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魔人さんとままならない無情なるあれそれ。
しおりを挟むまだまだ寒さの残る、あたたかな羽毛布団が手放せない毎日、その内の一つに焦点を当てた話をしよう。
オンボロアパートの一室、俺たちの暮らす角部屋の共有スペースたるリビング。
その端の方に鎮座ましている布製クッションソファ。
そこに腰かけた魔人がなにやら神妙な顔をしたまま、自らの胸部を睨みつけていた。
時折、両手を胸部に当てふにふにと感触を確かめているのに、どうしようもなく面倒くさい空気を察して半眼になった。
ここで関わっても関わらなくても、絶対に面倒くさいことになる。
それだけはこれまでつきあってきた魔人とのあれやこれやで嫌というほどに“理解”させられたため、それならばと声をかけた。
どうせ巻き込まれるなら、はじめから主導しておいた方が後々楽なのだ。
そんな覚悟を決めて、魔人へと問いかけた。
「あ~……。
どうしたんだ?
どこか痛んだりするのか?」
念のために苦痛を感じていないかと声をかける。
この男、なにがしかの身体的・精神的な不都合があっても、相手に気取らせぬように隠しきってしまう。
身体的なものだと、変身能力で健常体に変身してリセットする、なんて荒技をやってのける。
このため、できるかぎり細部を観察し、小動物のような“不調の隠蔽工作”を見抜く必要があるのだ。
もっとも、今現在、目の前にいる魔人に苦痛時特有の張り詰めた気配を感じないので、念のための確認の割合が大半を占めるのだが。
俺のそんな問いかけへ、魔人は即答せずに大きくため息を吐き、瞑目したあと口を開いた。
「……ぁ…で」
「あ?
悪い、もう一度言ってくれ」
あまりにも声が小さくて聞き取れず、再度口を開くように促した。
それに、キッ!と睨みつけるように顔を上げた魔人は、激情のままに叫び上げた。
「なんでっ!
なんで、僕の胸はっ!
こんなに、真っ平らなの!?」
ふうふうと肩で息をしながら叫び上げた魔人に。
俺は心底こう思った。
く、くだらねぇ~っ!
え、なんでいきなり胸の話をした?
なにがどうなってそこに行き着いた?
まったく以て理解不能な思考回路に混乱をきたす。
魔人は自らの胸部、本人曰く“真っ平ら”な胸板をバンバンと叩き上げて、再度訴えた。
「見てよこの、断崖絶壁っぷりを!
女性になったって言うのに、こうも凹凸がないなんて――これほどの悲しみが、この世にある!?」
大げさに過ぎないか?
そして再度思う。
あぁ、なんとくだらないのだろう、と。
そんな俺のしらけた視線にめげることなく、魔人は立ち上がったうえで俺の胸倉を掴み、がくがくと揺すりだした。
「世に遍く存在する、女性たちを見てよ!
あのふくよかな、魅惑の膨らみをっ。
温かく包み込んでくれるような慈愛の象徴をっ。
……なぜ、僕は。
僕の、女性体は……持ち得ないの?」
心底理解できませんという声音で、悲しみを綴る魔人。
愁いを帯びて伏せられた、瞬くたびに風が起きそうなほどにたわわに茂る、黒曜石色のまつげ。
それにより翳る、まろやかな頬の稜線。
僅かに開かれた桜色の唇に、あまりにも細く繊細な頤。
こんなにも美しく清らかな相貌を以て呟かれる、あまりにも俗人染みたしょうもない悩みに。
――どことも知れぬ、天を仰いだ。
己の美しさをフル活用したくだらなすぎる慟哭を、聞き手である俺はどう処せば良かったのだろうか。
目頭を揉み、どことなく重く感じる思考の蟠りを解いてやる。
あ~……。
ひとまず月並みな言葉で慰めて、出てきた目にあわせて対応する、これで行こう。
「そうはいっても、人それぞれだろうが。
こう言うだろ?
