが、あえて聞いてみた。
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