はじまりと終わりの間婚

便葉

文字の大きさ
82 / 97
ホワイトデー

…6

しおりを挟む



「まひる、こっちで飲まない?」
 
ミチャは私の大好きなシャンディガフの入ったグラスを持っている。
そういえば、ホテルのベルマンの人に準備しておいてほしいとお願いしてたっけ。
 
私はミチャの言葉に負けて、リビングのカウンターテーブルに座った。
そのテーブルは、お洒落なバーのカウンターのみたいに椅子が床にくっついている。
何となくだけど、ミチャとちょっと距離を置きたかった。
こんな狭い空間でも。
でも、そんな私の思惑なんて、ミチャはこれっぽっちも分かってない。
こんな時、鈍感で空気読めない性格って最高に幸せだなと、ミチャを見てつくづく思った。
 
「ミチャ、さっきの話、聞かせてほしい」
 
ミチャは缶ビールを手に持っている。
私が飲んでいるシャンディガフの残りのビールを、グラスに注がずにそのままで。
でも、缶ビールを持って立っているミチャは本当にカッコよかった。
スウェットのパンツに半袖の無地のTシャツ、半分濡れた髪はきっとタオルで拭いたまま。
そんなプライベートのミチャが本当に好きだった。
何もかもが愛おしくて、やっぱり手離したくない。
ミチャは私の隣の椅子に、とりあえず座った。
でも、微妙な距離感に居心地が悪いらしい。
また立ち上がり、カウンターを挟んで私の前に立ってそっと私を見た。
 
「あの日から、まひるの提案をずっと考えてた。
この結婚は、僕やまひるの気持ち次第でどうにでもなる。
それは、実はすごくシンプルなもので、たくさんの約束は交わしたけど、それだって、無意味な白紙に戻す事だってできるって事」
 
私の中で一気に期待感が高まった。
でも、油断は禁物。
ミチャは一筋縄ではいかない生き物だから。

「僕は、画家になるために必死に頑張っていた頃のまひるを知らない。
知らないからこそ、その時に一生懸命頑張っていたまひるを尊重したいんだ。
実は、まひるが行こうとしている学校の事やビザの事を、僕なりに色々調べてみた。
森魚君が言うように、夢と希望に満ち溢れてて、それに挑めるまひるは本当に凄いんだって、ため息が出たよ。
約五年は向こうに居れるらしいから」
 
ミチャは持っていた缶ビールを一気に飲み干して、その缶を手で握り潰した。
 
「僕だって、まひると離れたくない。
というか、まだ、そんな実感が全くないんだけどね。
僕は、まひるを縛りたくないと思ってる。
真っ新な状態で、夢に向かって進んでほしいって思ってる。
そうするためには離婚をした方がいいって、そう思ってたけど…」
 
私はジッと座っていられなかった。
ミチャの横に立って、ミチャの腰に手を回す。
すると、ミチャは私をそっと抱き寄せた。
 
「離婚は白紙に戻す事に決めた。
でも、まひるが出発する日までに、離婚届は準備しておきたい。
お互いちゃんと署名して判を押して、いつ別れてもいいようにしておきたいんだ。
まひるがイタリアに行って日本へ帰れない日々がずっと続いた時や、僕や僕との結婚よりもっと輝く何かを見つけた時、僕達の関係が重荷にならないように、そうしておきたい。
 
まひるを僕という鳥かごの中に入れておきたくないんだ。
まひるはいつでも自由で、自分の好きなように自分の道を進んでほしい…」
 
ミチャはそう言い終わると、ホッとした顔で私を見た。
まるで、私の反応を窺っているみたいに。
 
「分かった…
でも、ミチャ、これだけは知っててほしい…
私はいつでも自由だし、私の進む道はちゃんと私が決めてるから」
 
私は気持ちが高揚し過ぎて、息が荒くなってしまう。
 
「じゃ、じゃ、とりあえず離婚はしないでいいんだよね?
離婚届はミチャがちゃんと鍵のかかった引き出しにしまっていれば大丈夫だし、あ、何なら、その鍵を私がイタリアへ持って行っちゃってもいいけど」
 
「まひる? 酔っぱらってないか?」
 
あ~、酔ってるのかもしれない。
ミチャと書類上だけは離れなくて済んだ事は、最高にハッピーだから。
それに、フィレンツェへは一年しか行かない。
それは誰にも言わないけれど、私の中では決まっている。
だから、ミチャと離れるのは一年だけ。
 
「酔っぱらってないよ。
だって、シャンディガフ、一杯しか飲んでないのに」
 
私は本当に嬉しくてミチャの周りをクルクルと回り出す。
つくづく人間って、本当に色恋に弱い人間なんだと自分を見て実感する。
画家になる夢は、もう、夢のままでいい。
 
「まひるがそんなに嬉しいのなら、僕の決定はこれで良かったのかな」
 
うん、うん、と私はしつこく頷いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~

藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。 戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。 お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。 仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。 しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。 そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...