みんな違って、みんないい」
違うか、と問いかけようとして、ふるふると震えながら両手で握り拳を握った魔人が――吠えた。
「それは持つものの傲慢だよ!?」
ぺちーんっ!
俺の胸板をしたたかに平手打ちした魔人が、なおも吠えたてる。
「僕だって!
たわわに実る、二つの膨らみをっ!
誰に憚ることなく、揉みしだきたかった!
それなのにっなんで、こうもっ!
この世は――ままならぬのかっ!」
魔人は眼前に掲げた手をぶるぶると震わせたまま、勢いよく不満を吐き出した。
それにどうにも共感できず、遠い目をする。
もうこれ、このまま放置して良くないか?
ぶたれた左胸がヒリヒリと痛むのに、それ以上のしょうもなさから意識まで遠退きそうな気分に陥る。
ここで下手なことを言い募ると火に油を注ぐ。
それを理不尽極まりない姉とのやりとりで学んでいたため、きゅっとお口にチャックで待ち続ける。
しばらくの間、ああだこうだと魔人はわめき立てていたが、徐々に勢いが落ち、ついには俯いたまま黙り込んでしまった。
男であっても背の低い魔人は、女性になると更に背が低くなってしまう。
このため、俯かれてしまうと丸い頭部の天辺、かわいらしいつむじしか見えないのだ。
どう声をかけたものかと悩み、頬を掻く。
しばし黙考、数度呼吸を繰り返し、自分を奮い立たせた。
「あのな?
確かにお前は、その……細やかな胸部の持ち主だと思う。
けれど、お前の美点はそこじゃないだろ」
そう、強いて言うのなら。
「男であろうと、女であろうと。
すらりと伸びやかな脚部。
これだけは、誇っていい」
ただし普段からたびたびやらかすトラブルメーカー気質は、どうにかしてもらいたい。
そう、渾身の思いを込めて言い募れば。
心底、ドン引きです。
そんな顔のまま、魔人は後退った。
え、なんでそこで更に、もう一歩後退る?
なんで足下で蟠っていた毛布を取り上げて、胸元まで覆い隠すように広げたんだ?
目を合わせるのが何とも辛い、そんな表情で魔人は視線を逸らし、ぽつりと呟いた。
「へんたいだぁ……」
心外に過ぎる。
お前の高すぎる顔面偏差値、これを除いたときに唯一誇れる部位を挙げただけだろうが。
不満を表すべく荒々しく鼻を鳴らせば、魔人も苦笑いのまま、恐る恐るといった体で声をかけてきた。
「えっとぉ……うん、その。
興奮しすぎてたみたいで……迷惑をかけて、ごめんね?」
冬眠あけの熊を刺激しないように。
まさしくそのような心持ちで呟かれたそれに、半眼で向き直りつつ反復する。
まぁ、なんだ。
振り返ってみれば、俺もなかなかの失言をしたなと思い、一言だけ謝罪を述べておく。
二人揃って大きくため息を吐く。
そうして顔を上げて、目が合わさったとき。
何とも嫌な予感のする、性質の悪そうな笑みを魔人は浮かべた。
「君さ。
ベッドの下なんて、定番の隠し場所。
改めた方がいいよ?」
どうしてそれを、今ここで言う!?
あとそれ、俺の持つものの中でも、なかなか際どい奴の隠し場所なんだが!?
華奢な肩を掴んでがくがくと揺すり上げれば、出るわ出るわの珠玉のあれそれの在処に再度天を仰いだ。
あぁ、何で。
半年ほど前までは、一国一城の主だったというのに。
どうして俺は、こんなにも。不遇なのだろうか――。
目尻に溜まった塩水がつうと滴り落ちるのに、強く臍を噛む。
なおも俺を追い詰めるべく、更なる追い打ちをかけんとする魔人の額に手刀を落とし、黙らせて。
ままならなさに、世を儚んだ。
これが。
十二月初頭、寒風吹きすさぶある日の昼下がり、その一幕である。
あぁ、本当に。
なんで俺たちは、甘やかになれないんだろうなぁ。
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